49*ノスタルジーに浸ってるの?



 いつものトコ、とは、ファスラン達が大学生時代によく使っていた言葉だった。大学の近くにある、大衆居酒屋の事だ。お洒落や綺麗だとはお世辞でも言えないようなお店だ。


 しかし、そのリーズナブルな料金は苦学生にも関わらず酒好きだった3人にはありがたいお店だった。その居酒屋に集まる時の合言葉のようなものが、『いつものトコ』だった。



 ファスランとヘンデルはすぐさま仕事を切り上げ、白衣を脱ぎ、ガルディンベルク帝国大学の近くにある居酒屋に向かった。


 研究職の公務員として研究所で働き始めてからはまとまった収入が得られるようになった為、その居酒屋に行く事もなくなった。ヘンデルなどは、酔うと高級クラブにも足を運ぶようになった。いつからか、その居酒屋の事は記憶の片隅に追いやられていった。




 店構えは、少しも変わってはいなかった。


 店の扉を開くと、溢れ出てくるように聞こえる賑やかな雰囲気。狭い店内に所狭しと並べられた木のテーブルと、そこでビールを飲む陽気な酔っ払い達。ファスランとヘンデルは店の隅のテーブルに座り、ビールとソーセージとクヌーデルを注文した。


 大きなジョッキに並々と注がれたビールはすぐに運ばれてきた。乾杯、と言って2人はジョッキを合わせ、ビールを飲んだ。


「やっばここのビールはうめぇな」


 ヘンデルが言った。


「そうだね」


 ファスランが答える。


「あの頃ってさ、夢があったよな」


 ヘンデルは、ジョッキの中で揺れる麦色の液体を眺めて言った。


「うん、でも、今でも夢はあるよ。エーテルを新たなエネルギーとして利用する技術。僕はそれを実現させたい」


「はい、お待ち」


 店員さんが、ソーセージとクヌーデルを運んで来た。


「ったく、お前はめでたい奴だよ」


 そして、羨ましくもある。ヘンデルは、フォークに刺したソーセージを頬張った。


「なに? 学生の頃を思い出してノスタルジーに浸ってるの?」


 女性の声がした。振り向くと、そこにはアンナがいた。白衣は着ていないが、真っ黒なゴシック・ドレスを着ている。とてもこの大衆居酒屋には似つかわしくない服装だが、アンナは学生時代から変わらずゴシック・ドレスでこの店に足を運んでいた。


 アンナは席に着くと、店員にビールを注文した。


「お前こそ、こんなトコに呼び出して、あの頃が恋しくなったんじゃないのかよ」


「バカ言わないで」


 店員がビールを運んできた。アンナはジョッキを傾け、ビールを流し込んだ。白く細い喉が、波を打って揺れた。


「あの件だけど」


 アンナが、声量を1レベル下げて言った。


「ファスが持ってきたデータとRAのエーテル波形を照合した結果、一致率は99.9999%だった」


「お前……」

「それは!」


 ファスランは、今にも飛び出さんという姿勢で言った。


「RAに限りなく近い何か」


「そういうことになるわね。で、その0.0001%違ったものが何なのか、解析したら」


「何なんだい!?」


 ファスランとヘンデルは、生唾を飲み込んだ。


「ヒト・エーテル(人間が持つエーテル遺伝子。全く機能しておらず、何のために存在しているのかはまだ解明されていない)だった」


「ヒト・エーテルって」

「どういうことだよ……」


「分からない。でも、色々仮説は立てられるわね。例えば、エリア69で現れたとされるRAの正体は人間、とか」


「ま、まさか、そんなことってよ……」


「コダマや、ゼーラフと同じようなものである、ということだね」


「あるいはね」


「でも待てよ。それじゃあ、エリア69を破壊したのはコダマ達じゃなく、真犯人はRA人間で、そしてそれは人為的に起こされた可能性があるってことか……」


「あくまで可能性よ。仮説でしかない。いいこと? 今の状態で騒ぎ立てるのは危険だから、とりあえずアナタ達は黙っておくこと」


 アンナは、黒のネイルが光る人差し指を黒い唇の前で立てた。


「う、うん……」

「お、おう……」


「今日はそれだけ言いに来た」


 アンナはそう言うと、ジョッキを傾け、ビールを一気に飲み干した。


「じゃあね、私は仕事があるからこれで」


 そう言って、アンナは財布からお札を一枚出し、丁寧に机の上に置くと、席を立った。


「アンナ!」


 ファスランは、まるでプールから飛び出すイルカのように勢いよく立ち上がった。その勢いで、アンナが置いたお札が風に吹かれた枯葉のように宙に舞った。


「ありがとう」


 アンナは立ち止まったが、振り返る事なく居酒屋を後にした。ファスランは再び座る事なく、リュックを担ぎ上げた。


「ボンの街から土や瓦礫を採取してきたんだ。これのエーテルを解析をしてくるよ」


「あぁ。俺はもう少し飲んで頭を冷やすよ」


 ファスランはそのまま走って居酒屋を出て行った。ヘンデルは両手でパーマのかかった頭を抱えた。


「洒落になんねぇぞ……」


 そして、何かを洗い流すようにビールを一気に喉に流し込んだ。








 アンナは、居酒屋を出るとタクシーを拾い、国務庁特殊研究所に向かった。


 研究所に着くと、エレベーターで地下に降り、副所長室で白衣を羽織ると、更に地下に降りて、選ばれた者しか入る事の出来ない極秘研究エリアに入った。


 自動ドアが開くと、そこには、真っ白な部屋の中央に、赤、青、黄、白、様々な色、そして様々な種類の花が、鮮やかにその花弁を広げていた。黒いゴシック・ドレスに身を包んだアンナがその中に立つと、まるで印象派の絵画のようであった。


 アンナは一輪の黄色い花を摘み取ると、隣りの部屋に入り、作業台の上に黄色い花を置いた。そして、横においてあったナイフを手に取ったその時、研究室のドアが開いた。アンナは顔を上げた。


「ホプキンス博士」


 ドアの前に立っていたのは、水色の鋭い瞳でアンナを見つめるホプキンスだった。


 ホプキンスは、作業台を挟んでアンナの反対側に立つと、作業台の上の黄色い花を見つめた。そして、またアンナを見た。


「君の、1番大切にしているものは何だ?」


「え……?」




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