第10話 再び奴隷に?

 そして一週間後。


「や、やったぞ!」


 僕は負けなしの戦いをひたすら続け、二度目の競艇場訪問で最初の三万円をついにとりあえずの目標金額三十万円を超え三六万円にまで増やしていた。財布が万札で膨らんでいる。


「すぐにギターを買うか? いや、でもこのお金を更に三倍にすれば九十万円になるということだよな……」


 とりあえずこれ以上儲けすぎるのも悪目立ちしそうだし今日はもうやめておこう。僕は帰路につくことにした。


「やっほーい」


 競艇場を出て軽いスキップ状態で大きな川に掛かる橋を渡った。もうマスクなんて外そう。


 僕はもう一生お金に困ることはないだろう。人生に失敗することもない。キャンセルの能力は想像以上に素晴らしいものだ。もしかしたらお金にものを言わせれば僕の憧れである倉木優奈とももっと仲良くなれてしまうかもしれない。そしてその先はいずれ……


 僕が頭の中でそんな妄想を繰り広げている時だった。


「志堵瀬君」


「……!」


 なぜか後方から名前を呼ばれてしまった。とっさに声の方へと振り向くと、


「み、みぞれさん……?」


 橋のど真ん中に蒼井みぞれが仁王立ち姿で、自信満々な笑みを浮かべながら立っていた。まさか。なぜこんな場所に彼女がいるのだ。


「すごいのね志堵瀬くん。そんなに競艇で儲かっちゃうなんて」


 しかも僕が儲けていることを知っているのか。


「え……な、なんでみぞれさんがこんなところにいるんですか……」


 ここは家から随分離れた場所にあるし、高校生が一人でこんな場所にいるなんておかしいだろう。僕が言えたことではないが。


「なぜって、私最近ずっと見てたのよ、志堵瀬君のこと」


「み、見ていた……?」


 まさかとは思うが、この能力のことがバレているのか?


「な……なんでそんなことを」


「だって志堵瀬君、自分には秘密があるとか言ってたじゃない。そんなこと言われちゃったら気になってしまうのは当然のことよ」


「う……」


 しまった。盗撮がバレてしまった時もそうだったが、彼女はきっとこういう人の秘密に対して嗅覚が働く人間なのだ。なぜ僕はあんなことを彼女に言ってしまったのだろう。


「あなたの秘密バッチリ見させてもらったわ。それはつまり、この歳にしてギャンブル狂ということなのね!」


 彼女はビシリと僕の顔に指を差してきた。


「え……」


 僕がギャンブル狂? 彼女にはそう見えたのか。一瞬キャンセル能力のことを見破られたのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。まぁ、よく考えてみればそんなこと端から見て分かるわけがないのだが。


「あら、違うの?」


「ま、まぁ……そんなところです」


 本当のことを知られるよりはそう思われているほうがいいだろう。


「ふふ、そして、実際にそれだけ勝ってしまうなんて、あなたは素晴らしい観察眼を持っているのね」


「あ、あぁいや、今回は本当に運がよかっただけですよ」


 これが必然だと思われるわけにもいかない。


「でもね、志堵瀬君。高校生がそんなことしちゃいけないのよ」


 彼女はスカートのポケットから携帯を取り出し僕にその画面を見せた。


「……!」


 そこには僕が券を買う瞬間が収められた写真が表示されていた。マスクをしてはいるが、知り合いが見れば僕だとバレバレだろう。


「ふふ、この写真は既に自宅に送信済み。観念することね」


 何だこれは。なんだか体験したことのある事態だ。


「そ、そんなことして一体何がしたいんですか」


「そうね。ねぇ志堵瀬くん。いえ、ハジメくん。あなたって私の奴隷になりたいんでしょ?」


「は……?」


 何でいきなりそんな発想が出てくる。いや、そういえば僕は彼女に対して『僕はあなたの奴隷ですか?』などという意味不明な発言をしてしまっただろうか。


「そ、そんなのなりたいわけないですよ!」


「ふーん。でもあなた、なぜ私に対してだけ敬語を使っているのかしら? 他のクラスメイトには普通にタメ口で話しているはずよね?」


「え? えーっとそれは……」


 そういえばそうだった。この世界では僕は彼女に敬語を使う必要なんてなかったのだ。でも、もはや彼女に今さらタメ口をきくなんて考えられない。もしかして僕は奴隷根性が染み付いてしまっているのだろうか。


「ど、どうでもいいじゃないですかそんなこと……」


「そうね。まぁそれはいいわ。それよりあなたの処遇を考えなくてはならないわね」


「処遇って……」


「別に学校にこのことをバラすつもりなんて私にはないのよ」


「そうなんですか?」


「でも、その代わり……」


「その代わり……?」


 これはつまりまた僕に奴隷になれとか言い始めるということなのか。彼女のこれまでのクレイジーな言動を考えると僕には嫌な予感しかしなかった。


「そのお金、私達二人でパーッと使っちゃいましょうよ」


 僕は一瞬その言葉に何も反応が出来なかった。


「え……?」


 競艇場から出てきた老人がちらりとこちらに目を向けながら僕達の横を通り過ぎていく。


「別にいいでしょ? どうせあぶく銭なんだから」


「そ、それだけでいいんですか?」


「え……?」


 彼女は少し目を丸くして僕のことを見た。


「……むしろその条件を飲んでくれるのね。やっぱりハジメ君。あなたは奴隷の才能があると思うわよ」


「え……あ、いや……」


 確かに言われてみれば今僕は三十万円も強請られているのだ。なかなかヒドい話だと思う。でも以前僕は奴隷として扱われた。それに比べたらずいぶんとマシな要求に思えた。まぁ、たぶん競艇でギャンブルしている写真程度なら脅しの材料としては弱いというのが大きいのだろう。だからそこまで無茶な要求はしてこないのかもしれない。それに、ぼくにはこれ以降もお金なんていくらでも増やせてしまうというのもある。


