とある織物士の解放

時化滝 鞘

とある織士の解放

「またお前か、カディ!」

親方の怒声が広間に響く。

「誰がここに赤を入れろと言った!図面通りにもできんのか!」

「・・・。すみません。考え事をしていました・・・。」

「今日の晩飯でも考えていたのか?阿呆をやるのもいい加減にしろ!お前はもういい!帰れ!二度と来るな!」

「・・・。そうします。ありがとうございました。」

「随分と潔いな。食ってかかる根性もなくしたか。なら、なおさらお前のような役立たずはいらん!帰って別の仕事でも探すんだな。家の名が泣くぞ。」

「・・・。」

怒鳴り立てる親方を背に、カディは無言で広間を出て行った。

 この広間は、「大織布の間」と呼ばれる、由緒正しき王宮の一室。この部屋では、五年に一度、神が眠るとされる「大門」の前に掲げる、巨大なタペストリー「大織布」が、織士たちの手で織られる。神は荒ぶるものであり、暴れ出せば民のほとんどが失われると言い伝えられる。それを落ち着かせるため、意匠を凝らした大織布を掲げ、神はそれをためつすがめつ、大人しくなる。ただし、五年で見飽きてしまうため、それに合わせて大織布を取り替える。

 カディの家はその織士の名門の一つで、カディも将来を期待される若手だった。カディ自身、大織布の織士に抜擢されたときは、意気軒昂に励んだものだった。カディの感性は、他人と少し違ったところがあった。それ故に、何度も親方たちとケンカになった。

 そもそも「大織布」を織ることは国の一大行事であり、そのデザインも国一番の芸術家に任される。織士は、そのデザインを元に、大織布を織る。それを変更することは国が認めた芸術家に泥を塗ることであり、国辱とも取られ、織士の禁忌とされてきた。カディは、それをやった。それも何十回も。そのたび親方たちともめ事を起こし、いつしか他の織士たちの間でも厄介者扱いされるようになった。

 今回も、元のデザインでは青だったのを気に入らず、赤の方が映えるだろうと思ってやったことだった。出来映えを見比べれば、親方も、他の織士たちも理解してくれるだろう、一目置いてくれるだろう、そう思って、やったことだった。しかし、現実はこうだった。

-ホラな、お前なんていらないんだよ-

-楽になった方がいいって、なに、ちょっとカミソリをのどに当てるだけさ-

いつからだろう。こんな「悪魔の声」が聞こえるようになったのは。

いつからだろう。この「声」が邪魔で眠れなくなったのは。

 誰の声でもない、ただ聞こえる、この「声」の正体は何だろう。誰も気づかない。気づいてくれない。自分の異変に。例えばこの左手のリストバンド。この下に何を隠しているのかも、誰も聞いてくれることもなかった。

