永町さん、手を貸す。
◇
窓の鍵――大丈夫、閉まってる。
後ろの鍵――よし、ちゃんと閉まってる。
私は移動教室で必要な道具を手に持ち、黒板の横に掛けられた教室の鍵を手に取った。忘れ物もないし、来てる全員はもう既に教室を出た。なので前のドアも施錠して問題ない。
「……、」
私は綺麗に消された黒板の前で白いチョークを片手に、少し固まる。
このクラスは出席率が良い。
欠席も少なく、さすがにゼロとは言えないけれど、氷上君の謹慎以外目立った休みはない。その氷上君もその謹慎以降は毎日真面目に登校している。
だからこそ、今日の欠席は気がかりだった。
連絡もないらしく、欠席の理由は今のところ分からない。彼が風邪を引くというのはどこか想像付かないけれど、もしかしたら熱を出しているのだろうか。
それとも、不良なのだし、珍しく不真面目さを前面に出し今日は学校にこないつもりなのだろうか。
私は連絡先を交換していないが、彼と親しくしている友人達は一応連絡を入れてくれたらしい。だが、返信も既読もつかないとのこと。
彼がどれほど連絡をマメにしてくれる人なのか知らないが、彼らによると珍しいことらしい。そんな彼らは「まだ寝てるんじゃね?」と結論づけていたが、どうもすんなりと聞き入れられなかった。だって、彼は不真面目そうで真面目だ。
けれど、ミスは誰にだってある。寝坊だって誰にだってある。
私は黒板に次の移動教室の場所を書き残すことにした。
もし彼が寝坊したのなら、遅れてでも来るだろう。
チョークを置くと、もう授業が始まる数分前だった。
急いで教室を出て、ドアを閉め、鍵穴に鍵を差し込み回す。
「え? 次、移動?」
「そうよ――って」
マジかよ、めんどくせー。
そう気怠げに呟く彼に私は近寄って問い詰める。
どうして無断欠席をしたのか。彼が来たらそれを聞くつもりだった。だが、それは一旦後回し。
それにしても、やっぱり彼は不真面目そうで真面目だ。なんだかんだで学校にはちゃんと来るのだ。例え、その顔に怪我を負っていたとしても。
「ちょっと、何よその怪我!」
「あー、うるせぇうるせぇ。せんせーが来ちゃうだろ。ってか、俺が鍵閉めるから委員長はもう行けよ。あ、それとも俺のこと待っててくれる? 俺の鍵閉め、信用してねーだろ?」
私は閉めたばかりの鍵を開け、少々粗暴気味に背を押した。
「いてっ。いいんちょー、いくら焦ってるからってちょっと荒っぽいんじゃねーの?」
喋ると口元の怪我が痛むのか、いつもと滑舌が違う。だが、そこに怪我を作るのは慣れているのかあまり痛がる素振りはみせない。
「……鞄置いて。はやく準備してちょうだい」
私の様子がいつもと違う事に気づいたのか、彼は小さく「はい」と答えて自分の席に鞄を置いた。そして机の中に入れっぱなしにしていた教科書類を取り出し、彼はすぐに教室を出る。机の中に物はため込んでいるが、きっと彼なりに整理しているのだろう。随分と準備が早いこと。
「……終わりマシタ」
再び鍵を閉めた私はその鍵を制服のポケットにしまい、その手で彼の手を掴む。彼が驚いた顔をしたのはもちろん見えたけれど、気にしないですぐ近くの階段を降りる。
だが、一歩踏み出そうとしたところで掴んでいた手を利用して、むしろ後ろに引っ張られてしまった。
「お、おい。どこ行くつもりだよ。物理室は上だろ?」
「保健室に行くのよ」
「なんでだよ」
「今の自分の顔を鏡で見なきゃ分からないほど鈍感じゃないでしょう」
「なんだ。俺の顔の出来が悪いって話かよ」
「ふざけないで」
私はそれ以上は言わずに氷上君を目をじっとみた。
やましいことや後ろめたいことがある場合は大体目をそらす。弟達は決まってそうする。
氷上君は数歩後ろに下がってから、さっと視線を横に流した。言い訳はしないらしい。
「……ってか、手ェ離せよ」
氷上君はそう言い淀んだ。別に強い力で掴んでいるわけでもない。
「……貴方のこと信用してないから断るわ。逃げそうだもの」
「それは鍵当の話だろ!? ってか逃げねェよ。逃げねェから離せ」
なんでよ?と聞くと、彼はまた苦々しい顔をした。
そして「……血ィつくぞ」と言いにくそうに。
言われて視線を下げると、彼の手は血まみれだった。
もちろん彼の手の全てが真っ赤に染まっているわけではない。まるで鼻血が出たときのように、乾いた血が彼の手の甲を中心についていた。べったりというほどではないけれど、見慣れないもののせいかやたらと目立つ。
私はその手を今度はじっとみる。
血は沢山付いているけれど、彼の手自体に目立った傷はない。
見たのは初めてだが、察しは付く。
