第19話 決心
結局僕はその日、映画を見ることなくバスに乗り込んだ。僕がたどり着いた先はみぞれがいつもいた倉庫だった。扉を開けて内部へと入る。
なぜ僕はこんなところに来てしまったのだろう。彼女はもう二年も前に死んでしまっているというのに。彼女は僕の知合いですらないというのに。
「はぁ……」
何だか全てが馬鹿らしい。僕はため息をつきながら、倉庫の奥にあった椅子にでも座ろうかと机に向かっていった。
「ん……?」
僕はその時、見覚えのあるものが机の上に置かれていることに気づいた。
「これは……」
かなり埃を被っていたが、それはどうやらマフラーのようだった。僕はそれを手に取り汚れを払い落としてみた。
「そうか、彼女はいたんだな。この場に……」
そのデザインは僕がもらったマフラーと似ていた。これは間違いなくみぞれが編んだ物だろう。ここに二年間ずっと置かれていたということか。僕はマフラーを掴み、それを目の前に掲げて見つめてみた。
「みぞれさん……僕は、なんてダサい奴なんでしょうか。きっと倉木さんは僕のことなんて最初からどうでもよかったんです。僕は彼女に騙されていたんです。そして、気づけばあなたを失っていました。本当に僕は駄目な人間です。意思が弱く人に流されやすい駄目な人間です」
そのマフラーは当たり前だが、僕の言葉に何も反応などするはずもなかった、しかし僕はかまわず続けた。
「……みぞれさん。やっぱりあなたの見立ては間違っていなかったのかもしれません。僕は奴隷が一番お似合いだったのかもしれないです。僕はその程度のちっぽけな存在です。……けれど今の僕はそんな奴隷にすらなることが出来ない」
僕はマフラーを自分の額に当てて目を瞑った。
「なぜならご主人様がいないからです。奴隷にはご主人様が必要なんです。だから僕は……あなたにまた会いたい。会ってまたあなたの奴隷になりたい」
僕はマフラーを頭から離すと、
「……みぞれさんを復活させる。やっぱりこのままじゃ終われない」
強く決心し、声に出した。
しかし状況が厳しいことも分かってた。彼女を復活させるならば何かをキャンセルし過去を変える他ない。しかし僕はこの世界の彼女が生きている間に彼女とは関わりなどなかったのだ。キャンセル出来ることは過去の自分の行動だけ。彼女に関係ないことをキャンセルしたところで彼女が生き返るはずもない。
「何か方法はないのか……」
過去の自分の選択を片っ端からキャンセルしまくればいい? そうすればかすかな影響から彼女が助かる可能性は万が一くらいはあるかもしれない。
「いや、それは本当に最終の手段だな……」
そんなことをしてもまず確実にうまくいかなさそうな上に自分の人生が無茶苦茶になってしまう可能性が高い。
それよりも僕は何か以前より違和感を覚えていることが一つあった。そうだ、それは優奈の挙動だ。
『キャンセルって、一体何をキャンセルするつもりなの?』
キャンセルをしてみぞれを復活させようと僕が最初に言い出したとき、優奈からは迷いなくその答えが返ってきた。今考えてみるとあれは元から用意されていたような、僕にその考えを植え付けるかのような言い方だった。彼女はもしかしたら僕にキャンセルをしても無駄だと思わせたかったのではないか?
