第14話 再会②

 次に目を覚ますと、見なれた王宮の自室だった。

 そこは暖かく、傍らにはアイーシャ様が手を握り不安げに私を覗き込んでいた。その後ろにはシャルワ様やフィル。シシィの姿も見える。


「気分はどう?」

 目が合うと、安堵したようにアイーシャ様が息を吐く。まだ、なにがあったか思い出せない私の髪を、優しく撫でてくれた。


「私は……」

 霞がかかった頭で、もう一度目を瞑り何があったかを必死で思い出す。

 確か、フィルと街に行ってドルチェを食べていたら……そうだ会ったんだ。あの人に。

「あの人は何処?」

「誰のことかしら? 誰に会ったの? ノエル様、首の痣はどうなさったの。ゆっくりで良いから教えて下さらない?」

 思っていることが声に出ていたらしく、アイーシャ様が握っている私の手に力を込めた。


 首の痣……。会った。そう会ったわジェイドに。

 あの時のことを思い出した。

 また、ユーリを助けられなかった悔しさから唇を噛み締める。


 しかも、寝ぼけながら呟いた自分の迂闊さを悔やんだ。

「アイーシャ様、シャルワ様、申し訳ございません。私は、どうやって王宮に戻って来たのでしょうか? 私は街で……」

 起き上がろうとすると、アイーシャ様が背中に手を添え支えてくれた。

「無理はしないで良いのよ。……街の一角で倒れている所を見つけたの。何があったの? ノエル様の首を絞めたのは誰?」

 寝台の上で起き上がり、背もたれにクッションを入れられると、そこに体を預けた。


「……何もありません。王宮からの使いが気になって、外に出ると道に迷ってしまったのです。心配をかけて申し訳ありません」

 言えない。本当のことは絶対に。

「迷っていつの間にか気を失ったの? 首の痣はどうしたの? 誰が見ても、首を絞められた痕だわ」

「それは……」

 虫に刺されたと言おうとしたが、そこまで痕が付いているのなら無理がある。咄嗟に首をおさえ黙り込んだ。


「答えられない? ノエル様。……ユーリはどなたか教えて下さらない」

 弾かれたようにアイーシャの顔を見た。

 どうして、ユーリの名前を知っているのかわからない。ジェイドの秘密は誰にも知られてはいないはずだ。

 知っているのは私だけ。


 なのに、なぜユーリの名前をアイーシャ様が知っているの? 頭が混乱してきた。

「誰のことでしょうか……」

 動揺していることを悟られないように、アイーシャ様を見つめた。


「ノエル様が寝ている間に、何度も呼んでいたのに知らないの? 変ね……」

 名前を呼んでいた? 私がユーリの名前を。あの男に会ったからだ。だから、忘れようとしていた記憶が蘇ったんだ。


 ずっと心に閉じ込めていた想いが。


「答えられないほど、私達は信用がないのかしらね」

 悲しそうに微笑むアイーシャ様の姿に罪悪感だけが募る。

「……しばらくノエル様の外出を禁じます。それと、これからはシャルワと一緒に暮らすように。結婚ももうすぐ発表されるから問題ないでしょう。良いわね?」

「アイーシャ様! それは……」

 その場にいたアイーシャ様以外の全員が驚いた。真っ先に異議を申し立てたのはフィルだった。


「なに? シャルワとノエル様の仲を深めるには良い機会だわ。それに変な噂もあるものね。この機会にお互いを知りなさい」

「アイーシャ様、私も反対でございます。せめて婚儀が終わってからでも」

 フィルに続いてシシィも反対してくれる。しかし、アイーシャ様の言葉は決定事項らしく、何を言っても撤回はしてくれない。

「シャルワ。今日からこの部屋で暮らしなさい」

「……わかりました」