なんでそんな血が付くのか、怪我の様子から予想はしていたが確信に変わる。
私は彼の手の甲をさする。
怪我ばっかつくって、この手で相手を傷つけて。私には今のところ彼のこの行為に利点があるとは思えない。
「……あの、いいんちょ?」
「……言いたいことはいろいろあるけど、とりあえず手を洗う方が先ね」
このまま保健室に行っても先生を驚かせてしまうだけだ。
もしくは大事になってしまう。
そっか、彼の傷を手当てするということは保健室の先生から担任の先生へと伝わってしまう恐れがあるのか。手の血を流したとしても、この怪我の有様を「階段から落ちました」とかでごまかせないだろう。
けれど、彼をこのまま放置するのはもってのほかだ。
私は彼の手を掴んだまま、一旦階段を降りる。
「え。委員長、俺の話聞いてた? 手、離せって」
「血が付いたら嫌だからでしょう? 別に私は気にしないわ」
「いや、俺が気にするんですケド……」
「そう? でも私は気にしないから、気にしないで?」
「あれっ、話通じてねェ」
1つ下の階に下りた私は問答無用で彼の手を引きながら、近くの手洗い場に向かう。
それから流しの前に彼を立たせて、彼の手から教科書類をすり抜く。
氷上君は抵抗することを諦めたのか、私がしつこかったのか、蛇口を捻った。
「どこ怪我してるの」
石けんを泡立てながら、氷上君は一度ちらりと私の顔を見た。
「顔」とぶっきらぼうに。
「そのほかは?」
「……あとは、足とか」
「……制服に穴は空いてなさそうね」
でも、確かに膝は薄汚れている。というか、擂れているというべきか。
「……誰にやられたの?」
流しに手を伸ばす過程で背を丸めた彼に尋ねると、「誰でも良いだろ」と返された。確かに具体的な相手を上げられても私にはさっぱり分からない。けど、聞いておきたかった。どんな小さい欠片でもいいから、彼と繋がっておける『点』を知っておきたかった。
「……言わないと、幸村先輩に怪我したって話しちゃうわよ」
「駄目だ! センパイだけは、駄目だ!」
私は目を少し見開く。氷上君の声が思った以上に大きかったからだ。
私としてはからかい半分の脅しだった。けれど、彼の拒否反応は真剣そのものだった。彼のことは相変わらず少ししか知らないが、それはただの不良の怒声とは違かった。
「……まさか、幸村先輩絡みなの?」
知っている少しの部分とは、彼が幸村先輩を心底尊敬していると言うこと。
私の知ってる範囲の彼の行動理念はあの先輩だ。
「先輩思いなのはいいけれど、それで先輩に心配かけてちゃ意味ないでしょう?」
彼は手の水分をぺっぺと弾く。必要以上に振ってるところを見ると、ムキになってるらしい。
「とりあえず、センパイには言うなよ」
「……、」
「委員長!」
真摯な目を向けられたが、私はそれでも沈黙を貫いた。
別に彼の『敵』になりたいわけではない。けど正直には頷けない。
入学してわずかな日数でクラスメートを欠く、なんて事態は流石に寂しい。
「……次怪我したら話すわ」
「なんで?」と彼が少し刺々しい口調で言う。彼の中にはもう『次』があると思っているのだろうか。それとも単純に部外者が口を出したのが腹立たしいのか。
「ちなみに、喧嘩は売ったの? 買ったの?」
「どっちでもいいだろ」
「……、買ったのね」
「……なんでそうなる」
「幸村先輩絡みなんでしょう? 氷上君が先輩をだしに喧嘩するとは思えないもの。……先輩の悪口でも言われたの?」
「……エスパーかよ」
はぁ、と氷上君は大きく肩を上下させながら息を吐いた。
肩を落としたように背を丸めたまま、氷上君は流しに腰を下ろした。
「オトナじゃねーのは分かってるぜ? 分かってるけど」
「そうね。オトナじゃないわ。貴方の逆鱗を簡単に敵に明かしただけだもの」
しかも暴力するし、と私が付け足すと彼は更に小さくなった。
血の気が多いはずなのに、ただの女子生徒にここまで言われても手を上げたりはしない。弱いものに手を出すな――幸村先輩が少し前に言っていたことと関係しているのだろう。
「けど、人のために怒れるって素敵なことだと思うわよ」
やり方にもよるけどね、と付け足すと僅かに上がった彼の顔がまた俯いた。
「じゃ、今度こそ保健室に行きましょう」
「え。まだ諦めてなかったのかよ」
「なによ。まだ手を引っ張らなきゃだめなの?」
「いえ、もう大丈夫デス」
私は彼の教科書を持ったまま保健室へと足を向けた。
返せと言われたけど、そんなびしょびしょの手に渡せるわけないでしょうが。
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