3章 犠牲者 仮面の中の想い
強引な招待
「マイディアショウくん! 素晴らしくも素晴らしいことに、新しい発明が到着したよ!」
部屋を出るなり騒がしいバカが白衣から右手をだしてくる。反射的に腕を握って、その冷たさに腰を抜かした。
「うわあぁっ!」
「わー! 投げないでー!」
俺の手を離れた右手が天井に飛んでいく。くるくると回りながら、それは本物のウォンの手に収まった。
「先端を行く新型の義手になんてことを! IoTの素晴らしさがわからないのかい!」
「うるせえ! 心臓が止まるかと思ったじゃねぇか!」
以前からウォンが没頭しているこのIoTとは、様々な機械をインターネットに接続して情報交換する仕組みのことだ。『モノのインターネット』とも呼ばれる。たとえば家庭のスマートメーターだ。昔は電気の使用量は検針員が見にきていたが、今はインターネット経由で電力会社に自動送信され、契約にしたがって集金したり電気を止めたりできる。農業の温度調節機器に天候の情報を取り込んだり、工場の製造機器の管理をするのにも使われている。
このヤブが研究しているのは主に義手や義足だ。そういう機械の微妙な調節方法をインターネットからダウンロードさせたり、劣化や故障などを関係者がいち早く見つけて修復したりする。さらに最近は加速度規範双方向制御方式とかいう舌がもつれそうなテーマに凝っていて、これがうまくいくと義手で何かに触ってもやわらかいだの金属質だの、そういう感覚を再現できるらしい。
まあ、それが世の中から求められているのはわかる。だが、それをセクハラやイタズラに使ったりしたがるのはどうかと思う。
「いやいやわかってないなあ! 見た目は本物の腕だろう。しかし使ってみるとさらに本物の腕に近くてだね」
目の前をうごめく3本の腕から目をそらし、廃墟を背にした。バカと付き合ってるとバカがうつる。
*
アマテラスには本番処理へ向けて、ハサウェイから送ってもらった拡張用のユニットを入れてある。俺はあずかったロボット犬を返しにハサウェイのところへ向かった。
事務所にタヌキはいなかった。ロボットを座らせる。ピコピコいう機械をなだめて外へ出ようとしたところで、ハサウェイから英語のメッセージが来た。
『机の上に鍵がある。ビッグ・ドッグを返したら地下の駐車場へ行け。おまえにくれてやる。名前はアンスウェラーだ。俺が適当につけた』
「何だこりゃ」
「ピューイ?」
「お前じゃないよ」
犬と別れて鍵を拾い、オペラシティビルの地下へ降りる。見慣れないバイクが止まっていた。
「うお、すげえ」
思わず誰もいない駐車場で声を出した。ヤマハのMOTOROiD、人とマシンが融合するなんちゃらかんちゃらという夢あふれる二輪車だ。電気モーターの力で走り、自動でバランスを取って立ち、音声認識でオーナーの声を聞き取って対応する。
「こりゃまた」
ロボットの次はオートバイか。つぶやくと勝手にライトがつき、音もなくバイクが動き出し、俺の横に立った。ハサウェイのコネはどこから来るんだ。
「……なんか不気味だな」
その声に反応したのか、前後に小さく揺れたように見えた。腰の周りをつつむためのアームがふわりと開いた。乗れって事か。一応ナンバーはついてるようだ。横にひっかけてあるヘルメットを手に取り、逆立った髪をなでながらかぶる。
「おまえ、アンスウェラーっての?」
言いながらまたがると、操作盤のライトが点灯した。一応普通のバイクと同じように動くようだ。アクセルを回して駐車場のスロープを抜けた。
今回はいつもよりいいものをくれたな。思いながら甲州街道を走った。周囲のライダーが珍しそうに俺へ視線を送ってくる。ラクシュに今度はAKIRAだねと言われそうだが、これは浮かれさせてくれる。今度ハサウェイに会ったら、もうちょっと態度をよくしてやろうと思った。
*
約束の時間より早かったが、アマテラスに到着すると
「どうですか」
「まだ、攻撃は来ない」
椅子にかけてジンジャエールの栓を開けた。やがて、役員やらエンジニアやらもやってきた。俺の顔より先に髪型を見て、さらに革ジャンとジーンズ、横に置いたヘルメットを見て、なんだこいつはと隣の天然パーマに目を移す。エンジニアがクー・フーリンのコンサルタントだと説明すると、恐縮しながら名刺を差し出してきた。増えていく紙の束を、連絡しない方の名刺入れに入れた。
車椅子の女から受け取ったメモリは家に帰ってから開けてみた。クー・フーリンの拡張用モジュールで、テストの範囲ではまともに動くようだ。一応今の装置に使えるように組み込んだが、無効化してある。
「予告通りなら正午ですよね」
「そうだ。日本時間の正午と明記してあった」
時計は11時55分を指していた。
「全部君に勧められた通りの設定だ。また今日は勤務せずパソコンもつけないよう通達している」
改めて、この依頼の奇妙さを感じた。なぜ、企業を攻撃するのに予告をしたのか。金銭目的ならデータを奪ってから脅迫すれば良いはずだ。なぜ準備期間があるんだ。
