4-2

 その日の午後、アオジタは伯爵を送り出した。

 伊豆箱根にある別荘にお出かけなのだ。眠り男関連のゴタゴタでのご心労を、温泉で癒していただくのである。

 黒沼は伯爵の護衛についていった。コンパニオンの手配も任されたそうで、張り切って出かけていった。

 アオジタは留守を任された。

 責任の重さに少々緊張したものの、第一日目は何事もなく終わりそうだ。

 宵町よいまちの道具屋、小森がやってきたのは、夜の七時すぎである。

 一階の広間に案内した。

 広間には、窓際にテーブルがいくつか並べられている。二百万円もする薪ストーブが中央に設置してあって、冬はこれを焚く。

 隅のほうに、雀卓がある。四人の男女が麻雀をやっていた。

 小森は席につくなり、話を始めた。

 アオジタは煙草をふかしながら聞いた。「まとめると、小森さんは、我々より香澄さんのほうを選んだわけだ」

「勘弁してくださいよ。香澄さんに睨まれたら夫婦そろって首吊りです」

「しかしなぁ。我々にひと言相談があっても良かった」

「その点については、面目ない」

 えへへ、と小森は笑う。

 あの日、ヤモリ女と女子高生が、眠り男を捜して宵町を右往左往していたころ。

 小森は、香澄さんから連絡を受け、眠り男の居場所を聞かれた。

 とぼけることもできたのに、小森は目を白黒させて、ペラペラ喋ってしまったらしい。あざみ野寧々ねねが眠り男を横取りしたこと、その寧々に採石場のスーパーハウスを紹介したこと、などを、聞かれるままに答えたという。

「突然のことだったから、つい口が滑っちゃって」

 というのが言い訳だ。

 小森程度の事業者は、普通、なにがあっても金主には逆らわない。問いつめられれば話してしまうこともあるだろう。

 その『ついうっかり』とやらで高原台は危険にさらされた。

 そもそも小森は、眠り男の正体を、あざみ野寧々にバラしている。その時点で高原台の意向に逆らっているわけで、罪は軽くない。

「香澄さんがなんかたくらんでるって、当然知ってたよね?」

「まさか、とんでもない」

「悪魔の居場所を聞かれたんだよね? なんかおかしいって思わなかった?」

「もちろん思いましたよ。それで怖くなって混乱しちゃって、とにかく店を閉めて逃げなくちゃって、もう本当、そればっかりで……」

 小森は恐縮した様子で答えるものの、これが油断ならない。

 小森はクズだが、それでも人間なのだ。戸籍がちゃんとしている人間だ。ここで小森を拷問したり殺したりしたらどうなるか。

 小森のカミさんは、警察に駆けこむだろう。小森とカミさんの間には、そういう打合せが出来ている。小森のカミさんが、高原台に絡めて、あることないこといい出したら、面倒なことになる。

 例えば、モンスターが人間を殺す。

 警察はどう反応するか。

 警察は、人外の動向を細かく把握している。やつらは、モンスター相手に捜査なんてしない。

 手当たりしだいモンスターを捕獲する。手段は選ばない。火器、重火器、電撃、ガス、人間相手には躊躇する強力な武器を平気で使用してくる。捕まえたモンスターは、処分場に送る。日本のどこかに、モンスターを殺処分する施設がある。処分場に送られて、戻ってきたモンスターはいまだいない。

 この殺戮は、モンスター側が真犯人を自首させるか、ある程度の立場の責任者を寄越すまで続く。

 これが、警察とモンスターの関係だ。

 モンスターに基本的人権、のようなものは一切ない。

『人間を害するな。逆らえば駆除する』

 そういうルールで保たれた関係である。

 ルールがあるだけマシというものだ。生き血や人肉を、本能的に欲する化け物どもを市内に歩かせているのは、警察の自信のあらわれ、ともいえる。下手に殲滅を試みれば、人外は地下に潜り、かえって先鋭化するだろう。それよりは、モンスターの面倒はモンスターに見させる。監視下において、ルールひとつで制御するほうが地域の治安は安定する。治められる、と思っている。警察は人外を利用さえするのだ。

