第24話 決着

 付近に彼女がいないことを確かめながら僕も宿直室に入り彼女の姿を追った。そこから廊下へと出ると暗い廊下の奥に優奈の姿が見えた。


「志堵瀬君! とりあえず君を殺してやる! そしたら家に返ってゆっくりキャンセルすることをゆっくり考えることにする!」


 優奈は逃げることはせずここで決着をつけるらしい。だとしたらこちらも望むところだ。


 階段室に彼女は姿を消した。僕もその姿を追って階段室までやってきた。


 死角に気をつけながら二階へと上がる。見たところ二階フロアに彼女の姿はなかった三階まで上がったのか?


 ここなら、色々と分かれ道がある。おそらく彼女は自分が通った道を逐一記憶しながら移動しているはず。自分が殺された時に短期的なキャンセルをするために。


 僕はその時、あることに気づいた。


「開いてる……?」


 廊下の先にある扉が開いているのだ。あそこは科学実験室。使われていないときは施錠されているはずだ。彼女はおそらくあの中にいるのだろう。もしかしたら時間稼ぎのためにただ扉を開けておいただけかもしれないが。


 僕は廊下を進み、実験室の中へと立ち入った。


 中にはいくつもの実験机が並んでいる。その机は数人のグループで使うために大きく、中に道具がしまわれていて箱のような形状をしており隙間などないのでしゃがんで部屋全体を見渡すことも出来ない。ここなら死角が多いために奇襲が成功しやすそうだ。彼女は本当にここにいる可能性が高いように思えた。


 神経を研ぎ澄ませながら一歩一歩前へ進んでいく。そして部屋の中ほどまできた時だった。


 ガシャン! 何かが割れた音がした。僕はとっさにそちらを振り向いてしまった。しかしどうやらそれは囮だったらしい。そこには割れたガラス片が散らばっているだけのようだった。


「!」


 次の瞬間、ジキジキというスパーク音が背後から聞こえてきた。


「うッ……!」


 とっさに振り向くと光が下段から迫ってきていた。僕は体を斜め後ろに反らしその攻撃を避け、さらに後方に飛び、彼女との距離を取った。


 あのスパーク音、どうやらスタンガンは脅しには有効そうだが、奇襲には向かないらしい。


 優奈はその場に立ち上がり、僕達はそのまましばらく対峙した。するとフッと彼女が顔を緩めた。


「ははは……ねぇ、志都瀬君。どうしてこんなことになっちゃったのかな」


 その目には薄っすらと涙が浮かんでいる。


「こんなにお互いを憎みあって、何度も殺しあって……。もしかして私が悪いの……? お兄ちゃんを……お母さんとお父さんを生き返らせることがそんなに悪いことなの?」


「……」


 僕はそのために優奈に騙されみぞれを消された。僕自身二回も殺された。その時その時は彼女に対する憎悪の気持ちもあった。でも、二回の死を乗り越えたせいだろうか、彼女をすでに殺したからだろうか。何だかここまで来ると、恨みだとか嫌悪だとか、そんな気持ちも薄れてきていた。僕は今、極めて冷静に彼女のことを見ることが出来ていた。


「……いや、違うよ。倉木さんは何も悪くなんてない。これはお互い望むものがぶつかっているだけ……ただそれだけなんだ」


「……そっか」


「もうこれ以上何も言うことはない。僕達はただ命を賭けて戦うしかないのさ。お互いの想う人のために」


「……そうだね」


 彼女はこちらにスタンガンを向けた。


「じゃあやろっか、殺し合い」


「あぁ」


 僕も優奈に包丁を構えた。空気が張り詰める。


「うわああ―ッ!」


 先に仕掛けてきたのは優奈のほうだった。それは何の仕掛けも何のひねりもない突進だった。しかし彼女はスタンガンを腰に掲げ僕の胴体を狙っているようだった。少しでも触れればアウトの攻撃、これは避けることが難しそうだ。いったん引くべきだろうか?


 いや、違う。むしろ避けなくていい。スタンガンを食らうことを覚悟すればおそらく相打ちには出来るはず。それによって僕は意識を失うかもしれない。でもそれでもいい。この一撃さえ当てることが出来ればそれでいいはずだ。


