第9話 その女、凶暴につき

 扉の隙間から外をそっと覗いてみると、十代半ばくらいの活発そうな女の子が朝日に照らされながら立っていた。髪は赤毛のショートヘアで、左側だけ紐か何かで結ってあり、ちょろんと尻尾のように垂れていた。くりんとした赤茶色の瞳が俺をじっと見据える。すると、女の子が口を開き、


「あれ? 普通の人間だ?」


 と、呑気な声を出した。


「いや、それはこっちの台詞なんだけど……」


 そう言いつつ、俺はとりあえず野盗の類では無かったことにほっとしていた。扉をもう少し開き、更にその女の子を観察する。背丈は150センチほどで、ベトナムの民族衣装のアオザイに似たような感じの橙色の服を身に着け、腰には細い帯のようなものを巻いていた。どことなく拳法着にも似ている気がする。


「いや~、こんな辺鄙なところに急に家が建ってたから、てっきり化け物でも住み着いてるのかと思っちゃってねっ。気を悪くしちゃったならごめんなさいっ!」


 そういって女の子は「あっはっはっ」と闊達に笑った。転生初日の俺と似たようなこと考えてんな。まぁ確かに、俺のマサイがんをもってしても周囲には草と木しか見えないんだから正しく「辺鄙なところ」だな。


「それで、『こんな辺鄙なところ』に何用で……?」

「おっと、そういえばまだ名乗って無かったね」


 女の子は両手をがしっと胸の前で合わせ、拱手のようなポーズを取った。


「私の名前はセツカ。殴道宗おうどうしゅうの修行僧で、あちこちを巡礼してるんだよっ」

「へぇ~え、修行僧」


 こんなに若いのにあちこちを巡ってるなんて大したもんだと感心していると、セツカと名乗った少女は少し首を傾げ、


「おじさんはなんでこんなところに一人で住んでるの? お尋ね者? 悪い魔法使いか何か? それとも実は魔物だったりする?」


 と、悪びれた様子もなく暴言を吐いてきた。


「おじっ……お兄さんだろォ!? ……ちょっとした事情でここに住んではいるけど、悪人ではない……はずだ。ちなみにれっきとした人間で、名前は牧野新太郎。新太郎とでも呼んでくれ」

「なぁんだ、残念。それじゃあシンタロー、立ち話もなんだから家に入れてもらっても良いかな?」


 こいつ、初対面なのに遠慮ねぇな……と思いつつも、修行僧というくらいだから悪い人間では無さそうだし、それにムツメに続いて二人目の異世界人だ。俺は好奇心の方が勝り、「ああ、いいよ」と扉を大きく開いた。それを聞いてセツカが、


「ありがとっ」


 と、若者らしい無邪気な笑顔をこぼした。俺は微笑ましい気持ちになりながらも、そういえば「残念」ってどういう意味だろう、と思っていると、セツカが「よいしょっ」と何かを持ち上げる様子が見えた。手荷物か何かを傍らに置いていたようだ。何気なく目線をそちらにやり――俺は度肝を抜かれた。


 それは、手荷物というにはあまりにも大きすぎた。


 大きく、分厚く、重く、そしてセツカの体積の六倍ほどはあった。


 セツカはそれを軽々と右手一本で背負いあげ、「お邪魔しま~す」と入ろうとして荷物がガツンと入口に引っかかり、その衝撃でログハウスがぐらっと大きく揺れた。


「あれっ? おっかしいなぁ、入れないや」

「いやそりゃ入れんわ! その荷物でかすぎるだろ!」

「あっ、なるほど。う~ん、入口のそばに置かせてもらってもいい?」


 俺が「いいけど……」と答えると、セツカは右肩から荷物を地面へ下ろした。ドシン、と軽い地響きが足元から伝わってくる。ただでかいだけじゃなく、かなり重そうなんだが……。


「それじゃ、今度こそお邪魔しま~すっ」


 セツカは先ほどと同じく、無邪気な笑顔のままひょこっと家へ上がりこんだ。片や俺は招き入れたことを少し後悔し始めていた。ひょっとして、迂闊なことをしてしまったんじゃ……。


「……そういえば、さっき物凄い音がして家がぐらんぐらん揺れてたんだけど、外で何かしてたのかな……?」

「ああ、それなら私が入口を殴ってた音だよ!」

「は? 入口を殴ってた?」

「うん。扉は開かないし、戸を叩いても反応が無かったから空き家なのかな~と思ってね。一撃でバラバラにするつもりで殴ったんだけど、びくともしなかったよ。いや~、この家、中々の強者つわものだねっ!」


 そう言ってこぶしをグッと握って笑顔を見せるセツカ。


 俺は思考が追い付かず、その場で石のように固まった。施錠してないのに開かなかったのはエルカさんの魔法か何かだとして、「一撃でバラバラにするつもりで殴った」ってオイオイとか、「この家強者」って言い方はどうなんだ、とか――


 考えがまとまらないまま、とりあえず俺は突き上げ窓を開くため壁に近づいて行った。頭が混乱しちゃうのは部屋が薄暗いのが悪いんだな、うん。健全な精神は明るい部屋からだ。


