コーヒーは変わらない
みすてー
第1話
僕は出勤の一時間前に、会社の最寄り駅に着く。
地下鉄の改札から歩いて三十秒のところにある、大きな看板が目印のコーヒーショップに無意識に足が向く。朝の八時、大学生とサラリーマンが行列をつくる。お盆をとって、パンを選びながらコーヒーを頼む、よくあるコーヒーショップ。アルバイト店員がせわしなく注文を聞き、早口で会計をすます。マグカップ一杯、二百円。
僕はパンに目をくれず、いつもブラックのコーヒー一杯。
円卓のカウンター席を避け、ソファの対面席を探す。たいてい一つは空いている。
腰を下ろし、仕事鞄から、大学ノートとボールペン。ノートPCは最後に取り出す。
ワードには書き掛けのシーンが眠っている。
僕は趣味の小説の続きを書く。
大学ノートには物語の設計図ともいえるプロットが書かれている。PCでつくるひとが多いようだが、僕は手書きしている。何度も修正した跡が汚いように見えるが、手で書くことで自分がなにを考えていたか振り返りやすい。
また、このノートでスケジュール管理をする。自主的に〆切りを決めている。このシーンはこの日まで、というように。
うまく書けなくてもいいから目標とした日まででとにかく書き上げる。おもしろくならなかったシーンの書き直しスケジュールを別につくる。そういったマネージメントまで。
朝のこの時間、一時間弱で千字は書ける。一ヶ月二十日計算で、二万文字だ。もちろん、修正や書き直しでうまくはいかないだろうが、文字に起こせば、この作品の良いところ、悪いところ、修正点が見えてくる。継続は力なりとはよくいったもので、毎日のちょっとずつの積み重ねで一つの作品になる、このやりかたは僕自身気に入っていた。学生時代の活動時間は夜だったが、社会人となった今は朝の時間を充てた。仕事に行くまでに書くことでテンションがあがるからだ。
それに、仕事だけの人間ではない、仕事に人生を奪われたくはない、そう、思いたかった。
今日も目標となる山場のシーンを書き起こし、大変満足していた。
いつものように出社すると、髪もぼさぼさで、あくびばかりの先輩が突然僕に相談をもちかけてきた。
「今度のプレゼン原稿、読んでみてくれよ」
社内プレゼンで、パワーポイントでつくった資料にあわせて、解説する。いわゆる台本的な原稿、カンペともいえる。なくてもアドリブがうまいなら問題ないだろうが、彼はこれを書かないと当日混乱してしまうらしい。実際には起こした原稿をほとんど覚えてくるのだから、たいしたものだった。役者が向いているかもしれない。
僕は生返事で引き受け、早速スライドとあわせて、読み込んでみた。
読んでみて、すぐに詰まった。頭に入ってこない。小説脳とでもいうのか自分の頭の回転が悪いのかと最初はため息をついたが、すぐに考えが変わった。最初から最後まで、説明ばかりで読む人、実際には聞いている人、のイメージができていない。典型的なダメな文章だ。
「先輩、これは自信作ですか?」
「いや。俺も迷宮にはまりこんでる。気がつくことあったら言ってくれ」
気がつくどころではない、商品のいいところをまったく活かせず、なにを伝えたいのかもわからない。これではこの商品がもったいないし、かわいそうだ。
自分だったら、と。
僕が何気なく提案したことは、先輩も虚を突かれたようだ。
「いいけど……おまえの仕事の支障のない範囲でやれよ」
先輩は僕にアドバイスを求めたが、僕は逆に自分なら……と提案した。僕のストーリー仕立てによるもので。
現状では通用しないというのが先輩の頭にあるのだろう。生意気な後輩の提案にも先輩はうんと言った。やらせてみてダメだったら、先輩面すればいいくらいの気持ちなのだろう。
だが、僕は勝てると思った。
次の日の朝、いつも通りに喫茶店の端っこの席で安いコーヒーを片手に、原稿とにらめっこしていた。
しかし、いつもとは違う。先輩のプレゼン資料の構成を分解し、真新しい大学ノートに起こす。白いページに矢印を走らせ、再構成する。重要なところに赤を入れる。