 反対しなかったのはシャルワ様ただ一人。特に何も言わないまま淡々と頷いている。


「アイーシャ様、もうすぐ仮面舞踏会です。せめてそれが終わるまではお待ち下さい」

「これは決定事項よ、すぐに用意しなさい。フィル……話があるわ」

 フィルが更に詰め寄るが、アイーシャ様は聞く耳を持たず、立ち上がろうとした。


 その時、ジェイドの言葉を思い出しアイーシャ様に声をかけた。


「あの……仮面舞踏会のことをお聞きしたいのですが。仮面舞踏会はいつ行われるのですか!」

 仮面舞踏会の話は、私には何も聞かされてはいなかった。なのに、どうやってジェイドは知ったのだろうか。

 エレーヌを止めないと。あの男に会わせる訳には行かない。

「仮面舞踏会は十日後ですが。……フィルから聞いていませんか?」

 立ち上がろうとしたアイーシャ様が、また椅子に座り直した。


 十日後……。そんな、それだけしか時間がないなんて。

 あまりの時間の少なさに愕然とした。


「アイーシャ様。実は詳細を説明する前に、あの騒ぎが起こりました。なので、何も話していないのです」

 気まずそうにフィルがアイーシャ様の傍へと近づく。

「そうなの。それなら、仮面舞踏会の話をしましょう。その後、ノエル様が聞きたいことに答えます」

 咳払いしアイーシャ様が語り始めた。


 仮面舞踏会――俗に言う建国祭の話を。


 フランシスカでは凍てつく冬の時期になると、海が凍り漁へ出る機会が減ってしまう。山での収穫も期待出来ない。

 そのため、実りの時期、つまり、冬を迎える今の時期に感謝を込め祭りを行うという。自然の恵みに感謝し、厳しい冬に向け準備を始めるために。


 昔は、フランシスカ国内だけの小規模な祭りだったが、徐々に他国からも人々が訪れるようになった。

 そうなると、新鮮な鮮やかな魚や、加工品が評判を呼び、年を重ねる毎に規模が大きくなる。それは金貨となり、フランシスカの財源を潤し、人脈と流通を築きあげた。


 冬があけると、王家の指示を受けた商人達が、他国へと渡り、更にフランシスカの名声を響かせることとなる。

「そこまでは良かったのですが、問題が起こりました。昔は今のように整備された運河がなく、町並みも綺麗ではありませんでした。そのため、建国祭以外では人が予想していたよりも訪れなかったのです」

 説明してくれるアイーシャ様はフランシスカの話を誇らしく私に聞かせてくれた。


「それで我々の祖先は、祭りで得た外貨を使い、民に学を与え、この国を更に発展させようと考えました」

 まだ幼き頃から読み書きを教え、生きる術と、そのためには何が必要か、どうしたら豊かになるのか、何を造るべきかを学ばせた。


 その結果が今のフランシスカ。


「その努力で、他国にはない技術を造り上げました。街を見ましたね? あの運河に水路、それに王宮内部の水の通路に透明な床。素晴らしいとは思いませんか?」

 確かに、この国を初めてみて驚いたのは水の扱い方だ。

 アイーシャ様の言葉に大きく頷いた。


「この国は海が近く山に囲まれています。戦になると水が貴重になるのです。その水源を確保するために、いくつもの山から水を引いています」

 確か運河は一番上から流れている。つまり王宮に水源が集まっているの?

「ノエル様。この話をすると、王宮に全ての水源が集められていると考えますが、違います。王宮と、お教えすることは出来ませんが、他に二つ確保してあります。一つが破壊されても他の水源が民を救うようにと。運河を国中に造り、フランシスカは他国から水の都と称されるようになったのです。全ては戦に備えるためのもの」