 「大織布の間」から出て、玄関口にさしかかったところで、見知った顔に出会った。

「あら、カディ。まだ仕事中じゃないの?」

「・・・。アリアか。・・・。追い出された。」

アリア。カディの幼馴染の村娘。昔は一緒になってやんちゃをしたものだが、今ではすっかり大人しくなった。

「また親方に噛みついたの?アナタもよくやるわね。」

-ほーら、幼馴染だって、お前のことなんかわからねぇよ-

「・・・。うるさいな。」

「カディ、大丈夫?目の下、すごいクマよ。寝てないんじゃない?」

「・・・。なんでもない。」

-この女の目当てはお前の織士の地位と財産さ-

-クビになったってわかりゃ、すぐにそっぽ向くぜ-

「ま、やんちゃなアナタにはいい薬ね。せっかくだし、しばらくお休みもらったら?ちょっとお出かけでもして、頭冷やしましょ。」

-ほーら、ちっともわかってない、誰もお前を理解なんてしてくれねぇよ-

-さっさと死んじまえよ、楽になろうぜ-

「・・・。関係ない。俺に関わるな。」

「ホントどうしたのよ?前まであんなにハキハキしてたじゃない。気分でも悪いの?」

-ただのご機嫌取りさ、今にポイと捨てられるぜ-

「・・・。お節介はやめろ。」

「アナタ、何かに取り憑かれてるみたい。お医者にかかってみたら?」

-お前を隔離するつもりだぜ-

-病院なんか行ったら二度と出られねぇ-

「俺に関わるな!うるさい!黙れ!」

つい声を荒げてしまう。これがアリアへのものなのか、「声」に対してのものなのか、カディ自身もわからない。アリアは驚いた顔をした後、

「ああそう!なら好きになさいな!知らないんだから!」

そう吐き捨てて走って行ってしまった。

-ついに本当に独りぼっちだ、孤独死一歩手前だな-

-謝っても許してくれないぜ、こりゃさ-

「・・・。くそっ!」

-だーれも理解してくれない、だーれも見てくれない-

-誰も、だーれも、みんな、みーんな-

「チクショウ、チクショウ!」

わけが分からなくなって、自棄になってカディはアリアとは反対方向に走り出した。人混みを縫って走り続ける。

-「痴話喧嘩か」って呆れられてるぜ-

-お前が悪いのにな、みんな馬鹿を見てる目でお前を見てるぜ-

「くそっ!うるさい!うるさい!黙れよ!何だよ!」

次第に人が見えなくなり、どこをどう走ったか、走り疲れて、息を切らしながら目の前を見る。「大門」の前だった。三年前に従兄弟が手がけた大織布が掲げられている。夕日が大織布を赤く染め、神がおわすといわれる門の扉を隠していた。荘厳で美しかった。この光景に自分が関わっていれば。そんな悔しさがわき出てくる。

-お前が手がけた駄作とは大違いだな-

-お前は所詮、良くて凡作がせいぜいの能なしだよ-

相変わらず「声」が響く。周りに人はいない。

ゴンッ

突如、重い何かが動く音がした。「大門」の方から聞こえたように感じた。大織布がヒラリとはためく。門の内側から風が吹いたようだった。

「・・・。まさかな。」

怪しく思いながらも、「大門」に近づき、大織布を軽くまくってみる。

「・・・!」

門扉が開いていた。普段は固く閉じられているはず。それは「大織布」の交換の儀式の際に見て、よく覚えている。都合四回も見ているのだから、間違いない。まさか、荒ぶる神が暴れ出す前触れか。

