セカンドベースに届かない!

みすてー

セカンドベースに届かない!



 一塁から二塁までの塁間距離は27メートル半。

 近いようで遠い距離。

 ごくりとのどが鳴る。


 じわりじわりと摺り足で、半歩ずつリードを取る。一塁から離れる自分の足も緊張しているのか、動きが硬い。

 あいつのいる二塁セカンドへ。


 そう、白井雪姫の守る二塁セカンドへ、俺は今から盗塁する。

 彼女は一塁ランナーである俺を警戒の目でちらりと一瞥する。ソフト部で使っている帽子から、ちょこんとはみ出た小さなポニーテールが揺れる。

 かすかに目が合った。にやりとして、すぐさまピッチャーの方へ視線を戻したようだ。

 やめてくれ、冷静でいられなくなる。

「みどりんっ!」

 ピッチャーの初芝緑が足をあげて投球モーションへ入った瞬間、俺の足は動いていた。

 が、それよりも早く、雪姫の声。ピッチャーの名を大きな声で叫んだ。

 ――ヤバイ、バレてる!

 グラウンドの乾いた土を思い切り踏み込んだ一歩目、すでに彼女に見切られていた。だが、そこで走りを止めるわけにはいかない。

なんとしても彼女のいる二塁へ辿り着いてみせる。

 ピッチャー初芝緑のボールはストライクゾーンからかなり外れた高めのボール球、キャッチャーの坂上優は立ち上がりながらキャッチし、そのままセカンドへスロー。

 打ち合わせたかのように、ピッチャーの緑はしゃがみこんで、自分の頭の上を通過するボールを眺める。本来、盗塁中のランナーがバッテリーを気にしている余裕なんてないんだが、やっぱり俺は初心者だった。気になってしょうがない。

 やがて、二塁手前にナイス返球がやってくる。

 俺は二塁へベースカバーに入る雪姫に向かって……じゃなくて、セカンドベースに向かって、頭から突っ込んだ。

 彼女のグローブに触れずに、ベースにタッチすれば!

 そうすれば、俺はあいつと並ぶことが出来る。

 想いは空を翔ける! 飛び込む瞬間、地面を希望と可能性で踏みつける。


「うおおおおお!」


 叫びながら突っ込んだ。

 同時に、ボールが雪姫のグローブに収まって、振り下ろされる。

 小柄だけど引き締まった体から伸びるしなやかな腕、そして、使い込んだグローブ。

 そう、振り下ろされた。俺の頭の上に。ぽんと。

 セカンドベースまでは俺の手では届かなかった。


「タッチアウト」


 彼女の、ちょっととぼけたようなクリアな声が耳元で聞こえた。

 その心意気はよし、とホコリまみれの俺の額をつついて真顔で言う。

「でもね、ちょ~と、今のプレーはいただけないよっ!」

 白井雪姫、通称白雪姫。ソフト部のホープとして期待された人材で、顔良し、スタイル良し、運動も出来て、勉強はちょいと天然な

性格が災いして若干苦手。行動力があって、なにげに頼れるクラスの人気者。俺は彼女に近づくきっかけとしてこの試合に臨んだ……

ハズだった。



2


 日曜の朝。いつもより登校時間が遅いとはいえ、あくびをしながら、ジャージ姿で校門をくぐり、一路校庭へ。昔、悪友の大島とキャッチボールするために買ったグローブをもってきた。結局、あの時は三日坊主だったが。