「……分かりました。でも、本当にこのお金だけですよ」


「そんなの当たり前でしょ。それともこれまでハジメ君は馬鹿ほど競艇で稼いできて大金持ちなのかしら?」


「いや……本当に最近は運が良かっただけですよ」


「そう、じゃあこれからよろしくね、ハジメ君」


 彼女はやはり人に言うことを聞かせるというのが大好きなのかもしれない。学校では決して見せないキラキラとした笑顔を僕に向けてきた。


「じゃ、あなたの連絡先、教えてもらえるかしら?」


 また彼女の連絡先が僕の携帯の中に追加されてしまった。なんだか以前の世界に状況が近づいてきているのは気のせいだろうか。


 一応お金を使うだけと約束はしたが油断はしないほうが良さそうだ。僕は彼女が鬼畜女ということを知っている。見た目はいいかもしれないが性格は最悪なのだ。もしかしたらこれから一緒に行動して、僕の新たな弱みを握ろうとしているのかもしれない。気をつけなければ。




 次の日の夜、僕はみぞれに街へと呼び出された。三十万円を使うとか言っていたが、その内訳については全然聞いていない。一体彼女はどんなことに使うつもりなのだろう。


「来たわねハジメ君」


 集合場所であるアーケードの中にある百貨店の入口前にたどり着くと、そこには彼女が腕を組んで立っていた。


「来ましたけど……パーッと使うって一体何をするんです?」


「そうね、私前からこの先にある焼肉食べ放題に行ってみたかったのよ」


 僕は彼女の言葉に軽く驚いた。


「え? 焼肉……ですか」


「何? 今更お金がもったいなくなっちゃった?」


「い、いえ……全然それは構わないですけど」


 僕たちは彼女に言われるがままアーケードの中を歩き二階部にあった焼肉店の中へと入った。


「じゃあこれとこれとこれと……」


 カルビにロース、タンにホルモン、テーブルの上には様々な部位の肉が並べられた。


「これ焼けてるわよハジメ君」


「え……あ、はい。ありがとうございます」


 彼女は皿から肉をひょいひょいと網へと乗せていき、いい感じに焼けたものをトングで僕の小皿へと乗せてくれた。どうやらその場にある肉を全て管理しないと気が済まないタイプのようだった。


「お会計は六一四0円になりまーす」


 僕は彼女と三十万円を使い切るために別に購入しておいた財布からお金を出した。もちろんその中にも三十万円を全額入れているわけではない。


 店から出た彼女は腹をさすりながら僕を待っていた。


「ふぅ、ご馳走様ハジメ君。たくさん食べたわね」


「そうですね」


「もうお腹がパンパンだわ」


 本当に焼肉を食べに来ただけだったらしい。僕達はそこからバスに乗りすぐに帰路へとついてしまった。


 彼女が先にバスを降りていったあと、先ほど受け取ったレシートを改めて見てみた。今日使ったお金は二人の焼肉食べ放題とドリンク代を合わせて六一四0円だった。ぶっ飛んだ彼女のことだからもっと無茶苦茶な使い方をすると思ったのだが、案外常識の範疇だったので少し拍子抜けしてしまった。もちろん以前の僕の感覚からするとかなり高い金額だが。


 しかし、これから一日平均五000円使うにしても三十万円を使い切るとすれば二ヶ月も掛ってしまう。というか学校があることだし、毎日彼女と行動するということもないだろう。だとすれば一日五000円も使うことはなさそうだ。僕は結構長い間彼女と過ごすことになるのかもしれない。




 火曜日の夕方、ホームルームが終わると彼女が僕の席へとやってきた。


「ハジメ君。今日もお願いできるかしら」


「あ……は、はい」


 お願いとはもちろんお金を使うことを言っているのだろう。僕は席を立ち、まるで金魚の糞のように彼女の後についていった。何だかその様子は周りから注目を浴びているように思えた。彼女は今回二人の関係を隠すつもりはないらしい。


 そこから僕らが向かったのはファミリーレストランだった。


「うん、おいしいわ。やはり私の目に狂いはなかったわね」


 彼女はアップルシナモンのパンケーキを注文してパクパクと口に運んでいる。


「お会計は一四二五円になります」


「今日もごちそうさま、ハジメ君」


「いえ」


 僕が注文した抹茶とあずきのパフェ、それに二人のドリンクバーを合わせても一五00円もいかなかった。


「奢ってもらうのはいいんだけれど、こんな毎日間食するのもマズいわね。きっと太ってしまうわ……」


 意外とそういうことを気にするのか。それを言い出したら更にお金の消費が鈍化してしまいそうだが。




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