 小森はそのあたりのことを熟知している。だから高原台に顔を出せる。

 手を出せるものなら、出してみろ、と肚で考えている。

 無論、高原台が本気を出せば、小森も、小森のカミさんも今夜中に消せるだろう。文字通り蒸発させられる。小森はその危険も承知していて、その上で交渉にきている。

「眠り男さぁ、なんで突然、舞い戻ってきたのかね」アオジタは訊いた。

「眠り男は、なんと?」

「それが意外に頑固でね。教えてくれないんだ。誰かを、かばってるのかな。小森さんて、眠り男とよくツルんでなかった?」

「若いころですよ。嫌だなぁ。二十年も会ってなかったんですから」

「そっかぁ」アオジタは煙を吐き出した。「あの東京吉原ってお店、いいよね。高原台がもらうよ。立地がいいし、なんかに使えそうだ」

「ちょっと、冗談ですよね?」

 小森は顔をゆがめて笑おうとした。

「伯爵は今回の件、本当にご心痛みたいでね」

「あの、でも、どうにかなりませんか? あの店がなくなったら、おれたちどうやって暮らしていったらいいか」

「伯爵のご心痛を取り除いてさしあげるしかないよ。具体的にいうと、香澄さんと一味を全員捕まえる。ひとり残らず。誰も逃さない。小森さんは、香澄さんの仲間なの?」

「まさか! 違いますよ!」

 嘘をつけ、とは思うものの、この場で小森を痛めつけるのは芸がない。

「うちにつくんだよね?」

「当然です。協力させてください」

「居場所の当て、あるの?」

「あ、いや、いいえ。連絡とれなくて。でも、粉骨砕身──」

「携帯、貸してもらえる?」

 小森は怪訝そうな顔をしたものの、ポケットからスマホを取り出した。

 アオジタは、部屋の隅で麻雀をしている四人組のほうを見た。

「ホオジロ!」

 と呼ぶと、一人が牌を伏せてこっちへやってくる。

 ホオジロは少女漫画に出てきそうな、細身の美青年である。「データのコピーですか?」

 アオジタはうなずいて、小森の携帯を渡した。

 ホオジロは、パソコンのある別室へ歩いていく。

 部屋の隅で麻雀をしていた面子は、点棒を数えてなにか話している。その中の一人が、アオジタたちのほうへやってきた。ニットのワンピースを着た、つり目気味の美女だ。

「小森さん、お久しぶり」

「どうも。沙江さん」

 小森は小さく頭を下げた。

 山岸沙江は、宵町でSMクラブを経営する女吸血鬼である。

「きょうは、クランベリーちゃんって呼んでくれないんだ」沙江はいう。「あのあだ名気に入ってるのに。っていうか、わたしの名前よく知ってたね」

「いやぁ……」

 別室へいっていたホオジロが戻ってきた。「終わりました」

「うん」アオジタは携帯を小森に返した。「香澄さんから連絡あったら、頼むよ」

「わかりました。アオジタさん、その、もうひとつ」

「なんだい?」

「眠り男、いるんでしょう? 会えませんかね」

「どうして?」

「その、一言あやまりたくて」

「え?」

「いや、頼まれていた商品を渡さなかったばかりか、裏切るような真似したわけだし、おれとあいつは、それなりに付き合い、みたいなものがあるわけだし」

「は?」

「あの、人間社会ではその、やっぱり謝罪するのが常識っていうか……」

「そんなもんだっけか。ふーん」アオジタも立ち上がる。「別にいいよ。今後も眠り男とは付き合いを続けたいだろうしな」

「すみません。すぐすみますから」

 眠り男を監禁しているのは、三階である。

 アオジタはホオジロに命じて、案内させた。

 小森の姿が見えなくなるや、アオジタは声をひそめた。

「沙江さん、ここにいて。お前ら」アオジタは雀卓で煙草を吸っていた二名の吸血鬼にいう。「車で国道まで降りて待機してろ。小森の車が出てきたら、尾行して目を離すな」

 小森は、五分ほどで階段を降りてきた。

「ありがとうございます。アオジタさん、わたしはわたしで、香澄さんのこと、捜しますから」

「期待してるよ」

 アオジタはにこやかに小森を送り出した。

 小森の車のテールランプが赤い筋を引くように、お屋敷の門を出ていく。

 アオジタは、ホオジロと沙江をともない、三階へのぼった。

「沙江さんは、眠り男を別室で調べてください。やつが小森となにを話したかを聞き出して。おれたちは部屋を調べよう。盗聴器かなんか、そんなのを」

 監禁部屋のドアを乱暴に開ける。

 眠り男はベッドで、マンガ雑誌を読んでいた。

「眠り男、女と遊びたいっていってたろ?」アオジタは声をかけた。

「え、マジ? うわ、沙江さんだ!」

「相変わらずみたいね。おいで、遊んだげる」

 眠り男は犬みたいに沙江についていった。向いの部屋へいく。

 アオジタとホオジロは、部屋を調べた。監禁用に作った部屋だ。調べるべき箇所は多くない。ベッドとトイレを調べて、なにもなければもう手づまりである。

 沙江はすぐに戻ってきた。持っていた衣服を、ベッドに投げる。

 沙江の背後に、全裸になった眠り男が立っていた。ヤモリ女に蹴られて出来た青アザがまだ消えていない。

「早いな」アオジタは驚いた。

「お姉さまのいうことをきく、いい子くんだもんね。さ、お兄さま方にお話があるんでしょ?」

 山岸沙江の甘い声に、眠り男は体で反応した。

