第16話 奏でる音色
目をあけると、いつもとは違う柔らかな感触に、起きたばかりの頭はついていかなかった。
普段は冷たい床で怯えながら眠っていたのに、今は真っ白な、肌触りの良いリネンに包まれている。
「どうして……」
ふわりと吹いた風を肌に感じ、視線を向ける。窓は開け放たれていて、太陽の日差しが室内を明るく照らしていた。
「おはようございます、ノエル様。良くお眠りでしたわ。起きられますか?」
明るい声が聞こえた。声の主に目をやると、シシィが満面の笑みで私を見ていた。
顔を強張らせ急いで起き上がる。
……どうして私は寝台で寝ているの? それに、太陽の位置がいつもよりも高い。
その事実に気が付くと、青ざめシシィに謝った。
「ご、ごめんなさい。私、寝過ごしてしまったのね。ごめんなさい」
寝過ごすなんて初めてだった。
いつも眠りは浅くて、物音ですぐに起きられるように気を張っていたのに。
「大丈夫でございます。ノエル様は、いつも早起きでございますから、ゆっくり過ごされても誰も何も申しませんわ」
迷惑をかけてはいけないと、急いで一人で湯浴みを済ませる。身支度を整え階下へと下りると、そこには珍しい人物がいた。
「……シャルワ様。どうしてここへ?」
今まで部屋を訪れることはあっても、こんな風に私を待っていることはなかった。昨日、天使様と会っていたことが知られたのかと動揺してしまった。
「未来の妃に会いに来るのに理由がいるのか? たまには一緒に食事でもしよう」
有無を言わせない態度に戸惑うが、断ることなど出来ない。
私の返事を待たずに背を向け、シャルワ様が中庭へと歩き出した。その後ろを小走りで追いかける。
歩いている内に、昨日、アンリと出会った石橋を渡る。やっぱりあれは夢だったのではないかと不安が過った。
そんな思いを抱えながら進むと、シャルワ様が人工的に造られた滝の前で立ち止まった。
生い茂る木々が適度に影を作り、太陽の木漏れ日が、うっすらと差し込む場所に、赤い絨毯が敷かれていた。
すでに食事の準備は整っているようで、大小さまざまな器が並び、周囲には美味しそうな匂いが漂っている。
シャルワ様が無造作に座った。
「こちらへ。今日は一日中ここで過ごす予定だ。ゆっくり食べると良い」
「えっ?……」
シャルワ様の隣へ座ると、すぐにシシィが盃に飲み物を注いでくれた。だが、シャルワ様の言っている意味がわからなくて目を丸くする。
「不思議そうな顔だな。少しは未来の夫らしく振舞おうと思っただけだ……。ノエル様も気ままに過ごすと良い。ここで仕えている者は、俺の奇行には慣れているから何も言わない。気楽に過ごせ」
気楽にと言われても困ってしまう。やることがないと、どうやって過ごせば良いのかわからない。
狼狽えている私の姿を横目に見ながら、シャルワ様は食事を始めた。私も、シシィから渡されるがままに、鮮やかに盛りつけられた魚を食べ始める。
いつもは周りに気を使って、急いで食物を詰め込み、水分で流し込んでいた。味も食感も楽しむ余裕もなく。周りに迷惑をかけないようにと一生懸命頬張っていた。
だけど、今日は違った。
シャルワ様が寝転んだまま果物をつまみ口にする。少し食べては庭を歩き回ったりと本を読んだりと自由に動く。
侍女達も慣れているらしく注意する様子もない。
「ノエル様。こちらもお召し上がり下さい。それとこの果物は絶品ですわ」
いつもと同じように、世話を焼いてくれるシシィの勧めるまま口にする。
すると、どこかへと行っていたシャルワ様が、いつも間にか私の背後に周り、私の皿から果物を奪った。
「貰うよ。シシィ、そっちも持って来て……」
「シャルワ様。お行儀が悪いですわ。いくら今日は自由にと申しましても、先ほどからフラフラと動き回って」
少し口を尖らせ、シャルワ様を説教するシシィに驚いてしまう。
シャルワ様は、気にしていないようで、私とシシィの間へと腰を下ろし果物を口にした。
二人共、すごく仲が良いのね。
シャルワ様も、私と一緒にいる時よりも穏やかな顔をしているわ。それに、二人共、とてもお似合いだわ。冷たい雰囲気のシャルワ様を暖かく包む太陽みたいな感じね、シシィは。
談笑している二人の様子を眺めていると、シャルワ様が私を見た。
「これか……食べるか?」
何を勘違いしたのか、シャルワ様が赤い果物を私に差し出した。
「あ、いえシャルワ様が召し上がり下さい。私はもう十分です」
時間が気にならなかったせいか、いつもより多く食べられた気がした。おかげでお腹が重い。
「本当に良かったですわ。ノエル様は、いつも、この半分くらいしか召し上がらなかったので皆、毎日心配していました」
皆が心配していた?
