Dragon-Jack Co. 同姓同盟

千葉 琉

第1章 美春の落とし物

「美春ちゃん、落とし物だよ」

 7月に入ったばかりのある日、下校中に交番の前を通りかかった美春に顔馴染みの巡査が声をかけてきた。

「落とし物?」

 何だろうと交番に入って行くと、人懐っこい笑顔を浮かべた若い巡査は、机の中から何か取り出して美春に差し出した。

 あ、診察券。歯医者さんのだ。

「さっき子どもが拾って届けてくれたんだ」

 美春はほぼ毎日この交番の前を通るので、直接手渡した方が早いだろうと待っていたのだという。巡査に礼を言って診察券を受け取ったあと、美春は尋ねた。

「届けてくれた子、分かりますか」

「いや、それがさ」

 幼稚園か小学1年生くらいの男の子が“お~ち~てた!”と叫びながら交番に駆け込んできたかと思ったら、机に券をぽんと叩きつけるなり飛び出していったので、よく分からないらしい。

「もしまた来たら、名前聞いとくけど」

 診察券だし心の中でお礼を言っとけばいいんじゃないかな、という巡査にうなずくと、美春は交番を後にした。


*  *  *


 歩きながら、美春はどたばたと台風のように落とし物を届けにきた子どもの様子を思い浮かべた。なんだか微笑ましい。拾ってくれてありがとね。

 でも変だなあ。先月歯の治療が終わってから、診察券は机の引き出しにしまっておいたつもりだった。同じ場所に保管していた他の会員証か何かを取り出した時に、間違って一緒に持って出て、どこかで落としたのだろう。

 家に帰って、自分の部屋に入った美春は、ひとまず診察券を戻しておこうと机の引き出しを開けた。

「あれ」

 美春の診察券はちゃんとある。どういうこと? さっき交番で受け取った診察券と見比べてみた。どちらも手書きで“竹中美春様”だ。筆跡も同じ。美春の診察券を作ってくれた受付のおばさんの字だと思う。

 ただ、カルテ番号(落としものの方は7373=ナミナミだ)と担当歯科医の名前が違っているし、“国保”ではなく“社本”のところに丸がついている。そっか。

 これ、同姓同名の、別の人のだ。

 竹中美春なんてそれほど珍しい名前ではないが、13年と9か月生きてきて、今まで姓にしろ名前にしろ、同じ人に出会ったことはなかった。

 どんな人なんだろ。

 同じ名前で同じ歯医者さんにかかってるなんて面白い。虫歯の場所も同じだったりして。

 診察券は予約票も兼ねていて、紙を二つ折りにした内側に、予約日時が書き込めるようになっている。交番に届けられた方の券を見ると、平日遅めの時間ばかりだ。土日の午前中に診てもらうことが多かった美春とは生活リズムが異なるようだ。ひょっとして大学生とかOLさんとか、かな。

 ともかく、この診察券を“ナミナミの美春さん”に届けてあげないと。

 かも歯科クリニックは近所の大型スーパーの中にある。ちょうど買物に行く用事があったので、ついでに届けることにした。そうすればクリニック経由で、相手に連絡してもらえるだろう。


*  *  *


 翌日、かも歯科クリニックから美春に電話があった。

「ぜひ、会ってお礼がしたいって言ってるけど」

 電話で伝言を伝えてくれた受付の女性が、少しおかしそうに言った。

「そんな、お礼なんて」

 拾ったのは美春ではないし、たまたま美春の手に渡った診察券を、買い物ついでに届けただけなのだから。ただ、そうは言っても自分と同姓同名のその人がどんな人物か、正直興味があった。もしかしたら相手も同じように思っているのではないだろうか。きっとそうだ。同姓同名じゃなかったら、わざわざ会ってお礼言おうなんて、思わないよね。