「はい」股間を隠して、眠り男が話しはじめた。「小森は、ぼくに『やぁ』って挨拶しました。それで、ぼくも『やぁ、どうしたの』って訊いたんです」

「それで?」と、アオジタ。

「小森はなにもいわず、そこの窓から外を眺めてました」

「なるほど。それで?」

「それだけです。小森は『またくる』っていい残して、出ていっちゃいました」

 アオジタは沙江の顔を見る。

「本当にそれだけなの?」沙江が訊いた。

「本当です。本当です。沙江さま、ぼく上手に出来ました?」

「うん。上手だったね。ご褒美あげるから、ベッドの上で正座して待っててね。お姉さまは、お兄さま方とお話してきますからね」

 ホオジロは、眠り男の衣服を調べていた。

 そのホオジロが、アオジタに首を振る。

 三人で部屋を出た。鍵をかける。

「じゃ、わたしは帰るけど」

 階段を降りながら、沙江がいった。

「助かりましたよ」

 一階の広間で、ホオジロがいう。「部屋の位置の確認ですかね。どうします? 部屋を移しますか?」

「いや、このままでいい」アオジタは考えたすえに答えた。「もし、やつらがやる気なら、このまま迎え撃とう。むしろ、ここで変更したら、やつらの術中って気がする」

 屋敷内は吸血鬼の巣だ。敵が侵入してきたら、どうとでもできる自信がアオジタにある。

「あいつ、ビンビンだったな」

 ホオジロはバイセクシャルなので、きっと眠り男の股間を興味深く眺めたに違いない。

「乳首もコリッコリでしたよ。それに、顔に似合わず」

「ああ、デカかった。やっぱり悪魔ってのは崇拝されるだけあるよ」


 車はホンダのミニバンだ。

 寧々さんたち、ボーンズが眠り男を拉致した車である。

 もう二度とモンスターの面倒ごとには関わらない、と決めていたのに、姫里ひさとはそうい犯行現場みたいな車に乗っている。ヤモリ女相手にイラついていた。

 運転しているのはヤモリ女、助手席にはシロエリさんがいる。

「あんたが、『なにが食べたい』って訊いたんだよ?」姫里は後部座席からガミガミいった。「『なんでもいい』、『遠慮すんな』ともいったよね?」

「だからって、ハンバーグはねぇだろ。家族のお出かけじゃねぇんだよ。小学一年生かよ。長野いくっつってんだよ。な、が、の!」

「聞かれたんだもん、思い浮かんじゃったんだもん」

「よその土地へいったら、その土地のもんを食うんだよ。それが一番うまいの!」

「なら最初から、おそば、っていえばいいじゃん」

「誰がソバなんか食うんだよ、あれは昼時ツルツルっとやるもんだろうが」

「長野の特産って、他になにがあるわけ?」

「知らねぇよ。イナゴとかじゃねぇの?」

「あんた、それ食べなよね」

「てめぇ今、ヤモリには虫がお似合い、とか思ったろ」

「思ってないけど」

「思ったよな」

「思ってないけど、同意してあげる。お似合いだよ。かっこみなよ。鼻を鳴らして、んまい、んまいっていいながら食べたらいいよ」

 助手席でスマホを見ていたシロエリがいう。「姫里ちゃん、地鶏はどう? この先に評判のいいお店があるみたい」

「あ、いいですね」

「ヤモリ女さん、そこで一杯やったらどうですか? 運転代わりますよ」

「姫里、聞いたかよ」

「なにを」

「聞いたかっていってんだよ。これがナンバーワンと最底辺の違いだよ。おまえって、気づかいがまるで駄目だよな。ボーンズに入れてもらえよ。下働きから鍛えてもらえ」

「いいんですか、ヤモリ女さん」シロエリが笑っている。「姫里ちゃんのこと、とっちゃうけど」

「かまわねぇよ。変ないい方やめろ」

「歓迎するよ、姫里ちゃん。男とホテルいけ、なんて絶対にいわないし、ウチらのために魔法使って、なんていわないし、雑用もさせない。約束する。気軽に遊びにきて」

「いいんですか?」

「さっきの携帯番号に電話して。歓迎するし」

「ありがとうございます」

 シロエリが優しいので、姫里の胸の中にポヤポヤと、温かいものがこみあげてきた。

「おまえ、遊びにいこうかな、とか思ったろ」ヤモリ女がいう。「いったら売春させられるに決まってんだろうが。本当、馬鹿だよな、おまえ」

「嫌だぁヤモリ女さん」シロエリがいう。「でも姫里ちゃん、お金にはなるよ、本当に」

「あ、ありがとうございます」

 車は、地鶏の店に到着した。夜の八時前だった。

 お店の軒に、灯りのともった赤提灯が並んでいる。山小屋風の建物だ。

「シロエリさんに相談したいんですけど」

 注文をすませて、姫里は切り出した。

 津村れいと交わした会話のことを誰かに聞いて欲しかった。

「怜ちゃんを責めるつもりはないんです。要するにわたしの勘違いだったわけだし。でも、期待してたのとあまりに違ってたというか。寂しかった、っていうか」

「それ、わかる」シロエリはうなずいてくれた。

「わたし、怜ちゃんと智美ちゃんに、猫動画とか送ったりして。良かれと思って」

「あー狼もそうだけどー、ケモノ系は意外に、猫はそれほどってひといるね」

「ええ。失敗でした。でもそういう失敗を改めていけばですよ? いつかいい関係もある、と思うじゃないですか。今から考えれば、SNS の ID をなかなか教えてくれなかった時、変だなって思うべきでした。馬鹿っぽい質問なんですけど、モンスター同士って友達になれないんですか? ある人は、モンスターに友情なんかないっていうんですけど」

