第九十話:治して、追って、励まして


 たったったっ、と見張りの目を擦り抜けながら、器用に廊下を駆けていく。


『はー。それにしても、無茶しますねぇ』

「……彼が死んだら、兄さんたちに支障が出かねないからね。今は何としても、生きておいてもらわないと」

『それで、ノークさんたちにバレたら、元も子も無いと思うんですが?』


 そう話すのは、キソラと守護者が一人、オプティフラージュである。

 自身の姿を他者から認識されないようにする――背景と同化する、所謂いわゆる透明人間になるというのが、オプティフラージュの能力である。


「バレたらバレたで、それはその時に対処する。それに、私が居なくて悪化したとすれば、オプティたちが苦労することになるよ?」

『それは……嫌だなぁ』


 そうこうしているうちに目的地に辿り着く。


「さぁて、オプティ」

『はいはい』


 一度憑依を解除すると、扉を擦り抜けたオプティフラージュがかちゃん、と鍵を開ける。


「失礼しま~す……」


 そっと室内に入り、そこで眠る人物を確認する。


「立派な不法侵入だね☆ マスター」

「殴るぞ」


 不法侵入に関しては、この建物に入った時点で成立しているのだが、そんなことは今更であり、オプティフラージュとしても単にボケてみただけなので、それを分かっていながらもキソラは笑顔を向け、そう返すだけに留める。

 そんなやり取りもしながら、時間も無いので、さっさとやるべき事を実行に移す。


「貴方にはまだ、生きていて貰わないと困るので、傷の治りを早めさせて貰います」


 そのまま、眠っていた人物――通り魔に刺されたとされた男性に向かって、治癒魔法を掛けていく。

 そのかん、見張りをしているオプティフラージュは、キソラを一瞥する。


「本当、お人好しだよねぇ」


 呟きはもちろん、キソラにも聞こえていた訳だが、今は無視して、治癒を続行する。


「っと。マスター、誰か来ます」

「もう? ……まぁ、良いか」


 オプティフラージュの言葉に、キソラは振り返る。どうやら、意外と勘付くのは早かったらしい。


「……うぅ」

「え……?」

「マスター」

「ん」


 男性の声が聞こえ、ぎょっとして振り返るキソラだが、オプティフラージュに呼び掛けられ、そちらに向かう。


「さっさと帰るよ」

「はーい」


 入ってきた時のように、一度部屋を出たオプティフラージュが誰も居ないことを確認し、扉を開けて、キソラが部屋を出ると憑依する。


『最後。気付かれたなんてこと、無いよね?』

「無いんじゃない? もし、気付かれたとしても、後ろ姿だけだろうし、私のような髪の長さの人なら、いくらでも居るでしょ」

『そこは否定できないなぁ』


 少しばかり、バタバタし始めた建物から出る。


『ここまで来れば、もう大丈夫かな?』

「だね。ご苦労様。オプティフラージュ」


 憑依を解除し、キソラは礼を言う。


「いちいちお礼なんて言わないでよ。感謝してるのは分かってるけど、憑依する度に言われても困るよ」

「そう? なら、次は無いなら無いで文句は言わないでよ?」


 そう言い合いながらも、結局はお礼を言ってしまうのがキソラである。


「じゃあな、マスター」


 自分の迷宮に戻っていくオプティフラージュを見送りながら、キソラも帰るために、その場を後にした。


   ☆★☆   


 夜の街中を駆け抜ける。


「クソっ、無駄に足の速い奴だな!」


 イアンが苛々しながら言う。


「言ってる場合か、と返したいところだが、今回ばかりは同意だな」


 隣を併走していたレオンも、珍しく焦っているかのように、足を動かす。

 では、ノークは、といえば――


『ノーク君、そこ右!』

「ああ」


 珍しく茶化すことなく真面目に告げるシルフィードに、ノークが頷き、右に曲がっていく。


「うわぁっ!」

「ぎゃぁっ!」


 ノークが曲がった先では、“ある人物・・・・”を捕らえるために待ち構えていたらしい騎士たちが倒れており、おそらく、彼らが追っていた者にやられたことは、すぐに分かった。

