第22話 前夜祭②
「ひどい雨だ。……ユーリがノエルに会いたいと願う時は、いつも雨だ」
シシィに手を掴まれたまま、怯えている私を見ながら、鷹がいる長椅子へとジェイドが優雅に腰かけた。
「どうして……」
必死に言声を絞り出そうとするが、震えてしまい言葉にならない。
しかもシシィが人質にとられ、操られている状況では、どうやってこの場を切り抜ければ良いのか、打開策が見つからない。
扉の向こうにいる護衛に知らせたいが、叫び声を上げれば、シシィが傷つけられる可能性がある。うかつには動けない。
「ノエル。顔色が悪いみたいだ。ああ、その侍女のことかな? ノエルが素直になるまで元には戻らないよ。操られたまま感情を失くし、自分の意志で動くことも出来ないだろう。一生、そのままだ」
淡々と話すジェイドに怒りが沸いてくる。じわりと溢れ出す涙を我慢しながらジェイドを見つめた。
「……酷い。すぐに操るのを止めて!」
私だけならまだしも、何の関わり合いもないシシィを操るなんて許せなかった。
「ノエルが素直になれば、すぐに解くよ。ああ、それと、扉の外に居る護衛と、この近くに居る兵士達は眠らせてあるから叫んでも無駄だよ」
無邪気な笑みを浮かべるジェイドは、私の反応を楽しんでいるように思える。
「どうして、ここまでするの? 私は必要ないでしょう……。弓なら、弓ならもう、あげるわ。だから、もう私を解放してよ」
懇願するように搾り出した声は悲鳴のようで、私の叫びに呼応するように、冷たい風が室内に吹き込んできた。
「弓だけじゃだめなんだ。あの弓はユーリの意志で力が宿る。契約したのはユーリだからね。だから、ユーリと君が必要なんだ」
忌々しげに眉間に皺を寄せたジェイドは、鋭い視線を私に向ける。
「ユーリは消えたわ。あなたに身体を乗っ取られてから二回しか会えなかった……。最後は、どんなに助けを求めても、あなたのままだった!」
「俺の疲れている時を狙って出てきた二回だけだろ。その後は、もう必要ないと思ったから閉じ込めた。なのに……あいつは俺が寝ている間に余計なことをした」
余計なこと? ユーリは一体何をしたのだろう? ジェイドを消すために何かしたのだろうか?
「あいつは弓の力を使えないようにしたんだ。血の契約を勝手に書き換えた」
憎々しげに吐き捨てると、横にいる鷹が喉を鳴らす。
「ノエルは、ユーリのことをどこまで聞いている?」
「……どういう意味?」
ジェイドが何を聞きたいのか分からなかった。
でも、ユーリのことならある程度は教えて貰った。生まれた場所や、どうやって生きてきたか。誰を……愛したのかも。
「知っているわ。ユーリのことなら何でも……ユーリが争いを始めた理由も全部」
「全部か。それほど、お前は……愛していたのか」
驚いてしまった。
ジェイドが切なそうな顔をしながら、苦しげに愛などと言うから。
でも、ジェイドは一つ間違っている。ユーリは私を愛してなどいない。私に重ねていたのだ。唯一愛した最愛の女性の姿を……。
そして、私もそんなユーリを愛してしまった。たとえ、私を見ていなくとも、傍にいるだけで良かったから。
それだけで、私は幸せだった。
ユーリが他国を攻め落としたのには理由があった。
結婚直前に愛した女性を失った悲しみと、その女性の願いから起した行動だと知る人間は、もう私しか居ないだろう。
ジェイドがどこまで把握しているのかはわからないが、ユーリを想って重い口を開いた。
「ユーリの愛した女性は、結婚前夜に行われた晩餐会で殺害されたわ。犯人は、その時、大陸一の力を持っていた軍事大国だった。ユーリは復讐のために、その国を亡ぼすためだけに力を必要とした。全てを手に入れるために、支配下においた国から人質を取った」
「……ユーリは、その頃有名だったらしいな。この大陸を支配し、平和へと導く若き英雄と呼ばれていたとか」
ジェイドは、どうしてこんな話をするのだろうか。目的がはっきりしない。時間がかかれば、誰かに見つかる危険性があるのに。
「……そうよ。ユーリの名声と人気に危機感を覚えた大国が、晩餐会を利用してユーリの婚約者を人質として捕らえようとして、誤って殺害したと聞いているわ」
