第26話 入れ替わり②

「エレーヌ、大丈夫かい? 慣れない旅で疲れが出たんだよ。すぐに休むんだ」


 エレーヌと別れた後、フランシスカに滞在する間、エレーヌ達にあてがわれた部屋に入ると、すぐにアルフレッド様が近づいて来た。茶色の瞳を細め、心配そうにしながらも、当たり前のように腰を引き寄せられる。


「確かに、いつもよりも顔色が悪いようだ。モリー、すぐに医師の手配をフランシスカに申し出てくれ」

「大丈夫よ、アル。軽い眩暈よ。休めば治るから心配しないで」

 焦りながらも当たり障りのない返事を返す。不自然にならないように、やんわりとアルフレッド様の腕から抜け出そうとするが、中々、上手くいかない。


「軽く考えたらいけないよ、エレーヌ。油断は禁物だ。フランシスカの慣れない気候も関係しているのかも知れない。この国は暖かいと言うよりも暑いからね。身体が慣れないんだよ」

 顔を覗き込まれヒヤリと身体が強張った。

 甘い瞳を向けられている所を見ると、アルフレッド様は私をエレーヌだと疑ってはいないようだ。


 ……良かった。気づいていないみたい。


 ほっとしたのも束の間、いきなり身体が宙に浮いたかと思えば、抱き上げられ寝台へと運ばれた。

 横になると、額に手をあてられ熱があるか確認される。

「熱はないようだね。でも、エレーヌが心配だ。僕もここで付き添っているよ。夜の宴は出席しなければならないけど、昼の船の遊覧は、そこまで重要ではないようだからね」

 アルフレッド様の言葉に焦ってしまった。


 このままでは、抜け出せない。それでは、入れ替わった意味がない。

 慌てて起き上がると、寝台の端に腰掛けているアルフレッド様を見上げた。

 エレーヌ曰く、すごく困ったら最終手段を取れと言われた。それを必死で実践してみる。瞳を潤ませアルフレッド様を見上げれば、大抵の願いは聞いてくれると言っていた。


「アル、私を心配してくれるのは嬉しいわ。でも、王族としての責任を思い出して。それに、二人で昼の式典を欠席すると、他国から何かあったのかと下世話な憶測が飛ぶわ。ノエルのためにも、アルだけでも出席して欲しいの」

 初めて試す仕草に不安になるが、切羽詰ると人間なんとかなるらしい。エレーヌの言う通りアルフレッド様の動きが、ふいに止まった。


 ……止まったと言うか――えっ?


