第35話 莱江山近隣いらっしゃいませ

 風が耳の奥へと流れ込んで鼓膜を叩き、目に映る景色はあっという間に視界の外へ流れて消えていく。やがて跳躍の勢いが失われて地面が近づいて来たかと思うと、「ダンッ!」と地面を蹴る音と共に、再び一気に体が空中に浮き上がる。先ほどからこの動作の繰り返しだ。


「ちょ、ちょっとー! 降ろしてもらえませんかー!? もしもーしッ!」


 何度も何度も必死に呼び掛けているのだが、風の音が邪魔で聞こえていないのか、はたまた無視しているのか、ライタは俺の方に振り向きすらしない。身をよじって抜け出そうとも試みたが、俺の腰をホールドしている小さく細い腕は微動だにしなかった。


 ま、まずいぞ、会話を聞いてた感じだとムツメよりかなりやんちゃそうだし、お持ち帰りした俺の尻を引きちぎって食べる気かもしれん。とにかく、何とかしてこのホールドを抜け出さなければ……。


 俺は腰を抑え込んでいるライタの腕を一瞥し、覚悟を決めて両腕を空中へと突き出した。そして息をぐっと吸い込み――思いっ切り、吐き出した。


「ゴッド砂嵐――――――――――――――――――ッ!!」

「うわっ! な、なんだッ!?」


 途端、突き出した俺の両腕から二筋の竜巻が巻き起こり、轟々と唸りを上げて空中へと放出された。そして狙い通り強烈な反動が腕から体へ伝わり――ライタの腕が離れ、拘束が解けた俺の体はポーンと宙へ放り出された。よしっ、脱出成功だ!


 と、安心したのも束の間、ライタの支えを失った上に竜巻の勢いでバランスを崩した俺の体は、空中でぐるんぐるんと回転しながら地面に向かって一気に落下し始めた。や、やべえっ! もうちょっと地面に近づいたタイミングでやるべきだった!


 何とか体勢を整えようと、俺は咄嗟に両手を突き出して「ふぁっ、ファイヤ――ッ!」と火魔法を放った。ゴオオッと火を出したまま手をあちこちに向けると、次第に体の回転が弱まっていき、ひとまずは地面と向き合う姿勢を保つことに成功する。


 続けて、落下の勢いを弱めようと「ほああーッ!」と更に気合いを込め、それによって勢いを増した炎を地面へと向ける。そのまま直立になるようにバランスを取ると、ぐんっと体が持ち上がるように感じになり――


 俺は地面に向かって手から火を放出したまま、空を飛んでいた。


「おおっ!? お前、飛べるのかっ!?」


 下方からの声に目を向けると、ライタがキラキラと顔を輝かせながら、滞空する俺を見上げていた。


「お、俺も今、初めて知りました……」


 自分の新たなる能力に面食らいつつも、火力を弱めるイメージをすると手の先から放出されている炎が少しずつ弱まり、俺の体はゆっくりと地面へと下りて行った。そして地に足が付いた瞬間、顔を輝かせたままのライタがぐっと身を乗り出してくる。


「他には!? 他にはなんか出ないのか!?」

「えっ、ほ、他? う~ん、そうだなぁ……」


 なんかムツメと魔法の検証をしてた時みたいだな、と思いつつ、俺は右手を突き出して「ゴッド水流ッ!」と唱えた。すると右手の先からドバーッと猛烈な勢いで水が流れ出始める。


「はいっ! いつもより余計に放出しております!」

「おーッ! 変わった魔法だなっ! 他には他には!?」

「それじゃ、お次は花火だ!」


 俺は右手を握って水流を止めると、両手を引いて構えながら空の方へ向き直った。そして「だだだだだだだだだッ!」と両手を交互に突き出し、次々と火の玉を打ち上げていく。程よいところで打ち上げるのを止めて両手をグッと握り締めると、それらが一斉に弾け飛んで「ばしゅっ!」と小気味よい音が辺りに響いた。


