第4話 素晴らしき哉、羊羹!
俺は小一時間ほどその場で固まったままだったが、やがて放心状態から回復し、改めてログハウスの中を隅まで物色した。しかし、得られた成果はささやかなものが二つだけだった。
一つは、壁の違和感はやはり突き上げ窓で、ぱかりと外側に開くようになっていたこと。
もう一つは、布団の間に羊羹をモチーフにした双子のゆるキャラである「ヨウカちゃん」と「カンタ君」のぬいぐるみが挟まっていたことだ。キャンペーンに応募して当たった代物で、お気に入りの品だった。これもエルカさんが気を利かせてくれたのだろう……「羊羹と魔法の出し方を俺に教える」という肝心な部分は抜け落ちているが。
ちなみにヨウカちゃんとカンタ君は二卵性双生児で、幼い頃に生き別れ、ヨウカちゃんはキャリアウーマンに、カンタ君は羊羹職人となり、ある日、店に羊羹を買いに来たヨウカちゃんがカンタ君と運命の再開を果たす、という妙に劇的な設定が存在している。
俺は突き上げ窓を支えるつっかえ棒を挟む形で、ヨウカちゃんとカンタ君のぬいぐるみを窓の縁に乗せ、そこから外を眺めながら今後どうしたものかと考えていた。しかし、いくら頭を捻っても何の妙案も浮かぶことは無かった。
……草抜きでもするか。
なんせ、草だけは果てしなくあるからな。体を動かしてるうちに何かしらナイスアイディアも浮かぶかもしれないし、と思いながらログハウスの外へ移動し、しゃがみ込んでぶちぶちと草を抜き始める。いざとなったらこの草を食べるはめになるのだろうか……今のところ、空腹や喉の渇きは感じていないが。
せめて鍬だのといった道具でもあれば土を掘り返したりも出来るんだけどな、と考えながら地面を手の先でトントンと叩こうとすると――指先は地面に跳ね返されることなく、さっくりとそのまま突き刺さってしまった。第二関節あたりまで、ざっくりと。
「んおッ!?」
驚き、慌てて地面から指先を引き抜く。それから、恐る恐る地面に再び指を差し込んでみると、やはりさくさくと突き刺さっていく。まるで降り積もったばかりのやわらかい雪を掻きわけるような感じだ。な、なんじゃこりゃ……なんだか気味が悪いぞ。
指を地面に突き刺してもぞもぞとしたまま考えていると、エルカさんの手紙にあった「農耕に適した土地」という言葉を思い出した。
ひょっとして、これのことだろうか。手で掘り返せる地質だから道具も何も用意してなかったってことか? でも歩いてた時の足の感じからだと、とても手で掘り返せるような固さとも思えないんだが……。
試しに足で地面をげしげし蹴ってみると、しっかりとした大地の存在感を足先に感じ、とても手で掘り返せる物では無いように思う。だが、実際に手の指先はこうして突き刺さっている……なるほど、分からん。
とりあえず、エルカさんがなんか仕掛けを施してるのか、あるいは異世界の仕様なのかもしれないと納得し、両手を使ってザクザクと地面を掘り返してみる。おほほ、なんか新鮮な感覚で楽しいぞコレ。うおォン、俺はまるで人間トラクターだ! よし、このまま畑作りと洒落込みますか!
調子の出てきた俺は、そのままザクザクッと地面を手で掘り返していった。
しばらく素手による畑作りに勤しんだ結果、掘り返された地面は横幅二メートル、長さは三十メートルほどに達していた。我ながら、よくもまぁ素手でここまで掘ったもんだ。
汗をぬぐい、背中をぐっと反らしてストレッチする。その時ふと、思ったよりも喉の渇きを感じないな、と思った。これも「強靭な肉体」にしてもらったおかげなのだろうか。
……まさか人間をやめてる、ってことはないよな。実は吸血鬼になってるとか……? 一応、日光の下で動けているし、血をズキュンズキュン吸いたくなってるわけでもないので吸血鬼では無さそうだが。
考えてみても答えは出ないし、なんだか怖くなってきたので深く考えるのをやめた。畑作りもこの辺にしとくか。考えてみれば、畑を作ったところで植える物がなんにも無いしな……引っこ抜いた草をまた植えるというのも流石に悲しすぎるし。
それじゃ、次は井戸でも作ってみるか。今のところ喉の渇きは感じていないが、ずっと渇かないとは限らないし、水やりとかにも必要になるだろうしな。まぁまだ何も植えてないし、植えたくても植えられないんだけど。
適当に場所を見繕い、ザクッと手を突き刺して掘り始める。そもそも水脈があるのかどうか、あったとして水質はどうなのかといった問題はあるが、考えたところで仕方がない。今はとにかく掘るしかないと割り切り、下方へ向かって黙々と掘り進めていく。
と、真下へとある程度掘ったところで、下にだけ掘っていては掘り返した土の処理に困る事に気が付いた。こりゃ、横にも掘らないといかんな。思ったより大事業になりそうだぞ……。
俺は意を決して、横へ下へと土を掘り返していった。
それからしばらくの間、俺は延々と土木作業に取り組んでいたが、辺りが段々と暗くなってきたことに気付いて作業を中断した。この世界にもちゃんと夜はあるらしい。
見上げてみると、まだ完全には日は落ちていないが、黒みがかった空の中に薄っすらと月らしきものが二つも見えた。おお、流石はファンタジーの世界だ、と感嘆の声を漏らす。
