8-34
その晩、他の娼婦は接客中だったが、アリアは特別にカールスの世話をするために主人の部屋にいた。
娼館の女にはあらかた手をつけるカールスだったが、実用的に溜まった性欲を処理する場合には、自分のツボを心得ているアリアに任せるようにしていた。
アリアは革張りの椅子にふんぞり返って下半身を露出しているカールスの陰茎を右手でしごき、睾丸を左手でマッサージしながら陰茎を勃起させる。
アリアが陰茎を口にくわえ舌で亀頭を刺激すると、カールスは喉を鳴らして呻いた。
「どうした。今日は妙に積極的じゃないか」
アリアはカールスの性器を口に含んだまま目で微笑み、そしてより熱心に性器をしゃぶり始めた。
自分は決してプライドを捨てているのではない。その証拠にこの男を見ろ。自分がその気になれば簡単に気をやらせることができる。
自分は飼われているのではない、そのていでこの男を
自分は間違っていない、あれは跳ねっ返りの小娘の戯言なのだ。そう自分に言い聞かせながら、アリアは鼻息を荒く奉仕を続ける。
カールスはいつもより積極的なアリアの髪を撫で首筋に指を這わせた。彼が裏庭で飼っている犬にそうするように。
そして気まぐれに後ろ髪を鷲掴みにしてアリアの首を反らして性器から口を離させた。すると舌を出したままアリアの顔が離れ、アリアが恥ずかさを目で訴えるとカールスは満足げに口を歪めた。
カールスはやはり犬にするようにアリアの髪をなで、それにアリアは嬉しそうに目を細めた後、再び陰茎にしゃぶりついた。
カールスはそんなアリアを満足げに見下す。彼にしてみれば、賢しかろうが愚かだろうが大差はなかった。
飼い犬は所詮、飼い犬だった。
そんな淫靡な空気に充満している部屋に突然ノックが響き、切羽詰ったようなバリーの主人を呼ぶ声がした。
「なんだバリーあとにしろっ」
「それが……シーナさんが!」
シーナが逃亡した報はすぐに、客がいることなどお構いなしに娼館中に知らされた。
あの田舎娘がぁ、と思いつく限りの罵詈雑言を口にしながらカールスは憤怒で肩をいからせ裏庭の犬小屋まで向かった。
犬小屋とはいえ、そこは獰猛な野獣を飼育するような鉄格子の檻だった。そして、その中には彼の命令があれば聖職者であろうと喉笛を食いちぎる頼もしい下僕たちが主人の命令を待っているはずだった。
だが……。
「何だ? どうしたんだお前らっ?」
カールスが犬小屋で目撃したのは、うずくまってか細い声を上げて主人に憐憫を誘う眼差しを送る猛犬たちだった。
もはや彼らには猟犬の面影はなく、座敷犬よりも弱々しくなっていた。いくら主人が声をかけようとも、また鎖を外そうとも犬たちは動くことができなかった。
カールスが犬たちの横に落ちている生肉に気づいた。自分が与えている餌と違う、そう思ったカールスが手にとってみる。
その生肉には鋭く削った弾力のある木の枝が丸めて包みこんであった。それはいったん犬が口に入れてしまうと、時間とともに肉が消化され、胃の中で木がバネのように暴れる仕組みになっていた。
シーナの故郷で使われていた、狼などの害獣を駆除するための罠だった。
「あのガキゃあ許さんぞぉ!」
カールスが犬の代わりに吠えるも、ただ夜空に虚しく響くだけだった。
そんなカールスを鉄格子のかかった窓から見下しながらクロウがほくそ笑む。
「シーナ、いけそうじゃない」
だがクロウと違い、娼館の女たちはまったく笑顔を見せることはなかった。それどころか、この先に訪れる悲劇に顔を曇らせているようでさえあった。
その頃、シーナは暗闇に染まった獣道を手探りで下っていた。