 何も見なかったことにして、こっそりしっかりと閉じてしまうか、そう思ったときだった。

ヒック・・・ヒクッ・・・エグッ・・・

門の中から、泣き声が聞こえてきた。

ウエェ・・・ン・・・エグッ・・・ヒック・・・

確かに聞こえる。間違いない。

「・・・誰かいるのか?」

返事はない。しかし、泣き声は聞こえ続ける。

ヒック・・・ヒック・・・ウェェ・・・

聞こえていないのか。それほど怯えているのか、門の中の神に。

「・・・。仕方ないな。」

カディも怖くないわけではなかったが、中に人がいるなら、助けてやらねば。大人の矜恃というものは持っておきたい。

-助けてやっても感謝なんてされないぜ-

そんな「声」を連れて、「大門」の門扉をくぐる。

 「大門」に入るやいなや、またもゴォンッという音と共に、今度は門が閉まってしまった。完全に闇に包まれる。

「な!?なんてイタズラだよっ!くそ!」

慌てて門扉を動かそうとするが、押しても引いてもびくともしない。そして、

ヒッグ・・・エッグ・・・

泣き声は続いていた。どうやらこの泣き声の主のイタズラではないようだ。辺りを見渡す。真っ暗なその中で、

ヒック・・・ヒクッ・・・ウエェ・・・

座り込んで泣いている人影が浮かんできた。

「・・・。困ったヤツだ。」

カディはそう言いながら、一人よりはまだましだと思って、その人影に近づく。その輪郭がハッキリ見えるようになって、ギョッとした。

ウゥ・・・ヒック・・・ヒック・・・

泣いている人物は、自分の顔をしていた。鏡の前でよく見る、見慣れた自分の顔が、クシャクシャになって泣き続けていた。

「・・・。何だ・・・。どういうことだ・・・?」

泣いているカディは、それを見ている自分に気づかない様子で、泣き続けている。わけが分からなかったが、自分の顔で泣き続けられるのはかんに障る。

「・・・。おい。」

「ヒッグ・・・ウェ・・・ヒクッ・・・」

「いいから泣くのをやめろ。こっちを見ろ。」

「ウエッグ・・・ヒグッ・・・」

もう一人の自分の胸ぐらを掴み上げ、

「泣くなと言ってるだろ!俺の顔で泣くな!腹が立つ!」

カディは怒鳴りかけた。すると、

「エグ・・・お前・・・ヒグッ・・・ために・・・」

初めて、もう一人の自分が口をきいた。

「何!?何が言いたい!ハッキリ言え!」

さっきから泣かれてばかりで、カディの頭は完全に血が上っていた。泣き声ほど人を不快にさせる音はない。

「ヒグッ・・・お前・・・エック・・・泣かない・・・ヒグッ・・・だから・・・俺が・・・ヒクッ・・・泣く・・・ヒック・・・」

「・・・何なんだ!?余計なお世話だ!」

「お前の・・・ヒック・・・心・・・エグッ・・・泣いてる・・・我慢してる・・・」

「・・・!?」

「なぜ・・・ヒクッ・・・泣かない・・・エック・・・」

「なぜだと・・・?泣くのは弱いヤツだからだ・・・!強くなきゃいけないんだ!」

「弱い・・・エック・・・泣く・・・嘘・・・」

「何が嘘だ!強いヤツは泣かない!どんなときでも!」

「嘘だ。自分の弱さをさらけ出す勇気の無いヤツが強いわけがない。」

もう一人のカディは突然泣き止み、普通に口をきき出した。

「・・・!?」

「本当に強いヤツは、自分の弱さを知っている。自分の心がどうしたいかを知っている。そしてそのままに自分をさらけ出す。自分を偽るお前の方が弱い。だから『悪魔』が取り憑く。」

「それは・・・」

『悪魔』とは、先ほどまで響いていた謎の「声」のことか。気づけば、いつの間にかその「声」は聞こえない。

「その左手は悪魔の序章にすぎない。弱いお前を、悪魔は徐々にいたぶる。自分を傷つける行為を促し、少しずつエスカレートさせながら、お前を苦しめながら、死に追いやる。楽には死ねない。」

「お前は・・・一体・・・」

「本当はお前は泣きたいんだ。心の底から、大声で。泣けばいい。ここには『俺』しかいない。俺と『俺』しかいない。隣人にも聞こえない。恥も外聞も無く、思いっきり泣ける場所だ。」

「・・・。自分の前で、泣けるかよ・・・。」

そう言いながらも、カディは涙がにじみ出てくるのを感じていた。

「強がる必要は無い。それこそ弱いヤツがやることだ。強いヤツは、泣きたいところで泣く。その代わり、笑いたいところで笑う。」

「く・・・っ」

涙がついに一滴、こぼれだした。

「人間は、泣いても『泣くな』と叱られるだけだから泣かなくなる。『つらい』と言っても、『みんなつらい』とはぐらかされて、自分の本当のつらさを理解してもらえない。『自分』を作るのは『周り』なのに、『自分』の弱さを『周り』のせいにするなと怒られる。『個性』を尊重するといいながら、『均一』の教育を受けさせ、『個性』を殺される。それを矛盾しているとも気づかず、それを『強さ』と勘違いする。」