確かに、このフランシスカに来てから、シシィは本当に私に良くしてくれている。こんなにも不愛想な私を見捨てずに、根気良く尽くしてくれている。
それは他の侍女達も同じで、昨日、アンリに言われたことを思い出す。
なら、私も信じて一歩を踏み出してみよう。アンリの……天使様を信じて――。
「あ、あの。シシィの家族はどんな人なの?」
口走ってから後悔した。
なぜなら、いきなりの私の発言に、シシィだけではなく、シャルワ様や他の侍女達も奇妙な顔を見せた。皆、驚いているようで何も言わない。
……唐突すぎたわ。しばらく人と会話らしい会話をしてい、ないから……失敗した。私ってだめね。
恥ずかしくなり、思わず俯くと、膝の上に置かれていた両手を力強く掴まれた。
「初めて私に興味を持って下さいましたねノエル様。私の両親は、この国の祭事を執り行う司祭をしております。建国祭ではノエル様に挨拶に参りますわ」
顔を上げるとシシィの満面の笑みに圧倒された。しかも、丁寧に私にもわかりやすく家族の話をしてくれる。
……アンリの言っていた通りなの? 誰も私を裏切らない?
幸せだった頃の記憶が蘇る。
「それと、私には妹が二人います。一人は両親と同じく神殿に仕えております。そして、もう一人は街で舞踏を学んでいます」
「舞踏……ですか」
聞きなれない響きに首を傾げシシィに聞き返す。だが、フランシスカに来た時の宴で舞っていた女性達を思い出した。
「実際に見れば良いんじゃないか? 今夜あいているか調べさせよう」
私達の様子を見ていたシャルワ様が口を挟み、近くにいた侍女を呼びつけ何かを伝えた。
「そうですわね。あの子なら喜んで来ますわ。ノエル様にも会いたがっていましたし。姉の私が言うのも何ですが、ものすごく綺麗な子なんです」
自慢げに話し出すシシィは年上だがとても可愛い。それに、妹が大好きみたいだ。思わず笑みが零れる。
「ノエル様も、いつも笑われていたら素敵ですわ。何か、お辛い事情があるようでしたら、遠慮なく相談して下さいませ」
切なげに訴えかけられ息を呑んだ。
「……シシィ。衣装の用意をした方が良いんじゃないか? 舞踏だぞ」
見たこともない真剣なシシィに戸惑っていると、シャルワ様が呑気に声をかける。
すると、シシィから切なげな雰囲気がなくなり、慌てたように立ち上がった。
「そうですわ。私としたことが。ノエル様、ひとまず失礼します。シャルワ様、あとはお願い致します」
言い終わらない内に、シシィが数人の侍女を連れて飛び出して行く。
……誰の衣装を用意するのかしら? 妹の衣装?
