王様と動物

武訓

動物にされた男

 ある日、ある小さな国の王様がやってきて、こう言いました。

「ふむ、なかなか屋敷らしくなってきたではないか。けっこう、けっこう」

 王様は立ち働いている者たちには一瞥いちべつもくれず、嬉しそうにうなずきました。

 王様はこのたび、今まで住んでいた古い邸宅を壊し、新しく建て替えることにしたのです。敷地面積は前より広大に、外装はより豪華に仕立て上げる予定でした。そしていよいよ工事が着工され、たくさんの人夫たちが各地より集められました。多くの者が身分の低い奴隷階級の者だったり、貧しさのあまり日々の生活がままならなくなった連中ばかりです。王様は朝昼晩と関係なく彼らを労役に当たらせました。

 次の日も、また次の日も、王様はやってきては屋敷の出来あがる経過を見て、うなずきながら感心し、労働者たちにはねぎらいの一言もなく去ってゆくのでした。


 それから幾日か経ったある日、ひとりの若者が労働中に倒れて、そのまま動かなくなりました。若者はとても勤勉で、真面目な青年なのですが、日ごろの無理がたたったのか、このごろ続くむせかえるような日照りも影響したのかもしれません。なにせ食事は日に二回、朝と夜だけ。わずかなパンの一切れと水が配給されるだけなのですから……。

 その時、見張りをしていた大柄の男がふたりやってきて、若者を抱えあげました。そして頬に平手打ちを何発かくらわせると、若者をむりやり立たせようとしました。若者はよろめきながらもなんとか立ち上がりましたが、数歩も行かないうちにまた倒れてしまいました。そこへ、運の悪いことにあの王様が通りかかったのです。

「この者はどうしたのだ?」

「はい、どうやらもう使いものにならんようです」

 王様は倒れた若者の姿をじっと見ていましたが、その表情はなんとも冷たいものに見えました。

「もうよい、解雇だ。あれを持って来い」

 王様は家来の男に何かを持ってくるように指示をしますと、倒れていた若者が不意に顔を上げました。そしてなんとも憐れな、哀願するような表情を浮かべて立ち上がろうとしましたが、からだが言うことをきかないらしく、何度も失敗して崩れ落ちました。王様はあいかわらず、ゴミでも見るような無関心な眼で、若者を睥睨へいげいしています。やがて、場の異変に気がついた他の労働者が集まってきました。彼らは倒れた若者の姿を見て、ひとことも言葉を発することも、また手を差し伸べることもなく、ただ静かに事態を見守っていました。下手にかかわり合いを持ったことで、面倒に巻き込まれたくなかったのです。

 その時、家来の男がなにやらたくさんの突起物がついたヘルメットのようなものをかついでやってきました。そのうしろからもうひとり家来の男が、ものものしい機械を積んだ台車を引いてやってきます。それを見た若者の顔はますます血の気を失っていきました。

 家来の男たちは若者をふたたび抱え起こすと、羽交い絞めにして身動きをとれないようにし、縄で後ろ手を縛ると、その場にひざまずかせようと男を押さえつけます。もちろん若者もうめきながら暴れて抵抗しようとしますが、もはやそのむなしい努力はよりいっそう憐れを誘うだけでした。

 王様は家来の男からヘルメットのようなものを受け取ると、若者の頭にかぶせました。家来の男たちはあわただしくコードやらプラグやらを、運んできた機材とヘルメットに取り付ける作業に取り掛かりました。その手際の良いこと! すっかり慣れた手つきで、あっというまに機材とヘルメットは無数のコードでつながれたのです。

