9-6

 爆音は大広間にも響いていた。


「何だ、どうした?」

 ヘルメス侯は慌てふためいていた。


 隣りのダニエルズ侯は表情を崩さずに右の眉だけを吊り上げたが、それでも内心は穏やかではなかった。若き日に戦場を経験したことのあるダニエルズには分かったのである。この音は雷などではない、ただならぬ量の火薬が爆発した音だと。

 そしてそれはヘルメス侯も同じだった。彼はすぐに大広間に控えていたウォレスに目配せをすると、ウォレスも応えて小さくうなずいた。

 そしてウォレスも警備兵たちに目配せをすると、彼らも小さくうなずいて武器の用意をし始めた。不穏ではあるが焦ってはならない、そう思っていたところに庭を警備していた兵士が青ざめた顔で大広間に飛び込んできた。


「大変だ! ゴブリンが屋敷に侵入したぞ!!」


 一瞬で華やかな広間の雰囲気は変わったが、それでもたかがゴブリン。ウォレスをはじめとする警備兵たちは少しいたが冷静に動いていた。

 だが、すぐに第二の轟音。ウォレスは、警備を中庭と地下室へ向かう隊の二つに分け命令を下した。


「ウォレス……。」

 と、正装に身を包んだロルフが歩み寄り話しかけた。


「ロルフ様、そんな顔をなさるな。たかがゴブリン。不肖ロルフ、老いたとはいえ不覚を取りはしません」

 と、眼光鋭く老戦士が笑うものの、それでもロルフの顔からは不安は消えなかった。


 二人が顔を合わせているとウォレスの後ろで窓ガラスが激しい音を立てて割れ、ゴブリンたちが大広間に飛び込んできた。

 危険を顧みないゴブリンは、ガラスの破片が刺さろうともテーブルにぶつかろうとも、着地の体制を崩してすっ転ぼうともまるで気にしていなかった。血まみれのまま立ち上がり来客たちに襲いかかる。

 侵入してきたのは予想以上の数のゴブリンだった。

 警備兵は何をしておるんだと、ウォレスは苛立ちつつもこの事態がただ事ではないことを予感した。


「お下がりくださいロルフ様!」

 ウォレスは鞘からロングソードを抜き出した。


 クロウと立ち会った時とは違い、刃を落としていなければ無駄に重くもない、正真正銘の実戦用の剣である。何より、彼が戦場で使用してきた愛刀だった。

 ウォレスは悠然と絨毯を踏みしめゴブリンたちに歩み寄り、屋根の構え※を取った。

(屋根の構え:西洋剣術の構えの一つ。フォム・ダッハとも。両手で握った剣の切っ先を天井にまっすぐ向け、半身になる。攻撃と防御に応用が利き、疲れにくく長期的な集団戦に適している)



「何だ、何が起きてるんだ?」


 一方、バクスターを取り調べていたカルヴァンは扉を開け、警備兵に外の状態を聞いていた。だが彼も扉の前にずっといたため、一体何が起きているのか理解していなかった。


「とっとと確認してこい!」


 カルヴァンは平民の兵士を叱りつけた。しかし彼はバクスターから目を離すべきではなかった。バクスターはその間に肩の関節を外し、後ろに回されていた手を回転させて前に持っていき、さらに親指の関節を外して右手を手枷から解放することに成功していた。


「まったくどうなってん……。」

 振り返ったカルヴァンの目の前には黄色い目を爛々と輝かせる魔物が立っていた。

「!!!???」


 カルヴァンが悲鳴にも似た驚愕の声を上げのけ反る。バクスターはそののけ反った体勢のカルヴァンのズボンに右手を突っ込んだ。

 実に手慣れたように素早く、バクスターの右手はカルヴァンの睾丸を鷲づかみにしていた。


「な、何してんだ貴様ぁ!!」

 カルヴァンが両手でバクスターの白い頭髪を掴んで、何とか自分から魔物を引きはがそうと後ろへ引っ張って振り回す。だが無駄だった。カルヴァンは睾丸への圧力が強くなったことを感じた。

「や、やめええええええええええ!」

 カルヴァンはバクスターの手首を握った。しかし……。


「お家断絶だな」


 バクスターはカルヴァンの睾丸を握りつぶした。ズボンの中で、パチンとゴム毬が弾けたような音がした。


「ぴいいいいいっ!」


 バクスターはようやくカルヴァンの睾丸を開放し、カルヴァンは奇っ怪な悲鳴を上げて床の上をのた打ち回った。ズボンから出てきたバクスターの手は透き通ったピンク色の体液でびしょびしょに汚れていた。