「なれるよー。気軽に話す程度の関係でいいなら、今のまま続けてればいいと思うよ?」

「それ以上の関係は、無理ですか?」

「姫里ちゃん、はっきりいっていい?」

「はっきりいってください」

「おまえって糞ダセェよな」

 ヤモリ女はきっと割りこんでくる、と思っていた。このタイミングできた。

「このあいだはおまえ、家族がどうのこうのいってたよな。今度は友情か? どうして恥ずかし気もなくそんなこといえるんだよ。怖いよ、おまえが」

「ヤモリ女にとって、例えば伯爵はなんなの? 大切な存在だよね?」

「わたしにとって、じゃねぇ。月夜市のモンスター全員にとってだ。いいか、わたしが正解いう。レベル低すぎて聞いてられねぇ。おまえさ、今まであれだろ、ずっと一人でいたんだろ? 友達なんかナシで。それでいいんだって。今まで通りでいいよ。もっと自分を信頼してやれ。友達、とかいってんじゃねぇよ。最初はなんでもかんでも、自分でやんの。一人でやるんだよ。一人前になってはじめて、他人と関係を持てんの。お前にとってさ、お友達ってなんなの? しんどい時に元気づけてくれる、とか?」

「別にそういうわけじゃないけど——」

「糞の役にも立たねぇからな、そんなの。おまえの学校の奴、正しいよ。友達ごっこで人の目が誤魔化せるなら、やりゃあいいさ。けどな、下手に勘違いされたら迷惑だっての」

 くっそー、と思うものの、姫里はいい返せなかった。

 ヤモリ女は喉を鳴らしてビールを飲み干す。

「だいたい妖怪女なんてアテにすんな。例えば、その友達と、おまえ、どっちか一人が、どうしても死ななくちゃならないって時、おまえは友達の命を救うのか?」

「学校の話だって。戦場じゃないんだから」

「ブー。不正解です。学校とか戦場とかじゃねぇ。どこでも同じだ。助けねーんだよ、バーカ。いっとくぞ。向こうはおまえを助けない。関係ねぇもん。おまえも助けたりするな。ただな、わたしらは違う。高原台は仲間を見捨てない。おまえ、自分がピンチの時、そのクラスメートに連絡するか? しないだろ? わたしだろ。わたしだろ? わたしなんだよ。妖怪とかじゃなく。フラフラすんな。高原台以外は敵と思え」

「派閥の話になってない? そういうんじゃなく、わたしたちは同じ学校の同じ学年って関係でつながってるの。いや、仕事仲間でもいい、どんな関係でも同じだよ。他のグループのモンスターは敵、っておかしいでしょ? 仲良くすればいいじゃん」

「危険思想だな。同じような世迷い言を抜かして世界を混乱させたやつがいるよ。いっとくぞ、わたしらは巨大な力に支配されてる時が一番幸せなんだよ。みんなが自由な社会になったら、おまえ、まっさきに喰われるぞ」

「ヤモリ女さん、わたしの考えをいっていいですか?」とシロエリがいう。

 ヤモリ女は酔いが回ったのか、眠そうな目でうなずいた。

後家蜘蛛ごけぐものモンスターと友達になれるか、っていう話だよね? わたしは、あり得る、って思うよ。でも結局、ヤモリ女さんの意見が正しい、とも思ってる。わたしたちって、もうだいぶ人間と混じりあってるわけでしょ? 恐しいことだけど、わたしたちは、純粋なモンスターじゃない。誰かを好きにならずにいられない遺伝子を持っちゃってる」

「……なるほど」

「そのせいで、凄く寂しいの。凄く悩む。ね、姫里ちゃん。みんな同じ悩みを持つんだよ。誰も正解がわからない。人間だってきっと悩んでる」

「シロエリさんも?」

「もちろんだよー。人狼って、氏族と、それ以外だけだよ? 結局、ヤモリ女さんがいったみたいに、敵か味方だけ、中間がないの。なんでそうなっちゃうんだろーってわたしも考えたりしたけどね。思うのは誰かを思いやったり好きになったり、そういうのってね、人間のものなんだよ。わたしたちの物じゃない」

「そんなこと——そんなことないと思います」

 シロエリはにっこりうなずいた。

「これはわたしの意見だけど。もしだよ? 姫里ちゃんが本気で友達を作りたいなら、応えてくれる人が必ずいる」

「どうしてですか?」

「さっきもいった通り、みんな本心では寂しいから。でも、それはそれで問題あるんだ。そのクラスメートの子がね、姫里ちゃんの親友になったとするでしょ? その子、仲間や親兄弟から裏切者あつかいされちゃうよ?」

