甘い囁き
彼は穏やかな寝息を立てて横たわっている。静かに胸が上下して彼が生きているのがわかる。
彼の手を掴んで私も隣に寝転がる。
とても満ち足りた気分だ。イチャイチャして、たくさん血を飲んで、大好きな人の寝顔を眺めている。何一つ不満のない構図。
「好きよ」
それなのに体が勝手に彼を求めてしまう。
いつからそんなに我儘になってしまったのか、疑うまでもなく彼は私のものなのに。
「遼くん……」
不安に駆られて彼に触れたくなる。触れていないとどこか遠くに行ってしまいそうで、彼の腕を抱き込んできつく締める。
「どこにも行かないでね。ずっと傍に居てね」
いつもは恥ずかしくて言えないセリフが今は自然に出てくる。聞きようによってはプロポーズとも取れるセリフなのに。
でも紛れもない私の本心だ。
彼とはずっと一緒に居たいし子供だって欲しい。それなのに彼は上手く躱してしまう。
「遼くんの鈍感。私の気持ちなんてお見通しなんでしょ?」
当然眠っている彼に聞こえるはずもないがそれでも言葉はどんどん溢れてくる。
自分の吐き出す言葉のせいで満ち足りているのにもっと欲しくなってしまう。
器は満杯なのにものはどんどん注がれていく。
「ねえ……ねえっ……」
無意識のうちに太ももを擦り寄せている。
熱いものが体の内側に溜まってくる。体が火照ってきて目の前のものしか考えられなくなる。
彼の背中に両腕を回して力いっぱい抱きしめる。
「遼くん、たまには私を好きにしていいんだよ?」
本当は私を好きにして欲しい。貴方のものなのになかなか触れてくれなくて寂しい。
「遼くん、私に怒ってもいいんだよ?」
本当は怒られてみたい。何をしても起こってくれない遼くんはどういう風に怒ってくれるのかな?
「遼くん、遼くんっ……」
彼の胸に顔をうずめて彼を呼び続ける。
彼がいないと私は何もできない。それ以前に彼がいないなんて考えられない。絶対に失いたくない。
だから離さない。
私にはそれくらいしかできない。
彼はいつもふわふわしていて気を抜けばどこかに飛んで行ってしまうような儚さがある。
だから私が掴んでいないと風が吹いたときに飛んで行ってしまう。風船のように。
「そんなに掴まなくても逃げませんよ?」
「ひゃっ」
いきなり耳元で彼の声がして、驚いて変な声が出てしまう。
「まったく、寝込みを襲って愛を囁くって……――こっちの気持ちも考えてください」
「い、いつから起きてたのっ」
「『遼くん、たまには私を好きに』――」
「やめてっ、恥ずかしい!」
たまらず額を彼の胸に押し付けて顔を見せないようにする。真っ赤な顔は見せられない。
すると彼は私の背中に手を回して優しく包んでくれる。
「嬉しかったですよ、優姫さん」
「盗み聞きなんて趣味が悪いわよ……」
とっさに反論したが声に力が入らない。
「ごめんなさい」
彼はくすりと笑いながら謝る。そんな謝り方じゃ許してあげないんだから……。
「でも優姫さんにもそんな欲求があったんですね」
「忘れてっ」
彼の言葉にどんどん体温が上がり顔を上げずらくなってしまう。多分私の耳まで真っ赤に染まっているだろう。
「いやです、優姫さんのお願いなら忘れません」
「…………」
「僕も優姫さんのこと、大好きですから」
そう言って彼は抱きしめる力を少し強くする。少し苦しいが嫌ではない。幸せな苦しさだ。
私も彼も何も言わずにただ体温を重ねる。上がっていた体温は彼に抱きしめられる充足感によってある程度まで抑えられる。
しかし充足感――幸せな時間というものは往々にして長くは続かないもので……
『ゆきちゃん、島村くん、ご飯よ』
ドアの向こうからお母さんの声が聞こえる。タイミング悪い……。
「行きますか?」
「まだ……もうちょっと」
「わかりました……」
彼は行こうと口にしながらも私を抱きしめる手を緩めなかった。それが嬉しくて私も彼を強く抱きしめる。
何も言わずに幸せな時間をじっくり感じる。目を閉じて時間が止まってほしいと願う。
なかなか降りてこない、とお母さんがしびれを切らして部屋のドアを開けて絶句するのは15分後の話。
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