俺を呼び出すためか。その可能性はある。脅威に対してクー・フーリンしかないと判断されれば、俺が出てくることは不自然ではないからだ。そして、犯人の目的はアマテラスの情報を奪い取ることではない。予告して実行することだ。だとすると、時刻はきっちり守るだろう。
「時間だ……」
五百旗頭がつぶやくと同時にアラートが鳴った。
「なんだ?」
「何かが感染してるな。ログ見せてくれ」
管理コンソールをのぞきこんだ。構成情報を確認しながら感染源を特定する。ネットワークに接続したプリンタから来ていた。
「複合機はどこのだ?」
「アミダ社です」
感染したパソコンは次々に増えて行ったが、やがて解決の文字で赤字の警告が上書きされていく。
「自動対応が早い」
「さすが陸自採用だな」
俺のディスプレイを投影したスクリーンを見て、それぞれが勝手なことをつぶやいたが、不安が消えなかった。おかしい。うまく行きすぎている。この程度の保護技術なら、クー・フーリンでなくても解決できる。攻撃ツールはかつて騒がれた脆弱性MS17-010を標的とするEternalblueだ。これは今となってはほとんどの製品で解決できる。
思った瞬間に警告が再度表示された。別のものを仕込まれている。
「感染してるな」
五百旗頭が言った。別のネットワークでも感染が確認された。やはり攻撃元は外部からではないように見えた。
「感染経路の推測図を表示します」
わずかな焦りを感じながら、ディスプレイを切り替えた。アマテラスの複数のフロアで感染が確認できた。刻一刻と拡大している。
「感染はすべて検出できているか?」
「いや……」
俺が言った矢先に、また感染の警告が鳴り響いた。
「できてないですね。このサーバー。使っているアプリケーションはなんですか?」
ポニーテールの女性エンジニアが、何かのリストから検索を走らせた。
「これうちの会社で作ってる、特殊な製品の管理システムです」
「内部では何を使ってますか」
「誰かわかります?」
ポニテが周囲を見渡した。おずおずと一人、休日に駆り出されていた長髪のエンジニアらしい若手が手を挙げた。
「わ、私がわかります。仕様書は共有フォルダにあります」
「ここで使ってるサービスにJVNDB-2018-0135119の暗号化方式に関する脆弱性が残ってんですよ」
聞かれてもそいつは所在無げに首を横に振るだけだった。
「そんな急に言われても」
「知らないとできない攻撃です。内部からですよ、多分」
犯人は誰だ。今いるこいつらの中の誰かが仕掛けたマッチ・ポンプだろうか? しかしそれにしては手が込みすぎているし、そんなことをやってもなんの利益もないはずだ。
「うーん……ともかく情報が欲しいんで、まず感染経路の再表示ですかね」
俺はもう一度クー・フーリン管理下のネットワーク構成情報を示した画面を表示させた。赤い点がさらに広がっている。
「拡大していますね……」
冷静を心がけていたポニーテールも緊張を声に交えている。明らかにおかしかった。普通はこうした攻撃は外部から来る。予告をしない。長い時間をかけて攻める。乗っ取りが上手くいったら外部と通信する。そうしたセオリーがどれ一つ使われていない。しかも、その黒幕はクー・フーリンを熟知している。見つけられて、かつ根絶できないように攻撃を仕掛けているのだ。ほぼ確定だ。この犯人はあの車椅子の女だ。
五百旗頭は握りこぶしを膝にのせて椅子にかけている。俺は画面を見つめながら短く聞いた。もう選択肢はひとつしかない。
「クー・フーリンの追加機能を立ち上げます。少し時間をもらえますか」
集まったエンジニアたちが一斉に不審な目を向けてきたが、気にせずもう一度頼んだ。五百旗頭が分かったと答えた。女から手に入れたモジュールを有効化する。
「ネットワークをサーチします」
「ふむ……」
効果ははっきり出た。すり抜けていた情報が次々に見つかったのだ。クー・フーリンのモジュールが次々にウィルスを駆除し、正常な状態に直していく。30分くらいかけてすべての警告が消え、ステータスは緑色に戻っていた。
「……修復できたように見えますね」
天然パーマのエンジニアがふうと息をついた。
「このままにしておきますか」
五百旗頭も少し落ち着いたような声を出した。いくつか質問をしてきたが、納得したようだ。
「しかし何をやったんです?」
「いえ、機能をひとつ加えたんですよ」
嘘は言っていないが、それをどう手に入れたのかは言えなかった。
アマテラスの問題はこれで解決したが、俺の問題が深まる一方だった。なぜ、あの女は俺にこのモジュールを渡した? なぜ、あの女はこの攻撃を仕掛けて、俺にモジュールを使わせた? なぜ? なぜ? なぜ?
これであの女にもう一度会うことは確定だ。拒否の余地などどこにもない、恐ろしく雄弁な呼び出しだった。
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