 ぱかりと突き上げ窓を開くと、朝の溌溂とした光が部屋に差し込み始める。ほー、いいじゃないか。こういうのでいいんだよ、こういうので。そのままつっかえ棒で突き上げ窓を固定していると、


「あれ? それ、魔物?」


 と、背後からセツカの声が聞こえた。俺はムツメも同じような事を言っていたなと思い、「ああ、ぬいぐるみのことか?」と言いながら振り返った。


 すると、セツカはカンタ君のぬいぐるみを拾い上げて手の上でぽんぽんと跳ねさせていた。年相応らしい仕草に俺の頬が緩む。なんだ、女の子らしいところもあるじゃないか。


「ぬいぐるみ?」

「ああ、人形って言えばいいかな。それがカンタ君で、もう一方のがヨウカちゃんっていって、羊羹を模した双子のゆるキャラで――」


 と、そこまで話したところで、セツカがカンタ君のぬいぐるみをひと際大きくポーンと跳ねさせた。空中にカンタ君がふわりと浮遊する。それを目で追っていると、セツカがぐっと腰を落とすのが視界の隅で見え、そちらに視線を戻した。セツカはそのまま右手のこぶしを握って腕を引き、すうっと息を吸い込む。


 その一連の動作は、余りにも自然だった。何千、いや何万回と繰り返した動作であるに違いない。整然とした動作の中にある種の美しさや荘厳さも感じられ、俺がほぅっと見とれていると――


 落下してきたカンタ君に、目にも留まらぬ速さの正拳突きが叩きこまれた。


 凄まじい破裂音が耳に突き刺さる。同時に、カンタ君が鋭い風切り音と共に吹き飛び――瞬く間に壁に叩きつけられ、「バァン!」という衝撃音と共にログハウスがぐらりとまた揺れた。


 俺は何が起こったのか分からず、口をぽかんと開け、それからゆっくりと首を動かして壁に目をやった。


 カンタ君はまるで磔になったかのように壁にべたりとくっ付き、胴体部分にはこぶしの形の痛々しいへこみが出来てしまっていた。口を開いたまま唖然とカンタ君を見つめていると、セツカが「ありゃ?」と、のほほんとした声を出した。


「粉々にするつもりで殴ったんだけど……そいつ、中々の強者だねっ!」

「カッ――カンタアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 俺は雄叫びを上げながら壁へ駆け寄り、カンタ君を助け出そうとぬいぐるみを思い切り引っ張ったが、カンタ君はまるで壁に固定されたかのようにびくともせず救助することは叶わなかった。


「とっ、取れねぇっ! どうなってんだこれ!?」

「も~っ、急に叫ぶからびっくりしちゃったよ。どしたの?」

「『どしたの?』じゃねぇっ! なんでこんな乱暴狼藉を働いたんだよ! 人形つったろっ!」

「いやぁ、珍妙な見た目してるし、なんだか尋常じゃない魔力を感じたからつい、ねっ?」


 セツカは笑顔のまま「ゴメンゴメン」と言って、ぽりぽりと頭をかいた。「珍妙な見た目」というのはともかく、「尋常じゃない魔力」とはエルカさんのかけてくれていた「形状を維持する魔法」を感じ取った、ということだろうか。しかし、ムツメ曰く国宝にもかけられてる魔法なのに、それをヘコますって……こいつの拳圧は一体どうなってんだよ……。


 戦慄を覚えながらセツカの顔を見つめていると、ふいにセツカの視線が動き――布団のそばに置かれたヨウカちゃんを見据えるのを感じ取った。


 俺は慌ててヨウカちゃんに飛びつき、懐に抱きかかえながら「やめて! この子に乱暴しないでっ!」と必死に懇願した。


「ちょっと! 大事な物って分かったんだから、もうしないってばっ!」


 セツカがぷんぷんしながら「もーっ、信用ないなぁ」と愚痴をこぼした。あんな暴挙に出といて信用もクソもあるかっての。俺はヨウカちゃんをかばいつつ、威嚇の意も込めてセツカをじっと睨んでいると、ふと何か違和感を覚えた。


 俺は最初、その違和感が一体何なのか分からず、セツカを見据えたまま部屋の隅へと移動してヨウカちゃんのぬいぐるみを置いた。そして、そこで初めて、違和感の正体に気付いた。


 この子ね、さっきから一度も瞬きしてないの。


 瞬きしないまま、じっと俺を目でとらえてるの。


 俺は首筋に冷や汗が流れるのを感じながら、「そうだぁ、ちょっと突き上げ窓を調整しようかなあ~」とわざとらしく言葉を口に出し、セツカと見つめ合ったまま突き上げ窓の方へと移動した。セツカはその間も一度も瞬きをせず、動く俺を目でとらえ続けている。心なしか瞳孔は先ほどよりも開いていた。


 俺ッピー知ってるよ。瞳孔が開くのは「獲物を見ている時」や「興奮してる時」だってこと。と、その時、セツカが口を開き、


「……シンタローも良く見ると、尋常じゃない魔力をまとってるよね……それに何だか変わった服装だし……」


 と、ぼそりと呟いた。そしてちょろりと舌先を出したかと思うと――ぬらりと上唇を舐めた。


 し、舌なめずりした……今、舌なめずりしたよ、この子ッ! 間違いない、こいつ、俺の事を「獲物」として見始めてやがるッ!