「おはよー、はやいね、宮坂君」

 今日も元気な白雪姫は俺の姿を見つけると大きく手を振ってきた。そんな仲でもないのに、うれしくなって俺もグローブを持った手で

応える。他のメンバーはちらほらと来てはいるが、おもに雪姫の取り巻きぐらいしか見当たらない。まあ、三十分前だから仕方ないし、

ホントに集まるんだろうかという不安もあるだろう。

「こんなに早いなんてやる気満々だね」

「競馬のラジオ中継が始まる前に家を出たんだ、そしたらこんな時間になった」

「なんで?」

「だってよ、聴き始めたら腰が重くなるだろ」

「そっか、偉いね。自制心ってやつだ。お姉さん感心しちゃうぞ。

でも、競馬は感心しないな。ギャンブルは大人になってから!」

 俺の誕生日と一日違いのジャージ姿の白雪姫は自前のグローブでキャッチボールしていた。相手は委員長の初芝緑。確か、あいつもソフト部だったような。

「俺は予想屋、買うのはオヤジだからいいんだ。それに、いい加減、おねえさんはやめないか?」

「なんで? 人生の先輩に向かってどうしてそんなことがいえる? 

お金を払うっていうリスクを背負わないで自分のことを予想屋だなんて言ってるおぼっちゃん」

 一日。たった一日の差でこれだ。でも、悪い気がしないのはなぜだろう。俺には姉属性でもあるんだろうか。

「新しい一面の発見だ」

 丸顔で巨体の大島が俺の心を読むように肩に手を乗せてきた。

「な、何の話だ?」

「いやいや、一人っ子のお前がおねえさんに世話を焼かれて喜んでいるからな」

 何気に渋い声を放つこの男は危なっかしいことを言う。

「あん? 喜んでねえ、だまってろよ」

「そうか? まあどっちでもいいがよ」

 男二人のこそこそ話にクエスチョンマークを頭に浮かべ、雪姫は俺のグローブに興味をもったように触れてくる。

「そういえば、宮坂君は野球経験者? 自前でグローブ持ってるみたいだけど」

「イヤ違う。俺はコイツの付き合いで始めて三日坊主。経験者は大島の方だ」

「そうなんだー、へえ、大島君がねえ、いやあ、おねえさん楽しみだわ」

 巨体で丸顔のあいつが経験者と言うことは打撃で期待してしまうだろう。どうみたってイメージ的にはホームランか三振なキャラクターだ。

「で、俺はどこ守るの?」

 クラス紅白戦を行うとは聞いたが、どんなチーム分けをするかは聞いてはいない。

「どこでも構わないよ」

「う~ん、ちょっとキャッチボールやってみよっか」

 距離をとって、ボールをポーンと投げてみる。当たり前だが、慣れた仕草で捕球し、返球する雪姫。ソフト部のホープという代名詞は伊達ではなく、コントロールに寸分の狂いもなく、俺の胸元にボールが落下する。言葉のキャッチボールの後に感情のキャッチボールが行えたら最高だなんて妄想しながら、投げようとすると、

「強く投げても大丈夫だよ! 思い切りお姉さんの胸に向かって投げつけてみな。どんな球でも受けとってあげるから」

 と、多少小振りな胸を突き出して、ドンと叩きながら叫ぶ。


 ――そういうことなら、遠慮なく。


 ボールを握りなら、ごくりとつばをのみこみ、そして投げる。思いっきり。

 ありったけの気持ちで!

 ボールは意外にも、コースを逸れずに雪姫に向かって力強く真っ直ぐ伸びていく。

「お」

 だが、雪姫は難なく正面から堂々とキャッチ。ふんばった右足がすこし砂利をこすってホコリが出る。

「お~。いい肩してるじゃん。たしか足もそこそこ速かったよね。

これでライトかセンターは決まりかな」

 お、足が速いなんてよく知ってるなーっと、ちょっとだけ嬉しくなる。

「打つ方はさっぱり自信ないけどな」

「男でしょ、ガツンといきなよ」

 拳を握って、そういう。

「二塁打くらいは打てるようにするよ」

 俺のとっての憧れの白雪姫は二塁を守る。

「なんで二塁打?」

 それは、二塁を守るのが、と言葉を紡ごうとした瞬間、

「あ、みんな来たみたい!」

 ぞくぞくと集まるクラスメイトにおーい、こっちこっち、と手を振る雪姫。

 ……言えずじまいだ。

 だが、それでも恥ずかしくなってそっぽ向いた。

 なにをくだらないこと言おうとしてるんだ、俺は。


 文化祭、それは年に一回のお祭りだ。だが、クラスの催し物は模擬店だとかお化け屋敷だとかいつも通りのものに偏ってしまう。その結果、出し物が重複したクラスを対象に生徒会は抽選を行い、ハズレクジを引いたクラスは他の出し物をしてもらう。そこで、生徒会の独断と偏見で――もっぱらグラウンドが空いていたからとかいう理由らしいが――野球対外試合となったのだ。