 気が付いたら、柔らかなリネンに背中を押し付けられていた。目の前には、アルフレッド様の梳けたような瞳と、その後には豪華な天蓋が見える。

 この状況は……危ない。

「あのね、アル……」

「わかったよ。式典には出てくるよ。それよりもエレーヌ……」

 熱い吐息まじりで名前を呼ばれると、これから何が起こるのか想像がついて、顔が強張った。


 無理だわ……。アンリの時は怖くなかったけど、いくらエレーヌの相手だと思っても気持ち悪い。震え出す指先を悟られないようにリネンを手繰り寄せる。

 何とかしなければと頭が警鐘を鳴らすが、ここで暴れれば、エレーヌではないとばれてしまう。

 どうしようかと迷っていると、アルフレッド様が覆いかぶさってきた。覚悟を決めようと目を瞑るとモリーの声がかけられた。


「アルフレッド様! お急ぎ下さい。皆様がお待ちです」

 ぴたりと止まったアルフレッド様は、残念そうに自らの髪をかき上げると、ため息を吐く。

「エレーヌ、残念だけどまた夜に。ゆっくりと休んでいて。なるべく早く戻るから」


 よ、良かった――。

 その言葉に安堵し肩の力を抜くと、不意打ちのように、唇に柔らかな口付けがふってきた。それは、軽いもので、アルフレッド様はすぐに私から離れていく。


「ゆっくり休んで。何かあったら、すぐに連絡すること。良いね」

 茫然としたまま「わかったわ」と呟くと、アルフレッド様は部屋を出て行った。

 何が起こったのか理解に苦しむ私に、モリーが声をかけて来たのはそれからすぐの事。

 あまりのショックで意識が飛んでいたらしい。


「ノエル様、お気を確かにお持ち下さい。でも、すぐにアルフレッド様の気が済んで良かったですわ。いつもなら、もっと時間がかかるのですが」

 モリーが私の世話をしてくれているようだが、まだ何が起こったか理解出来なかった。


「モリー。私、アルフレッド様にキスされたわ」

「……はい、存じております。ノエル様。エレーヌ様には内密に。知られると面倒なことになりますので」

 確かにモリーの言う通りだ。このことは秘密にしておこう。動揺は大きいけど、すべき目的を思い出し、寝台から起き上がった。

「モリー、もう少したら部屋に戻るわ。それからはお願いね」

 もうしばらくすると、一部を残して、皆が街へと向かうため王宮中が静かになるだろう。


「かしこまりました。部屋の外の護衛達には酒を振舞いましょう。一服盛りますので、その内にお戻り下さい」

 モリーの言葉に驚いたが、有能な侍女で本当に良かったと思う。これで動きやすい。


「ノエル様。……もう一度、私の目を見てお答え下さい。本当にノエル様に危険はありませんね? 必ずお戻りになりますね?」

 何度も同じことを聞かれるのは、それだけ不安なのだろう。

「ええ、必ず戻るわ。だから安心して。エレーヌのことや、後のことはお願いね」

 私が戻れなかった時の、最悪な事態も想定してモリーに抱き付く。

「……嫌ですよ。我が儘なエレーヌ様はノエル様がいないと困ります。必ずお戻り下さいませ」

 目を潤ませ、何度も必ずと呟くモリーの言葉を胸に刻んだ。

 忘れないように。また、戻って来れるようにと。

「行くわ……。お願い、モリー」

 私の言葉に、力強く頷いたモリーが部屋の外へと向かった。


 静かな回廊をドレスの裾を少し持ち上げて、ひたすら走った。

 護衛が眠るのを待っていると、思ったよりも時間がかかった。急がないとエレーヌ達が船に乗ってしまう。

 予定では、街へは馬車で行き、国民の声に応えながら街を周る。神殿での儀式の後に船で遊覧と聞いた。


 移動している間、人の足音や話し声が聞こえてくると、近くの柱や物陰に隠れたりして、何とかやり過ごして部屋を目指す。

 息を切らしながら、自室付近を柱の影から伺うと、護衛の姿も侍女の姿もない。


 良かった。誰もいない。私が中にいないから護衛の必要はないものね。それに、ここは王宮の奥まった場所。不審者もそう簡単に近づけないだろう。

 辺りをもう一度見渡す。誰もいないことを確認すると扉へと近付き中へと入った。中に入ると侍女の姿もなく人の気配もない。


「皆、式典へ向かったのね。今の内に……」