 姫里は言葉に詰まった。

 モンスター社会がそこまで窮屈とは思わなかった。

 シロエリがヤモリ女に目をやる。

 ヤモリ女は、もう居眠りしかかっていた。

「姫里、話がすんだら、これで会計してこい」ヤモリ女は財布をテーブルに投げる。

「あんた、誰にも奢らないって──」

「いいの、いいの」シロエリが、テーブルから財布を取った。「アザミちゃんがいってた。ヤモリ女さんは、酔うと凄く気前が良くなるんだって」

「シロエリ、泊まれるところ見つけてチェックインしろ。明日の出発は早朝だ」

「大丈夫です。予約してあります」

 ヤモリ女は立ちあがって、店を出ていく。

「寧々さんとシロエリさんは、友達──親友ですよね?」姫里は訊ねた。

「どうなのかな、ってよく悩んでる。たぶん、アザミちゃんも悩んでると思う。みんな、悩むんだよ」

 姫里はシロエリの横顔を見つめた。

「わたしたちの結束って、自慢できるくらい強いけどね。でも、狼には群れの本能や、序列の本能があって、時々、いろんなことがわからなくなる」

 シロエリの横顔が端正だった。鼻の頭と、顎の先を線で結ぶと、その内側に口唇がおさまるという美人の条件を完璧に満たしている。

「姫里ちゃん、あんまり納得してないよね?」

「いや……ええ、まぁ。でも、話を聞いてもらって、良かったです」

「いこっか」

 会計をすませて、外に出た。

 そのヤモリ女は、後部座席で毛布にくるまっていた。眠っているらしい。

 姫里は助手席に座った。

「姫里ちゃん、夢を持つといいよ。それがあると頑張れるから」

「夢ですか?」

「わたしたち、宵町に店を持ちたいと思ってる。姫里ちゃんは? 考えたことない?」

 夢、と呼べるようなものはなかった。

「これを叶えてから死にたい」

「はい」

「そういうのがあったほうがいいよ。自分のなかに基準ができるし。決断が速くなって悩みがなくなる」

「わたし、友達が欲しいというか、なんていうか普通に暮らしたいんです」

「なんで?」

「モンスターの世界は、わたしには向いてないかも」

「姫里ちゃん、夢って逃げた先にはないんだよ? 向かっていって、つかみとらないと」

 シロエリは車のキーをひねった。

 姫里はなにかいい返したかった。けれど、シロエリの目元に、小さなかげりを見た気がして、結局その話は続けなかった。


「きませんね」

 ホオジロは先輩吸血鬼を振り返った。

 アオジタは広間の柱時計を見ている。

 深夜一時すぎである。一階の広間に二人きりだ。

 アオジタ先輩は落ち着かないらしい。無言で席を立ち、ミニバーの電話でどこかへ連絡した。たぶん警備室だ。担当の香山が、監視カメラのモニタを眺めながら珈琲でも飲んでいる頃だろう。

「異常なし、だそうだ」

 アオジタが戻ってきて、テーブルの席に座る。

 不機嫌そうな顔で、シャツのポケットから煙草を取り出した。

「こないかもしれませんね」

「かもな。カラオケでもやるか。眠り男を叩き起こして」

「いいですね。連れてきますよ」

 ホオジロが席を立つと、テーブルに投げ出された携帯が振動した。

 アオジタの携帯だ。

 吸血鬼特有の、捕食者然とした機敏さでアオジタは携帯に出た。

「どうした? ……ああ。ああ。……影ってどんな? 空?」

 話しながら、『いけ』とホオジロに手を振ってくる。

 ホオジロは走って階段をのぼった。なにか起きた、という予感があった。

 監禁部屋のドアの脇で立ち番しているのは、ぶっとい体幹の二人組、以蔵いぞうとヤマビルである。おいしそうに引き締まったふたりの胴に目もくれず、ホオジロは息を乱していった。

「開けてくれ」

 長髪に隠れた耳のインカムを抑えつつ、以蔵が鍵束を取り出す。

 ホオジロは鍵束を引ったくってドアを開けた。

 室内の灯が点いていない。しかし吸血鬼は夜のほうが目が効く。昼間はまぶしすぎる。室内の異常な状況は、明瞭に見てとれた──窓に穴があいていた。

 驚いて部屋のなかに躍りこむ。

 空っぽだ。眠り男が消えていた。

 部屋の空気が夜気に同化して冷え冷えしている。

 窓ガラスにあいた大きな穴は、高熱で溶けて出来たらしい。防弾ガラスの溶けた縁を用心して触ってみた。冷たい。ホオジロは窓から頭を出した。空は晴れ渡っていた。半月は西の地平に沈んだばかりだ。ホオジロには夜空が明るく見通せる。フクロウのような視力が、空に浮かぶシルエットを捉えた。

「以蔵さん、血液持ってきて」ホオジロはいった。

 お屋敷は各階に血液の保管庫が設けられている。鍵付きの保冷庫に貯蔵されているのは、正真正銘の人血である。

『人の生き血を飲んではならない』

 血を吸うモンスターが、人間たちの法執行機関を恐れて、みずからに課した愚かしい原則だ。

 しかし高原台においては、組織の緊急時にその原則が消える。

 飲めるのだ。飲んで本来の力を取り戻せる。

 医療用の血液は二十日程度で使えなくなるらしい。食用として利用する場合は、半年は持つ。補充はどうするかといえば、半年ごとに、金に困った崖っぷちの人間から血を買うのである。四〇〇ccを二千円で買っている。

 以蔵が血液パックを持ってきた。

 ホオジロは中身を一気飲みして、いった。

「アオジタさんに報告を——魔女が空から眠り男をさらった、と」

 黒いもやが暗闇から集まってくる。靄は蝙蝠の翼の形に変わる。ホオジロは靄に包まれる。

 胃袋から全身に広がる快感が強烈すぎて腰が立たない。身体にまとわりつく黒い靄を引きずりながら、ホオジロは窓にしがみつき、ガラスに開いた穴に身体をくぐらせ、上半身を夜の中に露出する。苦労しながら窓の外にずり落ちた。

