偽説 竹取物語

木船田ヒロマル

序話

 駿州浪人、伊澤主水いさわもんどと言えば近隣では名の知れた偉丈夫であった。


 代々御所東門の守りを司る武門、伊澤家の三男として生まれた主水は、二人の兄より体躯と武技に優れ、さりとていずれ家督を継げる立場には無く、兄や父から頼まれては領内の事変の処理に当たる便利屋のような真似をして過ごしていたが、その胆力や腕っ節の強さが帝の耳に入り、領民や地侍達からの好評判もあって「万平よろずたいらかた」なる特別の役職を授かり百五十石の扶持を得て、現代風に言えば特別捜査官のような管轄の縛を受けぬ遊撃役人となった。


 春から梅雨に入ろうかという時候である。


 志垣原の領民に請われ、耕田と水路掘削の手伝いをしていた主水の元に、下の兄、直定からの使いの下人が来たのは日も高くなり、小作人たちとそろそろ昼飯にしようかと声を掛け合った矢先であった。


 主水は泥と汗で汚れた顔を手拭いで拭いながら挨拶した。

「久しいな、勘介。達者なようで何よりだ」

「へえ。万の方様も壮健なご様子で」


 よろずかたとは主水の役職、万平げ方から来た呼び名である。親しい者からは名で呼ばれるが、下人や領民などからはこの名で呼ばれるのが常であった。


「何用だ、と訊くまでもないな。またぞろ厄介事であろう。だが、どんな厄介事かは訊いて置きたいものだ。事によっては槍や具足の支度がいるやも知れんからな」

「毎度お話が早うて助かります。詳しくは私も存じませんが……どうやら色恋事のいざこざかと得心しております」


「色恋事……」


 主水はふむ、と鼻息を漏らした。


「……不得手な類の厄介事だが、とにかく話を聞くとしよう」


「おお、左様でございますか」


 勘介は胸を撫で下ろした。


「正直に申しますと、万の方様はお召しを断られるのではないかと……」

「色恋の話だからか?」


 主水は苦笑する。


「確かに俺はよわい三十を目と鼻の先にしてやもめ暮らしだが」

「滅相な、そ、そのような意味ではございません!」

「いや、いい。色恋に不明で嫁子一人捕まえられないのは本当だしな。それに兄者の事だ。只の腫れた惚れたでわざわざ俺に話を持ってくる事もあるまい」


「万の方様は領内にその名を轟かせる美丈夫。かかる名士に縁談の一つも寄越さないのは世間の目の節穴ゆえと、この勘介、常日頃より腹立たしくいぶかしく……」

「世辞はいい。着替えて馬の支度をして来る。しばし待て」

「お供致します」

「行って帰る分、余計に歩くぞ」

「お心遣い痛み入りますが、役目なれば」

「フ……なら好きにせよ」


 主水は野良仕事を共にする小作人たちに声を掛けて成岩の坂の上に建つ屋敷に向かう。

 そのたくましい背中の後を、勘介がひょこひょこと追った。



***


 瓦町本所にある兄、直定の屋敷を訪れた主水は待つ事もなくそのまま奥の部屋に通された。


「日に焼け過ぎだ。丸切り浜港の漁師か石切の人足ではないか」


 四つ上の兄は開口一番主水の浅黒い肌に文句を言うとニッと白い歯を見せて笑った。


「清音丸の兄様こそ、文机にしがみつき過ぎでは? 御顔の白きは茹でたる玉子に似てござるぞ」


 清音丸とは直定の幼名である。やり返された直定はかっかっと笑って人を呼ぶと酒の支度を申し付けた。


「兄様、まだ日も高うござるぞ」


「置け。主には様々に厄介を頼んで来たが、今回ばかりは厄介の中の厄介。素面しらふでは語れぬ奇譚異聞よ」


「御所勤めの大兄様に代わり伊澤家中の一切を取り仕切る兄様がかような弱音を……果たして相手は鬼か閻魔えんまか。俺は勘介からは色恋の話と聞いておりましたが」


「そうさな。色恋の話でもあり、鬼道魔界の話でもある」


「……話が見えませぬ」


「順を追って話そう。籠笹山かござさやまは知っておるな?」


「確か、網部沢の西の、竹の生い茂る山でしょう」


「山の麓、嶋川の源の近くに竹取のおきなと呼ばれる細工師がおってな。山で赤子を拾うて育てておった。

 女の赤子も今年で十六。これがこの世の者とは思えぬ美しさと評判でな。

 娘見たさに訪れる者達を相手にした商売で翁はにわかに財をなし、今では大きな屋敷を構えて店は雇いの番頭に任せ、老いた夫婦と娘一人、竹林の奥にひっそりと暮らしておる」


 直定は酒をあおった。主水は干された盃に黙って酒を注ぐ。


「ところがそれでも人の口に戸は立てられぬもの。東西からその娘の噂を聞き付けた物見高いやからが様々に由を付けては連日押し掛け、翁の館までの道に市が立つ程だ」


「大袈裟を」


「真の事ぞ」


