第23話 仮面舞踏会

 ――――ノエル


 誰かが私を呼んでいる。誰だろう? 泣いている……どうして泣くの? この声は――確か――――。


 その声に導かれるように重い瞼をあけた。

 最初に目に入ったのは、寝ている私に覆いかぶさるように顔を覗きこんでいる、自分にそっくりなエレーヌの泣き顔。


「……エレーヌ、なぜ……泣いているの?」

 声がかすれて上手く話せない。話すのも億劫なのは何故だろう? 何があったかしら……。


「ノエル! 良かった……心配したのよ。朝一番にフランシスカに着いたら、ノエルが倒れたって聞いて。ずっと起きないから皆、心配したのよ!」

 声を上げて泣き出したエレーヌに目を丸くする。

 ……そうだ。気を失ったんだ。……起きたばかりでエレーヌの泣き声は、はっきり言って迷惑だけど。


「エレーヌ、泣くなら部屋から出なさい。ノエルと話をしなければならない」

 泣いているエレーヌを無理やり私から引き離したのは、久しぶりに顔を合わせるお兄様だった。


「ノエル、大丈夫か? 気分はどうだ……」

 お兄様は緊張しているのか表情が固い。まだ、あの時、言い争ったのを気にしているようだ。その後にはブランカ様の姿も見えた。

「……大丈夫。ただの貧血だと思うから。もう少し眠れば回復すると思う。だから、心配しなくても大丈夫です」

 口調が固くなるのは、私も居心地が悪いせいだろう。

 早くどこかへ行って欲しかった。あの時のように言い争いはしたくない。

 お兄様の視線を避けるように顔を逸らした。


「ノエル……」

 お兄様の寂し気な声が聞こえ、罪悪感が沸き起こるが何も言えなかった。

 明日、私はここにいない。最後まで、お兄様と言い争いたくない。会えただけで十分だから、このままお別れしたかった。


「ノエル。話を聞いてくれないか? 少しでも良いから聞いて欲しいんだ」

「ノエル……。お願い、お兄様の話を聞いてあげて。お願いよ、ノエル」

 お兄様に続き、エレーヌまでもが私に話を聞けと訴える。

「……頭が痛いの。話なら明日にして。明日なら聞くから……」

 頭が痛いなんて嘘だ。それに明日なんてない。……いなくなるくせに、どこまで私は情けないのだろう。

 何を言われるのか恐れて、怖くて話を聞けない。また、お金の話をされたら、自分が人質だと再確認させらる。それは、もう嫌だから。


「……ノエル、どうして? 私のことを嫌いになったの? どうして、目を合わせてくれないの? ノエル」

 泣きじゃくり始めたエレーヌの声も聞きたくなくて背を向ける。耳を塞ぐように丸くなり目を閉じた。こらえきれない涙が頬を伝う。

「エレーヌ、ノエルを休ませよう。おいで……」

 私の頑なな態度に、あきらめたようにお兄様がエレーヌを連れて部屋を出る音が聞こえた。

「……っ」

 声を押し殺して泣くのは、どうしてこんなにも辛いのだろう。昔は耐えられたのに、感情が溢れ出す。


「……そんなに泣くなら話を聞けば良いのに」

 ギシリ――と寝台が軋む音が聞こえ、誰かが端に腰掛ける気配を感じた。

 誰もいなくなったと思っていたのに、その人は、私の髪を優しく撫でる。

「……フィル」

 驚いて顔を上げると、少し怒っているのか眉間に皺を寄せているフィルが、私を見つめていた。

「あっ……」

 思わず手を払いのけ急いで起き上がる。フィルとは反対側、寝台の端まで後ずさる。


「何で逃げるの?」

 夜着を隠すようにリネンを引っ張り上げると、顔を伏せた。

「ノエル……何で逃げるの?」

 まさかフィルが会いに来てくれるなんて思わなかった。

 聞きたいことは山ほどあった。だけど、明日、私はいなくなる……。そのことがフィルとの間に壁を作る。

 もう、関わらない方が良い。これ以上惹かれても報われはしないのだから。お互い辛いだけだから。


「ノエル、何があったのか教えて欲しい。未だにシシィが目覚めない。理由を知っているなら教えて欲しい?」

 私の態度に困ったような、寂しそうな表情で優しく私に問いかける。そのフィルの言葉に、身体が強張るが、顔を上げてフィルを見つめた。

「シシィは目覚めないの?」

「……ああ、何も反応をしない。どんな薬を煎じて飲ませても効果はない。今、アイーシャ様が診て下さっている。初めて見る症状だと困惑しているよ。ノエルは気絶しているだけだから、すぐに目覚めるとアイーシャ様が判断した。君が目覚めるのを皆が待っていた」