「く・・・ウゥ・・・。」

堰を切ったように、涙がどんどん溢れてくる。

「そうだ。泣くんだ。自分の前で、自分のために。つらいことは素直に言え。今の自分を、全て他人の責任に押しつけろ。『お前』をさらけ出せ。それが『強さ』だ。」

「ウ・・・ウオオォォォ・・・!ウアァァァァ!」

ついに、カディは泣き出した。大声を上げて、「自分」を掴んでいた手を離し、地面に突っ伏して。恥も外聞も関係なかった。そこには、どこまでも矮小だった自分一人がいた。

「俺の何が悪いんだ!元のデザインの方がクソのくせに!俺がやった方がずっといいんだ!クソの図面に従う必要がどこにある!俺は人形じゃない!俺にだって職人のプライドがある!捨てられるか!捨ててたまるか!みんな俺を厄介者扱いしやがって!お前らの方がプライド捨てた人形風情のくせに!親方だからっていきがりやがって!人形の親方なんて誰が必要とするかよ!チックショオオォォォォッ!」

 とことんまでわめき散らした。誰にも彼にも向けて悪口を言った。口汚い台詞も吠え続けた。泣いて、泣いて、今までため続けた鬱憤を吐き出しきった。やがて、泣き疲れたカディは、眠りについた。随分と久しぶりの、深い、安息の眠りだった。

 どれだけ眠ったか。元々真っ暗闇なので、時間の流れがわからない。ただ、誰かが自分をツンツンと突っついている感触で、カディは目を覚ました。うすらぼんやりした頭を振って、辺りを見回す。相変わらずの真っ暗闇に、人影が一つ。今度は、「自分」じゃない。年端もいかない少年だった。

「どう?思いっきり泣いた気分は。」

誰かはわからないが、思いっきり見られていたようで、恥ずかしさがこみ上げてきた。

「え・・・えぇと・・・君は・・・?」

「アハハ、さっきまでお話ししてたじゃない。もっとも、姿形は違うけど。」

「・・・え?・・・っていうことは、さっきの『俺』・・・?君は一体・・・」

動揺するカディに、

「神様だよ。一応ね。君たちは僕のことを『荒ぶる神』なんて忌避してるみたいだけど。」

「・・・なっ・・・!?」

少年は衝撃の事実を暴露した。

「勝手な話だよねぇ。神様に向かって『荒ぶる』なんてあだ名付けて、布きれ一枚で、五年も暴れるのを我慢してくれってさ。」

「そ・・・そう・・・ですか・・・。」

「そういきなりかしこまらなくてもいいよ。泣き交わした仲じゃない。」

無礼な態度を取ってしまったことに血の気が引いたカディに、神様は軽い調子で話しかける。

「で、もう一度聞くけど、どうだった?思いっきり泣いた後の気分は。」

神様の質問に、

「かなりスッキリしたよ。おかげさまで。でも、やっぱり泣くのは嫌いだね。」

カディは正直な感想を口にする。

「アハッ。そりゃそうだね。泣くために生きてる人間なんていないもん。」

「じゃあ人を泣かすなよ。」

「でも、スッキリしたでしょ。人間って変だよね。動物の中でも感情表現がすごく豊かな動物なのに、さっき言ったように、感情を殺すことを教えられて、一人前とか、強いとか言われるんだよ。もっとさらけ出した方が、有意義だと思うけど?」

神様からの問いかけに、カディは「フム・・・」と考えた後、

「ヒーロー願望ってヤツかな。物語の中のヒーローは、泣かないし、弱音も吐かない。他人の悪口もほとんど言わない。怒ることはあっても、『こういう怒りは正しい』って教わるんだ。そういうヒーローを自分の子供や弟子とかに求めて、『こうなれ』って押しつけるんだ。」