 ノークとしても、今すぐ手当てしたいところだが、このまま“奴”をす見す逃がすわけにもいかない。


「シルフィ」

『大丈夫。まだ追走できるけど……』


 ちらりとノークを見るシルフィード。

 いくら体力があろうと、それは無限ではないため、シルフィードがどれだけ素早さを上げても、疲労は蓄積されていく。


『ノーク君、大丈夫?』

「問題ない。無理なら、とっくに任せてる」


 だよね、とシルフィードは笑みを浮かべるのだが、その矢先だった。


『っ、ノーク君、ストップ!』

「――ッツ!?」


 シルフィードの制止に、慌てて足を止めるノーク。

 気が付けば、周囲は白い煙に覆われていた。


「何だ……?」

『これは……』


 訝るノークに、シルフィードは彼を一瞥した後、厄介そうな白煙に内心舌打ちする。

 主の命を第一とするシルフィードら守護者・・・にとって、訳も分からない中にノークを突っ込ませるわけにも行かず、別に吹き飛ばしても良かったのだが、周辺に被害が出ることになると、目も当てられない。

 そんな一瞬でも躊躇している間に、相手の背はもうすでに見えなくなっていた。


「クソっ、あと少しだったのに!」

「ノーク、奴は……って、その様子だと逃げられたか」


 悔しそうな顔をするノークに、ようやく追いついたイアンたちも、現在の状況を察する。


『奴があのまま突っ切ったのを見ると、毒とか状態異常にさせるためのものじゃなさそうだけど、あのまま行ってたら、逆にこっちがダメージ受けてた可能性もあったからね。だから、ボクの独断で決めさせてもらったんだけど……』