「お前は、アゲートは運がなかったな。あの頃のユーリは非情だった。最愛の女性の仇を取るためには、誰が死のうとも、誰が苦しもうと何も感じない、冷酷で非情な王へと変わっていたからな」
ジェイドの言う通り、アゲートは運がなかった。
アゲートは、その大国とは関わりがなかった。ただ、アゲートの隣国が、その大国と同盟を組んでいたために火種が飛び火したのだ。
隣国の王族が、アゲートの領地へと逃げ込み姿を消した。それを知ったユーリが、アゲートが匿ったと誤解し攻めたのだ。
ユーリがその事実を知ったのは、私が人質として囚われた三カ月後のこと。
「ユーリと初めて会った時、殺されるかと思ったわ。でも違った……。悲しそうな顔をして、何も言わずに私の傍にいてくれるようになった」
時間が許す限り、少しの時間でも会いに来てくれた。そして、会う度に苦しそうな顔をされて、一定の距離を保って少しずつ話をするようになった。
距離が近付くにつれ、ユーリに惹かれていくのに時間はかからなかった。
何て強く、そして、脆い人なんだと……。
両親を殺し、国を壊した人を、愛しいと思う自分に苦しんだ。気のせいだと自分に言い聞かせても、想いは消えず募るばかり。
「似ていたそうだな。お前とユーリの婚約者は」
「ええ。一度だけ、無理やり肖像画を見せて貰ったことがあるわ。二人が幸せそうに微笑んでいたわ」
それを見て悲しくなったのを覚えている。私に優しくしてくれたのも、ユーリが愛した人に、私が似ていたからなのだと。
栗色の髪も、青い瞳も、そして、ふとした仕草も似ていると言われた。
「目的を達したユーリは、その後……弓を求めたわ。平和を求め、二度と自分の大切な物に手出しをさせないように力を求めた」
どこから聞いてきたのか、いきなり弓の話をされた。
ユーリは興奮しながら熱く語り、それからは弓だけを求め始めた。世界を統一する力を持つ不思議な伝承を信じて。
「ユーリは平和を望んでいたわ。その女性の口癖だったと言う、安息の地を探していただけだったのに……なのに」
その先は言葉にならなかった。
弓を手に入れたユーリがジェイドに変わったのは、それからまもなくの事。
最初は言動が可笑しくなり、いつの間にか、赤い目をした鷹を傍に置くようになった。
「俺が生まれたか……。ユーリの負の感情を利用して入れ替わったんだ。俺は代々、その弓と共に生きる番人だ」
初めて聞いた。いつもは、ここまで饒舌ではないのに。そんなジェイドの姿に驚きを隠せない。
「代々、弓の持ち主の身体を乗っ取り、代わりに世界を治めるのが目的だ。それが、ある日、ユーリがいつの間にか身体を動かして弓と再契約をしていた」
「再契約?」
もしかしたら、ユーリを救える手立てがあるのかも知れない。少しでも可能性があるあるなら、それに縋りたかった。
「血だ。あの弓は持ち主の血によって契約される。……ユーリは、俺が寝ている間に再契約をした」
ジェイドが長椅子から立ち上がると、私の元へと近づいて来る。
逃げようと後づさるが、今まで動かなかったシシィが、私の手を離さない。
「……ノエルの血が必要になったんだ。ノエルわかってくれるね? 一緒に来るんだ。弓を早く持って来い!」
ジェイドが私の頬に触れると、顎を掴み無理やり上を向かせた。
「嫌よ。行きたくない。ユーリに会えないのなら、私はあなたと一緒には行かない!」
迷いがなかったとは言えない。でも、その時、アンリの顔が浮かんだから。
「ノエル……。今の状況をわかって言っているのか? 人質は後の侍女とユーリ。そして、明日訪れる妹のエレーヌだ。もう一度だけ聞く、同じ答えを言えば、まず侍女を庭の水の中に沈める」
血の気が引いた。
冗談ではないだろう。この男なら、そのくらい平気で実行する。無慈悲なくらい簡単に。
でも、行きたくない……。行きたくない。どんな扱いを受けるかはわかっているから。今度は助けてくれる人はいない。
だけど……誰も不幸になって欲しくない。
「……わかったわ。ただし条件があるの。一日待って。最後に……お兄様とエレーヌに会わせて」
目を閉じると、あきらめたように最後の願いを口にする。
「まあ、良いだろう。最後だからな。明日は楽しむと良い。確か、ノエル達のお披露目があったよね? その時に攫いにいくよ。感動的だろ?」
