紅く塗り潰す
「大丈夫か、しな子」
念象力者たちと戦い、爆風に打たれ、赤部もまたひどく傷ついていた。それでも、しな子の身を気遣い、声をかけた。
「あなたこそ」
しな子は、天井を正面に見たまま、ぶっきらぼうに言った。
「お互い、ボロボロだな」
赤部はそう言って、起き上がれずにいるしな子のそばに座り込んだ。
「大丈夫か。どこを、やられた」
「腕と、足。大したことないわ」
息が、荒い。相当無理をしている。
「少し、休もう」
「いいえ、駄目よ。川北の話、聞いてなかったの?」
「聞いていたさ」
「じゃあ、急ぎましょう」
「空からデュオニュソスがばら撒かれて、ゾンビだらけになるより、お前に無理をさせてお前が死んでしまう方が、俺は嫌だ」
「馬鹿ね。少し休んだところで、同じよ」
「お前がいれば、どんな奴が相手だって、俺は戦える」
「戦うのは、いつもわたしじゃない」
「そうだな。守ってやれなくて、済まん」
「やめて。わたしは、わたしの思うように戦うの。赤部さんが男だから、女のわたしを守らなければならないとか、そういう事じゃないわ」
「分かってる。それでも、だ」
「赤部さん」
しな子の声色が、少し変わった。
「川北を殺してくれて、ありがとう」
改めてそう言われると、何だかこそばゆいような気がして、赤部は口の中で、いや、と言うのみであった。
「いつもあなたは、わたしのために無茶ばかり」
「お前の、言う通りさ」
しな子が、床に付いたままの頬を上げ、赤部の方に向けた。
「なに?」
「俺がそうしたいから、そうしている。お前を助けること。お前のいる世界で、生きること。それが、俺の戦う理由なのさ」
我ながら歯の浮くようなことを言う、と赤部は内心苦笑いしたが、それを顔に出す余裕はない。
赤部は、どうせ、どれだけ心のうちを明かしても、しな子の答えは、ああ、そう。といういつものものに決まっているとも思い、それもまた心のうちで苦笑いを誘うが、しな子から発せられた言葉で少し表情を変えた。
「ありがとう」
としな子は言ったのだ。
「何だよ、急に」
「うれしいと、思ったから」
「素直すぎると、変に思ってしまう」
「もう、警察や消防が来るわ。行きましょう」
しな子が無理矢理に起きようとするのを察し、赤部は痛む身体に鞭打って先に起き、手を貸した。
握り合う手。それを通じて伝わる、速い脈。互いの脳内にオキシトシンが巡ってゆく。
「歩けるか」
「ええ。左足が、駄目みたいだけど。不思議と、痛みは少ないわ」
「デュオニュソスのせいかもな。痛みを和らげるものが、分泌されているのかも」
「かもね」
「お前は、どこまでも強いな。そんなになって、まだ動けるなんて」
「わたしが、神様だから?」
痛みを堪えながら、しな子が冗談にもならぬ冗談を言ってみせた。
「いいや、お前が、しな子だからだ」
それに対するしな子の答えは、いつもの通りだった。ただ、
「あなたと共に戦えていることを、とても幸せなことだと思っているわ」
と付け加えた。
回転灯とサイレンを潜るようにして、二人は開成中央病院を後にした。赤部がやられているのは左足だが、クラッチワークをするときの痛みに耐えれば運転は出来る。しな子は今まで、もっと多くの痛みに耐えてきたのだと思えば、何ということもなかった。自分はただその隣で右往左往していただけであったと思うと、恥ずかしくて悔しくもあった。それを推進力に、くたびれたアルファロメオはゆく。彼らの戦いについての何事かを示す点へ向けて。それが通過点となるのか終着点となるのかは、誰にも分からない。
四十分ほどで、目的の空港に着いた。小さな空港だから、探さずとも目的の飛行機は一目で見て取れた。十人ほどの定員と思われる、小型のものが一機、離陸準備をしているのかエンジンがかかった状態で、待機していた。
赤部は愛車に傷が付くことを厭わず空港のフェンスをなぎ倒し、滑走路上へアルファロメオを乗り上げた。ステレオからは、景気付けだ、と赤部が運転中にディスクを入れ替えたヴァン・ヘイレンが流れっ放しになっている。