「なるほど。『理想像』を他人に押しつけて、『強さ』を錯覚させるんだね。僕が『荒ぶる』なんて言われてるのも、そういう押しつけの賜物なんだね。」

「違いないだろうけど・・・。理由がなければそうそう物騒なあだ名は付けられないと思うけど?」

神様は「いやぁ~、アハハ・・・」と苦笑いして、

「シャチって生き物知ってる?海に生きるほ乳類。とても賢いんだけど、人間と遊んだりすると、つい調子に乗りすぎて『遊び殺しちゃう』ってことがあるんだよね。」

「しっかりそれらしい理由があるんだな。」

カディは呆れてため息をつく。

「ア・・・ハハ・・・。・・・ねぇ、人生に一番必要な感情って何だと思う?」

「ん・・・?」

突然の二つ目の質問。カディはまた少し考えて、

「もしかして・・・、『泣く』ことか?」

この神様のやり方からして、これだと思った。が、

「残念。実は違うんだな。」

否定された。

「じゃあ、何なんだ?」

「それは『笑う』ことさ。」

「人を思いっきり泣かした神様からとは到底思えない発言だな。」

ちょっといじめ心が沸いて、カディはチクリと嫌味を言ってやる。

「ひどいなぁ。でも、人は笑うために生きるのが、一番いい生き方だよ。悲しいばかりでも、むなしい怒りも、自分や周りを不快にさせる。」

「だから笑えっていうことか。」

「もうちょっと踏み込んで、楽しく笑って生きようってことさ。そのために、不必要なものはさっぱり切り捨てる。」

「簡単に言ってくれるが、意外と難しいぞ。人間は複雑だからさ。」

「そうだね。それができるのが強い人なんだ。我慢してばかりだと、さっきまでの君みたいになっちゃうよ。」

「なるほど、そうだな。」

カディが納得すると、

「ねぇ、約束してほしいことがあるんだ。」

神様が申し出てきた。

「・・・何を?」

ちょっと警戒しながら、カディが訪ねる。

「泣いてもいいんだ。つらかったら、思いっきり泣いて。でも、それだけで終わらないで。泣きたいだけ泣いたら、今度は笑うことを考えて。泣いた後、三倍は笑えることを考えて。そうやって生きてほしい。」