「本番の試合は選抜メンバーになる予定だが、その前にみんなの長所とか、各自がどんなことをやるのか、知っておいてもらいたいため、今日は紅白戦をやる。基本的にチームは男子チームと女子チームに分ける。選抜メンバーは最終的に男女混合になるんだが、今回はいちいち割り振るの面倒だし、男女分けした方が連携をとりやすいかと思う」

 クラス委員兼生徒会役員の冷静眼鏡――クールグラスこと坂上優の演説が終わると、これでいいかとばかりに隣の女の子二人に尋ねる。こくりと小さくうなずく、目つきの鋭い黒髪ボブカットの初芝緑委員長。今日のジャージ姿だってぴっちり着て、上下のチャックが緩んでいる個所はない。その隣で、うんうん、と雪姫が大きくうなずいている。雪姫も下はジャージ姿だが、上はジャージを脱いで白い体操着。上着は肩にかけてやたら男前だ。

 坂上優は野球部所属でキャッチャー。そしてその脇に控える目つきの鋭い黒髪の初芝緑委員長様はソフト部のピッチャー、さらに、切り込み隊長白井雪姫はソフト部のホープ。

 このメンツだから、出し物が他校との野球試合なんだろう、などと邪推する。

「女子チームにキャッチャーを出来る人がいないから、坂上君をレンタルします」

 異論はありますか? ないよね? と委員長の初芝緑は鋭い瞳で睨むように言う。

 はじめから譲るつもりなんてないのだろうが、確認はするようだ。

「だいぶ女子チームが有利じゃないか?」

 太い腕をゴツく組んでいる大島に尋ねる。

「そんなことないだろ。だいたいお前はスポーツで女に負けるつもりなのか?」

 あんまり良い発言ではないな、それは。

「ま、俺は雪ン子のいるセカンドにたどりつければいいんだけどね。

今日の俺のゴール板はあのセカンドベースだ。レコードタイムで辿り着いてやるぜ」

 そんな俺の競馬大好き発言に大島は肩をすくませる。

 学校指定のくすんだ茶色のジャージに身を包んだ白雪姫。守備位置は二塁。指定位置につきながらクラスメイトの女子たちに懇切丁寧にアドバイスしている。その動作一つ一つがおおげさなれど、堂に入っている。

 初心者ばかりの外野がザルだから、フライでもあげられればチャンスだなと大島は言った。そして、なぜか俺は三番に抜擢され、見た目が豪快な大島は四番だった。


3


「プレイボール」


 雪姫に説得された教師達が審判を勤めるようだ。生徒に頭下げられちゃかなわんわなと苦笑している。せっかくの休日なのに、先生もご苦労である。こういった人間の集め方は雪姫の得意技だ。この試合が決まった日にはもう、手配していたのだろう。

「おいちょっとまて、委員長すげーはやいぞ」

 男子チームの一番バッターが情けない声を出す。

 それもそのはず、男顔負けのスピードボールを放ってくれるのだ、

ピッチャーの初芝緑さんは。

「ナイスピッチ、バッターびびってるよ~」

 二塁から雪姫の笑顔のヤジが飛んでくる。これがなかなか攻撃力ある。

「おまえはそういう属性だったのか?」

 ニヤつく俺の思考を読んだように大島が声をかける。

「かわいいっていってんだよ、俺は被虐体質じゃねえ」

 改めてマウンドに目を移す。

 そこには鋭い目でバッターを睨み、マウンドから鋭い矢放つ黒髪の委員長。

 あっけなく、一番バッターは三振した。


 ――俺、打てるのか?


