9ー8
驚愕して立ち止まる兵士たち。ゴブリンたちは笑い終わると、獲物を輝く瞳で見つめ、そして嬉々として彼らに襲い掛かった。
心許ない装備、少ない人員、戦闘経験のない兵士たち、それに対し徒党を組み準備を整え二人一殺の覚悟で挑んでくる魔物たち。
押された気迫と伝染した恐怖は、雑魚モンスターに対してといえど彼我の差は圧倒していた。
若い兵士の目には涙が浮かび顔は青ざめ、女の術士は戦う顔を忘れ哀願を請いさえしていた。
絶体絶命。誰もがそう思っていた時、
網に足を取られ床に倒れるゴブリンたち。魔物たちが何事かと周囲を見渡すと、彼らを東方民族たちが囲っていた。
その数二十人近く、屋敷に入る前に武器は没収されていたはずなのに、彼らの手には光り輝く刀剣が握られていた。
ゴブリンたちは東方民族を見ながら口々に喚いていた。突然の東方民族の出現に彼らの言葉で悪態を付いているようだった。
一方で、ヘルメスの兵士たちも何故東方民族が自分たちを助けるのか理解できなかった。
そんな中、二階のバルコニーにいた一際背の高い東方民族の男、ジャービスが合図を出すと、東方民族たちは一斉にゴブリンたちに襲い掛かった。
何とか立ち向かおうとするゴブリンもいたが、集まっているのは東方民族の戦士たちだった。そして服の下には鎖帷子といった防具を着込んだ彼らにはゴブリンたちの非力では歯が立たなかった。
数の優位も装備の優位も、さらには勢いの優位も失ったゴブリンたちは、一転してヘルメスの兵士たちと同じような弱々しい表情になっていった。
オールバック頭の年長のゴブリンが隣にいるバクスターに言う。
「コモ・エス・エソ・ヘチョ?」
「……レティラダ」
と、バクスターは悔しがりもせず冷静な面持ちで答えた。
年長のゴブリンがそれを受け、「エソ・イス・レティラダ!」と叫んだ。するとゴブリンたちは顔を見合わせ、一斉に撤退していった。
ゴブリン達がいなくなると、すぐに東方民族たちは負傷した兵士たちの傷の様子を調べ、彼らを介抱し始めた。兵士たちには、その東方民族たちが異国から舞い降りた救世軍のようにさえ見えていた。
その頃、ヘルメス侯とダニエルズ侯は近衛兵に連れられ屋敷の裏口を目指し、中庭にかかる渡り廊下を逃走している最中だった。
「もう少しです、おふた方っ」
と、先頭の近衛兵が言う。
二人ともそれに頷くが、日頃から鍛錬を欠かさないダニエルズ侯と違い、ヘルメス侯は日頃の不摂生から息を切らしてしまっていた。
「おい、貴様……速すぎるぞ」
近衛兵が立ち止まる。
「し、失礼しました」
逃走する集団がヘルメス侯に合わせて足を緩めようとしたその時、先頭にいた近衛兵がうめき声を上げながら倒れこんだ。
異変に気づきヘルメス候と同行していた貴族たちがざわめいていると、すぐに茂みや建物の影からゴブリンたち姿を現し彼らを取り囲んだ。どうやら待ち伏せされていたようだった。
息を切らし、額から汗を流すヘルメス侯が言う。
「そんな馬鹿な……。」
囲まれた貴族たちは、恐れ慄きながらおしくらまんじゅうのように体を固める。
「……アイザック。法術は使えんのか?」
と、ダニエルズ侯が言う。
「使えるには使えるが、詠唱の時間が……。」
「時間なら……。」
そう言ってダニエルズ侯が構えた。
「私がかせぐ」
徒手空拳だったが、ダニエルズ侯は元々戦士の一族。素手での武術も体得している。何より、戦場では魔法に頼るエルフと違い、彼らにとって法術や魔法はあくまで補助、基本は肉弾戦だった。
ダニエルズ侯は両拳を握り低く構え、ウェービングをしながらゴブリンたちに近づいていく。
ゴブリンたちは筋肉に包まれた黒肌の大男の圧力に戸惑いながら距離を取り、少しづつダニエルズ侯を取り囲み始めた。だが、ダニエルズ侯が距離をいくら縮めようとしても、ゴブリンたちはすぐに後ろに下がり一向に戦おうとする気配が見えない。
そんな膠着状態の中、相手は素手だと軽んじた一匹のゴブリンがダニエルズ侯に襲い掛かった。
ダニエルズ侯はダッキングして近づくと、左のショートアッパーでそのゴブリンの顎を打ち抜いた。ダニエルズ侯の強打はゴブリンの顎を外し、さらに首ごとぶっこ抜かんばかりに頭を宙に浮かせる。
ゴブリンは着地とともに膝を崩し倒れ込もうとしたが、そのがら空きの顔面にダニエルズ侯がダメ押の右ストレートをぶち込んだ。ゴブリンは顔面を地面にこすらせながら一直線に吹っ飛んでいった。
仲間の仇を取ろうと一匹のゴブリンが喚くと、別のゴブリンが喚いてそれをたしなめているようだった。
一向にらちのあかない様子でダニエルズ侯がしびれを切ら仕掛けた時、ゴブリンたちが二人一組になってロープを握り、ダニエルズ候の周りを回り始めた。
ダニエルズ侯はゴブリンたちがやろうとしていることを察してロープを持ったゴブリンを追うが、巧妙に逃げられ捉えることができない。
とうとう、ダニエルズ侯は右足をロープに絡められ、動きが鈍くなったところをさらに別のゴブリンの投げ縄によって動きを封じられてしまった。だが、歴戦の戦士のダニエルズ侯は焦ることなく、ロープを握り逆にゴブリンを振り回す。
「アイザック、何をしている? 詠唱はまだ終わらないのか!?」
ゴブリンに飛びつかれ、噛みつかれたダニエルズ侯が業を煮やして叫んだ。
「ま、待て。もう少しだっ」
長いあいだ剣術からも法術からも離れていたヘルメス侯は、全盛期に比べ周囲のマナを集めるのに時間がかかるようになっていた。
ダニエルズ侯を囲んでいたゴブリンたちの一部が、ヘルメス侯たちにも迫り始めた。貴族たちは恐れ慄きながら、口々に助けを求める声を上げる。
そして、ゴブリンが貴族の一人に襲いかかろうとした時……。
「そこまでだ!」
恐怖の禍を穿つ澄んだ声が響いた。ヘルメス侯、ダニエルズ侯、そしてゴブリンを含むすべての者が声の方向を見る。そこには東方民族を率いたロルフの姿があった。
その後ろには、ダニエルズ侯の嫡男、ネス・ダニエルズの姿も。ダニエルズ侯は安堵して息子の名を呼んだ。
ロルフが空気を両断するように天高く掲げた手を振り下ろしゴブリンたちを指し示す。それを合図に新品の光り輝く刀剣を手にした東方民族たちがゴブリンたちに斬りかかった。
先ほどまでダニエルズ侯にまとわりつき、貴族たちに襲いかかろうとしていたゴブリンたちは、まったく刃を交えることなく、さらには鳴き声すらも上げずに散り散りになって屋敷の隅に消えていった。
ゴブリンが去ると、さっきまでの危機が嘘であったかのように中庭は静まり返った。小さな夏虫の鳴き声すら聞こえるほどだった。
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