 バクスターはやれやれ、と手を振ってその体液をきる。まだ濡れている手に鼻を近づけると、臓物と血液と尿の混じったような独特の臭いがした。

 バクスターはその臭いに困ったように顔をしかめた。もちろん、目は笑ったままだったが。


 悲鳴を上げ続けるカルヴァンの上にバクスターが飛び乗って馬乗りになる。

「どうだい貴族さまぁ。高貴なアンタがどうしてこんな目に遭うか分かるかぁ」


 だが、カルヴァンは激痛で悶絶して答える事が出来ない。


「言ったろう? これは“計画”なんだって。動機なんて点で見てちゃあ駄目さぁ。物事は常に線の上で動いてんだからぁ。アンタのこんな目に遭うのだってぇ、全体から見れば必要な事なんだって」


「き、貴様ぁ」

 ようやくカルヴァンが口を開いた。

「地獄に落ちやがれ!」


「地獄? アンタ地獄を知ってるのか? 知らないだろう? 俺が教えてやるよ、本当の地獄ってところをな」

 バクスターはカルヴァンの腰から短刀を抜き出して語る。

「本当の地獄……そこじゃあなぁ、ある民族がただそこにいたって理由で三ヶ月で100万人殺されるような場所なのさ。100万人だぞ? 一体どうやりゃそんなに殺れるんだかねぇ。それに比べりゃあ、俺やお前らがやってきたことなんて、可愛い小競り合いみたいなもんだと思わないか? んん?」


「だ、何を言ってるんだだでぃをいっでるんだ?」


「本当の地獄の話さ」

 バクスターは興奮を抑えながらカルヴァンに顔を近づける。

「本当の地獄ってのはお前らの想像のつかないようなところさぁ。ある国のガキは薬代がなくて死んでいって、それと同じ額の金が別の国じゃガキの小遣いで配られる。なぁ、ぶっ飛んでると思わねぇか? そんな地獄のことを思うと、この世界の騒ぎなんてバカバカしくなっちまうよなぁ」

 バクスターはカルヴァンから顔を離す。

「いずれこの世界もあそこみたいになっちまう。その前に手は打たなきゃな」


「お、お前まさか転生し――」


 バクスターはカルヴァンの開いた口に短刀を突っ込んだ。


「アァンタの顔、青ざめて酷いもんだぜぇ? せっかくの綺麗なエルフが台無しだぁ」


「む、むぐぅう!」


「こうすりゃいつだって笑顔でいられる。俺とだ」

 そしてカルヴァンの口を引き裂いた。


「~~~~~~~~!」


 激痛のあまり馬乗りになっていたバクスターをはねのけ、再びカルヴァンがのた打ち回った。


「あ~、どんな気分?」


 しかしカルヴァンはそれに悲鳴で答えるだけだった。


「そぉんなに喜ばなくったって」

 バクスターは微笑んで頷いた。


 バクスターはカルヴァンの腰に掛けてあった鍵を取り左手首の手枷を外し、じゃあなと、出口扉に手をかけた。

「アァンタ、い~い悲鳴だったぜぇ。あの世の同族にも届くくらいなぁ」

 バクスターが扉を開くと、そこには手下のゴブリンたちが控えていた。


 バクスターはゴブリンたちを率いて屋敷内を練り歩いた。

 飾り気のない場所から、華やかで人気のある大広間の入り口に彼らが到達すると、舞踏会の来賓たちは口々にこっちからもゴブリンが! と慌てふためいて逃げ回った。

 雑魚モンスターのゴブリンだが、武器を持っていない彼らにとっては十分に驚異だった。

 バクスターは逃げ惑う来賓たちの真ん中で不敵に笑い、拳銃を懐から取り出すと天井に向けて発砲した。

 再度上がる悲鳴。轟音で腰を抜かす男、耳を塞いで抱き合ってうずくまる夫婦、悲鳴を上げて自分のスカートの裾を踏んづけて、顔面から床に無様に転ぶ女もいた。


 彼らを愉快そうに眺めたあと、華やかな屋敷を見渡してバクスターが言う。

「ここは、俺たちの屋敷だ。ここは俺たちの血肉の上に建てられた。俺たちの屈辱と恥辱の上にな」

 手下たちに、そして何よりも自分に言い聞かせるようにバクスターは言う。

「俺たちのものであるべき場所だ。俺たちのものであるべき栄光だ。遠慮することたぁない。取り分を拝借するだけだ」

 バクスターは自分の周りに広がる富を受け止めるように手を広げ、うっとりと恍惚の表情を浮かべてから言う。

「……陵辱しろやれ

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