 ライタは空中で火の粉が盛大に散っていくのを見上げ、「うおー! すげーっ!」と興奮した声を上げた。なんだかまるで無邪気な子供みたいだ。突然さらわれた時はどうなる事かと思ったけど、この様子なら尻を引きちぎられずに済みそうだぞ。


「お前、面白い奴だな! 尻も良い形してるし、ムツメが気に入るのも分かるぞっ! そうだ、名前は何て言うんだ?」

「俺は牧野新太郎ってんだ。皆には新太郎って呼ばれてるよ」

「そうか、シンタローか! あっ、そうだシンタロー、おれとつがいになろう! お前面白いし、一緒に遊ぶと楽しそうだ!」

「えっ……それはちょっと、その……」


 もごもごと煮え切らない返事をすると、ライタは「なんだ、嫌なのか?」とむすっとした顔になった。そしてライタの体の周りにパチパチと青白い筋が迸り始めるのを見て、俺は慌てて口を開く。


「い、嫌ってわけじゃないんだ! 急な話だし、ちょっと考える時間をくれ! 一旦本社に持ち帰った上で前向きに検討させてもらうからっ!」

「……そうだな、確かに考える時間はヒツヨーだな」


 俺の言い訳を聞いたライタは険しくしていた表情を和らげ、それと同時に青白い筋も収まっていった。ふう、おっかねえな……考えてみれば、ムツメ並みの力を持った気まぐれな子供とか恐ろしいにも程があるわな……。


「ええっと、それじゃ、皆に無事を知らせたいから家に戻りたいんだけど……」


 おずおずと申し出てみると、ライタは「ああ、それなら心配はいらないぞっ!」と言い、ころっとまた無邪気な笑顔に戻った。


「ムツメならすぐに追いついて来るだろうし、莱江山も目の前だからそこで待ってよう! 待ってる間に村のみんなにも紹介できるしなっ」


 ライタが指差した方を見ると、いかにも峻険な大きな山が一つと、その麓に茅葺き屋根の民家らしきものがいくつか見受けられた。あの立派な山が莱江山なのは間違いないとして、その手前の民家っぽいのが建ってる所が村なんだろうか。ムツメやライタみたいのが棲みついてる山のそばなんかで良く暮らせるなぁ。いや、それかムツメたちの仲間があそこに住んでるのかな?


 皆に心配をかけたままというのもどうかとは思ったが、変に口答えしてライタがまた不機嫌になっても困るので、俺は仕方なく「そ、それじゃ、そうさせてもらおうかな」と答え、ライタの後ろにくっついていった。




 いざ辿り着くと、そこは拍子抜けするくらい普通の集落にしか見えなかった。


 茅葺き屋根に土壁の民家が不規則に立ち並び、ちらほらと見かける村人は小袖のような服を身に着け、手には農具らしき物を携えていた。服装が少し和風っぽいだけで後は普通の人間と全く変わらない外見だ。まさか、一見普通の村人が実は全員超人って事は無いと思うけども……。


 訝りながらも辺りをきょろきょろ観察していると、村人の一人が妙に毛深い事に気づく。じっと良く見てみると、毛深いだけでなく顔も獣っぽく、なんというか狼男が農民の格好をしてみましたという感じだった。


 思わずジーッとガン見してしまうが、どうやらその狼男さんは隣の村人と楽し気に談笑しているようだった。あっ、ひょっとしてあれが獣人なのかな……いるとは聞いてたけど、エルンストとかでも全然見かけなかったから記憶から抜け落ちてたわ。


 なんだか不思議な気持ちで狼男さんを眺めていると、村人の一人がこちらに顔を向けて「おや? ライタ様、お戻りですか」と声をかけてきた。


「そちらの方は新入りですか?」

「ああ、こいつはシンタローっていって、おれと『つがい』になるかもしれない奴だ!」

「なっ、つがいですと……!? なるほど、確かに素晴らしい尻をお持ちのようだ……!」


 えっ、村人もそういう方向性なの!?