「いや、おかげで冷静になれた」


 どうやら、シルフィードを含む周囲の声を聞くぐらいの余裕はあったようだが、ノークにしては珍しく集中し過ぎて冷静さをいていたらしい。


『とりあえず、ボクは捜索に向かうよ。責任の一部はボクにもあるわけだし』


 口ではそう言いながらも、責任を取る気ゼロな彼女に苦笑いしながら見送るノークたち。


「じゃあ、俺たちも」

「見回りしながら、捜してみるか」


 無駄だと思うが、と思っても言わない。


「次は絶対に捕まえるぞ」

「ああ、もちろんだ」


 だから、そのためにも、と気持ちを切り替え、三人は歩き出そうとしたときだった。


「ああ、見つかって良かった」

「どうした?」


 駆け寄ってきた騎士に、レオンが尋ねる。


「通り魔の被害に遭った男性が、ようやく目を覚ましたんです!」

「何だって!?」

「ついさっき目を覚ましたばかりなので、今はまだしっかりとした話は聞けませんが、数時間後なら大丈夫だろうと担当医は言ってました」


 騎士のその言葉に、とりあえず被害者の元へ向かうことにする三人。


「とにかく、被害者の所へ行こう。話を聞くのは、様子見てからだな」

「ああ」


 そう話しながらこの場を後にする。

 ただ――


「ノーク? どうかしたか?」

「いや、何でもない……」


 数時間後、男性から話を聞いたノークは頭を抱えることとなるのだが、今の彼(ら)が知るよしもない。


   ☆★☆   


「ぐったりしてるな」

「んー……」


 帰ってきたら、珍しくタイミングが合った(というか数秒差)らしいアークに、キソラは目だけ向ける。


「晩飯、俺が作るか?」

「アークも疲れてるでしょ。私がやるよ」


 アークが料理できないとは思わないが、疲れているのは同じなので、疲労度から考えれば、まだ軽い方であろう自分が作った方がいい、とキソラは思ったのだ。


「だったら、二人でやるか? その方が早いだろ」

「アークがそれで良いなら、良いけど」

「俺は構わんぞ」


 こうして、二人して夕飯作りに移行するのだが。


『なーんか、こうして見てみると、新婚みたいよねぇ……』

「ウンディーネぇっ!?」


 背後から聞こえてきた声に、ぎょっとしたキソラが悲鳴じみた声を上げる。

 おかげで、アークも疲れが一瞬、吹っ飛んでしまった。


「な、ななな……」

『いくらマスターでも、頼んだことの放置は感心できませんよ?』


 にっこりと笑みを浮かべるウンディーネに、キソラは苦笑いする。


「は、はは……それで、用件は?」

『リックス殿からのお届けものです。私が代わりに届けるように言われました』

「そうなんだ」


 やること早いなぁ、と思いながら、キソラはウンディーネから『迷宮・ダンジョン一覧』を受け取る。

 確認してみれば、迷宮・ダンジョン名の横にあるチェック欄にチェックがあることから、その迷宮・ダンジョンの守護者が選ばれた、ということだろう。


『にしても……』

「ん?」

『ノーク様に黙って同棲とは、マスターもやりますね』


 きゃっ、と何故ウンディーネが両頬に手を当てながら、恥ずかしそうにしているのかは不明だが、とりあえず、今やるべき事をキソラは実行する。


「その言い方だと語弊があるし、勘違いされるから、今すぐ訂正して」

『そんなに照れなくても良いじゃないですか』

「照れてない!」


 だが、その反応は逆効果で、完全に照れ隠しにしか見えない。


『けど、一緒にいるって事は、お互いに少なからず好感がある、ということなんですよね?』

「好感はともかく、一緒に居るのは成り行き、ってこともあるだろ。貴女は、俺たちの関係がどういうものなのか、知ってるはずだが?」

『うん、よーく知ってるよ。――我があるじの契約者様?』


 それを聞いたアークが眉間に皺を作り、ウンディーネは笑みを浮かべるだけである。


「ちょっ、さすがに部屋で暴れるのだけは止めてよ?」

『大丈夫ですよ、マスター。私も彼も、そこまで常識が無いわけじゃありませんし』

「その言葉、信じるからね」


 暗にアークを挑発するな、とも伝えておく。

 アークのことだから、挑発に乗るとは思えないが、もしこの二人がぶつかるようなことがあれば、キソラは力尽くでも止める気ではいる。

 それ以前に、そうなることが予想できるから、二人とも戦闘に発展させるような言い方もしないのだが。


『あーあ。随分とこの子に愛されてるみたいで、おねーさん悲しいし、妬いちゃうなぁ』

「何を言ってるのかなぁ!?」


 だが、ウンディーネ自身がどこか満足そうなので、これ以上、余計なことは言ってこないだろう。

 それを示すかのように「じゃあね」という挨拶以外、何も言わずに帰っていった。


「ったく……」

「なぁ、キソラ」


 溜め息を吐くキソラに、アークは尋ねる。


「ん?」

「あの人は、俺たちのことを、どれだけ知ってるんだろうな」


 あの人、とは、言うまでもなくウンディーネのことだろう。