 さて、万事準備が整うと、王様は集まっていた労働者の前に進み出て、コホン、とひとつ軽く咳払いをすると、声を張り上げてこう言いました。

「親愛なる諸君。毎日のお勤めごくろうである。諸君らの勤勉なる働きのおかげで我が邸宅の完成は目前とせまるところだ。さて、本日はとても残念な報告をしなければならない。今この時をもって、ここにいるひとりの若者が栄誉ある事業から脱落することとなった。非常になげかわしいことである。われわれは貧しさのあまり、行き倒れる寸前の野良犬どうぜんであった君たちを雇い、仕事を与えた。食事と住む場所を与えた。最低限でも人間らしく生きるためのすべを与えたつもりだ。ならば、諸君らはわずかでもわれわれに対する恩に報いなくてはならないはずである。諸君らが私に対して報いること、それは身を粉にして働き続けることでなくてなんだ? 諸君らを〈人間〉たらしめている尊厳を与えているのは働き続けることでなくてなんとする?ならば、病気になろうが、手足を一本失おうが、這いつくばってでも働き続けるという誠意を見せてもらいたいものである。しかし、私だって鬼ではない。死ぬまで働き続けろというのは酷である。だから、もし辞めたいと願うものがいた場合、あえてそれを引き止めるつもりは毛頭ないわけである。ただし、辞める際には諸君らに返してもらわねばならぬものがある。諸君らが仕事を失うということ、すなわちそれは〈人間らしい生き方〉を捨てて、ふたたび野獣どうぜんの暮らしに戻るということだ。ならば諸君らはもう〈人間〉である必要もあるまい。私のもとを去り、生きるすべを失くすということ、それは言いかえれば〈人間を辞める〉ということと同義である。さて、くだらない長口舌ちょうこうぜつはここまでとして、〈人間を辞める〉ということはすなわちどういうことなのか、この若者に手本を見せてもらおうではないか。諸君らもよく目に焼きつけたまえ。――おい、やれ!」

 家来の男たちは機械を作動させました。低いうなりをあげながら機械は徐々に、強い振動と地鳴りのような高い反響音をひびかせます。音と振動が臨界点に達すると、家来の男たちは一気に機械のレバーを引きました。

 すさまじい爆発音と発光とともに、強い電流が機械からヘルメットをかぶった若者のからだへと流れ込みました。若者のからだは激しくもんどりをうって痙攣けいれんしました。周囲から悲鳴のような叫び声があがります。王様が、「もうよい」と合図をおくると、家来の男たちは機械を停止させました。白目をむいて卒倒し、口の端から泡をふきだしながら倒れた若者は、ピクリとも動きません。周りにいた傍観者たちは心配そうに――しかし、それをはっきりと表情やしぐさには出そうとせず――若者の様子を見ています。

 しばらくして、若者のからだがピクリと動きました。ゆっくりと若者は立ち上がります。

(――? おれはなんともなかったのか? 無事だったのか?)と、若者はいぶかしげに自分のからだを確認します。

 その時、傍観者たちからつんざくような悲鳴やどよめきが起こりました。ある者は目を手で覆い、ある者は一目散に逃げ去ったりしました。しかし、なにが起こったかわからない若者は、ただただ戸惑うばかりです。

「どうだね? 気分は」

 王様はニコニコと満面の笑みをうかべながら、上機嫌にたずねました。けれども、状況がまったく飲み込めない若者はどう答えてよいやらわかりません。王様は家来のひとりを呼び寄せると、なにやら指示を与えました。指示された家来が持ってきたものは、大きな一枚の鏡でした。

「さあ、新しく生まれ変わった自分の姿を見てみるがよい」

 若者はおそるおそる鏡のほうへ這いずっていきましたが、鏡の前まで来ても、こわくて目を開くことができません。でも、意を決してまぶたをゆっくりと開きました、

 鏡のまんなかに映っていたのは、醜い豚の顔をした男がひとり。はじめはそれが自分だとはとても信じられませんでした。若者はふるえる手で自分の顔に触れてみました。でかくて醜悪な鼻。産毛うぶげのびっしり生えた、ぶよぶよした皮膚。まちがいなく手で触れているのは自分の顔でしたが、感触はまったくちがったものでした。

「いまは顔のみだが、いずれ全身が獣と化してくるだろう。さあ、きみはもう自由だ。これからは醜い獣となって、労働とは無縁の暮らしをおくるがよい」

 そう言うと王様は鷹揚と去っていきました。若者はふたたび家来の男たちに抱えられ、どこかへと連れて行かれました。もはや若者のほうも、抵抗する気配すらありません。労働者たちはしばらくのあいだその様子を見守っていましたが、やがて散り散りとなって、それぞれ自分たちの仕事の持ち場へと戻って行きました。

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