 アイーシャ様が……。


「ノエル。話してくれないか? 何を隠しているんだ? 力になるから。昨日の夜、シシィと二人でいる時に何があった?」

 言えない。本当のことは何も言えない。

「……何もないわ。ただ貧血で倒れただけよ。ただそれだけ」

 同じ質問を繰り返されるが貧血だと言い張った。そんな嘘はとっくに見抜かれているのに。

 シシィが目覚めない不思議さも手伝って、フィルの顔つきが徐々に強張り表情をなくしていく。

 一向に真実を伝えない私と、根気よく聞き出そうとするフィルの間に沈黙が落ちた。


 いくら問われても何も語れない。「わからない」と言う度に、フィルの顔つきが険しくなるのも、悲しい顔をするのも、もう見たくなかった。

 ここで終わりにしないと。

 ぎゅっと唇を噛むと顔を上げた。目の前にいるフィルは、私を助けてくれた天使様。あの時と同じように優しい瞳で私を見つめ返してくれる。


「もう、フィルに、アンリに会いたくないわ。だって、よく考えると気持ち悪いもの。昼と夜で髪と瞳の色が変わるなんて。普通の人間じゃないわ」

 我ながら酷いと思う。傷つけたくないのに、自分から遠ざけるために、わざと傷を付けるなんて。でも、誰も巻き込みたくないから遠ざけるしかない。


「ノエル……」

「フィルの傍にいたくない。だから出て行って。顔も見たくないの」

 声が震えないように、嘘だとバレないようになるべく大声で睨み付けた。

 次の瞬間、フィルが悲しそうに笑った。その笑顔がユーリと重なって、胸が抉られるように痛い。


 傷つけた――傷つけてしまった。助けてくれる天使の手を自ら手放してしまった。

 フィルが私から目を逸らすと立ち上がり、部屋を出て行こうとする。胸が痛くて、泣きそうな姿を悟られないように顔を伏せた。

 すると近くで、ふわりと潮の匂いが鼻腔に届く。気が付いた時にはフィルに抱きしめられていた。私を包み込む逞しい身体も、優しく髪を撫でてくれる手も、何もかもが愛おしい。


