第17話  奏でる音色②

「よくお似合いです、ノエル様。やはり、こちらのドレスにして正解でしたわ」


 シシィを始めとする侍女達が、互いに顔を見合わせ頷き合っている。

 そんな彼女達とは違い、私は自分の姿を鏡で確認すると、顔を青くさせ絶句した。

 舞踏の宴のためにと、シシィ達からドレスを渡された。

 着るのは初めての、薄い布地のロングドレス。


 ドレスは全体的に黒を基調としている。ウェスト部分から足元へかけて、ふわりと広がっている形。目を惹くのは派手な柄。鮮やかな色彩で描かれているのは、フランシスカの国花となるオリーブとユリの柄。


 それはまだ良いとして、問題は、左太股あたりからスリットがはいっていること。歩く度に足が見えて恥ずかしくて居たたまれない。

 このドレスは止めて欲しいと訴えたが聞いて貰えず、シャルワ様の指示だと言われると大人しく受けいれるしかなかった。

 着慣れないドレスに落ちつかなくなる。


「シシィ……。足が見えてしまうわ。それに、私には似合わないと思うの。普通のドレスではだめなの?」

 少し涙目になりながら訴えるが、シシィはにっこりと微笑む。

「良くお似合いですわ。ノエル様は普段から装いが大人しすぎます。フランシスカでは、王宮主催の夜会では、他国と同じような正装ですが、今夜のような宴では不釣り合いです。これから少しずつフランシスカの趣向に合わせて下さいませ」

 そう言われると、何も言えず頷くしかなかった。


 困っていると、宴が行われる広間へと向かう時間になる。

 動く度に露になる足を抑える。なるべく人目に触れないようにと、心の中で祈り回廊を歩き出した。


「今宵も皆様、素敵な装いで宴の席に付いておりますわ。それに、妹もノエル様とお会い出来るのを楽しみにしております」

 ……シャルワ様と二人で舞踏を見るのではないのね。また、前の宴のようなことが、ないといいのだけど。

 心の中で祈るが、嫌な予感は拭えない。

「ノエル様、顔をお上げて下さい。今宵は素敵な宴になりますから心配はいりませんわ。さあ、こちらです」

 そう言われ、ぎこちなく顔を上げた。


 前の宴の場所と同じ広間で行われるらしい。その広間の入り口に、フィルが立っている。

 だが、様子が違った。なぜなら、いつもの顔全体を覆う仮面を付けていなかったから。

 宴だからだろうか? 目元だけを覆う仮面は、いつもの白ではなく闇に溶けたような黒。普段とは違う姿に戸惑ってしまう。

 しかも、フィルは、なぜか私を見つめたまま何も言わない。


 ……やっぱり、このドレスが似合わないのだわ。どうしよう。やっぱりシシィにお願いして違うドレスに着替えよう。

「……とてもお綺麗です、ノエル様。さあ、どうぞ」

 落ち込んでいたら、思ってもみなかった賛辞と共に、フィルが手を差し出してきた。

 えっと。フィルの手を取れば良いの? でも、広間ではシャルワ様が待っているわ……。他の貴族達からも、何と思われるか。

 いくらシャルワ様の側近と言えど、あらぬ疑いをかけられる訳にはいかない。それでなくとも、今の私は評判がよろしくないのだから。


「大丈夫です。何も心配は要りません」

 困っていると、フィルが私の手をとり、宴の広間へと足を踏み入れた。

「フィル! 手を離して。このままじゃ、シャルワ様に何と思われるか……」

 強引なフィルに抗議しようとするが、広間の様子を見て言葉を失った。

 真っ先に目に飛び込んで来たのは。鮮やかな海の色。広間の水辺は、先日の無色透明ではなく、鮮やかなコバルトブルー。


 その周りを人々が行き来している。まるで色とりどりの熱帯魚が舞っているような感覚に陥った。

「驚かれましたか? この前の宴とは趣向も雰囲気もまったく違いますから」

 あまりの変わり様に目を逸らせないでいると、私の驚いた顔を楽しそうに眺めるフィルに頷いた。

「ええ、驚きました。皆様、奇抜な衣装を纏っていますのね……」

 基本的に女性は肌の露出が多い。やはりフランシスカでは一般的のようだ。それに、男性もゆったりとした派手な色彩の衣装を身につけている。

 この派手なドレスを心配して損をしたわ。私が一番大人しい気がするもの。

 安心すると、周りを見渡す余裕が出来た。


「フィルは、いつもと代わり映えしないのね? 着替えなくても良いの?」

 フィルの服装は、いつもと変わらぬ黒を基調としたものだ。

「はい。私は用事がありますので宴には出席致しません。何かありましたら、シャルワ様かシシィにお尋ね下さい」

「……シーラには会わなくて良いのですか?」

 ふいに、昼間のシャルワ様との会話を思い出した。何気なく聞くと、フィルが苦笑した気がした。

「ノエル様。その話はお忘れ下さい。シーラの話は、シャルワ様の冗談です。そうだろ、シシィ?」


 最後は困ったようにシシィに同意を求める。するとシシィが何とも言えない表情を浮かべ口を開いた。


「シーラは本気でございます。報われない恋と分かっているのが、辛いですわね。私も、フィル様はあきらめるようにと再三注意はしたのですが……」

「シシィ。余計なことは言わなくていい」


 少し声を張り上げるフィルに驚いた。

でも、報われないと分かっている。とはどう言う意味なのだろう?