 酒にやや頰は赤らんでいるものの、直定は大真面目だった。


「さて、話が大きくなり語る口が増えれば、噂は市井だけには収まらん。宮廷の中でも若き公家連中を中心にその娘は語り草となり、遂には通い詰めて求婚する者まで現れた」


「……世も末ですな」


「公家の皇子どもが阿保なのか、それとも娘の美貌こそ稀事まれごとなのか」


「……」


「兎に角だ。娘も翁も、出自の位の低さを故にして、或いは様々の他の訳を盾にして、会うことを拒み、それを先延ばしし、会えば求婚を拒み、或いは上手くはぐらかしてのらくらと断り続けておった」


何故なにゆえ。拾われ子の娘に取っても良い話でしょう」


「さてな。言うをはばる病を持っておるのではないかとか、実は男子なんではないかとか噂はあるが、本当の所は分からん」


 直定は態度で酒を勧めた。主水は一気に盃を干した。


「殆どの者はいずれ諦め、また別の娘に関心を移して訪れなくなった。だがそれでも諦めず、熱心に求婚を続けた五人の皇子がおった」


「凄まじきは恋慕の情、ですね」


「全く。主にその皇子らの半分でもおなごを恋う心があれば、儂も気を揉まずにすもうが」


「これは……藪を突いて蛇を出し申した。面目ない」


「良い。恋えば相手が誰でも良い訳ではない由は儂も承知しておる」


 主水は、はあ、と気の抜けた返事をした。


「道を逸れたな。話を戻そう


 五人の皇子は朝な夕なを問わず、風雨雷雪を押して館を訪れ、口を開けば恋を歌い愛を語った。終いには互いに鉢合わせて掴み合いの喧嘩沙汰までを演じた」


「娘が気の毒ですな。翁も腹わたの痛む思いをしたでしょう」


「困り果てた娘は、五人に条件を出した」


「条件?」


「娘の言う品物を一番早くに持って来れた者のお召しに応じる、と言うのだ」


「人ごとなれば言える事ですが、面白くなって来ましたな。してその品物とは?」


「待て。書き付けがある」


 直定は文机から一折の紙を出すと読み上げた。


石作皇子いしづくりのみこには御仏みほとけが餌事に用いたとされる石の御鉢みはちを。


 庫持皇子くらもちのみこには遠く蓬莱山ほうらいさんにあるという金銀宝玉にて成る蓬莱の玉の枝を。


右大臣、阿部御主人あべのみうしには南山不尽木なんざんふじんぼくに住むとされる火鼠の皮衣を。


中納言、石上麿足いそのかみのまろたりには燕の子安貝を。


 そして我が友、大納言、大伴御行おおとものみゆきには……龍神が持つという五色の宝玉を」


「大伴の大納言が……? あの方こそ聡明にして実直を絵に描いたような御仁。かような騒ぎに首を突っ込むなど……易くは信じかね申す」


「儂も耳を疑うたわ。されど間違いない。さて……ここからが本題よ」


 直定は声を落とすとにじって主水に近寄った。


「五つの宝物を求めた五人の皇子。四人までが尽く不幸に見舞われ、ある者は恥を掻き、ある者は散財し、ある者は大きな怪我を負い、今も不覚のまま生死の境を彷徨っておる」

 

「なんと……」


「我が友、大納言は行方知れず。駿河湊するがみなとから船出してより先の足取りがようとして知れぬ。


 主水よ。


 此度こたびに主に頼みたいのは二つ。


 一つは、我が莫逆ばくぎゃくの友、大伴大納言を探すこと。


 そしてもう一つは、かの娘の正体を見定めること」


「娘の……正体?」


「人にあらざる美しさで見る者全てを魅了し、相争わせ不幸を呼ぶ娘。


 率直に申さば、儂は物の怪の類ではないかと疑うておる」


「物の怪……どうやら俺向きの話になってき申したな」


「心して見定めてくれ。さるやんごとなき筋も、件の娘に関心を持たれておってな。


 話によっては妃に、と仰せと伝え聞く」


「やんごとなき筋……まさか」


「そこまで!

 言わぬが花よ。他言無用ぞ」


「心得申した。


 この主水、兄者のともがらを必ずや見つけ出し、女狐の化けの皮を剥がして嶋川の川原に晒してしんぜよう」


「見目の麗しさに謀られるな。

 相手は思う以上の化け物やも知れぬ。


 かの娘、山で拾われたと言ったのを覚えておるな?」


「それが?」


「それについて、一つ噂がある」


「どのような?」


「かの娘は、竹取の翁……今は讃岐造さぬきのみやつこ、と号しておるその老人が山で見つけた光る竹から出てきたと」


「光る竹……面妖な」


「故に娘はこう呼ばれておる 



なよ竹の輝姫かぐやひめ ……と」

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