「……愛しているよ、ノエル」

 顔を伏せたままの私の耳元で囁かれた、切ない吐息とぬくもりは、すぐに消え去る。

 去って行く足音を聞きながら何度も心の中で「ごめんなさい」と謝罪を繰り返す。

 どれだけ願っても、どれだけ頑張っても、手に入ることのない温もりに一人涙を流した。



 フィルが去ると静けさが戻って来た。ぼんやりと外を眺める。

「ユーリ。ごめんなさい。あなたの言う通りにするしか、道はないのかも知れない。でも……あなたを一人には決して……しないわ」

 考え抜いた決断に静かに息を吐いた。

 これで、すべての悪夢を断ち切ってしまおうと。


「ちょっと――!」

 上手くいくようにと祈っていると、扉が壊れるのではないかと思うほどの大きな音を立て、派手なドレスの裾を捌き、怒りを露にしたシーラが入って来る。

 その後からは、顔が強張っているシャルワ様の姿。


「ねえ、どうして姉様が起きないの? あなた何か知っているんでしょ? 教えて。お願いよ」

 先日見た、気丈で高飛車なシーラとは違い、弱々しく泣き腫らした目をしながら 私の前に立った。そのシーラの隣には、苦渋の表情で私を見るシャルワ様が並んだ。


「アイーシャ様の治癒技術を持ってしてもシシィは目覚めない。何があったか教えてくれないか? 目覚めさせる治療法をノエル様は知っているのだろう?」

 シシィを助けようと必死なシャルワ様は、私の心配など何もしていない。

 やっぱりシシィが大事なのね……。私を最初から見ていなかったんだ。

「私の心配はなさらないのですね。妃になる私よりシシィの方が大切ですか?」

 私がそう言うと、失態に気付いたシャルワが私から目を逸らす。

「……わかっていました。私が、お金の代わりにフランシスカにいることも、誰からも必要とされていないこともわかっています」

 悲しみを堪え無理やり笑うと、シャルワ様が、焦ったように何かを言いかけようとするが、シーラをチラリと見て黙り込んでしまう。


「やはり私は周りを不幸にするのですね。多くを望んだ訳ではないのに、少しの幸せで良かったのに、それさえも許されなかった」

 二人に聞かせたい訳ではない。自分に言い聞かせているだけだ。また、心を閉じれば良いと。微かな希望さえ心の奥に押し込み、全て忘れたら良いと。


「……シャルワ様。シシィは明日、必ず目覚めます」

 私を優しく見守ってくれたシシィだけは必ず助ける。

「何を言っているの……? さっきから、あなたは何を言っているの? シャルワ様って……」

 怪訝な声はシーラからで、私とシャルワ様の顔を交互に見ている。


「――下がりなさい、二人共。私がノエル様と話します。これは命令です」

 シーラが何を驚いているのか聞きたかった。

 だけど、それを遮るかのようにアイーシャ様が姿を見せた。シーラがアイーシャ様に何かを伝えようと口を開くが、シャルワ様に遮られる。


「行きなさい……。あとは私がノエル様と話します」

 シャルワ様とシーラが言われた通り部屋から出ると、アイーシャ様が私のいる寝台へと近寄ると、端に腰掛けた。


「何を悩んでいるの? シシィの報告では、あなたはフィル……アンリね。あの子の夜の姿を見てから、少しづつ心を開いてくれたと喜んでいたわ」

 てっきり、シシィが目覚めない理由を聞かれるのかと思って身構えていたが、違う話に身体の強張りが少し解ける。

「アンリは、あなたに会えない数日間、四六時中イライラして周りを困らせていましたよ。あの子があんなに感情を露にするのは、ノエル様と初めて会った時以来ね」

 私と……初めて会った時。それって、囚われていた時に助けてくれた、あの時?

 思わず顔を上げると、アイーシャ様の顔が綻んだ。

「アンリは、ずっとノエル様を気にしていたの。毎月かかさずアゲートに書簡と一緒にノエル様の様子を必ず聞いていて、お兄様のフィリップ様を困らせていたわ」

 くすくすと笑うアイーシャ様は、目を丸くして驚いている私を面白そうに見ている。


 アンリが……私の様子をお兄様に?

 初めて聞く話に鼓動が高まる。

 知りたいようで、知ってしまうと、また閉じ込めた気持ちが溢れ出してしまいそうで、話を聞くのを躊躇してしまう。

 そんな私の気持ちを知っているのか、知らないのかアイーシャ様が先を続けた。


「フィリップ様は、アンリが、あまりにもノエル様のことばかり聞くものだから、嫌になったのか、近況は一切書かずに絵を一枚送ってきたの」

「絵ですか……」

 誰かに描いて貰った覚えはなかった。人前に出ることが極端に少なくなり、近しい者しか傍に置かなかった。

 勿論、画家も寄せ付けなかった。いつ描いた肖像画なのだろう?


「フィリップ様がノエル様に内緒で描かせたと伺っております。庭の木の傍で寛いでいる絵でしたの」

 ……庭で? 確かに庭には何度か出ているが、全く気が付かなかった。

「送られてきたのは、その一枚だけでしたが、アンリは今でも大切にしています。必ずノエル様を迎えに行くからと私達に宣言したのも、この頃でしたわ」

「アンリが必ず……迎えに?」

 嘘でも嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて涙が溢れる。


「ええ。だから、あなたをシャルワの妃にと招いたの」

「どうして、アンリではなくシャルワ様の妃なのですか?」

 そう言うと、アイーシャ様が驚いたように目を見開き、私の全身に視線を這わせる。


「……アンリは、あの不思議な容姿でしょう? 疎ましく思う一部の貴族達がアンリの体質に、ことある事に難癖をつけていた時期があったの。そんな思いを愛する人に、させたくないと」