「いやっ、あくまで『前向きに検討中』ですんで! 村民の皆様におかれましては冷静な対応を取られます事をお願い申し上げたいと思います!」

「そうそう、ケントーチューだ! あ、長老呼んで来てくれるか?」


 ライタが頼むと、村人さんは真剣な面持ちで「はっ、只今!」と一目散に駆け出して行った。あー、びっくりした……まさか村人まで尻狂いとはな。このまま事実上の「つがい」に祭り上げられたりしないよう、しっかり気をつけておかないとな。


 気を引き締め直していると、先程の村人さんが誰かを引き連れてこちらへ戻って来るのが目に入った。その人物は緑がかったツヤのある肌をしており、口元はくちばしのような形に突き出て、頭頂部は皿のようにつるりとして光をちかちか反射していた。更に、背中には亀の甲羅そっくりなものを背負っているようで――


「あの~……あなた、ひょっとして『河童』って種族じゃありませんか……?」

「長老のハトシェヘテントメスマイオス三世と申します」

「は? はとしぇしぇ? な、何ですって?」

「ハトシェヘテントメスマイオス三世と申します」

「あっ、やっぱり覚えられないんでいいです」

「あ、もし長かったら『ハトちゃん』と略していただいて構いませんよ。皆からも『カッパのハトちゃん』と呼ばれてますから」

「おいやっぱ河童じゃねえか!」


 初対面ではあるが、ふざけた名前とやり取りに思わず語気が荒立ってしまった。河童が長老やってるとか、やっぱ全然普通の村じゃなかったな……そりゃその辺の人間よりは長生きだろうけどさ。


 妙な徒労感で溜め息をついていると、河童のハトちゃんは俺をじろじろと値踏みするように眺めてから「なるほど」と小さく呟いた。


「確かに、これほど見事な尻は私ですら長らく目にしていません。復活されたライタ様の『つがい』に相応しいお方かと。では、ここはひとつ村を上げて盛大に祝宴といきますか?」

「おおっ、久々の『尻捧げ祭り』ですな! 村の皆にも伝えないと!」


 なんだよその聞くもおぞましい名前の祭りは。


「いやそのまだ検討中ですんで、出来れば大騒ぎはしない方向で……」

「そうですか? まぁ、急な話ですからなぁ。そうだ長老、ちょうど別の新入りに村の規則を教えている所でしたし、一緒にそれを聞いていただくというのは?」


 村人さんの提案に、ハトちゃんは「確かに良い考えだ」と頷いた。とにかく時間が稼げるならなんでもいい俺も「そ、それじゃお願いします」と同意すると、村人さんは「ではこちらへ」と民家の一つへと案内した。


 村人さんがその家の引き戸を開くと、かまどかめなどがある土間が目に入ってくる。中に足を踏み入れると左手側は板敷の座敷となっており、そこにはチュニックらしき服を身に着けた男性が一人でぽつんと座っていた。これまで見かけた村人と違って洋風な格好だし、「別の新入り」とはこの人の事だろうか……なんか俺の横のライタを凝視したまま震えてるっぽいけど。


「なあライタ、まさかこの人もさらってきたわけじゃないよな……?」

「ん? さらったぞっ!」

「えっ、さらっちゃったの!?」

「眠りから目覚めた後、適当に近所を動きまくってたら森の中で何人か人間を見つけてな! あいつが一番良い尻をしてたからここへ連れ帰って来たんだ!」


 言葉を失ったまま座敷の男性に目を戻すと、今の会話でさらわれた時の嫌な記憶が蘇ったのか、目に少し涙がにじんでいるようだった。か、かわいそうに……あれ、でも連れ去って来た人間が村の「新入り」ってどういう事なんだ?