 ホオジロは落下した。地面に叩きつけられる前に、夜空へ上昇した。

 魔力としかいいようのない力を持つのは、なにも魔女だけではない。吸血鬼もまた魔の力の使い手である。

 結局、モンスターはなんなのか。ここに答えがある。

 人間ではない、どころかこの世のどんな物とも違う。

 黒い靄をまとって空を飛べる存在だ。ここに肉体はなく、物理法則はない。人間らしく見えるのは、インチキなうわべだ。ヤモリ女は、体内から奇怪な振動を起こして光の反射を操り、透明になる。魔女は、迷信としかいいようがない退嬰的たいえいてきオカルト原理で魔法を実現している。

 ひどい、といえる、滅茶苦茶だ。モンスターは永遠に近代の存在になれない。永遠に暗黒中世の遺物であり続ける。

 吸血鬼は不死だ。なにも喜ばしいことじゃない。むしろ呪いだ。長生きすればするほど、世界の進歩から取り残される。モンスターは科学の枠内に入れない。人間たちの科学は驀進まいしんしていくであろう。そこから取り残された者が、モンスターとなるのだ。

 もっともこういった悲観論はアオジタ先輩の受け売りで、ホオジロは未来を悲観していなかった。吸血鬼は空を飛べる。最高に気持ちがいい。

 この力の源は人間の血液である。

 人間の血は、吸血鬼の妖力を覚醒させる。

 なぜそうなるのか。アオジタとこの話になった時、

「あるんだよ」アオジタはいったものだった。「人間の血には。霊力がさ」

 理にかなわない、とホオジロは思う。人の血に霊力があるなら、どうして人間は魔力を使えないのだろう。

 しかし人の血で得る力が強いのは確かだ。飛行ひとつとっても凄まじい速度が出せる。

 たちまち、ほうきに乗った老女が近づいた。

 パジャマ姿の眠り男が、魔女の背中にしがみついて、箒にまたがっている。

 遠野香澄はわずかに振り返るしぐさを見せた。なにか喋ったのか、口の動きが見えた。一秒後、魔女の箒はキリモミ状態で落下した。

 ホオジロは面喰らい、空中で急停止した。

 魔女は、地面に激突する寸前に浮きあがる。

 年のわりに身軽な動作で箒から飛び降り、さらに眠り男を引きずり降ろす。魔女が着地したのは、国道と高原台をつなぐ山道だった。道に、真っ赤なフェラーリが停車している。老女と、老女に首根っこをつかまれた悪魔は、フェラーリに乗りこんだ。運転席にいるのは狼男らしい。この狼男も、だいぶ年老いている。

 ホオジロは興奮していた。

 人間の血を飲んだ吸血鬼は、誰でも自制心をなくす。

 ババァと、ジジィの血を存分に吸ってみたくてたまらなかった。笑うべきことに、赤のフェラーリは、屋根を収納して、オープンカーになっている。ババァを空からさらって、空中で動きを封じて血を吸おう。

 さっきからポケットで鳴っているスマホの面倒をみてから。

「はい、もしもし」

「ホオジロ、具合はどうだ?」

「最高です。赤のフェラーリ、ナンバーは──」ホオジロははるか上空から、車のナンバーを読みあげた。視力も絶好調だ。「小雨町へ向かっています。これはカンですけど」

 廃ボウリング場へ向かっている気配です。

 と、感じたことを告げた。

「よしよし。電話を切るなよ」アオジタがなにかを命令している声が、通話口からかすかに聞こえた。「ホオジロ」

「はい」

「きみは今、人間の血で気が大きくなっている。くれぐれも、一人でどうにかしよう、なんて思うなよ? ヤモリ女はそれをして、敵を逃した。いいね、落ち着いて、応援を待て」

「はい」

「わかってるのか? ぼくの期待を裏切るなよ?」

 ホオジロは気を引き締めた。

「すみません。浮わついていました」

 飛行中だけに、という言葉をどうにか飲みこむ。

「低空飛行はするな。空の暗さにまぎれてろ」

「承知しました。応援を廃ボウリング場へ。行き先が間違っているようなら、また連絡します」

 ホオジロは上昇した。

 眠りについた住宅街と、まばゆい歓楽街の夜景が眼下に広がっている。全世界の頂点に立っている気分だった。血を飲むと、世界が薔薇色に見えるのだ。 ホオジロは両腕を広げて世界を歓迎し、ダンサーのように三回転してから、夜の中心をめざして舞い上がった。


 ホオジロとの通話を終え、アオジタはあらためて、溶けたガラスを触った。

 窓はハメ殺し、厚さ三センチの防弾ガラスだ。ラミネートされたプラスチック膜は溶けているものの、熱でできた穴じゃないような気がした。

 人が通れるほど大きな穴だ。それを一瞬で作った、その力の正体は、多分魔法だろう。なにしろ魔女がきたのだから。アオジタは、部屋の警護を担当していたヤマビルと以蔵を呼んだ。