目線を下へ戻し、井戸掘りの成果を確認する。深さは五メートルくらいに達していると思うが、横にも掘り広げているので、形としては井戸というよりもアリジゴクの巣みたいになってしまっていた。目的である地下水が湧き出す気配はまだ全く無い。明日になったらもう少し掘ってみるとしよう。
そろそろログハウスに戻るか、とアリジゴクの巣、もとい井戸予定地の斜面を上り始めた。今日一日でかなり動き回ったはずだが、ほとんど疲れは感じないし、空腹や喉の渇きも特に感じていない。強靭な肉体様様だな。
そういえば、アリジゴクって一か月くらいは飲まず食わずでも平気で生きていられるって何かで聞いた気がするな。まさか俺、アリジゴクに転生した可能性が存在している……? 土もやたら楽に掘り返せちゃうし。
一応、顔や肩や腰を手で触って確かめてみる。うん、少なくとも外見は人間……のはずだ。
俺って一体何なんだろうと哲学的な事を考えつつ、ログハウスの扉を開けて中へ入る。灯りが無いので真っ暗かなと思っていたが、月が二つもあるせいか、開けっ放しだった突き上げ窓から差し込む月明りが意外と明るく室内を照らしていた。おかげでぼんやりと室内の様子が分かるため、家具に足をぶつけずに済みそうだ。といっても机と椅子と布団しか無いけど。
ヨウカちゃんとカンタ君のぬいぐるみを枕元に置き、どさっと布団へ倒れ込む。
なんというか、余りにも濃厚な一日だった気がする。エルカさんに出会って、応援地獄を経て転生して、魔法の使い方も分からないまま素手で畑だの井戸だのを作って……。肉体的な疲労は薄いものの、精神的な疲労が凄まじい。このまま眠ってしまおうか、と思ったところで、自分の中に抑えがたい衝動があることに気が付く。
羊羹が、食べたい。
一本丸ごとかぶりつきたい。
別に今も空腹は感じていないのだが、俺は腹が減ったから羊羹を食べるわけではない。俺の心の栄養源、俺という存在を維持するのに必要な存在――それが羊羹なのである。思えば、一日の中で一度も羊羹を食べていない、なんて事態は少なくともここ十年は一度も無かった。
はぁ、とため息をつく。
「羊羹……食べたいなぁ……」
思わず声が漏れた。弱々しい声であったが、虫の鳴き声一つすらしない静寂の中にいるためか、妙に建物の中で反響したように感じ、自分の声ながら鬱陶しく思った。
どうせ、周りに誰もいないんだ。いっそのこと、思いっきり叫んでやるか。その方がストレス解消にもなりそうだしな。エルカさんに鍛えられた美声を異世界に披露してやろうじゃないか。
意を決し、ぐっと息を吸い込む。胸郭が張り、体が内部から押し広げられる感覚がする。そして――ここぞというタイミングで解き放った。
「羊羹食いてぇ――――――――――――――――――――――――――ッ!」
その時だった。
瞬間、右手の平がカッと焼けるように熱くなり、それから手の中へ何かが吸い込まれていくような感覚が続く。俺は未知の感覚にぎょっとし、慌てて右手に目をやる。すると、いくつもの黒い稲妻のような筋が空間を錯綜しながら右手に向かって収束していくのが見えた。
呆気に取られていると、見る見るうちに稲妻は右手に吸い込まれて行き、最後の一筋が吸い込まれると同時に閃光が迸った。室内が青白い光で満ちる。俺は思わぬ事態に一言も発することが出来ず、ただ閃光の眩しさに目を閉じる事しか出来なかった。
そして――右手にずしりとした感触がした。
「何だ?」と思い目を開くも、閃光のためにまだ目が眩んでおり、その重みの正体を見ることは叶わなかった。だが、その重みには不思議と覚えがあった。
まさか、と思い、右手に加えて左手も使ってその「重み」の形を感じ取る。その形にも覚えがあった。これまで何百回と感じてきた重み、形に違いなかった。
顔が紅潮し、耳はかぁっと熱くなり、心臓が早鐘を打つ。目が暗闇になれてきて、薄っすらと「重み」の正体が見え始める。俺は良く見えるようにと、白い月明りの差し込んでいる突き上げ窓の方へ移動した。
目に入ってきたのは、見慣れた竹の皮を模した黄土色の包み。
それと――「
「ほ……ほほっ、ほげっ」
何か喋ろうとするも、感極まって舌がもつれ、上手く喋ることが出来なかった。プレゼントを前にして逸る子供のように、乱暴に包みを開いていく。間もなくがさりと中から姿を現す、黒い塊。艶のある表面が、白々とした月の光を遠慮がちに反射していた。
しばしそれを眺めてから、思い出したかのようにおずおずと口元へと運ぶ。そしてゆっくりと口を開き、思い切って、噛り付いた。
歯先にわずかな質感を感じながら、ぐっと噛み抜く。一噛み、二噛みとするにつれて口の中に小豆の風味が広がる。同時に感じるのは、しつこくなく、それでいてまったりと舌に絡みつく甘さだ。そのままむぐむぐと咀嚼して味わい、程よいところでごくりと飲み込んだ。喉を通過し、ずんと胃に入り込む。
俺は、ほうっとため息をもらし、口の中の余韻を楽しみながら口元をむにむにとさせた。それから、力なくぽつりと言葉を漏らす。
「法久須堂の……羊羹だ……」
そう、間違えようもない。
病める時も、健やかなる時も、食べ歩きの出来ない時も、俺を支え続けた。
そう、それは。
「法久須堂の羊羹だァ――――――――――――――――――――――――!」
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