彼女のおかしな挙動はそれだけではない。
「彼女の目的はおそらく兄の復活、それ一点だけだったはず……」
二人でショッピングをしていたあの光景を見ればそれくらい分かる。そう仮定してみた場合、彼女の行動で腑に落ちない点がいくつかある。
まず、なぜ彼女は僕に近づいてきた。あんなに僕が彼氏であることを否定していたくせに。彼氏がいればそれは彼女にとって、兄との関係の障害にしかならないだろうに。
それに優奈はキャンセルの能力を手にしてから、兄を復活させるまでに結構な時間をかけた。なぜ彼女はそこまで時間をかけたのだろう。彼女は自分が何をキャンセルすれば兄が復活するのか確信を持っていたようだし、あの態度だと一刻も早く復活させてもおかしくない感じだったように思える。
よく考えてみると彼女が兄を復活させたタイミングは僕がみぞれと決別した直後だった。それは偶然だろうか? もしかして、そのタイミングには何か意味があったのかもしれない。
「倉木さんは何か僕が知らない秘密を知っている?」
そこにもしかしたらみぞれを復活させる糸口があるんじゃないのか。
「調べてみよう……その事件について」
僕はとりあえずその場で蒼井みぞれの名前を携帯で検索してみた。
「出た……」
タイトルは『中崎市女子中学生ストーカー殺人事件』となっている。
そのページをタップして読み始める。
みぞれが死んだのは二年前の六月二二日となっている。それにしても彼女を殺したのは教師だったのか。
「ん……?」
僕はその記事を読んである重大な事実に気付いてしまった。
「ま、まさか……」
よく見ると、犯人の名前が僕のよく知る人物の名前だったのだ。
宮野信二。そうだ、この人物は僕のトラウマであり中学の時の担任だ。まさか、この事件の犯人が宮野先生だったなんて。彼が殺人事件を引き起こし捕まったということはもちろん覚えていたが、僕は優奈の兄の名前など知らない。全然結びつけて考えることが出来ていなかった。もっともこの世界では被害者はみぞれに変わってしまっているのだが。
「繋がった……」
どうやら全然関係ないと思っていた事件と僕は実は関わりがあったらしい。
だとすれば……。
その繋がりが宮野先生であるとすれば、僕は全てを解決できてしまうかもしれない。そうだ、僕にはその記憶はないが、僕は小学二年生の時、彼の命を救ったらしいのだ。だったら彼を助けたその行動をキャンセルしてしまえばいい。
しかしいいのか? そんなことをすれば今刑務所の中にいる彼が消滅してしまう。彼は死んでしまうということだ。
「でも……いいよな」
元はといえば宮野先生が悪いのだ。これは自業自得というやつだろう。宮野先生が生きているのとみぞれが生きているの、どちらを選ぶかと言われれば僕は間違いなくみぞれを選ぶ。
「よし……じゃあやるぞ」
僕はその時の事故のことを頭に思い浮かべてキャンセルしようと念じてみた。
「キャンセル」
しかし何も起こらない。
「あれ……?」
何も起こっていないように見せて実際には過去が変わっているのだろうか。いや、過去に大きな変化があったら、今まったく同じ位置にいるなんてことは考えにくい。僕はどこかに瞬間移動するものだと思ったのだが。
それに目の前の机には彼女のマフラーがそのまま置かれたままだ。これは彼女が生き返っていないということに違いない。
「なんかミスったのか……? ならもう一回だ」
しかし何度かトライしてみたがこの今に何の変化も訪れることはなかった。
「なぜだ……なぜキャンセルできない」
なぜかといわれたら、やはりそれは僕が先生を助けていなかったからではないか。僕は先生を助けた記憶などなかったのに、先生は僕を助けたと言っていた。たぶん先生は事故のせいで記憶障害でも起こっていたのだろう。別の人物に助けられたのに、僕が助けたと勘違いしていただけなのかもしれない。
そんな事実がなければキャンセルなど出来るわけもない。先生を亡き者にする作戦はうまくいかなさそうだ。
「駄目か……」
だとしても、別に全ての道が閉ざされたわけではない。僕は中学時代宮野先生が逮捕されるまで先生とは仲が良かったのだ。僕が当時の行動をキャンセルすれば先生の行動にも影響を与える可能性は十分にあるはず。
「家に帰って当時の日記を見てみよう」
うまく事件に関わることをキャンセルすれば僕はみぞれを救うことが出来るかもしれない。
倉庫を出てバス停に向かって歩いているとまたあの二人と出くわしてしまった。倉木兄妹だ。
「志堵瀬君」
「……倉木さん」
まさか一日で偶然二回も出くわすなんて。まぁここは彼女の家の近くだからか。
「……なんでこんなところにいるの?」
「それは……」
「ねぇそれ……」
彼女はどうやら僕の首に巻かれたマフラーに注目しているようだった。
「なんか見覚えのあるマフラーだな。もしかしてそれって……」
「あ……いやこれは……」