意味がわからず不思議に思っていると、目の前に木をくり貫いた器が現れた。
「シャルワ様、えっと……」
差し出された器と、シャルワ様を交互に眺める。
「ハチミツとレモンが入っている。夜は気温が下がるから身体を暖めておかないと」
手渡された器を受け取り、言われるがまま一口口に含む。口いっぱいに甘酸っぱさが広がった。
「……美味しいです」
自然に笑みが零れる。
飲み物のおかげか、それとも、シャルワ様と普通に会話が出来た安堵感からか、緊張が解け久しぶりに晴れやかな気持ちになれた。
「……シシィはどうしました?」
のんびりと過ごしていると、突然かけられ顔を上げる。
現れたのは、顔全体を覆う仮面を付けたフィル。やはり見えるのは片目だけで表情は伺えない。
「……衣装を選びに戻ったよ。今頃、大騒ぎで相談中だろう。シーラを呼ぶことにした」
シャルワ様が、酒が入った器を持ち優雅に答える。
「シーラを? 何のためにここへ?」
フィルの声に棘が混じる。
不機嫌そうに見えるのは気のせいだろうか? それにシーラって……シシィの妹かしら。
二人共説明をしてくれなくて首を傾げた。
「ああ、シーラがシシィの妹。フィルのことが好きなんだ。フィルもいい加減、結婚して周りを安心させてくれ。皆がお前の動向をうかがっているぞ。どの令嬢を選ぶかをな……」
いつもの冷たい姿とは違い、シャルワ様は意地悪そうな笑みを浮かべている。
その姿に、こんな顔もするのだと意外な発見をしてしまった。
側近だけあって、フィルと仲が良いのね。それに、フィルの苦々しい困った雰囲気も初めてだわ。私の前では、あんな姿は見せないものね。
「誤解しないで下さい。シーラとは何もありませんし今後もないです」
頑なに否定するフィルが何だか可愛くて、口に手をあて笑ってしまった。
すると、二人は私の様子に気が付いたようで、私を見つめたまま動かない。
……失礼だったわよね。笑うなんて。
慌てて謝る。
「申し訳ありません」
「気にしなくていいですよ。ノエル様の笑う顔を見るのが新鮮で、可愛くて、つい見惚れてしまいました」
シャルワ様よりも先に、フィルが答える。
可愛いって……そんなこと。
日頃、言われない言葉に動揺し居心地が悪い。それに、それをフィルから言われると、どうしたら良いのかわからない。
その場にいる侍女達の視線も感じ、顔中に熱が集まるのがわかった。
「か、からかわないで下さい」
シャルワ様もいるのに、動揺しないようにと冷静になろうと何度も自分を戒める。だが、鼓動は早くなり居たたまれない。
「からかってなどいませんが。大丈夫ですか? 顔が赤いようですが」
そう言うと、フィルが私の頬へと手を伸ばす。
――――その時、風に乗りふわりと香りが漂った。独特な爽やかさ。
この香りは……何処かで。フィルから? 今まで気付かなかった。フィルも香を纏っているんだ。
私に触れるか触れないかという際どい距離で、フィルの手が掴まれた。
「フィル……。ここは良いから下がれ。夜まで来なくて良いぞ」
シャルワ様が苦笑しながら、フィルの手を掴む。
フィルが気づいたように手を引き、一礼すると無言で去って行った。
「珍しいな……。あいつが、あそこまで周囲を気にしないで感情のまま突っ走るなど。これもノエル様のせいかな……」
シャルワ様の視線に居たたまれない。
私は、シャルワ様の妃になるのだから、他の男性とは距離をおかないと。疑われると、フィルにまで罰がいく。気を付けないと。
「あ、あのシャルワ様。私は……」
何と言えば良いの。フィルに触れられそうになったのは何でもないと謝る? 無防備だったと謝れば良いのかしら。
言葉に詰まっていると、シャルワ様が私の頭に手をおき、髪を撫でる。
「……少し休もう。夜まで長い。そして夜の宴も長いぞ。身体を休めなければもたない」
何も聞く気はないのか、疑っていないのか、シャルワ様が背を向けゴロリと寝転がった。
そうされると、どうしようもなく、ただ夜になるのを待つしかなかった。
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