たった1人の上位者

灰色平行線

たった1人の上位者

 とあるマンションの最上階一室で、男は窓を開けて外を見ていた。見下ろせば、道路を車やバイクが走っている。


 ああ、人間とはなんて怠慢なのだろう。移動のために労力を使いたくないばかりにあんなモノを作ってしまうとは。それとも彼らは移動時間の短縮を狙ってあんな鉄の塊を作ったのだろうか。だとしたら、人間とはなんて鈍いのだろう。あんな塊を工作してなお、我々のスピードに遠く及ばないのだから。


 向かいのビルを見ると命綱をつけた作業員が窓を拭いている。


 ああ、人間とはなんて怠慢なのだろう。空中に浮かぶこともせず、ああやって紐で体を固定して、楽をしようとしている。いや、そういえば人間は浮くことができないのだったか。するとあの紐は落ちないためのもの。どうやら人間はあの高さから落ちると無事では済まないらしい。だとしたら、人間とはなんて脆弱なのだろう。あの程度の高さから落ちることすら恐れているのだから。


 男が再び下を見ると、道路の横の歩道で携帯電話を手に持って話しながら歩いている人がいた。


 ああ、人間とはなんて不便なのだろうか。あのような道具を使わなければ言葉を伝えることもできない。いや、言葉なんて記号を使わなければ意思を伝えることもできない時点で、人間という存在は不便極まりない。しかしながら、あんな記号にいったい何の意味があるのだというのだろう。記号でしか意思を表現する方法がないは分かるが、人はたやすく記号だけを見て信じたがる。それが本心かどうかも分からないのに。人間とはなんて不確かなのだろう。


 人間とは怠慢で、脆弱で、不確かで、挙げれば数えきれない程の欠点を抱えた存在だ。だというのに、人間という存在はなぜ、笑うことができるのだろう。なぜ、楽しいと感じることができるのだろう。分からない。分からない。分からない。


 私は何故、彼らのような存在として生まれてくることができなかったのだろう。


 その男は、宇宙からやって来た知的生命体であった。人類よりも遥かに高度な文明を持っていた星に住んでいたが、今やその星は宇宙のどこにも存在しない。

 星と星の戦争によって、男の星は消滅してしまったのだ。男の住んでいた宇宙には、同じくらいの文明を持つ星がいくつもあった。

 男は消えてしまった星の最後の生き残りとして、地球に降り立った。

 地球の文化を理解し、地球人を不完全で下等な存在として見てきたが、男には笑顔が無かった。

 自分は人類なんかよりもずっと完全な生物に近いハズなのに、何故、彼らはあんなにも楽しそうで、私はこんなにも鬱屈としているのだろう。

 私も、彼らのように、不完全で不確かな、下等生物になれば分かるのか? 弱くなればわかるのだろうか?


 それから何日かして、男がビルの上から落ちたという通報が入った。病院に運ばれた男は不思議なことに、どこも怪我をしていなかった。

 目を覚ました男に医者がいろいろ聞いてみたが、男は何も覚えていなかった。ただ、男の表情はとても明るい笑顔を見せていたという。

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たった1人の上位者 灰色平行線 @kumihira

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