「さぁね。けど、暴かれて困るようなことさえ無ければ、問題ないよ」

「いや、“異世界からの来訪者”っていう時点で、もう秘密が一つあるようなものだからな?」


 それについては、キソラも否定はしない。

 アークの場合、キソラのように意図的な意味も無いまま隠しておらず、うっかりバレてもいい、なんてことはあってはいけない。

 バレた暁には、“異世界の知識”を求めて、誰から狙われるか分かったものではない。


「アーク。前にも話したことだけど、自力で解決できないような事が起きたら、絶対に話してよ。私が帝国に行っているときでも連絡して。分かった?」

「あ、ああ……」


 キソラの中でどんな考えがあったのかをアークは知らないが、時折過剰になる時もあれど、彼女が自分のために手を尽くそうとしていることは知っている。


「なら、良いよ。ほら、さっさと作って食べよう?」

「そうだな」


 後は盛りつけるだけの簡単な料理を示しながら言うキソラに、アークは頷いた。


   ☆★☆   


 崩壊する建物の中で、その場に居合わせた面々は、上空を見上げていた。

 その視線の先に居たのは数人の男女で、こちらを見下ろす彼らの目から分かるのは、殺意すら抱いているような凄まじい憎悪。

 そして、次に見たのは――


「っ、ぁ、はぁっはぁっ……何だったんだ? 今の……」


 その光景に、アークは思わず飛び起きる。

 妙に現実的だったためか、息を整えながら、ベッドで眠るキソラを見るアークだが、彼女の方には、特に変わった様子はない。


たちの悪い夢だな、全く……」


 ははっ、と渇いた笑みを浮かべるが、アークが見たのは決して良いとは言えないこうけい

 絶望したかのような表情のキソラに、怒りの表情や何か叫ぶようなシルフィードたち。

 場面シーンが変わったかと思えば、地面や壁に手を当て、苦しそうにするキソラと――彼女に向かって振り下ろされた凶刃。


「っ、」


 そんな夢を、何故キソラではなく、アークが見たのかは分からないが、正直、彼女が見なくて良かったともアークは思った。


「……あれ、アーク。どうしたの」

「ああ、悪い。起こしたか」


 視線を感じたのか、目を開いたキソラに、アークは申し訳なくなった。


「いや、私は大丈夫なんだけど……」


 嫌な夢でも見た? と、キソラは体を起こしながら尋ねる。


「嫌な夢っちゃあ、嫌な夢だな。まるで悪夢みたいだったが」

「そっか」


 そう返しながら、キソラはベッドから出ると、アークにタオルとお茶を淹れたコップを渡す。


「とりあえず、そのままだと風邪引きかねないから、汗拭いておきなよ。あと、これでも飲んで、気持ちも落ち着かせなよ」

「悪いな」


 キソラから受け取ると、タオルを首に掛け、お茶に口を付ける。


「聞かないのか? 俺がどんな夢、見たのか」

「『悪夢』って言うほどの嫌な夢なのに、言いたいの? これでも気を使ってたんだけど」


 キソラにしてみれば、どんな夢を見たのかは、アークにしか分からない。

 話させた方が良いのか。それとも思い出させないように、聞かない方が良いのか。

 だから、聞くことになるこちらが決めるよりも、見た本人の意思に任せることにしたのだ。


「そうなのか?」

「そうだよ」


 ちゃっかり用意した自分の分のお茶を口にしながら、キソラはそう返す。


「別に、アークが見た嫌な夢だから聞かない、っていう訳じゃないんだけどね」

「お前が関わってる、って言ってもか?」

「私に関する悪夢だとして、それはあくまで夢であり、正夢になるかも分からない以上、どうにも出来ないじゃん」

「そう言われると、そうなんだけどなぁ……」


 アークから自分に関する悪夢と聞いて、『気にならない』と言えば嘘になるが、どんな悪夢だったのか、大体の予想も出来ている。


「――大丈夫だよ。アークを一人にはしないから」


 いつもなら、「死なないから」などと言うキソラにしては珍しい言い方に、アークは思わず固まってしまう。


「アーク?」

「……あ、ああ」

「それにね。もし仮に、悪夢が現実になったとしても、大丈夫だと思うんだ。きっと、『こっちに戻ってこい』って、誰かが引き戻そうとするだろうし」


 キソラはそう言うが、これは完全に彼女の予感によるものである。

 ただ、もし、この場にアークではなく、アキトが居たなら、その『誰か』については勘付いただろうが、今居るのはアークであり、その『誰か』については知らないので、勘付くことも無いのだが。


「それは……」

「だから、アークが気に病んだり、心配する必要は無いんだよ」

「なら、良いんだがな」


 そんな話をしていれば、窓から朝日が射し込み始める。


「もう朝か」

「だねぇ。少し早いけど、用意しようか」


 そう言って、そのまま二人は、いつもより早い、朝食の準備や学院などに行く準備を始めるのだった。


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