 二塁はともかく、塁に出るのすら、危ういんじゃ……。

「ほら、しっかり構えてよくボール見て!」

 よく聞けば、雪姫のヤジはアドバイスに変わっている。

 ボールが見えないんだからどうしょうもないが、これはなんというか照れる。

 カキンとボールを弾く音。三塁線へのゴロ。

 だが、サードのコは慣れないボールを慌てて捕球したようで落球。

「ドンマイ、慌てないで落ち着いていこう! これは練習なんだから」

 二塁からフォローの声が響く。どうやら雪姫は精神的な司令塔だ。

 そして、俺の打席。

 バッターボックスに入る。ピッチャーの奥にいる雪姫の姿。腰を落として、いつでもどこでも動ける体制に入っている。そんな姿に見惚れていると、スパンといい音がして、ボールがキャッチャーミットにおさまっている。ワンストライク。

「ほら、ちゃんとピッチャーの方、向いて!」

 耳が痛い叱咤。

 バッターを睨み倒すピッチャーのみどりさん。いやそんなに睨まんでも。

 続けての二球目。ボールが飛んできたのにあわせてバットを振ってみる。

 スイングの途中に衝突し、手に痺れを残し、打球はふわふわと舞い上がる。

 そのボールに意志があるのか、二塁手前に落ちようとしていた。雪姫は駆け出して落下点でキャッチ。ファーストランナーに向けて牽制の送球モーション。

 雪姫のところに飛んでいった……たったそんなことに、感激していた。自分の気持ちがこうもバットに伝わるとは……その感動はバッターボックスから一歩も足を動かさなかった。

「こら! 宮坂ッチ! ダメだよ、打ったらどんな打球でも一塁に向かって走らないと! もしあたしが落としてダブルプレー狙った

らどうする気だったの?」

 フライなら一塁ランナーは動けないが、もし、一度落下させてゴロにしてしまえば、一塁ランナーは走らざるをえなくなる。だから、セカンドを踏んでフォースアウトにして、一塁送球。もし打者が間に合わなければダブルプレー完成。

「あ、別に怒ってないよー! 覚えておいてもらいたいだけ! あ、あと、バットは最後までちゃんと振りきりな、男だろ」

 最後の部分はわからないが、彼女の言わんとしていることはもっともだ。

 ふん、素人相手も大変だな、と次のバッターの大島はつぶやいた。

 言葉どおり、彼は大きな当たりをライト方向にかっとばす。

 二塁打、一点先制だった。

 二塁へ辿り着くことを甘んじて他の男に譲ってしまった。むう。

 その後、すぐにスリーアウトになり、女子の攻撃にうつったが、彼女たちは経験者以外でもそこそこ当たりがでていた。それもそのはず、ピッチャー役の男がどうみても打たせてあげているのだ。

「本気で投げろよ、コノヤロウ! ライナーでぶつけちゃる」

 バッターボックスに入った雪姫のセリフである。彼女は憤りを感じているらしい。


「ナメンなぁ!」


 風を切るようなスイングで打ち返す。その打球は真っ直ぐピッチャーの男に向かっていった。言葉とは違って、腹に激突。衝撃でのたうつ彼。

「あたしに向かってナメた球放ったら、次は顔だからね! おぼえておきなっ!」

 一回目は警告ということらしい。

 一塁上で佇む、その姿。変なリズムを取っていたが、見惚れていた。

 が、グラウンドに響く金属音で目が覚める。

 本当に目が覚めるように俺の守備位置であるセンターに飛んでく

る。ダッシュ一番、届く届かないとか考えずにつっぱしる。

 そして、あと一歩。打球が落ちてくる。


 飛び込んだ。ダイブ・イントゥ・ザ・グラウンド。


 グローブに衝撃がおさまり、その直後に地面に激突。

 グラウンドの上でひっくり返っても、捕ったぜ、とアピールする

ためにグローブを掲げる。

「ナイスキャッチ!」

 予想通り、高くて弾んだ声が聞こえてきた。


 まかせろ!