「キャンセル!」


 僕はそう叫ぶとほぼ同時に彼女に包丁を突き出した。


「うぐ……!」


 リーチの差か、先に僕の包丁が彼女の胸に突き刺さった。これは間違いなく致命傷のはず。


 ジキジキジキ


 そして次の瞬間僕の腹にスタンガンの先端が当たった。


「ぐぁ……ッ!」


 僕はあまりの痛みにその場に倒れこんだ。しかしなぜか僕は意識を失ってはいなかった。当たり所の問題か、もしくは思ったよりも出力が低かったのかもしれない。


 倒れたまま見上げると包丁が彼女の体に刺さったままになっている。しかし、彼女はその包丁を抜いて僕を攻撃してくるようなことはなかった。


「ゴブッ!」


 彼女は口から血を吐いた。


 それもそうか、あれはもう助からない致命傷だ。ここで僕を殺したって自分が死ねば意味がない。もう彼女はキャンセルをするしかないのだ。


「キャンセル!」


 彼女はそう叫んだ。しかし何も起こらないようだった。


「え……、なんで出来ないの」


 次第に体の痛みが治まってきた。僕は机に手をかけながらなんとかその場に立ち上がった。


「こ、来ないで……」


 体がちゃんと動くことを確認した瞬間僕は一気に間合いを詰め彼女の肩を掴んで胸に刺さっていた包丁を引き抜いた。


「あぁ……!」


 するとそこから血がドバドバと流れ出てきた。


「キャンセル……!」


 また彼女が叫ぶ。しかしやはり何も起こらない。


 彼女は血を失いすぎたのか、その場に倒れてしまった。仰向けになり天井を見つめている。その目から生気が急激に失われていっているのが分かった。


「なんでよ……何で出来ないの……」


 彼女は消え入りそうな小さな声でそう呟いた。


「……これだよ」


 僕はポケットから小石を取りだして彼女に見せた。


「いし……?」


 彼女は目をこちらに向けてきた。


「この校舎に入る前にこの小石を拾って僕は捨てたんだ。でも、今は僕の手の中にある」


「何を言って……るの……」


「倉木さんは今たぶん、また短期的なキャンセルをしようとしたんだろ? 僕は倉木さんに切りかかる寸前にこの小石を捨てたことをキャンセルして、ほんの少しだけ、ほぼ影響がない程度にこの世界を作り変えた。でもその程度でも世界が変わってしまったことには違いない。倉木さんが地続きだと思っている今までの世界はもう倉木さんが体験した世界じゃないんだ」


 彼女はもう声を出せないのか僕のことを黙って見ていた。


「倉木さんに殺されかけて気づいたんだ。僕たちの能力は自分が体験した世界のことしかキャンセル出来ない。だから倉木さんにはキャンセル出来ない」


 キャンセルで作り変えた世界は小石を捨てた時から僕がナイフで刺す直前まで。この時間はもうキャンセルすることは不可能だ。相手が気づかない程度に世界を作り変え、キャンセルさせることを防ぐ、これがキャンセルの能力を持つ者同士の戦いの終わらせ方なのだろう。


「倉木さん……?」


 彼女はその時すでに事切れていたようだった。僕の話を最後まで聞いていたのだろうか。聞こえていたとしても新たにキャンセルをすることを考える時間は残されていなかったようだ。


「勝った……」


 これでもうみぞれが死ぬことはない。僕はキャンセラー同士の戦いに勝利したのだ。


 しかし、勝利の余韻に浸っている暇はどうやらなさそうだった。僕はみぞれを守るために優奈を倒したわけだが、これは周りから見ればただの殺人にしか見えないだろう。


 僕はみぞれを殺してしまったときのことを思い出した。警察に捕まり、親に泣かれ、世間で騒がれる。もうそんなことにはなりたくない。


 しかし、以前みぞれを殺してしまった時は僕はすぐに捕まってしまったが、今回は何とかバレずに済むかもしれない。なぜなら前回と今回では随分条件が違うからだ。


 まず、優奈には今家族がいない。この世界では兄だけでなく両親も殺されてしまったと言っていた。彼女はあの家に一人暮らし。月曜から彼女が学校に行かなくなったとしても警察が動き出すまでにそれなりの時間が掛かるだろう。


 もうひとつ、彼女と僕は現在赤の他人だ。学校も違うしそこまで近所というわけでもない。周りの人間から見れば接点なんてひとつもないだろう。僕たちが通ってたはずのこの学校だって今は二人にとって縁もゆかりもない。人間関係から僕に捜査の手が回ってくることはないように思える。


 それにこの学校はすぐ側に山がある。今の時間なら誰にも見られることなく彼女の遺体を山に運ぶことが出来るだろう。


 そして今ここは血まみれになってしまっているが運がいいことにこの実験室の床は汚れが落ちやすい樹脂製。それぞれの机には水道までついている。ちゃんと掃除しておけばおそらく誰もここで殺人が行われたなど気づくことはないだろう。


「よし……」


 考えてみれば偶然にも前回よりも随分と条件がいい。これなら僕が捕まってしまう可能性はほとんどないのではないか。


「待っててくださいみぞれさん……」


 もうすぐ全てが終わる。みぞれとの関わりがなくなってしまっているのは残念だが、きっとあの倉庫にでも通えばまた関係も築いていけることだろう。




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