 急ぐように向かった先は、窓際に置かれているハープの元。

 いつもと変わらず、柔らかな太陽の光を浴びて、真っ白なハープが黄金色に輝いて見えた。


「……久しぶりね。ごめんね。せっかく綺麗なのに……壊しちゃうわ」

 傍に寄ると支柱を撫でる。近くにあった籐で出来た椅子を引き寄せ腰を下ろした。

 足を軽く開き右肩に傾け抱き抱える。久しぶりに抱えるハープの重みに、知らず知らずの内に笑みが零れた。

 はやる気持ちを抑え、大きく深呼吸をすると久しぶりに弦に触れた。一本の弦を力強くはじくと、身体に微かな振動が沸き起こる。

 ハープの共鳴胴が嬉しそうに声を上げて、美しい音が室内に響いた。だが、これが本来の音源ではないことを私は知っていた。


「ありがとう。あの日からずっと守ってくれて。ごめんね……」

 何度もハープに謝罪を繰り返すと、両手を弦に置き、ゆっくりと弦を弾く。

 それは、必要な数本の弦のみを弾き音を響かせる。低い音源を巧みに操り、ハープに命を与えて心で奏でる。

 これが最後だと――――。


「っ……」


 いきなり弦が一本切れると、それに呼応するように、四十七本すべての弦が次々と外れ床へと散らばった。

 それを確認すると立ち上がり、上部の支柱に近い金色の弦を引きちぎる。

 そして屈みこみ、ハープ全体を支えている台座と呼ばれる部分に手を伸ばし、同じように一本の金色の弦を引きちぎった。

 すると、支柱が支えを失い揺れ始める。

 それを支え少しずつ分解していく。やがて、台座、支柱、共鳴胴、ネックと呼ばれる曲線の部分を外し終えた。

 思ったよりも体力を使い息が上がる。


「早くしないと……」


 焦るように共鳴胴の中を覗き込んだ。

 そこには、この世の物とは思えない真っ黒な弓が現れた。所々に黒曜石が輝き、鉄や動物の皮、白樺の皮などが使われている。

 自分の背丈と同じ長さの弓本体を引きずり出すと、次は支柱から弓に張る黒い弦を取り出した。

 そして、昔ユーリに教えられた通りに弦を張り固定していく。すべてが終わると、最後に矢筒と矢を取り出す。

 矢は固い木で出来ており、先端には鉄の鏃を取り付けた。


「矢は三本……失敗は許されない」

 自分に言い聞かせるように立ち上がり、部屋の中に視線を巡らせた。

 視線がいったのは、この国独特のオリーブの絵が描かれた真っ白な陶磁器で造られた花瓶。

 それを近くにあった布に包むと、思いっきり振り上げ床に叩き落した。

 ガシャン――と鈍い音を立て花瓶が割れた。しばらく様子を伺ったが、誰かが来る気配はない。

 破片を掴むと、ぎゅっと右手で強く握る。ポタポタと血が滴り落ちた。そのまま弓の傍まで行くと滴っている血を弓へと垂らした。


「これで大丈夫かしら……。お願い私に力を貸して。ユーリを救ってジェイドを倒す力を与えて」

 祈るように見守るが弓は反応を示さない。

「時間がかかるのかしら? ジェイドは私の血が必要と言っていたのに」

 ここで考えていても答えなど出ない。

 今は急がなくては。ジェイドが、私に扮したエレーヌを攫う前に決着をつける。

 血を流した手を布地で固く縛り、革で出来た矢筒を腰に撒きつけると矢を入れる。

 身に着けているドレスは、町娘なら普段着と言える、こげ茶色の何の飾り気もない質素なドレス。

 それにマントを被り、弓を近くにある黒い布地に包んだ。身長ほどある長弓を大事に抱えると庭へと出た。


 人がいないのを確認すると一気に走り抜けた。行き先はフィルと街へ行った時に案内された洞窟。


「ゴンドラがあれば良いけど……」

 数ある不安を胸に森を駆け抜け洞窟へと向かう。すると、ピーと言う独特な泣き声が耳に届いた。

「この声は……早すぎる」

 下唇を噛み辺りを見回す。

 弓を布から取り出し、いつでも狙えるように矢筒から矢を取り出すと、弦にあて様子を伺った。

 そんな私の姿を待ち構えていたかのように、バサリ――と目の前の木の枝に、赤い目をした鷹が姿を現した。


「……ユーリは、ジェイドは何処!」

 声を張り上げ、左足を前に出し身体を安定させる。弓を構えると、弦を引き鷹に狙いを定める。

 顔の近くまで引くと、キリキリと弦がしなり緊張感が増した。