この部分を強調するには前もって、背景やデータが必要だと一瞬たじろいだが、先輩の資料にはデータが付随していた、それもまた細かい。
先輩はこういう仕事をしっかりやるのだ。だが、それを表現できていなかった。
全部説明しようとしてもダメだ。
このコーヒーショップだって、店の前の看板にはコーヒー一杯の値段、それとモーニングの写真と値段しかない。商品サンプルは用意してあるから、興味ある人はそちらを見ればいい。コーヒーの成分はどこの豆で、マシンの製法や何CC入っているか、コップの素材はなんて誰も気にしない。
同じことだ。
僕は気づくと、予定を立てていた。
今朝、この構成を先輩に見てもらい、それでよければ、一気に書き上げる。大した字数にはならない。アピールするものも決まっている。それなら、明日と明後日で完成する。
皺だらけのシャツで、適当にネクタイを結び直しながら出勤してきた先輩に伝えた。
構成だけ見て、先輩は目を輝かせた。
「これ、勝てるな」
確信をもったようだ。
最後まで書いてみてくれ。課長には俺から言っとく。
仕事として認められた? しかし、僕には僕の仕事だってある。それをほっといてやろうもんなら、周りの視線が怖い。
やはり朝やろう。
そう決めて、翌日も、翌々日も朝の喫茶店で原稿を書いた。
仕上がった原稿を読んだのは課長だった。
よくできてるじゃないか。
存外に褒められ、僕は反応に困った。
次、最初から関わってみてよ。
課長につないだ先輩も得意顔で僕を見る。
やったな。おまえと組めば、次もうちのチームでいけるぞ。
別に先輩のためにやったわけではなかったが、認められるのは嬉しい。
僕は先輩の補佐、要はPCの操作と言うだけだが、プレゼンに立ち会った。先輩は案の定、原稿を丸暗記し、想定問答を頭に入れてあったようで、質問にもすらすら答えていた。
このストーリー通り、こんなうまくいくわけないだろ、だいたい予算の見積もりが甘い云々……と部長がダメ出しをした。僕ははっと思った。
これは僕の考えた、ストーリーだ。
偉い人がみんな、僕のストーリーにあれこれ言っている。
その光景はちょっと今まで観たことがなかった。
これはこれで興味深い。
ケチはずいぶんとつけられたが、最終的にはそのストーリーに社長が首を縦に振った。
僕たちのチームの企画が通ったのだ。
最初から関わってみてよ、という言葉はちょっとだけ重かった。僕は新しい商品のためのアイデア出しを、コンセプトの段階から任された。失敗してもいいから、試しにやってみて。そう言うのは簡単だが、僕はゼロからつくるのは苦手だ。
朝のコーヒーをすすりながら、三十分間集中して、ネタだしをした。
頭だけで考えても仕方がないと、大学ノートを広げる。
あ。
持ってきたノートは創作メモ用のノートだった。
仕事用に買い直したノートではなかった。
間違えた。
間違えた?
ノートには書きたかったこと、小説のアイデアがたくさん詰まっていた。
自分で決めたスケジュールではもうだいぶ進んでいるはずだった。
これ、どうしよう。
この続きには仕事のネタを書けない。
だって、この小説の続きをいつか書くのだから。
いつか。いつかっていつだ。
僕は一気にコーヒーを飲み干し、お店を出た。
コンビニでいつものノートとは柄の違うノートを買い直し、三十分前には会社に着く。
仕事は会社でやろう。
仕事の原稿は会社で書こう。
僕は新しいノートを開いた。
あれから一年、僕にも後輩ができた。
出勤の一時間前、僕は必ず会社にいた。
ある日、あの駅前のコーヒーショップに入っていく後輩の姿を見つけた。
僕が先輩に教えられたように。
彼にも同じことを言った。
一時間前にコーヒーでも飲んでのんびりしてろと。
コーヒーは変わらない みすてー @misticblue
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