「行くぜ、しな子」
ギアを三速に落とし、目的の飛行機に向かって、アクセルを更に踏み込んだ。しな子を助手席のレザーシートに更に沈みこませる荷重。
そして、衝撃。
ぱらぱらと飛行機から出てきた者どもが、一斉に発砲してきたのだ。そのうちの一発がタイヤに当たり、アルファロメオが激しくスピンする。そして、何かに乗り上げ、宙を舞った。
しな子の記憶が、蘇る。
あの日と、同じ。
天と地が逆さまになり、思わず目を瞑ってしまう轟音と衝撃が、彼女を弄ぶように振り回す。
とん、とん、たとん。
とん、とん、たとん。
その音で、しな子は自分がまだ生きていることを知った。
「おねえちゃん」
幼い頃の声か、あるいは奏太郎の声か。
「これで、最後にできるといいね」
それは、誰のものでもない。今この場に生きているしな子自身のものであった。
「大丈夫か、しな子」
赤部の声もする。すぐ隣にいるはずなのに、しな子、しな子と必死に呼ばわっている。
しな子は痛みを通り越して全く別の感覚が暴れ回る腕を伸ばし、赤部に触れてやった。
「しな子。いるのか」
「赤部さん?」
二人とも、転がったアルファロメオの中で、掠れた声で呼び合った。
「眼を、やられちまった」
何かの破片でそうなったのか、赤部は両目から出血しており、視界が効かないらしい。
「出ましょう」
しな子は自らと赤部のシートベルトを外し、ひしゃげたドアを開くだけ開き、赤部を引っ張り出してやった。
「大丈夫か」
「わたしのことは、いい」
車が爆発、炎上してもいけないから、脱出はしたが、しな子は自分の怪我の具合のことよりも、目の前の状況をどうするのか、ということを考えている。
すなわち、無残な姿になった赤部のアルファロメオを囲むようにして二人に向けて銃を構える男達のことである。
「どうした、しな子」
赤部は、視界が効かないから、状況が分からない。傷付いたしな子に寄りかかってしまわぬよう、その場に膝をついた。
しな子も、同じようにした。そして、関節の外れた左手はそのままだらりと提げたまま、右手を挙げた。
「君は、丹羽しな子かね」
しな子の正面にいる初老の男が、言った。
その声に反応し、赤部は初めて自分達の置かれている状況を察したらしい。しな子と同じく、手を挙げた。
「ええ、そうよ」
「君がここにいるということは、川北は――」
「死んださ」
視界を失った赤部が、ちょっと顔を上げながら言った。
「そうか。だが、君たちも、傷付いているね」
「だから、何」
しな子が半歩動くと、向けられた銃口に一斉に緊張が走った。そのうちの幾つかは、安全装置が掛けられたままであり、彼らがどこの所属であるのかは分からずとも、彼等が戦い慣れていないことを見て取った。こういう手合いは、滅多に引き金を引くものではないが、何かの拍子に弾みのように発砲してくることもあるから油断は出来ないが。
だから、しな子は、ある種の賭けに出た。
「赤部さん、ごめんなさい。あなたの大切なものを、わたしはあなたから奪うわ」
まっすぐに前を向いたまま、しな子は言った。
「何を、言ってるんだ、しな子」
「言ったとおりのことよ」
「やめろ。それだけは、駄目だ」
赤部は閉ざされた視界の中でも、しな子が今彼の方に首を向け、うっすらと笑っているのが分かった。
「もう、壊れてしまっているのよ。あなたには、見えないのかもしれないけれど」
「やめろ、しな子」
しな子は、答えない。
だが、やはり赤部には分かる。
今、彼女は、結んでいるのだ。
自らの脈の音。
とん、とん、たとん。
とん、とん、たとん。
「ごめんなさい」
一言、ぽつりと言い、傷付いたしな子は意識を集中し、結び切った。
左手の疼き。
ぱちりと、何かの
「やめろ、しな子!」
赤部の叫びを、熱風と爆音が、紅く塗り潰す。
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