私の答えに、ジェイドが嬉しそうに手を離した。
確か、シシィが説明してくれた。仮面舞踏会の日に、私とシャルワ様が船に乗り国民に披露する場があると。
そこまで詳しくジェイドが知っているなんて思わなかった。
「そ、そんなことをしなくても、私は、あなたの元へ行くわ。だから、皆に恐怖を与えないで」
この男が生きていると、死んだと思っていた男が目の前に現れると、国中が恐怖に慄くだろう。
「その方が、都合が良いだろう? ノエルが消えたら皆が心配して行方を追って来る。なら、俺に攫われたと知った方があきらめるかも知れない。ノエル一人で俺がいなくなる。皆、喜んでノエルを差し出す。ああ、別に追って来ても構わないんだよ?」
相変わらず嘘つきだ。行方を追えない様に、証拠など残さないように、完璧に逃げる手はずを整えているだろう。
でも、それも一理あるかも知れない。お兄様もブランカ様が傍にいる。エレーヌもアルフレッド様がいる。
私がいなくなったら、最初は驚き悲しんでくれるかも知れない。だけど、月日が経つにつれ忘れるはずだ。時間が残酷に時を刻むことを知っているから。
それに、ここにいても、私はシャルワ様と結婚しなければならない。アンリとではないのだから……。なら、何処にいても同じかも知れない。
チクリと突き刺すような胸の痛みで、想いが溢れてくる。だが、何とかそれを押し戻すように息を吐いた。
「もう一つお願いがあるの……」
「何だ? 今は機嫌が良いから叶えてやる」
ここまで機嫌が良いのは、もうすぐ手に入るからだろうか? 私と弓が……なら最後に。
「……最後に、もう一度だけユーリに会わせて」
消え入りそうな声でジェイドを見つめた。
しばらくの間、息苦しいほどの沈黙が部屋中を支配する。その間、シシィは私の手を握ったままピクリとも動かない。
「良いだろう。少し時間をやろう。話すと良い。だが、これが最後の再会だ」
そう言うと、ジェイドは鷹を見たあと、目を閉じると、ブツブツと小さな声で何かを囁き始めた。
それがしばらく続き、次に目を明けると、昔、大好きだったあの人の悲しそうな顔が見えた。
それを見て、一筋の涙が頬に流れ落ちる。
泣きそうな顔をして寂しげに笑うユーリが、赤い目の鷹をじっと睨む。すると、私を拘束していたシシィの力が弱まり、ドサリと床に倒れ込んだ。
「シシィ――!」
「大丈夫だ。眠っているだけで身体に害はない。しばらくは目を覚まさないだろう。それよりも――ノエル」
シシィの様子を見ようと手を伸ばすと、その腕をユーリにとられ、そのまま抱きしめられる。
「ノエル……時間がない。一度しか言わないから聞いて欲しい」
苦しそうなユーリを見ていると、不安が募り身構えてしまう。こんな顔をしている時のユーリは、いつも心を痛めていて、悲しい話をすると知っているから。
再会を喜ぶ挨拶も何もないまま、ユーリが私の肩に顔を埋めると、鷹に聞こえないように、耳元で話し出す。
「……ノエル。鷹に表情をよまれないように、顔を伏せて」
ユーリの後を見ると、長椅子にいる鷹が、赤い目を光らせ私達をじっと観察していた。
「ノエル。弓を渡すな。それをすると、世界があの鷹の物になってしまう。ジェイドは表に立っているだけで、気を付けるべきは鷹だ」
鷹から見れば、私達は久しぶりの再会を喜び、抱き合っているように見えるだろう。
「でも、どうすれば良いの……。断れば、逃げればエレーヌにも危害が及ぶわ」
「わかっている。ジェイドを通じて状況は把握している。……ノエル、身体がなくなれば鷹は何も出来ない……意味はわかるね」
弾かれるように顔を上げると、困ったような顔をしているユーリと視線が合った。
戸惑っていると、再度耳元で囁かれる。
「嫌よ。いや……そんなこと絶対に出来ない。出来ないよ……」
無理だと、嫌だと、やりたくないとユーリにしがみつき首を振る。
「ノエル……。君には、辛い目に合わせてばかりで償いすら出来ない。でも、どうか願いを叶えて欲しい。その後は恨んで良いから。一生、憎んで良いから」
ずるい……。なんて酷い人。私に最後は全部押し付けるなんて。私の想いを知っているくせに。でも憎むなんて出来ない。
