弦楽セレナードの主題による群像劇
ワタリ
第一楽章
汽車が出る。
歓びと哀しみと期待と不安とを乗せ、街の喧騒に見送られて、黒煙を吹き、汽車は煉瓦の駅舎をはや背に遠く見ながら往く。
東からの新しい陽に照らされてかがやく車内では、艶のある燕尾の紳士はつば広の帽子の婦人と笑み交わしながら車窓へ手を振り、眼鏡に灰がかった髪色の老紳士は凍れる瞳で手元の写真を眺めている。膝に抱いた幼子へ市庁舎や運河へ架かる橋などを指し示す恰幅のよい婦人たち、よれたハンチングを斜に被って談笑に興じる三人の男、小間使いの少年に荷を解かせ何事かこまごまと言いつけている赤ら顔の商人風の男、そのほかさまざまの年齢や様子をした人々が、今日この車輌へ乗り合わせなければ一生出逢うこともなかったろう奇跡のうえに、一同に会している。その群像を内包したまま、汽車はひときわ線路を軋ませて、街の終わりでぼおうとひとつ、唸りを上げた。
煉瓦色の迫るようだった近景からうって変わり、汽車は見渡すかぎりの麦畑へと放り出された。みじかい夏を生き急いでそこここの茂みへ咲き乱れる花々、青濃い空はそびえる山に掛けた衣の裾を風になびかせるごとく、低くたゆとうている。しばらくゆけど代わり映えのしない農村の景はしかし、ごとごとと定間隔にうごめく車輪の揺れにこまかく刻まれて、画家の遊び心がおなじ絵画へ、こちらの空へは二羽の小鳥を、あちらの道端へは藁葺きの小屋を、といったぐあいに、少しずつ手を替えながら作品を紹介してゆくような愉快があった。また車内の活気もつられて軽快で、婦人たちは乗り合せてものの数分だというのに、すでに旧知の打ち解けようで会話の花を咲かせている。子どもは目に付いたものの名を片端から呼んでは、母親の方へ向き直って答えをせがむ。商人風の男は小間使いに探させた品をひったくるようにして、にこやかな顔をつくると、ハンチングの男たちに話しかける。男たちはそれへ陽気に受け応えながら、商人の手中の品をもの珍しそうに気にかけている。それらの雑多な音から身を避けるようにして、凍れる瞳の老紳士は写真をしまい、彼の左手を流れてゆく土と緑と夏空の三色刷りに、探し人を求めてか、食い入るのだった。
汽車はときおり、畑のただ中へふいに立ちあらわれる、駅舎すらない小さな無人駅へ停まっては、誰も降ろさず誰も乗せず、また重い腰を上げるように動き出す。木々のうっそうとしたところを抜け、山あいをゆくときにはトンネルをくぐり、そのたび、紳士や婦人や子どもや商人やが、まっ黒な車窓へ浮かび上がった。
やがて、陽の西へかかるころ、最後の森を過ぎてよりは果てなくつづくと思われた麦畑の向こうに、けぶる土ぼこりへにじむようにして、煉瓦色の建物群が見えてきた。
次の街である。
大きな川を渡した橋を過ぎれば、汽車は減速を始める。駅舎のアーチが黒煙を吸い込むころには、降り支度をする者、つかのまの出逢いへの礼と互いの旅の無事とを祈り合う者、先が長いのか構わず談笑に耽る者と、にぎやかしさはいっそうに増す。
ぎいぎいと音をたて、大きく二、三、前後へ揺れて、汽車は完全に停まった。
ステップを降りていったのと同じだけ、乗ってくる者がある。
また、笑み交わし、子どもの手を引き、乗り合わせた者どうし声をかけあい、ベルの時刻を待つ。
ホームには、そんな旅人たちを見送る幾数の瞳。
その名残りに呼応するごとく、汽車はまた、ぼう、ぼおうといななき、ゆっくりと、動き出すのだった。
弦楽セレナードの主題による群像劇 ワタリ @watari_k
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