「・・・。フフ・・・。それで俺を泣かしたのか。じゃあ、今度は三倍笑わなきゃいけないんだな。」

カディは含み笑いをしながら、やはりその難しさと、有意義さを考えた。

「そういうこと。ねぇ、僕と遊ばない?鬼ごっこしよう。君が鬼ね。」

「即断即決だな。と言うか、早速俺が鬼か。」

「いやぁ、僕が鬼だと、勢い余っちゃうかもしれないから。」

先ほどのシャチのたとえ話を思い出して、カディの笑顔が引きつる。

「・・・わかった。だけど、手を鳴らさないっていうのは無しだからな。」

そう言ってハンカチを取り出し、目隠しにする。

「オーケー。じゃ、いくよー。鬼さんこちら、手の鳴る方へー。」

パンパンと神様が手を鳴らし、カディは真っ暗闇の中でそれを追いかける。

「ここか!?くそ!・・・えいや!すばしっこいな!ずるしてないか!?」

「してないよー。ほら、手は鳴らしてるじゃない。」

確かに手を鳴らす音は聞こえるが、ここは「大門」の中。反響して、あちこちから聞こえてくるように感じる。

「くそ!この音が本物か!?ええい!」

「アハハ。こっちこっちー。」

あちこちへ走り回り、神様を追いかける。小さかった頃、友達とこうして笑いながら遊んだことを思い出し、カディにも笑いがこみ上げてきた。

「そうそう。遊びなんだから。笑おう。笑って僕を追いかけてよ。ホラ、こっちこっち。」

「逃げる方はいいご身分だな。ええい、こっちか!ハハッ少しは待てよ!」

「捕まりたくないもーん。アッハハハ!」

そうやって、笑いながら、体力の限りに遊んだ。結局、一度も神様に触れられないまま、大の字に倒れ込んだ。

「ハァ・・・ハァ・・・、くっそー・・・。」

「おしまい?疲れた?」

「ハァ・・・。自慢じゃないがな・・・、俺の体育の成績は・・・、五段階評価で・・・、二だ。」

息を切らしながら、カディは自分の体力のなさを神様に伝える。

「へー、そうなんだ。ほら、自分の弱さもさらけ出したよ。『強く』なったんじゃない?」

「まったく・・・、とんだ・・・、策士だよ・・・。ハァ・・・。さすが・・・、神様だな・・・。」

「しばらく休んでなよ。そしたら、そろそろ帰った方がいいかな?お腹も空いたでしょ。」

「ああ・・・。腹減った・・・。風呂にも入りたい・・・。」

「ごめんね。何にもないところで。」

「いいさ・・・。神様ってのは・・・、暇なんだな・・・。」

「うん、暇。布きれなんてホントは五分も経たずに飽きちゃってるよ。一人遊びも限界だなー。」

「なら・・・、たまに・・・、遊びに・・・来るよ。」

「ホント!?」

神様が目を輝かせる。

「約束する・・・。指切りな・・・。」

そう言って、小指を立てる。神様もそれに小指を絡めて、

「指切りげんまん嘘ついたら針千本飲~ます。指切った。」

今度来るときは、水筒と、サンドイッチくらいは作ってこよう。カディはそう心に誓った。

 「大門」を出ると、太陽がほぼ真上にあった。一晩をこの中で過ごしたことになる。それは腹も減るだろう。少し行ったところにある露店でホットドッグを買い、かじりつきながら家に帰ってみると、見知った顔が玄関先をうろうろしていた。

「何してんだ、アリア。」

「あっ!カディ!どこ行ってたのよ。心配したんだからね!」

怒っているというより、本当に心配してた、安堵の表情を浮かべている。本当のことを言うわけにもいかないので、

「ちょっと小旅行さ。お前がやれっていったんだろ。」

先日の会話の言葉尻を取ってみた。

「連絡くらいくれたって・・・。」

「何もかもお前の許可が必要なのか?面倒くさい。」

「それは・・・」

困った顔をするアリア。なるほど、表情豊かな人間は魅力的だ、と、カディは密かに思った。

「で?俺に何か用でもあったのか?」

「うん・・・。謝りたくて・・・。」

アリアが表情を暗くする。

「謝る?何を?」

「昨日のこと。無神経だったなって。後で聞いたの。正式にクビになったって。アナタのこと、傷つけちゃったって。ごめんなさい。」

「ああ、あのことか。俺もすまなかった。お前の心遣いを邪険にして。」

「・・・おあいこってこと?」

「そうだな。」

このとき、「ああ、自分はこの女が好きなんだ」とカディは実感した。だから、

「お前もさっさと似合わないまねはやめた方がいい。昔のお転婆なお前の方が、俺は好きだぞ。」

言った瞬間、アリアは顔を真っ赤にして、

「な・・・ッ!?何よそれ!み、みんなが『黙ってりゃカワイイ』って言ってくれてるから大人しくしてんのに・・・!」

「・・・。なるほど、これが『周り』が『自分』を作るってヤツか。」

「・・・何言ってんの?」

「いや、旅先で聞いた言葉さ。聞き流してくれ。」

「・・・?まぁいいや。それで、これからどうするの?実家には戻れないでしょ。」

アリアの質問に、

「さて、どうするかね。やりたいようにやるさ。ちょっとぐらいわがままな生き方が丁度いいとも学んだしね。」

「・・・。はぁ・・・?」

カディは漠然と答え、アリアはまた首をかしげた。

「まぁ、俺は織士以外の生き方は知らないんだがね。」

そう言うカディの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。


 カディは貯金をはたいて、街の外れに小さな自分だけのアトリエを作った。そこで、気まぐれにタペストリーや絨毯などを織り、気に入ってくれた客に売ってやった。様々な感情をデザインし、そのときの気分で布を織る。カディの感性は独特で、その出来映えは実に見事だった。味のある風合い、独創的な色遣い、すべてが「それがカディのものである」ことを現して、時に見る人を強く魅了した。

