Dragon-Jack Co. 金魚博士の青春(事件簿)

千葉 琉

第1章 引ったくり事件

 俺、何で引ったくりなんかされてるんだ?

 犯人を追いながら、健司は心の内でぼやいた。

 しかも犯人がクラスメイトとは。強奪されたのが、発行をずっと心待ちにしていた季刊誌『金魚百景』でなかったら、その雑誌が高校2年生の自分にとってかなり高額な代物でなかったら、こんな悪ふざけなど放っておいて、さっさと家に帰るところなのだが。

 注文した雑誌を受け取って、内心ほくほくしながら書店を出た健司に声をかけてきたのは、2年から同じクラスになった鈴木だった。席は離れているが、身長が同じくらいでよく体育の時間に組まされるから覚えていた。

“あれ、山本って、家こっちの方だったっけ?”

 と意外そうに問われて、逆方向だが書店に用があってと答えようとした瞬間、手荷物をさらわれたのだ。

 鈴木は確かバスケット部だと聞いた覚えがある。その運動能力を存分に発揮して、商店街の人波の中を、身を翻しながら駆け抜けていく。

 さて、どこで捕まえたものか。相手の出方次第では、こちらも実力行使するつもりだが、地元高校生の格闘を年寄りや子連れの買物客に公開したくない。

 商店街を抜けるまで逃がしておいて、すぐ先にあった公園の入口で追いついた。

「どういうつもりだ」

 健司に腕を取られた鈴木は、悪い悪いと手を合わせながら楽しそうに笑った。

「これには、深い――いやたいして深くはねえんだけど、いろいろワケがあってさ」

 けろりと言う。

「どうしても許せないなら、おれのこと現行犯で突き出してもいいけど?」

 言いながら、公園の斜め向かいにある交番を指差した。

「ああ、そうするよ、って言いたいとこだけどやめとく」

 巡査に掛け合ったところで、下校中の学生がふざけ合っていると思われて終わりだ。鈴木もそれを承知の上で、制服のまま商店街を走ったに違いない。

 健司がそう言うと、鈴木はそれについては答えなかったが、相変わらずにこやかな表情で言った。

「ワケっていうのはさ」

「いや、言わなくていい。それより取ったものを返してくれ」

 書店の紙袋を受け取ると、健司は引き返すべく級友に背を向けたが、被害者として一言言ってやりたくなった。

 健司は向き直ると言った。

「太朗ならやりかねないけど、鈴木がこんな子どもじみたことする奴だとは思わなかったよ」

 正直がっかりだった。鈴木は、よく健司の前に座っている山田太朗に話をしに来るから自然と彼らの会話が耳に入るが、小国の首長選やクーデターの裏話など、なかなか面白い話をするし、少し斜めからものを見ているようなところがあって、健司なりに一目置いていたからだ。