 身分の差とか? そう言えばフィルのことも何も知らないわ。でも、シャルワ様の側近なら貴族よね。貴族しか仮面をつけないと言っていたもの。

 シシィは神官の家系。この国では神官の地位がどこまで高いかわからないけど、そこまで問題ではない気がするけど……。それとも、フィルには他に誰か思う方がいらっしゃるのかしら。


 フィルの素顔は見たことがないけど、とにかく一緒にいて安心する。侍女達への対応も気さくで、女性の扱いには慣れている。

 欠点が見つからないわ。

「ノエル様、何か?」

 私のじろじろと不躾な視線が気になったのか、フィルが困ったように私を見ている。

「フィルは貴族なの?」

「……それは、貴族ではないとお答えしておきましょう」

 フィルはすぐに「違う」と答えた。


 そして、その視線は、私の後ろにいるシシィへと向けられる。

 どうかしたのかしら。シシィになにかあるの。

 振り返ると、ちょうど、シシィが苦笑いしながら頷いているのが見えた。

「ノエル様。シャルワ様の元へと参りましょう。妹もそこにいますので。紹介しますわ」

「では、私はここで失礼します。楽しい時間をお過ごし下さい」

 もう少しフィルと話をしたかった。

 だけど、引き止める暇もなく、足早で広間から出て行ってしまう。


「……シシィ。フィルは貴族ではないの? シャルワ様の側近だから貴族かと思っていたわ。ほとんどの側近は、貴族の方が務められるわよね」

 逃げるようにいなくなったフィルに疑念が沸いた。

 話を無理やり逸らされたようで気になる。シシィに尋ねるが、いつものように、かろやかに微笑みを浮かべている。


「そのお話は、フィル様から直接お聞き下さい。ノエル様と二人きりなら教えて下さいますわ。それにしても嬉しいです。ノエル様が、私達に興味をもって下さるのが」

「興味ってほどじゃないわ。ただ、何となく気になっただけよ」

 慌てて否定するが、シシィは悟ったように頷いた。そのまま、シャルワ様の元に案内しますと歩き出した。

 シシィの後を歩きながら考える。


 ……言われてみれば気になるのかも知れない。フィルのことが。なぜかしら……。

 心の中で、もやもやと何かが過ったが、それが何かわからなかった。

 悶々と考えていると、広間の奥まった一角にシャルワの姿が見えて来た。

 蝶や熱帯魚のような、鮮やかな装いをした貴族達の視線を浴びながら、奥へと進む。


 階段を上がった先に、シャルワ様が悠然とくつろいでいた。

 巨大な真紅の絨毯に寝転び、肩肘をつきながらくつろいでいるシャルワ様は、とても楽しそうだ。

 その隣には、華美なドレスを身に付けた一人の女性が微笑んでいた。

「遅かったな。フィルとは会ったか?」

「先ほど広間の入り口でノエル様をお待ちでした。ですが、すぐに用事があると、戻られました」

 私の代わりにシシィが答えた。

 そんな中、シャルワ様の隣にいる女性の視線が、痛いほど全身に突き刺さる。


「そうか。一番に見たかったのか。大変だな、フィルも」

 またしても、私には理解出来なかった。

 シャルワ様が何を言いたいのかわからない。

「こっちに来て座れ。それと紹介しよう。シシィの妹のシーラだ。姉妹とは思えない容姿の違いだろ?」

 シャルワ様起き上がり、シーラから酒を注がれると一気に飲み干す。

「シャルワ様。まだ飲みすぎないで下さいませ。シーラも笑いすぎよ」

 姉妹二人の比較に、シーラは隠すことなく顔に出していた。


 シシィが呆れたような表情を浮かべたが、すぐに私を、シャルワ様の隣へと促してくれた。

 私が腰を下ろすと、シーラが立ち上がり目の前へと移動する。その時、立ち上がったシーラから鈴の音が聞こえて来た。

 シーラの両手足には、ジャラジャラと鈴やアクセサリーが何重にも飾られている。それは、歩く度に音が鳴り響いた。

 その音につられるように、広間から話し声や笑い声が消え、静寂が訪れた。皆が、私達に注目している。


「お初にお目にかかります。シーラと申します。お見知りおきを……ノエル様」

 向かい合うと、シーラは片膝を立て、右手を胸元にあてると頭を下げた。

 シーラが動く度に、美しい音色が辺りに響く。

 ふわりと、シーラが被っていたベールが大きく揺れた。


 綺麗な人……。シシィの妹なのよね。シシィより年上に見えるわ。それに、同性ながら目のやり場に困るわ……。

 肩や腕は勿論のこと、胸元も強調するような妖艶な装いに、思わず目を逸らしてしまうほど。

 鮮やかな朱色は、シーラにしか着こなせないと思うほど美しい。

「ノエル様。お言葉をお願いします」

 シシィが耳元で囁き、我に返る。

「……はじめまして」

 この後、何を言って良いのかわからず、ふがいない自分に焦ってしまう。シーラの自信に溢れた雰囲気に圧倒されてしまった。