僕はとっさにマフラーを手で隠した。すると、しばらく僕を見つめた後彼女は兄の顔を見上げた。
「お兄ちゃん」
「ん……?」
「悪いんだけど先に帰っててくれない? 私ちょっと彼とお話したいの」
「あぁ、分かったよ」
彼女の兄がその場から姿を消すと彼女は僕に目を向けて言葉を続けた。
「それってさ、蒼井さんが昔つけてたマフラーだよね。私、覚えてるよ」
僕は何も言い返さなかった。
「それを手にするためにここまで来たんだ? 志堵瀬君って結構未練がましいことするんだね。でもね志堵瀬君、彼女はもういないんだよ。もう復活させることなんて出来ないんだよ」
「……倉木さん。君は僕に嘘ばかりをつくんだね」
「え……?」
「倉木さんは知っていたんでしょ。君のお兄さんを殺したのは僕の中学のときの担任。宮野信二だったってこと」
「……!」
彼女は僕の言葉に目を丸くしてしばらく黙り込んだ。やはりそれは図星だったようだ。
「それは……」
「……じゃあ僕はちょっと用事があるからこの辺で」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
僕は彼女の横を通りすぎようとしたが彼女に引き留められた。
「何……」
「キャンセルなんて……しないよね。気づいたんでしょ。その事件以前の自分の行動をキャンセルすればそれは宮野信二の行動を変えることになるかもしれない。蒼井さんを助けられてしまうかもしれないってこと」
「……あぁ」
「それだけはやめて! そんなことしたら何が起こるか分からない! またお兄ちゃんが死ぬかもしれないじゃない!」
「それでも……僕はやるよ。もう決めたんだ」
「な、何でよ! 志堵瀬君、私がいればそれでいいって言ってくれたじゃない。あんな頭のイカレた女なんて復活させても志堵瀬君が苦しむだけなんだよ! ねぇ、お願い! 私がずっと側にいてあげるから!」
「……それも嘘なんでしょ、倉木さん」
「え……」
「倉木さんはお兄さんの事が大事なだけなんだろ。本当は僕の事なんてどうでもいいんだ!」
「な、何言ってるの」
「僕のことはただのクラスメイトだって言ってたじゃないか」
「そ、そんなのちょっとお兄ちゃんに言うのが恥ずかしかっただけだよ」
「……本当は大事どころじゃないんだろ? きっと倉木さんはお兄さんのことを恋愛対象としてみてるんだ」
「は、はぁ!? な、何言ってるの! じ、実の兄をす、好きになるなんて、そ、そんなことあるわけないじゃない!」
彼女は見るからに狼狽していた。
「は、ははは。もしかして私のお兄ちゃんに嫉妬してるの? だからそんなことするんだ?」
「もう僕には分かってるんだ。倉木さんが僕に近づいてきた理由、君が僕と付き合った理由」
「な、何よ。理由って」
「君は僕からキャンセル能力を学んでお兄さんを復活させようとした。でも、おそらくそんなことをすれば代わりにみぞれさんが死んでしまう。君にとってはそれはどうでもいいことだったのかもしれないけど、その時、同じキャンセル能力を持つ僕が彼女と親しい関係にあった」
優奈の顔色が次第に不自然な色に変わっていっていた。
「みぞれさんが死ねば、さらに僕がキャンセルしてお兄さんが結局死んでしまうかもしれない。そして僕は偶然にもそれが出来てしまうかもしれない立場にあると倉木さんは知っていた。それを恐れたんだろ。だから僕に近づき僕と付き合った。僕の心をみぞれさんから引き剥がすために」
僕の言葉にしばらく黙っていた優奈だったが「は、はは……」と開き直るように笑い出した。
「妄想もそこまでいけば大したもんだね。でもよく考えてよ志堵瀬君。志堵瀬君は私にいいように言いくるめられたくないから、利用されたくないから反発したいってだけなんでしょ? そんな気持ちだけでキャンセルなんてしちゃっていいの? 蒼井さんは最低な女なんだよ。志都瀬君はそんな彼女が嫌で嫌で殺しちゃったんでしょ? どうして自分で殺したような女をわざわざ復活させようとするの」
「それは……」
僕はその言葉にみぞれの今までの行動を頭の中で反芻させた。
「そんなこと分かってるさ。確かに彼女はひどい人かもしれない。僕を脅してタバコを買わせて吸わせたり、犬の真似をさせたり、全裸で近所を走りまわさせたり、お金を強請ったり」
「だったら……」
「でも……なぜかな。ずっと一緒にいたら、いつの間にかそんな彼女のこと、とても大事に思えてたんだ」
みぞれのマフラーに軽く手を触れ強い視線を優奈に向けた。
「僕は彼女が……みぞれが好きだ」
「えっ……」
「だからキャンセルするよ。もう一度彼女に会いたいから」
僕は踵を返してその場から走り去った。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
彼女の言葉に構うことはなかった。
「志堵瀬くーん!」
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