一度でも、愛してしまったから――。
ユーリの背中に回している手に力を込める。
「優しすぎるよ、ノエル。もっと怒りをぶつけて良いのに。君をもっと大切にしたかった。弓に執着した私が浅はかだった」
もう遅い……。何度過去を振り返っても何も戻らない。変えることは出来ないのだから。
「ノエル。最後の頼みを聞いて欲しい。次にジェイドが弓を手にする頃には、私は消えている」
顔を伏せたまま、嫌がる子供のように首を横に振った。
「……好きな人が出来たのだろう?」
予想外の言葉に驚いて顔を上げると、安堵したようなユーリの表情に胸が切なくなった。
「ずっと一緒にいたからノエルの変化はわかるよ。その男と幸せになる道筋だと思えば良い」
無理だ……もう遅い。それは叶わない夢なのだから。
「……一緒には居られないの。その人とは無理なの」
何でもないように、もう終わったのだと答えようとするが、脳裏にアンリが浮かび声が震える。
「気持ちを伝えていないのなら答えはわからないよ。ノエルは自分の気持ちを他人に伝えるのが下手だから」
ユーリに、こんな話をする日が来るなんて思わなかった。まるで、子供に戻ったように髪を梳かれる。
「だから、全てが終わったら頑張ってごらん。私のことは忘れるんだ。夢だと思って、見たことも聞いたことも全て知らない答えればいい」
「出来ないよ……」
ユーリを忘れるなんて絶対に出来ない。出来る訳がない。
「ノエル。いつまでそうやって逃げ続けるんだい? 悪い方へとばかり考えていると、幸せはこないよ。行動しなければ……何も始まらない」
何も言えなかった。
傷つきたくないから、他人に任せて逃げてばかりいた私は、どうやって行動していいのかわからない。
「ノエル自信を持て。君は素敵な女性だ。他人を思いやれる素晴らしい女性だ。だから――っ」
いきなりユーリが頭を抑えると、その場に崩れ落ちる。
「ユーリ!」
しゃがみこみ、ユーリの様子を伺うと、強い力で腕を掴まれた。
「……何を話していた?」
その苛ついた声に顔が強張った。
私を睨みつける表情で、ユーリではなくジェイドに戻ったのだと悟った。
「伝えただけよ。……愛していると」
ジェイドに、ただそれだけだと視線を逸らさずに言い返す。
「……まあ良い。有意義な会話は出来たか? これからは常に一緒に居るんだ。今生の別れではあるまい」
疑っているらしく、訝しげに見つめられたが、会話を聞かれてなかったことに、そっと胸を撫でおろした。
「これで願いは叶えた。次に会う時は楽しみにしているよ。家族との別れも済ませておくんだ」
私の耳元で囁くと、ジェイドが立ち上がった。急いで離れようと距離を取ろうとした。だが、腰を抱き寄せられた。
「あ……」
怒りを込めて見上げると、いつものニヤニヤとした薄気味の悪い笑みを浮かべている。
ジェイドに触れられていると思うと、不快感が込み上げてくる。離れようともがくが、力で抑えつけられ動けない。
「そうだ、一つ言い忘れていた。ノエルの気持ちが変わらないように人質を取っておくよ。そこの侍女だ……。二日後、大人しく弓を持って来るなら目覚めさせよう。だが……」
暴れるのを止めた。
まさか、シシィをまた人質に取られるとは思わなかった。
「……来るのを拒み、誰かにこのことを告げたその時は、この侍女の命はないと思え。二度と目覚めないだろう」
「シシィは関係ないわ! 必ず行くからシシィを元に戻して!」
必死に止めてと叫ぶ。
すると、独特な泣き声が部屋中に響いた。バサリと音を立てて鷹が飛び立ち、外へと出て行く。すると甘い香りが室内に広がった。
「時間だ、ノエル。約束を守れば侍女は、皆が無事だ。君が賢い選択をすることを祈っているよ」
更に抗議をしようとするが、スルリとジェイドが離れて行った。
「楽しみにしているよ、ノエル」
それだけ言うと、何も出来ない私を見て、ジェイドがいなくなった。何も出来ない自分が悔しくて、自分が惨めで最低でどうしようもない。
でも、心に決めた。
他人に任せて流されるだけではなく、自分の意志で終わらせると。
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