 俺は再び、壁に磔にされ胴体がべこりとへこんだままのカンタ君に目をやり、自分があの正拳突きをくらった姿を想像して震え上がった。


 いかん、このままでは非常にまずい。


 何とか最悪の事態だけは避けなければ――と俺は必死に身元の説明を始めた。


「ま、待たれよ! 俺は怪しい者じゃあないっ! エルカ・リリカっていう神様の力で、別の世界からやって来たんだ! この服はそっちの世界の服だ!」

「へっ、エルカ・リリカ様?」

「その証拠に、エルカさんから授かった魔法を今見せるから!」


 俺は急いでぐっと息を吸い込み、渾身の力で呪文を唱えた。


「羊羹食いてぇ――――――――――――――――――――――――――ッ!」

「わっ!? 何何ッ!?」


 セツカが驚きの声を上げながら身構えるのをよそに、俺の手には見慣れた黒い稲妻が収束し、青白い閃光の後にポンッと羊羹が出現した。それを見たセツカは一瞬きょとんとした顔になり、


「それ何ッ!? どっから出たの!? すっごい魔力だけど……」


 と、好奇に満ちた目で羊羹をじろじろと眺め始めた。よしっ、食いついたぞ!


「今の魔法で出したんだ。これは羊羹といってな……俺がいた世界の、それはもう素晴らしい食べ物なんだよ!」


 俺は「ほれ、手に取ってみるか?」と、出したばかりの羊羹をセツカに差し出した。セツカは羊羹を受け取ると、「へぇ~」と感心した様子で羊羹をひっくり返したりして眺めていた。


 良かった、これで誤解は解けるはずだ、と一安心していると、ふいにセツカが羊羹の両端を右手と左手でそれぞれ握りしめた。そして――


「ふんッ!!」


 気合いのこもった声と共に、目の前で羊羹を真っ二つにへし折った。


「うおおおおおおおオオオオオオイッ!! 突然何してくれちゃってんの!?」

「いや~、魔力量がとんでもないからつい、ねっ? でもこいつ――強くないね」

「食べ物なんだから当たり前だろうがッ!!」


 俺は叫びつつ、真ん中でぽっきりと折れてしまった羊羹をセツカの手からガバッと奪い取った。ああ、なんとも無残な姿に……まぁ折れてても別に食えるから、問題無いっちゃ問題無いんだが……。


「なんかそれ、すごく黒いね……魔力量もすごいし、ほんとに食べ物なの?」


 真っ二つになり中身が見えてしまっている羊羹を見て、セツカが疑わし気な声を漏らした。こいつ、羊羹に乱暴を働いたばかりかあらぬ疑いまでかけやがって……。


「疑うなら食ってみろよ、ほれ」


 羊羹の片方をセツカに渡すと、セツカは受け取りながらも「う~ん……」と口をつけるのを渋っている様子だった。そのまま少し固まっていたが、やがて決心がついたのか、勢い良くがぶっと噛り付いた。もぐもぐと口を動かしてから、


「……んっ! ナニコレッ、あま――――――いっ!」


 と、セツカはぱあっと顔を輝かせ、一気にむしゃむしゃと羊羹をむさぼっていく。うんうん、やはり法久須堂の羊羹の美味さは世界を越えても通用するようだな。あっという間に羊羹を平らげたセツカを見て、俺はほっこりとした気持ちになった。


 と、次の瞬間――セツカがシュッと手を伸ばして残り半分も奪おうとし、俺は慌ててその手をかわした。奪取に失敗したセツカが「チッ!」と舌打ちを漏らす。


「お、おいこらッ! さっきまで疑ってたくせに何全部食おうとしてんだ!」

「あっはっは、ゴメンゴメン、ちょっとした冗談だって! でもそっかぁ、エルカ・リリカ様の眷属かぁ。それならそうと早く言ってよ~。私とは親戚みたいなものじゃんっ」


 セツカは少し前までの殺気立った様子とは打って変わり、からっとした笑顔を見せた。俺は狙い通り誤解が解けた事にひとまずほっと胸を撫で下ろしながら、「し、親戚ってどういうこと?」と疑問を口にした。


「シンタローは別世界から来た、って言ったよね? この世界のことはどれくらい知ってるの?」

「うーん、それがほとんど知らないんだよな……。魔法に関する知識がほんの少しあるくらいなんだ」

「それじゃ、イチから説明してあげよう! あっ、ちょっと長くなるから椅子に座ってもいい?」

「お、おう、いいよ」


 俺がそう言うと、セツカは「じゃ、座らせてもらうね」と椅子に腰かけ、語り始めた。

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