 全ては民のための設計だと、アイーシャ様は私を見る。


 この国の歴史を教えて貰う時にも聞かされてはいたけど、ここまで詳しくは教えてくれなかった。


「それから、今から十代前の皇帝陛下が、仮面舞踏会を提案されたのです」

 水の歴史に感心していると、ちょっと笑いを含んだアイーシャ様と大きく頷くシシィに首を傾げた。

 なぜなら、その後ろでシャルワ様とフィルは何とも言えない様子だから。

「仮面舞踏会ですか?」

「ええ、わが国は昔から仮面作りも有名でしたの。それも産業にしようと考えたのです」

 確かに面白い試みだと思うわ。仮面を付けるだけで、いつもと違う自分になれる気がするもの。


「仮面舞踏会は、身分も国も関係なく出会いを提供する社交の場として提案したのです。意外と、結婚まで辿り着く男女がいますのよ」

 目を輝かせて話すアイーシャ様をフィルがため息を吐きながら止めに入る。

「……アイーシャ様。話がずれています。ノエル様、仮面舞踏会の詳しい説明はのちほど。それでご質問とは?」

 フィルの言葉に、本来の目的を思い出す。

 両手を握りしめ、アイーシャ様を見つめて口を開いた。


「……妹に、エレーヌにも招待状を出されましたか?」

 よほど私の顔色が悪かったのか、訝しげに四人が顔を見合わせた。

「ええ。お出ししましたよ。先日出席の返事を頂きました。それが何か? お兄様のフィリップ様もいらっしゃいますわ」


 その言葉に目の前が真っ暗になる。


 そんな、エレーヌだけでなくお兄様にも。だめ、二人が来たら危ない。ジェイドが何をするのかわからないもの。二人を止めないと。

「……呼ばないで下さい。お願いします。二人を呼ばないで!」

 いきなり叫び出した私に、アイーシャ様は落ちつくようにと、寝台に腰かけた。

「落ちついて下さい。ノエル様。理由をお聞きしてもよろしいですか? 正式な招待状です。よほどの理由がなければエレーヌ様を断れません。それに、フィリップ様も心配しておいででした。ノエル様から手紙がないから……大丈夫かと」

 アイーシャ様の腕を掴み訴えていたが、お兄様の話を持ちだされ項垂れた。


 手紙、確かに出していない。

 エレーヌには、当たり障りのない内容で心配をかけないように出している。だけど、お兄様には出せなかった。

 あんな別れ方をしてしまったから。お兄様から来た手紙も、封を切らずにそのまま置いたまま。

 罪悪感は募る。


 だけど、真実は伝えることは出来ない。二人を危険に晒してしまうから。それに、このままでは、アイーシャ様達にも迷惑がかるだろう。

 ジェイドは手段を選ばない残酷な男だから。


「言えません。理由は言えません。でも、来たら危ないのです。せめて、エレーヌだけでも来ないように伝えて下さい。お願いします」

 アイーシャ様に、頭を下げ懇願する。

 エレーヌだけは呼ばないでほしいと。フランシスカに来ないで欲しいと。

 あの子を守るためなら何でもする。羨ましいと、妬ましいと感じても。あの子は可愛いたった一人の妹だから。


「…ノエル様。理由を話して下さい。何を恐れているのか、それに、もう手遅れですわ。エレーヌ様達は、すでに国を発たれています」

 下げていた頭を上げ アイーシャを見つめた。

「どうして? まだ、十日あるのに……どうして」

「他国を経由してフランシスカに入られるそうです。日程は警備の都合上、私達にも教えては貰えないでしょう。もう連絡するのは不可能かと。教えて下さい、ノエル様。何を恐れているのです。どうして、エレーヌ様を止めるのです?」

 本当は言いたい。ジェイドのことも全て。


 でも、全部話してしまうと、アイーシャ様も私を軽蔑するだろう。

 私は大好きだったから……。あの人を。エレーヌも助けたいけど、あの人も助けたい。私は……最低な人間だ。


「何もありません」


 声を絞り出し、それだけ言うと口を噤んだ。

「ノエル様……」

 その後も、四人から何回も同じことを聞かれたが、頑なに拒んだ。そして、聞き出すことを諦めた全員が部屋を出た。



 ――――その夜、一緒に暮らすようにと命じられたシャルワ様は現れなかった。

シシィの話から、他の貴族達が異議を唱えたと聞かされた。私はその決定に密かに胸を撫で下ろした。


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