第九十一話:キソラとトリエット


 それは、学院からの帰り道だった。

 というのも、「そろそろ、買い出ししなきゃなぁ」と朝食を作る際に覗いた冷蔵庫の中身からそう思ったため、買い出しに来ていたのだが、店に向かう途中で面白いもの・・・・・を見つけてしまった。

 それは偶然だったのだが、滅多に姿を見せない、兄・ノークの管理下にある迷宮の守護者を街で見掛けたキソラは、どうしようかと思案する。

 そんな守護者の視線の先に目を向け、キソラは状況を把握した。


「ああ、そういうこと……。兄さんも、人手が無いなら、一言ぐらい掛けてくれれば良いのに」


 相手の居場所など、キソラに聞けばすぐなのだが、巻き込みたくないというノークの気持ちも分からなくはない。

 むしろ、シルフィードたちが、キソラが関わる前に、とばかりに彼女にバレないように動いていることも、薄々気づいているので、キソラはノーク側の心配をあまりしていなかったりする。


「迷宮を入れ替えるか、オプティに声掛けろってんだ」


 少なくとも、オプティフラージュの能力なら、潜入調査ぐらい任せられるというのに、迷宮入れ替えそれをしなかったということは、勝手に迷宮を入れ替えたりしたら、自分が勘付くとでも思ったのだろう、とキソラは予想する。

 本当のことを言うと、迷宮入れ替えについて、ノークはすっかり忘れていたのだが、今のキソラがそんなことを知る由もなく。


「……買い物に行こ」


 いろいろと気になりはするが、このままだと暗くなってしまうので、買い出しのために足を動かし始めるキソラだった。


   ☆★☆   


「あれ、まだ居た」


 てっきり追跡していて、もうこの場にはいないと思っていたのだが、どうやら目的の人物が建物の中に居るのか、張り込んでいるらしい。


「……」


 暫し、考える。

 そして、決めた。

 側に寄って、守護者の肩をつんつん、と突っついてみる。


「悪い、もう少ししたら退くから」


 そうは返ってくるのだが、それでも振り返る気配がないので、突っつくのを何度も繰り返す。


「っ、だから、何だよ! ……って、お嬢ぉぉぉぉっ!?」


 あまりにもしつこいものだから、突っついてきた手を思いっきり振り払って後ろを見た、茶髪の守護者――トリエットは声を上げた。


「久しぶり、トリエット。けど、こんな所で何しているのかな?」


 尋ね方は優しいが、暗に「はよ答えろや」と言われているようで、トリエットの冷や汗は止まらない。


「あ、その……」

「変な事していたり、巻き込まれたりしてないよね?」

「はい! してません!」


 直立不動でトリエットが答えれば、『お嬢』と呼ばれた――キソラは「そう」と小さく返しただけだった。


「え……それだけ?」

「何。追究して欲しいの?」


 自身の知る彼女らしからぬ対応に驚くトリエットだが、キソラは不服そうに問い返す。


「あ、いや、その……」

「まあ、どうせ兄さんの手伝いか何かでしょ?」

「あ……はい」


 判断に迷っていた時に、ずばりと言われ、トリエットはあっさり認める。


(ごめん、主様ぬしさま。バレましたぁ……)


