僕の平穏は…… 5
焦った、というか誰だって焦る。
目の前、開けたドアの先に、下着姿の少女がいれば。
しかも誰もが振り返る絶世の美少女がそんなあられもない姿ならなおさらだ。
先輩がドアの空いた音に反応して振り返る。
僕は驚いて、焦って、混乱して、尻もちをついた。
「な、なんて格好をしてるんですかっ」
「え……?」
僕は慌ててドアを開け、リビングに引き返した。
露出趣味か?そんな兆候なかったぞ?
考えれば考えるほど眼裏に映される先輩の姿。
青、いや水色だったよな、って考えるな!忘れろ忘れろ忘れろ!
頭を振ってリセットする。
よし、大丈夫。
もう一度寝室のドアの前に立つ。今度はノックを忘れない。
「先輩、入っていいですか?」
「……いいよ」
息を大きく吸ってドアを開ける。
今度はちゃんと元のワンピース姿の先輩だった。
だが、いる場所が少し問題だ。
「なんで僕のベッドの上に座ってるんですかっ」
「なんでって、床は冷たいから……」
本当にこのお嬢様は何か抜けている。致命的になければならないものが抜けている。
もうちょっと後先考えて行動してほしい。
「……はあ、まあいいです。それよりさっきのは何ですか?」
「ちょっと、男物の制服が着たくなって」
確かにさっき先輩が向いていた方向には制服がかけられている。
だからって、ちょっと……。
「ほら、島村くんと私、身長あんまり変わらないし?」
「……そうですけど」
今のはちょっとグサッときたぞ。
僕だって少し気にしてるのに。
「再起動中みたいだったしいいかなって」
「良くないです。異性の家で家主が居るのにそういうことが出来るのは良くないです」
「…………」
「似合わないと思いますよ。肩幅が違いますし」
「……そう」
致命的に危機感が欠けている。
僕を信用しすぎだ。今回はびっくりしただけだが毎回踏みとどまれる自信はない。
先輩も残念そうにしないで、そんなに着たかったんですか。
「もう一回、コーヒーでも飲みますか?」
「……………って」
「ん?」
「待って」
「……はい」
先輩はベッドから降りて僕の腕を掴む。
そしてもう一度ベッドへ向かって僕も引っ張っていく。
「ちょっ、何を――」
「お仕置き」
「へ?」
「下着を見た罰、早く寝る」
あれは不可抗力じゃないかと反論しようとも思ったが、見てしまったことに変わりはない。
男の僕が悪いよな。
大人しくベッドに寝転がる。
先輩もベッドに上がる。
「いい?」
「いいですよ」
先輩は僕の肩に手を突いて、『眼』を見る。顔が若干赤い。
余裕がないのかな。
先輩は僕の首に口を当てる。
微かな鋭い痛み。血の流れ出ていく寒い感覚。先輩の喉から聞こえる飲み込む音。
先輩の匂い。白い服。こっちから見える先輩の首筋。
部屋に消えていく先輩の呼吸の音。
いつもと全然違った。
自分のホームだからなのかすごく緊張する。
時間がとても長く感じた。
「はい終わり」
「……ふぅ」
少し体が重い。起き上がって少しよろめく。
そのままキッチンへ向かう。
グラスを出して水道から水を入れ一気に飲む。
かなり気分がすっきりした。
「先輩、今日は帰りますか?」
まだ午後三時にもなっていないだろう。でも一応聞く。
「そうする」
「じゃあ送ります」
グラスをシンクに置いて鞄を取りに部屋に戻る。
「いいわよ、一人で大丈夫」
「でも暇なナンパ野郎に引っかけられるかもしれませんよ?」
「…………」
先輩は思案顔で数秒黙り込んだ。
「じゃあお願い」
「わかりました」
靴を履き、玄関を開ける。
先輩の家まで30分とかからない。
往復一時間、いい運動だ。
そんなこと思っていた。砂糖よりも甘い考えだと思い知ったのはそれから30分後のことだった。
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