「意外だったろ? だからワケがあるんだって」

「……」

 そのワケとやらを聞くのが面倒くさいと言いかけたら、

「ほんと、どこまで“めんどくさ星人”なんだよ」

 呆れられて、言いそびれてしまった。

「なあ、山本のお母さんって、そそっかしいほう?」

「え?」

 なんで、ここで母さんの話が出るんだ? 不思議に思ったが、答えてやった。

「どちらかといえば、そうだな」

「じゃあ、“事件の当事者”である可能性が高いな」

「事件の当事者、って何だ?」

 尋ねたが答えはなく、

「もう一つ、聞いていい?」

 同じ高さで視線が合うのは珍しい。しかもこんな風に、見据えられることなんか滅多にない。そんなことを考えていたら問われた。

「こないだ、100m走のタイム計った時、手抜いてたよな。なんで?」


* * *


 別に責めようってわけじゃない、と鈴木は言った。

「手抜きしてる理由もやっぱ言わなくていいや。山本じゃないけど、面倒くせえから」

「じゃあ、何で聞いた」

「ほんとに手抜いたのか、確かめたかった」

 実際走ってみて、また尋ねた時の反応で分かったから、もういいと言う。

「山本――えっと、健司でいい?」

 うなずくと、

「おれはヨッシーで」

「え? 鈴木でいいだろ」

 級友のあだ名を気軽に口に出せる太朗みたいな人間もいるが、自分はそういうタイプではない。

「よくねえよ。うちのクラスで鈴木って呼んでみろ、三人振り返るから」

「じゃあ下の名前で呼ぶよ」

「ヨシノリ。大吉の吉に紀元前の紀」

 わざわざ掌に指で大きく書いてみせた。

「なんで、俺が手抜きしてるってわかった?」

「お前が一緒に走った和野な、あいつ中学で短距離の記録持ってるんだよ」

 奴もワケありで本気出せないんだけど、と吉紀は少し声を落として言った。

「用意、スタートって、やられるとつい体が反応しちまうらしい」

 体育の授業で100m走のタイムを計った時も、和野は思わず、前半本気で走ってしまったそうだ。

「こりゃやべえってんで、分かんないようにスピード落としたら、すぐ傍についてきてたヤマケンもそれに合わせてきた、と」

 吉紀は面白そうだ。

「お前はわざと和野から少し遅れるように走ったんだろうけど、そもそも奴の前半ダッシュについていけてる時点で、おかしいんだよ」

「なるほどな」

「おれはちょっと前からお前に興味持ってたから、見ててすぐに気づいた。で、一応和野に話を聞いてみたってわけ」

 和野も不思議がってたよ、と自分と違い、この男は笑顔が基本らしい。

「本気出したらどんだけ速えのかな、って気になってさ」

「俺の荷物を取って、追いかけさせたんだな」

「その通り」

 悪かったよ、と再び詫びを言われた。

「でも、すっげえ悔しい。結局、本気出させてねえし」

 振り切るどころか、適当な場所まで泳がされたのが吉紀にも分かっていたらしい。

「おれ、足にはかなり自信あるからさ。捕まったとしても、もうちょい行った消防署あたりかと思ってんだけど」

 前方を指差す。悔しいという言葉ほどには、そう思っていなさそうな口ぶりだ。

「健司さ、タッパもそんだけあるんだし、この際バスケ部入らない?」 

 笑顔で勧誘されたが、断った。

「はは。やっぱり?」

「吉紀」

「ん?」

「さっき、前から俺に興味を持ってたって言ったな」

「おう」

「どういうことだ」

「“めんどくさ星人”もそこは気になる?」

 健司はうなずいた。

「俺だけならともかく、母親の話が出たからな」

 聞いてやるから“ワケ”というのを手短に話せと公園の入口に足を向けると、

「え? そこはやめとこうぜ」

 吉紀がおかしそうに言った。

 路上で立ち話するよりはましだろうにと思いながら園内を見て納得した。想像以上に小さいだけでなく、広場の片隅に、小さなシーソーとブランコがあるだけだ。

「超人ヤマケンがブランコ乗ってるとこ、見てみたい気もすっけど」

「分かった。帰りながら話そう」

「引き返すの? おれんちこっちの方なんだけどな――」

「そんなこと、言える立場か? ひったくり犯」

「おお、五七五っぽい!」

 何でも面白がるのは、こいつの癖らしい。

「いやあ、噂どおりの超人だったな」

 来た道を並んで引き返しながら話す。

「でも、噂されてるほどは、冷めてねえな」

 “超人” “めんどくさ星人”以外に自分が“冷血人間”と呼ばれているのは知っている。

「冷血どころか、きっかけさえありゃ、めちゃくちゃ熱くなるよな」

 体育でバスケットだかバレーボールだかやった時にそう感じたらしい。

 健司は黙っていた。自分が熱くなりやすい方なのは知っている。あだ名は全部、太朗が勝手につけたもので、自分で冷めているとアピールした覚えは一度もない。

「早く本題に入ってくれ」

「ああ。何でお前に興味を持ってたか、だったな」

 吉紀は、謎解きを求められた探偵のような顔をした。

「聞いたら、へえって思うくらい」

 その目がいたずらっぽく輝いた。

「おれたち共通点多いんだよ」


* * *


「おれは超人じゃねえし、いつも笑ってるって言われるから」

 そこは違うけど、と前置きしておいて、吉紀は健司との共通点を並べた。

「まず生年月日」

 自分の方が2時間先に産まれたという。

「おれの方が兄貴だ。ちゃんと敬うように」

「断る」

 なぜ産まれた時間まで知っているのか気になったが、吉紀が続けたので聞きそびれてしまった。

「だから、干支や星座が同じなのは当たり前だけど、血液型も一緒。AB」

「へえ」

 思わず口にした後で、

「俺のこと、調べたのか?」

 健司が尋ねると、いやと吉紀は笑った。

「お前のはクラスの中で有名だもん」

「有名?」 

「ほら、女子に乗せられて太朗がさ。何占いだっけ? 何かやって遊んでたろ」

 思い出した。“お前のもついでにみてやっから”と前の席からあれこれ太朗に聞き出された。こっちが小声で伝えたことを、大声で復唱するから参った。

「あのバカ」

 占いの結果は覚えていないが、山田太朗との相性は最悪に違いない。

「それから身長。4月時点でのな」

 先月の身体測定の数値が二人とも183センチ。  

 これは健司も知っていた。

「あと、おれもお前も、ガキの頃に親父を亡くしてて」

 吉紀もだったのか。再びへえ、だ。

「そして、ともに亡き父親と同じ職業に就こうとしている」

「え?」

「健司は生物学者になるんだってな」

 青亀さん――生物の教師から偶然聞いたと吉紀は言った。

「おれは、新聞記者志望」

「そうか。でも俺の場合は、自分が金魚好きだからだぞ」

 父の仕事に憧れ、遺志を継ぐというような大層なものではないと健司が言うと、

「そこも同じ」

 吉紀が少し真面目な顔をした。その後、“おれは長生きしたいから”とつぶやいたような気がしたが、聞き返すのはやめておいた。

「確かに、けっこう共通点があるな」

「だろ?」

「母親のことは? “事件の当事者”って何だ」

「ああ、あれね」

 再び楽しそうに言う。

「お前のお母さんが、実の母親じゃない、としたらどうする?」

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