「音はしなかったんだよね?」

「気づきませんでした」

 二人は、恐縮するあまり小さくなって消えてしまいそうだった。

「古森町の魔女を連れてきて。女子高生とミサさんを。この窓の有様を見てもらって、なにがあったか調べてほしいんだ」

 少し考えてつけ加えた。

「夜中に起こされてぎゃーぎゃーいうかもしれないが、土下座してでも連れてきて。お屋敷で厳重に保護しよう。魔女さえ押さえとけば、眠り男を取られたって怖くないから」

「はい」

「魔女の家は、吸血鬼避けの結界が張られてるからね。十分注意して」

「あの、どうすれば?」以蔵がいう。

「電話で起こしゃあいいよ」

 以蔵とヤマビルは足早に部屋を出ていった。

 入れ替わりに、香山が肥満した体を弾ませてやってくる。「アオジタさん、準備できました」

「よし。行き先は小雨町の廃ボウリング場、発砲の許可はぼくが出す」

 香山が無線で追跡メンバーに指示を与える。

 五台の車が高原台のお屋敷を出発した。

 香山の運転する車の助手席で、アオジタはスマホを取り出して電話した。

「草上さんですか?」

『アオジタさま。いかがされました?』

 アオジタは高原台で起きたことを報告した。

『それは心配ですね』

「伯爵には、必ず捕らえてご覧に入れる、と。香澄さんの一味には、香澄さん以外の魔女はいない。これは間違いない」

『しかし、香澄さまは魔女です。香澄さま、ご自身が契約しないとも限らない。それに、箒にまたがって空を飛んできた、というのは奇妙ですね。そんな道具は持っていないはずですが』

「おっしゃる通りです。あと廃ボウリング場も気になる。連中はあそこにこだわりがあるらしい。なんにせよ、わかり次第また連絡します」

 通話を終えるやいなや、スマートフォンが振動した。

 ディスプレイを見ると、ホオジロだ。

「調子は?」

『もう、絶好調です。連中、廃ボウリング場へ入りました。香澄さんと、年配の狼男、眠り男。ボウリング場内には、人造人間らしい女が二人と、人狼の若造が二人。それだけです』

「間違いないな?」

『確かです。今、天窓から中をのぞいています』

「よし。そのまま監視しててくれ。くれぐれも手を出すな。あと十分で到着する」

 追跡チームが使う車は黒のバンだ。米国のドラマに出てくる政府組織がよく使うような車だ。ドラマに影響されているようで、アオジタはあまり気に入ってない。しかし、輸送量があるし、装甲も工夫できる、速度も出せるので使わないという手はなかった。

 その黒バンが五台、猛スピードで小雨町へ向かった。

 付近に近づくと速度を緩め、ボウリング場へ向かう道の途中では音を立てないよう徐行して、縦列駐車した。

 廃ボウリング場の入口から三十メートルほど離れた路上だ。

 二十人近い吸血鬼たちが車を降りて集まった。香山が小声でひと言命じると、吸血鬼たちは包囲を形成すべく散っていった。

 アオジタの携帯がまた振動する。

「以蔵か?」

『はい。ミサさんをお屋敷へお連れしました』

「結構。女のこととなると手が早いね。どうも」

『勘弁してくださいよ。それより、ミサさんがお話したいと』

「いいとも」

 通話の相手が、おっとりした中年女性に代わった。

『アオジタくん?』

「ミサさん。夜分にすみませんね」

『ううん。事情は聞いた。あ、姫里なんだけどね。今、ヤモちゃんと旅行中なのよ』

「ヤモリ女? 旅行中?」

 まさか観光旅行じゃあるまい。ヤモリ女は北海道行きが決まって、ふて腐れていた。挽回を狙って、まだ、うろちょろしているのだろう。

 まぁ別にいい。ヤモリ女が一緒なら、女子高生魔女は安心だ。

『それでね、眠り男がいたっていう部屋を見せてもらったんだけど、確かに魔法の痕跡がある。ただこれ、どんな魔法か判別できないのよね』

「……香澄さんの魔法じゃないんですか?」

『違うのよ。この魔法、部屋の内側からかけられてる』

「内側って、眠り男が?」

『いいえ。それはないはず』

 そうだ。悪魔は魔法を使えない。だから魔女の尻を追い回す。

「ありがとうございます、ミサさん。以蔵と代わってください」

 はいはい、とミサさんは呑気にいって、電話の相手が以蔵に戻った。

『もしもし』

「以蔵! ヤッチと猫背が小森に張りついてる。ヤマビルと一緒に小森の身柄をさらってきてくれ。小森のカミさんもついでに……ついでに、カミさんも──なんだこりゃ」

『アオジタさん?』

「以蔵、空を見ろ」

 アオジタは夜空を見上げながら、通話を切った。

 台風が、いつの間にか頭上にあった。円形の、黒々と翳った雲の渦巻きだ。月夜市を覆うほどの銀色の雲。雲は動いていた。いく筋もの、長大な曲線の溝を刻んで回転している。緩慢に、力強く、雲のしぶきをスローモーションで散らしながら。雲の中心に、台風の目そっくりな穴があった。灰色のモヤが無数の帯になってその穴に吸いこまれている。