 内心、涙を流していたが。


「全く。私が気づかないと思わなかったわけじゃないでしょ」


 それについても否定は出来ない。この街は、彼女のメインフィールドとも言えるのだから。


「まあ、見なかったことにしてあげるから、さっさと行きなさい。追跡していたっぽい人、右にれた後……いや、ちょっと待って」


 口頭で伝えるよりも、とキソラは紙にメモする要領で書いていく。


「はい。上手く標的ターゲットを見つけられたら、処分しておきなよ」

「……何か、あったか?」


 ここまで優しくされると、逆に何かあったのではないか、と疑ってしまう。


「私が親切に教えるのが珍しいと? なら、返せ」

「あ、すみません! 返してっ!」


 紙を取り上げたキソラに、トリエットが慌てて手を伸ばす。

 だが、問題があった。トリエットはキソラよりも身長は少し高いため、キソラはあっさり取り返されるつもりでいたのだが――


「危なっ……」


 転びそうになったためか、キソラの・・・・背後にあった壁に手を付いた・・・・・・・


「……トリエット」


 安堵の息を吐いたトリエットだが、それだけでは終わらない。

 下からの声に目を向ければ、そこに居たのは目を逸らしているキソラであり、自身は壁に手を付いた状態。

 所謂いわゆる、壁ドンなのだが――そんな言い方を知らないトリエットにしてみれば、自分がキソラに言い寄っているように見えるのだろう。


「っ、お嬢、すみません!」


 慌てて、謝りながら壁から手を離す。


「私も悪いのに、何で謝るかなぁ」

「……やっぱり、何かあったのか?」

「だから、何も無いって」


 どこか心配そうなトリエットに、キソラは不服そうにする。

 確かに、気になることはあるが、それはトリエットに関係なく、関わらせるつもりもない。


「まあ、兄さんの方は仕事っぽいから、今回、私はそっちのことに手出しするつもりは無いから、安心して。トリエットも、兄さんに付き合うのも良いけど、迷宮の方を忘れちゃ駄目だよ」


 ――だって貴方は、兄さんの管理する統括迷宮の守護者なんだから。


 そう言う彼女は、やはりというべきか、母親であり先代でもある彼女の娘にして後継者なのだろう。


「……ああ」


 キソラのことだから、現在の状況についても、知った途端にてっきり何か言うかと思っていたが、あっさり退かれたことに、トリエットはまたも驚かされた。


「いくらお母さんが管理していたからって、今の貴方のあるじは兄さんだから。――だから、兄さんが奪われないように守りなよ」

「それは、君も一緒だろ」


 キソラがノークを思うように、ノークもキソラを思っているのは、ノーク側の守護者たちも知っていた。


「こう言うと兄さんは怒るけど、私はちょっとやそっとじゃ死なないから。みんな、過保護なんだよ」

「過保護になるのは……責めないでやって。僕たちって、彼女との付き合いは長いようで短いから、君たちを失ってまで、新たなあるじを迎えようとは思わない。これは、お嬢の――キソラの管理迷宮の守護者たちも一緒だと思う」

「ありがとう、トリエット」


 にっこり笑みを浮かべたキソラに、トリエットは硬直する。


「あ、うん……」


 その後、二人はそれぞれの目的地に向かって分かれるのだが――


「くっそぉ……あれじゃ、どこの馬の骨か分からん奴に渡しにくくなったじゃん」


 赤くなっているであろう顔を片手で隠しながら、沈んでいく夕日のせいにしつつ、トリエットは誤魔化すようにして、街を走り抜けていった。


   ☆★☆   


 帰宅したキソラは一人、買ってきたものを色々と冷蔵庫に入れていた。

 現在、アークは不在であり、やることを終えれば、キソラは小さく息を吐く。


「トリエットは、追い付けたかな」


 守護者の身体能力なら、追い付けないこともないが、トリエットが追うのに出遅れた原因は、自分が話しかけたからである。

 追っていた人物の居場所を教えたからと、それでチャラになったとは思わないが、申し訳なく思ってしまう。


「……対策もしないとなぁ」


 フィーリアやフィオラナの時のようになられては困るが、自分の不在時に管理下にある迷宮やダンジョンに手出しされても困るので、その対策もしておかないといけないのだが。


「とりあえず、アークの方の問題を片付けないとね」


 そのためにも、キソラは引き出しから便箋と封筒を取り出し、元から書くつもりだった内容を記していく。


この件・・・の最終手段。どうか、納得してもらえますように――」


 手にした手紙に、ある願いを込める。

 そんな手紙の表に記した宛名は――


『ノーク兄さんへ』


 それは、キソラからノークに宛てたものだった。

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