「あら。そんなに緊張なさらないでもよろしいのに。聞いていたよりも幼い感じですのね。安心しましたわ」

「シーラ! 言葉がすぎるわよ。ノエル様に謝りなさい」

 私の後ろに控えていたシシィが、前に出て来るとシーラの腕を取る。

「なぜなの? 事実を言ったまでだわ。確かに外見は可愛らしいけど……。自分の意志も持たないと聞いているわ。言われるがままの、ただの人形だって。あの男に抵抗もしないで囚われていたのが何よりの証拠よ」


 ズキリ――と忘れていた心の闇が溢れ出てきた。


 人形……。そう言えば、ジェイドに良く言われていた。

 ただ、逆らわず何もせずに言われた通り笑っていれば良いと……。その方が楽だから、生きるために、私は自分の意志を殺したんだ。

 心など、なくしてしまえば良い。そうすれば傷つかなくて済むから。

 天使様の声が遠のいた気がした。その代わりにジェイドの闇が広がる。


「シーラ、いい加減にしなさい。何が気に入らないの? いつもは、あのノエル様。いつもは、とても良い子なのです。お許し下さいませ」

 シシィが、青白い顔をしながら、懸命に頭を下げた。

「……かまいません。本当のことですから。謝る必要はありません」

 今日一日の穏やかだった日々は、心の奥底におしやった。そして、自分を戒める。浮かれてはいけないと。忘れてはだめだと……自分に言い聞かせる。

「ノエル様……あの!」

「そこまでにしろ。シーラ、お前は舞いに来たのだろ? 一曲披露しろ。これ以上騒ぎを大きくする気なら、王宮への出入りを禁じるぞ」

 シシィの言葉を遮り、シャルワ様がシーラに命じた。

シーラは、納得がいかないとばかりに綺麗な顔を歪める。だが、すぐに頷き立ち上がった。


「よろしいですわ。お見せしましょう。フランシスカ一の舞を」

 シーラが勢い良く立ち上がる。

 私を上から見下ろし、睨みつけた後、背を向けて広間の中央へと歩いて行った。


「シーラ! ノエル様、申し訳ございません。いつもは、あんなにも攻撃的ではないのです。あとで、言い聞かせますので」

「気にするな。あの態度の悪さは、フィルが居ない当てつけだろ? それに、ノエル様には会ったのに、自分には会いに来てくれなかったから不機嫌なんだ。フィルが俺の元へ必ず来ると予想していたから、ずっと傍について離れなかったからな」

 悲しそうに俯くシシィに、シャルワ様の声が重なる。

 そして、シシィを慰めるように、シシィの肩をポンと軽く叩き慰めた。

 その様子を見て、やはり疑問が沸いた。


 この二人は、王子と侍女以上の関係に見えてしまう。

 もしかして二人は、そう言う関係だったのだろうか。異常に仲が良いように思えた。そうだとしたら、私は邪魔な存在になる。

「ノエル様。シーラの言ったことは気にしないで下さい。口は悪いですが、舞は一級品です。この国始まって以来の、一番の舞手だと評判でございますので」

 空気を変えようと、シシィが一生懸命に説明を始めた。


「シーラは幼い頃から神殿で舞を習っていました。その舞は、すぐに噂になり国中の知る所になったのです」

 自分のことのように誇らしげに語るシシィは更に続ける。

「ですが……。名が広がるにつれ、シーラも自分の可能性に気付き始めました。神殿の舞だけでは物足りないと思い始めたのは、あの子が十六になった時です」

 シシィの話を聞きながらシーラを見る。


 広間の水辺の上に作られた、六角形の円柱が見事な舞台の上で、シーラが足元を確認していた。

 その姿は真剣で、周りには同じ舞を習っているのであろう女性達も数人、シーラの元に集まり何かを話している。


「突然だったのですよ。あの子が神殿で舞うのは辞めると言って出て行ったのは。街で一番有名な舞踏の館へと足を踏み入れました」

「あの時は大変だったな。司祭も誰もがシーラを止めた。だが、あいつは譲らず頑なに自分の考えを通した」

 盃を片手に持ち、シャルワがシシィの話に頷いた。

「本当に大変でした。母は泣き叫んで寝込んでしまって、父の言葉も届きませんでした。私も、もう一人の妹も説得を試みましたが、シーラは自分を貫いた」

 過去を思い出しているのか、懐かしそうにシシィがシーラへと視線を送った。


「そして両親が折れました。シーラの情熱に負けたのです。神殿での舞は、厳かで神秘的な静の舞。ところが、舞踏は荒々しく激しい……。なにより感情を込めて、音楽に合わせ想いを伝える動の舞……。あの子は、それも自分のものとしました」


 その時、シャラン――――と鈴の音が何度も大きく広間に鳴り響いた。

 それと同時に広間の灯りが一斉に消え暗闇が訪れた。

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