「ジェイドいるなら姿を見せて! 早くしないと矢を放つわ!」

 いくら怒鳴っても鷹は動じず、しばらく経っても森は静まり返ったまま。風がザワザワと音を成し、葉が笑っているように聞こえた。


 ――――勇ましい姫君だ。泣いていたあの頃とは随分と違う。

「な……に?」

 頭に直接響いた知らない声に眩暈が起こる。

 ふらつきながらも弦と矢を、ゆっくりと戻した。

「な……に? この声」

 地面に膝を付くと、声の主であろう鷹を見据えた。


――おや? 止めるのか? 射るのではなかったのかな。

 笑われているとわかってはいたが、頭に響く声がうるさくて、集中出来ず弦を引けない。

「ユーリを元に戻して! 弓はあげるから……ユーリを返して」

 苦しげに呼吸を繰り返し、鷹に向かって叫ぶと、さも愉快だと言うように、鷹のピーという声が森に響く。


――もう無理だ。ユーリは消える。あの体はジェイドへと生まれ変わる。姫君が持っている弓の力を借りて。

「あなたを射抜いてユーリを取り戻すわ」

 苦痛をおさえ、立ち上がり弓を構える。


 ――あまりにも無知だ。その弓は、ジェイドが使ってこそ力が発揮される。それに……いくら姫君が弓の名手でも、私は射抜かれるほど鈍くはない。

「ユーリが教えてくれたわ……弓で鷹を倒せると」

 鷹の赤い瞳が更に赤く、そして黒くなったような気がした。

「やってみなければわからないわ。ユーリに鍛えられたもの。あなたを射抜いて必ずユーリを助け出す!」

 ユーリは弓の名手だった。よく朝から狩りへと出かけ、日が暮れる頃には獲物を両手いっぱいに持ち帰る日が続いた。

 そのユーリに習い、私もいつしか、弓の腕前はそこらへんの騎士達より上になった。

 だから自信はある。


「今、ここで終わらせる」

 一呼吸置きまた弦を引く。呼吸に合わせ風をよむ。

 大丈夫……必ず上手くいく。飛び立って逃げても、この長弓ならば飛距離も問題ない。

 今だ――――。


 ――今、射抜けば妹は死ぬぞ。ジェイドは妹の所だ。ユーリが何を伝えたかは知らないが、私とジェイドは繋がっている。その意味がわかるか?

 その意味を瞬時に理解し、矢を放とうとしたが思い留まる。射抜けないことにが悔しくて歯を食いしばると、血の味が口内に広がった。

 ――姫達が入れ替わることは予測していた。我々は二手に分かれ様子を伺うことにした。正解だったようだ。

 こちらの行動を読まれていた? どこまでも、この鷹は私の邪魔をする。


 ――今、ジェイドはエレーヌの傍にいるぞ。さあ、大人しく一緒に来い。そしたら妹は助けてやる。

 弦を引いている腕が痺れて辛くなる。ただでさえ力のいる長弓だ。引く力は他の弓の倍はかかる。この姿勢を意地するにも限界だ。

 でも、ここで、あきらめるとすべてがなくなる。協力してくれたモリーも、身代わりになってくれているエレーヌにも会えなくなる。

 必ず帰ると約束したのに――ユーリとの約束も守れなくなる。


『私は救わなくても良い。弓に血を垂らしたら鷹を射抜け。必ず仕留めろ。それが私の幸せだ』


 ユーリに言われた最後の言葉。

 自分のことは良いからと……。一番辛いことを頼んですまないと耳元で囁かれた。

 ……もうユーリを解放してあげて。

「――迷わない」

 目の前の鷹を仕留める。

 エレーヌなら問題ない。あの子は大丈夫。傍にアンリがいるから。守ってくれる。アンリならきっと――。


 鷹を視界に入れると、迷いを吹っ切るように更に弦を限界まで引く。風が止まると、その隙を逃さないうちにと矢を放った。


 放った矢は、空気を切り裂き、鷹を目掛けて放たれた矢は、獲物を仕留めることなく、無常にも木の幹へと鋭い音を立てて突き刺ささった。


 ――交渉決裂だ。姫の目の前に妹を連れて来よう。その時に後悔するが良い。

 鷹がバサリと羽を広げ飛び立つと、あっという間に姿を消した。


「そんな……外した。ごめんなさい、ユーリ」

 両膝を付き項垂れるが、エレーヌを思い出す。頬を濡らす涙を手で乱暴に払うと、弓を拾い洞窟へと急いだ。


 エレーヌには手出しさせない。絶対に――。

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