 たちまちのうちに「カディのアトリエ」は有名になり、どんどんと訪れる客も増えていったが、カディは自分の気まぐれを崩さなかった。基本的に、他人からの依頼は受けない。ある貴族が、自分のために絨毯を織ってほしいと、多額の報酬で持ちかけたが、カディは頑として受けなかった。人はそんなカディを変人扱いもしたが、「それもカディのキャラである」として、好意的に見る人もいた。

 カディの奇行が目立ったのは、時折アトリエを空けて、どこかへと出かけることだった。ある人がたまたま見かけたが、カディは何か手荷物を持って、「大門」を開けて中に入っていったという。カディは神様との約束で遊びに行っているだけなのだが、やはり余人からは「罰当たりの奇人」という評判も立った。

「アンタ、『大門』の中に入るのはやめなさいな。せっかく売れっ子なのに、売れ行きにも影響するんじゃない?」

アリアの忠告に、カディは

「俺も国も無事だろう。あの中で待ってる暇人がいるのさ。」

と、飄々と答えた。

「そう言う問題じゃ・・・。はぁ・・・。家から勘当されて、『俺も無事』ねぇ・・・。」

アリアは顔をしかめたが、

「そんな俺に付き合ってくれるお前がいるのが嬉しいよ。婚期も逃したくないな。」

「・・・もうちょっとまともな求婚の仕方はないの?」

「これでも顔が火を噴きそうなんでね。」

「バーカ。」

そんなアリアの、ちょっと嬉しそうな顔を見て、カディは指輪を出した。アリアはそれを受け取って、

「・・・私の指のサイズ、どうやって知ったの?」

「人づてにね。お前の寝室に忍び込んでやいないさ。犯罪になっちまう。」

「そりゃ犯罪よね。」

「妊娠もさせるが。」

ゴスッ!

「白昼堂々セクハラすんなド阿呆!」

ビンタではなく鉄拳が飛んできた。頬をアザで赤くしながら、

「そうそう、そういうお前が好きなの。指輪を受け取った責任はとってくれ。」

にこやかにカディは言って見せた。


 そんなこんなで二年が経った。カディがいなくなって後、順調に織り上げられた「大織布」が「大門」の前に掲げられた。国を挙げてのセレモニーと言うことで、多くの人が国中から集まった。

 「大織布」は縁起物として尊ばれ、国中の織士たちが、その小さなレプリカを織る。カディもそのご多分に漏れず、「大織布」のレプリカを織ったが、そこは奇人カディ。さらにこの「大織布」に関わり、何度もデザインや色遣いに文句をつけた織士だ。当然、そのままに織ることはほとんどなく、そこここに「カディらしさ」を織り交ぜ、見事な織布を織った。鮮やかな色遣いで飾ったり、繊細な色遣いと刺繍で見る人を刺激し、魅了もした。

 だからこそ、国すら揺るがす賛否の声が飛び交った。

「元のものよりもっといいものに仕上げている。」

「だが、勝手に意匠を変えるなど、国辱ではないか。」

「奇人だからこそやることだ。大門の中まで忍び込む罰当たりらしい行動だ。」

そうやって周りがすったもんだしているのを見て、カディはほくそ笑んでいた。意趣返しをやってやったと、上機嫌で、また気まぐれに布を織る。

「アンタねぇ・・・、いい趣味してるのに趣味悪いわよ。」

妻となったアリアもあきれ果てて、周囲のあれやこれやの物言いに四苦八苦していた。

 これをカディからの挑戦とアピールと見た国王は、次の五年後の「大織布」のデザイナー、もしくは親方にと、カディに使者を送った。国家最高の栄誉を与えられることにもなるはずだったが、カディはその勅命を丁重に断った。使者は驚き、国王も憤りを隠さなかったが、先の「大織布」の際の事情を知っていた従者が、「これはそのことが起因しているのだろう」と進言し、親方たちに、カディに謝罪するよう命じた。しかし、親方がどんなに頭を下げても、カディはデザイナーにも親方にもなりたくないと断固として断り続けた。