 ズキリと――胸が痛い。さっき、私がアンリにした事そのものだったから。

「幼い頃、あの子が一人の時を狙っては、嫌味な連中がアンリを攻撃していました。そのせいで、あの子は年頃になると人前では、仮面と帽子を身に着けるようになりました」

 確かに、夜になると変化するあの容姿は目立つ。今までのアンリの苦しみを思い私までも悲しくなる。


「ノエル様はお優しい方だわ。アンリは言っていたわ。あなたが初めてだったと。あの容姿で驚きもせずに純粋に微笑んでくれたのは……ノエル様だけだったと」

「そんな……こと。ただ、私は天使に出会えたのかと思いました。綺麗な、とても優しい、助け出してくれた私だけの天使様……」

 ……堪えきれない。言ってはいけないと自らを抑えようとするが、あの時の気持ちが蘇る。

 アンリが想ってくれたように、私も、あの時から恋をしていたのかも知れない。


「好きなのです……。アンリが好きなのです」

 耐えることが出来なかった。

 言ってはいけないと固く戒めた誓いは、最も知られてはいけない人の前で吐き出された。

 シャルワ様ではなく、アンリが好きだと伝えてしまった。

 一生、心に仕舞いこんだままにしようと固く誓ったのに、呆気なく破ってしまった。


 アイーシャ様の目を逸らさずに反応を待つが、私をじっと見つめたまま何も言わない。

 長い時間に思えた。

 何と思われるか。シャルワ様を見ないで、アンリを想った罪で罰せられるかも知れない。でも、何を言われても従う覚悟だった。


「もう、自分の心を憚ることは出来ません。私を妃にと言って下さったことは大変、光栄ですが、お断りさせて下さいませ」

 寝台の上で両手を付き深々と頭を下げる。

 その間も、アイーシャ様は指一本動かさず、私をじっと見ていた。

 沈黙が怖かった。部屋の外から聞こえる何気ない小さな音もよく響く。王太子の側近に恋をしたなど、あってはならないことだ。


「……もし希望が叶ったのならノエル様はどうなさるのですか? アンリと一緒になりますか?」

 静かな問いかけは感情が伺えない。問いかけられた答えを探し、ぎゅっとリネンを掴む。

 ……それは出来ないだろう。アンリの立場もある。何より、アンリが頷くかも、わからないのだから。


「……いいえ。アゲートに帰り、資金の豊富な他国か貴族の元へと降嫁致します。フランシスカから借りた、ご恩をお返しするために、なるべく高く私を受け入れてくれる場所を探します」

 フランシスカからお兄様が借りたお金は返さなくてはならない。そのためなら、どんな条件でも受け入れるつもりだ。

 何番目の側室でも構わない。想いは、ここに置いていけば良いのだから。

「……わかりました。シャルワとの婚姻は考え直しましょう。ただ、仮面舞踏会が終わるまでは、あなたは、まだシャルワの妃候補です。国民の前での顔見せも予定通り行います」

 顔見せも予定通り……? いなくなる私をどうして国民の前に出すのかわからなかった。

 よほど不思議な顔をしていたのかアイーシャ様が苦笑する。


「今更、予定は変えられません。国中がお祭り騒ぎで、他国からも人が大勢訪れています。ここで予定を変更すると変な憶測が飛び交います。それは避けなくてはなりません」

 強い意志の篭った瞳を向けられると、頷くしかなかった。


「終わったら、もう一度話し合いましょう。ノエル様がアンリを好きなのはわかりましたから、それで十分です」

 怒らないのだろうか? ふしだらだと罵倒しないのだろうか?……。

 アイーシャ様の対応に困惑を隠せない。


「不思議そうな顔ね。アンリが苦労しているのを見ていましたから。だから、ノエル様の話を聞けて良かった。私の大おばあさまが喜んでいるわ」

 どうして、アイーシャ様のご先祖様が喜ぶのだろうか。意味がわからなかった。

「私の大おばあさまの妹姫もアンリと同じ容姿だったから苦労したと聞いています。いつも聞かされていたから。だから……」

 そこで、ハッとしたように口元に手をあて曖昧に微笑まれる。そんなことをされると、それ以上何も聞けない。


「ノエル様。仮面舞踏会が終わるまでは一人で行動は謹んで下さい。良いですね……。それが終われば、きっと楽しいことがあります。悪いことの後には必ず良いことがあるわ。困った時は人に頼りなさい」


 本当に、幸せが訪れれば良い。そうなれば良いと心から願った。

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