 会ってみたいと美春が言うと、受付の女性はあらかじめ聞いてあったのか、待ち合わせの候補日と時間を何パターンか提示してきた。

「次の日曜日だったら、行けます」

 午後1時に、大型スーパーの前にある喫茶店で会うことになった。


* * *


 待ち合わせ当日。指定された喫茶店には5分前に着いた。中には家族連れが一組と、中年男性が二人、それぞれカウンターの両端にいるだけで、他にそれらしい人も、美春を見て声をかけてくる人もいなかったから、まだ相手は来ていないらしい。 

 美春は窓際の席に座るとコーラフロートを頼んだ。もう少し冷房が効いているといいのに、と思いながら改めて店内を見渡す。こういうの、レトロっていうのかな。だがわざと狙ったというよりは美春が生まれるずっと前からそのままという感じがする。雰囲気は悪くないが、たぶん今日の待ち合わせに指定されなかったら、美春が自分からこの店に来ることはなかっただろう。クラスの友達とお茶する感じじゃあないな。

 もしかしたら、ナミナミの美春さんはわたしが思っているより歳上の人かもしれない。

 “社本”という項目に丸がしてあるのは、その人自身が会社員で、会社で健康保険を納めているということなのらしい(母親に教えてもらった)。だから“美春さん”は会社勤めをしているわけだが、女性会社員が皆若いOLさんとは限らない。

 まあ、何歳でもいいんだけど。ふと時計を見たら1時になっていた。急に緊張してきた。

 相手の人のこと、なんて呼んだらいいんだろう。年上だから“竹中さん”とか“美春さん”でいいのかな。他人を呼ぶのに自分の名前に“さん”をつけて言うなんて変な感じ。でも面白そうでもある。

 もうすぐかな。ただぼんやり座っていても仕方がないので、美春は持ってきた文庫本を取り出した。短編小説を一つ読み終わる頃には、ナミナミの美春さんもやってくるだろう。 

 あとは念のためにと、自分の診察券を小さなテーブルの片隅に置いた。こうしておけば相手が入って来た時に、読書中の女子中学生が竹中美春だとすぐに気付いてもらえるはずだ。


 * * *


 最初の一篇を読み終わる頃、ドアのカウベルが賑やかに鳴って、若い女が入ってきた。

 あ、この人かな。一瞬目が合ったが、女はそのまま美春のテーブルを通過した。顔も、むき出しの背中もいい色に日焼けしている。その後すぐに同じような肌色の男が入ってきた。

「げ~、ぜんぜん涼しくないよ」

 女性は周りをはばかることなく言い放つと、どさっと座り込むなり脚を組んで煙草に火をつけた。  

 注文をとりに来た店員に喚くような声で言う。

 アイスコーヒー! あんたは? 

 リカ、お前声でけえって、と連れの男が吐き捨てるように言った。しょーがないじゃん、地声がでかいんだから。大声で笑っている。再度男に咎められて、ようやく声のボリュームが落ちた。

 あの女の人が“美春さん”じゃなくて良かった。何となく美春は思った。

 

* * *

 

 短編を一つ読むたびに、美春は顔をあげて壁の時計を確認したが、待ち人はなかなか現れない。

 最初にいた家族連れが出ていったあとは、老夫婦やおばさんの二人連れなどが入店したが、特に美春に関心を示すことはなかった。

 時計が30分を過ぎたあたりで半ば諦めてはいたものの、最後の作品を読み終わり、長針がほぼ一周しているのを見た美春は、本と診察券をバッグにしまい、伝票を持って立ち上がった。1時間待てば充分だろう。

 ばかみたい。コーラフロートの代金を支払って、店を出る。

 向こうが会いたいって言い出したから待ってたのに。急な用事でも入っちゃったのかな。思ってはみたが、もやもやとした空しさが美春の胸を離れない。

 お礼の言葉なら歯医者の受付の女性経由で聞いたから、それで充分だった。単純に同姓同名というのに興味を持っただけだったんだけどな。なんだか哀しくなってきた。

 会ってみようなんて思わなければ良かった。

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