「勘違いしないでください、親方。頭を上げてください。俺の意趣返しはもう終わっていて、今で満足なんです。あなたへの遺恨なんてないんですよ。それに俺がこの仕事を断っているのは、国への侮辱とか、そんなものでもないんです。」

「じゃ、じゃあ、なんで仕事を断る?こんなに栄誉ある仕事は、この国にもそうあることではないのに・・・。」

「他の織士の『個性』を殺したくないんです。俺が『大織布』のデザイナーや親方になったら、全員が俺の色に染まってしまう。それは許しがたいんですよ。それぞれ『個性』があって、それで織士をやるはずなのに、それを統一化しようって言うのが。俺は自分の織りたいものを織ります。だから、この仕事は別の人に回してください。」

カディは素直な気持ちを口にして、使者と親方を送り返した。そして、再び気まぐれな仕事と神様との遊びを続けた。


 命が老いることに例外はなく、カディも例外なく老いていった。足腰は神様と遊び続けたおかげで、健康そのものだったが、やはりそれでも、体力も気力も、少しずつ衰えていった。

 やがて布を織ることもできなくなり、床に伏せることも多くなった。

「私が死んだら、できれば遺体は『大門』の中に収めてほしい。あそこには神様がいるんだ。寂しがり屋の神様が。だから、いつも遊んであげられるように。」

その遺言を残して、老カディはまもなく息絶えた。

 「大門」を開くことは相変わらず禁忌だったが、代替わりした時の国王がカディのファンであったこともあり、特別に「大門」が開かれることが許可された。そしてそのとき、カディが「大門」の中で、何をしていたか、その一端が知られることとなる。

 カディの葬儀が進み、王の手によって「大門」が開かれた。しかしてそこにあったのは、「大織布」だった。小さな織布が「大門」の壁の一面に並べて貼り付けられており、一枚の大きなタペストリーとなっていた。全体を俯瞰で見て、鮮やかに美しく、一枚一枚の織布が繊細で秀麗だった。一枚一枚が全体を引き立て、全体が一枚を際立たせる。完璧ともいえる、圧倒的な美がそこにあった。それを目の当たりにした、あるものは涙し、あるものは腰を抜かし、皆ただ圧倒されるだけだった。

 カディの生涯をかけた大作を見た国王は、涙しながらその偉業を讃えた。とりあえずそのときの葬儀は済ませ、偉人カディの遺体を納めるに相応しい、新たな棺を急ぎしつらえさせ、再び遺体を納め直した。

 この「究極の大織布」の扱いに関しては慎重な議論が交わされた。秘匿するにはあまりにももったいなく、常に公開するには惜しいものがあった。結論として、平常時は「大門」は固く閉じられ、「大織布」の掲揚を含めた祭事に公開することになった。


 それから幾分か経ち、祭事で「大門」が開かれた際、見慣れぬ干からびた死体が、「大門」の中にあった。いつ入ったかはわからないが、ずいぶんと時間が経っていたようだった。どうやら盗人であったようだが、なぜ門から出ずに死んだかまではわからなかった。ただ、門内の壁の一角に、誰が書いたか、

「我が友カディの遺作をないがしろにするものには慈悲なき呪いと死を」

と落書きがしてあった。それが明かされたとき、人々は「これこそ荒ぶる神の呪いである」と恐怖した。


 以後、「大門」と「究極の大織布」は無類の宝として保管された。

 そして今でも、「大門」は時折自然に開くときがある。そして、時折その中から、楽しそうに笑う男と子供の声が聞こえるという。

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