4


 二順目の攻撃。打席が廻ってきたが、相変わらず打てる気がしない。尻上がりに調子をあげてきたのか、みどりんのボールは勢いが

増していた。

 あっという間に三振。タイミングもコースも、スイングはついていかなかった。

「もっとよくボール見て! 腰を落としてしっかり構えて!」

 各バッターにアドバイスしているが、本当に全打席アドバイスしている。盛り上げるために、みんなのためにと思ってやっているのだろうが、聞いてない連中も多いが、それでも止めない彼女の行為が健気過ぎる。ずっと見ていているとなんだか泣けてくる。

 ――次の回は絶対に塁に出るぞ。

 彼女のアドバイスを無駄にしたくない。活かしたい、その気持ちは冗談じゃない。

 が、大島がこのタイミングで二塁打を打って、またしても二塁を

譲ってしまった。

 あいつと並ぶと雪姫は小さく見える。それがなにかイヤだった。

 俺だったら、対等なのか? バットを強く握り、ふと疑問に思う。


 最終回、二アウト。そして俺の三打席目。ランナーなし。ピッチャーは変わらず、だが、一球一球の間隔が長くなっている。彼女だって疲れているのだ。それはそうだ。六回を一人で投げているのだから。男のピッチャーはすでに三人代わっている。なんてヘタレどもだ。

「あと一人だよ、ガ・ン・バ・レ!」

 セカンドの雪姫が声を出してピッチャーの緑を勇気付けている。それに応えるかのように汗をハンカチで拭う緑はうなずく。二対一。

ヘタレピッチャーどものおかげで女子チームがリード。

 この回、俺が出て、二塁まで辿り着ければ、次は調子のいい大島。

同点の可能性は充分にある。

 試合の展開としてまずはなんとしても、塁に出なければ。

 別に雪姫がいるからって塁に出たいわけじゃないと言い訳する。


 一球目、外れてボール。

 二球目、高め外れてボール。四球狙いいけるか?

 三球目、ワンバウンドのボール球。お、これは待ちだな。

 四球目、ど真ん中、ストライク。絶好球見逃し。

 五球目、低めの球、イケル、空振り。

 フルカウント。


 ごくりとつばをのみこむ。


 手についた汗をジャージにこすりつけながら、拭き取る。

 ボール球を待つか、素直に打ちに行くか。

 ここは、打ちに行くべきだ。四球狙いで待ってストライクがきた

らアホすぎだ。

 ――空振りだったら、ゴメンナサーイ!