 地表は無風だ。毛筋ひとつ動かない。空気はねっとりしているのに、雲は回る。その遅さには、見る者を、ぞっとさせるような圧力があった。

 小台風は稲妻らしい不吉な明滅を内包していた。

 光る筋があちこちに、絶え間なく走っている。

 耳をすませても雷鳴がまるでない。

 これに似たものを見たことがあったろうか。アオジタは回転しながら迫ってくる空に魅入られながら、走馬灯的に人生の記憶を瞥見べっけんした。

 大陸での戦争に参加していた時の、山砲さんぽうの吐き出す煙を思い出していた。あのころ、アオジタと黒沼はまだ人間だった。死ぬのはいいが、露助ろすけを道連れにする、という簡明な決意でみなと共に戦場にいて、吹き飛ばされた氷まじりの土砂を全身に浴びていた。

「アオジタさん!」トランシーバーを片手に、香山が走ってくる。「突入できます」

「アオジタさん」

 背後からも、声をかけられた。

 悪い予感を抱きつつ、アオジタは振り向く。

 瞳を赤々と光らせて、ホオジロが立っていた。

「中に、若い女がいます。見逃していたわけじゃなく、湧いて出てきたんです。若い、裸の女が」

「……なんだ?」

「ボウリング場の床から、水が染み出すみたいに煙が湧いてきて、女が出てきたんです」

「魔女か? 魔女が隠れてたのか? 眠り男は? やつと契約したのか? この雲──」

 悪魔と魔女が契約を果たした、その証か?

 アオジタは、空を見上げる。山砲が吐き出す煙のイメージが頭から離れなかった。

 あのころ、本物の血液を持ち、本物の食欲と性欲と、本物の疲れと鋭気を持って、歌いながら異国の地を歩いたあのころは、まさか不死になって祖国に戻るなど思いもしなかった。

「契約はしてないと思われます」ホオジロはかすれた声でいった。「眠り男は消えました。おそらく、どこかの部屋に閉じこめられたんです。わたしの位置からだと、眠り男は壁の中に消えたように見えました」

「アオジタさん!」

 香山が焦っている。

 アオジタは頭を振った。

「ホオジロ、伊豆へいけ」

「……そんな」

「伯爵に報告しろ。いこう、香山。銃弾を惜しむなといえ」

 歩きながら、アオジタはポケットのボーラを、握りこんだ。

 ボウリング場の入口まで緩い上り坂だ。

 香山がトランシーバーで命令を発っする。

 吸血鬼たちが機敏な動きで、アオジタたちを脇を通り過ぎ、ボウリング場の駐車場に入っていった。すぐに銃声が轟くだろう。モンスターの肉体はデタラメに出来ている。拳銃の弾を五、六発喰らい、肉と骨が飛び散っても死なない。ほんの一週間ほどで回復しさえする。だが脳髄や心臓に致命的な損傷を負わせられれば別だ。

 アオジタは早足になり、やがて走り出した。

 銃声が聞こえてこなかった。

「あれが……」

 バリケード代わりに、入口を塞ぐように車が止められている。

 四人の吸血鬼がその陰に身を隠していた。

 そして、女だ。まだ若い裸の女が、廃ボウリング場の入口付近でくねくねしていた。まともに歩けないらしい。よろけて膝をついたり、また立ち上がったり、立てずに転んだり、エロティックで、不気味な暗黒舞踊みたいだった。長い髪が顔を覆っている。体つきから見て、十代の少女らしい。身にまとっている瘴気が濃い。視認できそうな濃さだ。魔女ではなさそうだ。気配の種類が違う。

「チンコ立ってるか?」

 アオジタは自らも車の陰に身を隠して、近くにいた吸血鬼に訊ねた。

「いいえ」訊かれた吸血鬼が答える。「あの子の血、飲んでもいいんですか?」

「いいとも。早い者勝ちだ」

 アオジタは立ち上がって、ボーラを回転させた。女の子がおぼつかない足取りで歩こうとしたタイミングを狙って、三叉のボーラを投げつける。

 首に絡むかと見えた瞬間、ボーラは何かに弾かれて地面に落ちた。

 入口を押さえている吸血鬼は総立ちになって、銃を構える。しじまを引き裂く銃声が立て続けに響き渡り、攻撃が開始された。

 火薬の匂いが鼻をつく。硝煙がけぶるなかに、火花の閃きが、人型を闇に浮き彫りにした。銃弾が当たっているのだ。裸の女に。銃弾はすべて弾き返されている。赤い閃光が女の形に飛び散っている。

 銃声が止んだ時、女は長い髪を縛り終えたところだった。悠然としていた。銃撃などなかったみたいだ。髪が、顔にかかるのが邪魔だったに違いない。女は、アオジタのボーラを使って髪をツインテールに結んでいた。

 女はおもむろに地面に伏せる。両膝を立てて乳房を地面につけ、カマドウマみたいに飛び上がった。

 バリケードにしている車が、プリンみたいな揺れ方をした。女が、車の屋根に、四つん這いで飛び降りたのだ。

 アオジタの眼前だ。

 銃を構えようとした時にはもう、女の手はアオジタの喉の皮膚を突き破っていた。冷い手だった。アオジタの肋骨の内側を女はまさぐっている。侮辱的なくらいに優しい手つきだった。アオジタを見つめるその顔は、まだ幼く、笑顔で、返り血を浴びた天使みたいだった。

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