「あの~、ハトちゃんさん、ちょっと聞きたい事があるんですが」

「『ハトちゃん』だけで構いませんよ。何でしょうか?」

「その、座敷で座ってる男性って他所からさらわれてきた人なんですよね。それが何で村の『新入り』なんですか? まさか奴隷とか?」

「いえ、奴隷じゃありませんよ。実はこの村は元々、各地で尻を見初められて連れて来られた者たちが作った村なんですよ」

「し、尻を見初められた?」


 今後の人生で二度と使わないであろうワードだな……。


「かつてはムツメ様やライタ様のお仲間も大勢おられたんですが、どなたも例外なく尻好きで、あちこちから気に入った尻を持つ者を見つけては連れ帰っていたんです。その連れて来られた者たちが莱江山の麓でまとまって暮らすようになったのがこの村の始まりというわけなんです」


 ハトちゃんに語られたあまりにも恐ろしい村の成り立ちに、俺は露骨に顔が引きつるのを感じた。変態尻魔神軍団に認められた尻エリートの村、ってことか……。


「私も連れて来られた当時は戸惑いましたが、莱江山から漏れる魔力で周囲の土壌は肥沃だし、手出しをしてくる不逞の輩もほとんどいないし、で中々の住み心地でしてね。今では長老までしているという有様ですよ」

「私が生まれた時はもう莱江山にはムツメ様しか残っておられなかったんですが、少し前にライタ様が復活されて村に姿をお見せになった時はもう本当に興奮しましたよ! 長老からかつて莱江山におられた方々の話を何度も聞かされてましたからね!」

「へ、へぇ~、それは良かったですね~」


 自分でも適当な返事だなとは思ったが、村人さんは特に気にした様子も無かったので少しほっとした。真面目にリアクションするのもなんか負けた気がするしな。


「ライタ様が眠りについて以降はムツメ様がお一人で莱江山を守っておられたんですが、その頃からムツメ様は人さらいを一切やらなくなっておりましてね。村に新入りが来るのはかなり久々ですよ」

「あ、そういえばライタ様、ムツメ様にはお会い出来ましたか?」

「うん、会えたぞっ。多分、もう少ししたら追いついて来るんじゃないか?」

「それでは、その間に村の規則でも講義して――」


 と、ハトちゃんがそこまで喋った所で、開けっ放しだった引き戸から別の村人さんがドタドタと慌ただしく駆けこんで来た。額には汗を浮かべてゼェゼェと息を切らしており、随分と焦った様子だ。


「も、申し上げます! かっ、怪物が現われました!」

「か、怪物!?」


 その場にいた全員に動揺が走った。いや全員じゃないな、ライタだけはさっき俺が空を飛んで見せた時みたいに顔がキラキラと輝いている。現状、俺からすればライタが一番の怪物なんだけど。


「おい、落ち着け! 怪物とは、具体的には一体どういう?」

「そ、それが、畑作業をしていたら急に地響きがし始め、何事かと顔を上げると見た事も無い巨大な魔人がこちらへ向かって歩いて来ていたのです!」

「きょ、巨大な魔人……?」


 おいおい、この異世界にはまだそんなとんでもないのが隠れてやがったのか。ムツメやライタだけでもお腹いっぱいなんだぞ、と辟易としていると、周辺の家具がカタカタと小さく音を立て始めた事に気づく。更に、外から悲鳴らしき声も聞こえてきた。まさか、魔人がもうかなり近いのか?


「こ、この地響きが魔人の足音なのか?」

「ラ、ライタ様! 魔人の相手をお願い出来ますか!?」

「おう、おれに任せろっ!!」


 ライタは自信満々に宣言すると、体の周りから青白い筋を迸らせながら勢い良く外へ走り出して行った。おおっ、随分と頼もしいな。ライタがこの場にいたのが不幸中の幸いか、と俺もその後を追って外へ出ると、ライタは道端に突っ立ったまま、ある方向を見上げて顔をより一層輝かせていた。


「うおおおおーっ! でっけえ――――っ!!」


 喜びの声を上げるライタが見つめている方向に俺も目をやると、そこにいたのは――六階建てのビルほどの大きさになってしまっている、カンタ君の超巨大ゴーレムだった。

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