 大きな空振り。

 だが、ボールはキャッチャーのミットに納まらなかった。


「走れ!」


 雪姫の声が響いた! それが合図。

 キャッチャー後逸。キャッチャーの坂上がキャッチできなかった

ボールがホームベース裏にて転々としている。

 ようするに振り逃げだった。細かいルールを決めてなかった手前、まあこれもありということで一塁到達。もう、二塁は目の前だ。目の前にあの白雪姫が立っていた。

「さんきゅ」

 と、ちょっと遠いが声をかける。

「やっぱ足速いね」

 なんて言っていた。頭を掻きながら適当に受け応えする。

「さて、面白くなってきたね。逆転のチャンスだよ」

 なぜならバッターは今日二打数二安打の大島。長打が出れば勝敗はわからない。

 そして、俺が二塁に進めばその可能性も大きく傾く。

 ちらりと二塁に目を向ける。雪姫がこっちを見ていた。慌てて反らす。だめだ、どうしても目がいってしまう。そこじゃないんだ、

ベースを見たいんだ。

 俺の今日のゴール板、それはあのセカンドベース。あいつのいるセカンドベース。

 今、第四コーナーを抜けて、直線を走っている気分だ。最後の打席でようやく廻ってきたチャンス。追い込み馬のごとく、最後の最後で見せ場を作るのだ。

 心に鞭を入れる。行くぞ! と。

 ピッチャー初芝緑の投球モーションが始まった、その瞬間、スタートを切る。

「みどりんっ!」

 雪姫の慌てたような声が響いた。

「俺は二塁に行くんだっ!」

 俺もそう、叫んだ。まったく意味がわからないが。

 そういえば、キャッチャーは野球部の人間だったってことをすっかり忘れていた。


 結果は、タッチアウト。


 頭からとびこんだ結果、顔は砂まみれ。

「心意気はよしっ! でも、宮坂君が向かうのは二塁じゃないよ、ホームだよ。それを忘れないでね。それに、普通、二塁は頭から突っ込んでいくもんじゃないよ? それとも、ムリしてでもあたしに会いに来たかったのかなあ?」

 そう言って、細い指先で俺の顔の砂を払ってくれた。

 冗談に聞こえない。

「ソフト部のホープである白井雪姫を……その、攻略したいと思ってね」

 へえ、と彼女は目を丸くする。どういう意味で受け取ったのか、わからないが。

「なおさら、二塁で満足してたらダメだよっ! ランナーはチームの期待と希望を背負ってるんだよ。無謀な走塁がどれだけのリスクかわかってる? ランナーはホームに辿り着くのがまずなによりの目標! 攻略対象が違う!」

 びしっと指差して持論並べる。

 確かに俺の走塁が勝敗を決した。俺がアウトになったことで負けたのだ。

「そこまで勝敗にこだわるような試合じゃないだろ? 俺にもこういったことが出来るってことをアピールしただけだ。そういうことを見る今日の試合だろ?」

「アウトになればゲームセットっていう場面でアピールするべきじゃないよ、今の走塁は」

 そうとう気にいらないらしい。

「じゃあ、不適合者ってことは俺は選抜落ちかな」

「!? なんでそう極論になるの?」

 少し、残念そうな顔で。それがちょっとわからない。

「状況判断に劣ってソロプレーにハマるやつは邪魔だろ?」

「そうじゃない。ダイビングキャッチはよかったよ、あの思い切りのよさはとてもいいと思う。ああいうプレーはまた見たいと思う、けど、その反対に思い切りのよさが災いして失敗することがあるの、今みたいな走塁で」

 その思い切りのよさの原動力がなんだかわかっているのだろうか。

「そこの二人、いつまでもしゃべってないで、こっちこい、ゲームセットの挨拶だ」

 大島の声が響いて、我に返る。二塁ベース上で二人で何を討論し

ていたんだろう。

「いこ、みんな待ってる」

 雪姫は俺をうながす。

「正直、あのダイビングキャッチみたいなプレーはまた見たいと思う。実はあたし、ああいうプレーできないんだよね、失敗怖くて、けっこうこうみえても堅実な性格なんだよ」

 小声でそんなことをつぶやいた。

「俺の場合、失敗して責められることの方が多いけどな」

 そうだね、と雪姫は笑っていた。

「でも、個人的にはトライ&エラーを何度も繰り返し出来る人って、正直、憧れるな」

 その言葉に俺はおもしろいことを思いついた。

 別に野球に限ったことじゃないんだよな、それは。


 その後、俺は選抜メンバーに選ばれなかった。

 なんでも雪姫は俺を押したらしい、やっぱり最後の暴走が響いたらしい。あれがなければ次の打者は当たっている大島だったし、まだ試合はわからなかった。他の男子たちから悔しさの八つ当たりとして俺は最適だったわけだ。学校代表で望む一戦、目立ちたいとか思う奴は他にもいるのだ。だから、一人でも消す理由があれば使わない手はない。

 もっとも、俺はやりたいことはすでに決まっていた。


 必勝ハチマキを巻いて、他校から借りてきた学ランを着こみ、白手袋。


「次、白井雪姫の応援いきます!」


 と、音頭をとりながら、他クラスの生徒と有志のブラスバンドを率いた俺に、彼女はどんな顔をするだろうか。

 二塁までの塁間距離は27メートル半、その距離は近いか遠いか。

 俺にはまだわからない。


おわり

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セカンドベースに届かない! みすてー @misticblue

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