田舎育ちだけあって山は慣れているものの、追っ手を心配し灯りを使わなかったせいで何度も転び、山を下りきった後は服は泥に汚れるどころか所々破け、体は軽い擦り傷と切り傷だらけになってしまっていた。
シーナは山を下っていた時から目印にしていた民家の明かりまでたどり着くと、光の漏れる窓の影からこっそりと中の様子を伺った。どうやら、この家に住んでいるのは老夫婦の二人だけのようだった。
シーナがもう少し中の様子を見ようとした時、民家の扉が開いた。水を汲むために出てきたその家の老婆だった。
鉢合わせになり見つめ合うシーナと老婆。彼らが的なのか味方なのかも分からなかったが、シーナは賭けに出た。
「おばあさん、お願いだよ。かくまって!」
シーナは生まれて初めて手を組んで神に祈る所作を人間に対して取った。
実際その時の彼女にとっては、目の前のこの老婆が願いを聞き入れてくれれば、その後の人生で一切神が願いを聞き入れてくれなくとも良い思うほどに必死の願いだった。
服は汚れて破れ、傷の目立つ二十にも満たない女の願い。普通の老人ならば心が動かされそうなものである。
老婆は山の向こう、娼館の方を見てから何かを察し、シーナに自宅に入るように促した。
部屋の暖炉の前にはロッキングチェアでパイプをふかしてくつろいでいる老人がいた。彼は妻に連れられて入室してきたシーナを見て驚いたようだった。
「おや、婆さん。その
「……迷ったんですって」
老人と違い、老婆は淡々と言う。
「迷った……。」
「さああんた、そこに座りなさいな」
と、老婆はシーナに台所のテーブルに座るよう言って、そして彼女の服装を見て悲しげに目を細めた。
「何も言わなくてもわかるよ。あんた、娼館から逃げてきたんだね」
シーナは二人を見てから頷き、老夫婦は顔を見合わせた。
「山から灯りもつけずに下りてきたんだろう? 服がボロボロだ、着替えなさい」
老婆が目配せをすると、老人は遠くに水でも汲んでくるかと、そそくさと退室していった。
夫が出て行ったのを確認すると、老婆は台所から濡れたタオルを持ってきてシーナの顔をふく。
「まぁべっぴんさんだね。ほら、服を脱ぎなさい」
そう言われてシーナは服を脱いだ。老婆はその彼女の服を洗っとくわねと部屋の奥に持って行ってしまった。下着姿のシーナは、少し居心地悪く部屋を見渡す。
「おばあさんたちは二人きりでここに?」
「そうよ」
「お子さんとかは?」
「ずいぶん前に独り立ちしたわ」
新しい服を持ってきてくれるのかと思いきや、老婆は何も持って来ずに部屋に戻り、シーナの正面に座った。
「やっぱりあんた、娼館から逃げてきたの?」
シーナは目をそらした。
「ま、言わなくてもわかるさ」
「……あの、おばあさん。悪いんだけど、お水もらえなかな? ずっと歩きっぱなしだったから、喉がカラカラで……。」
「あ、ああ、悪いね気がききませんで」
老婆は迷惑そうではないが、妙な物腰で台所の水瓶から水を汲んでシーナに渡す。
「ううん。押しかけたのはアタイなんだから……。」
シーナは水を受け取ると一気に飲み干した。そして、活力の戻り安堵した体は彼女を休めようと眠りに
「ああ、ごめんよ。何か疲れがどっと……。」
シーナは少し呂律の回らない口調で言う。
「まぁ、ゆっくりしていきなさいな……。」
シーナの頭は抵抗しようとしたものの、体は眠りに落ちていった。
シーナが仮眠から目を覚ます。外はまだ暗い。どうやら、それほど長くは眠っていなかったようだ。老人もまだ帰ってきていない。
「おや、起きたのかい。もうちょっと寝てても良かったのに」
「ありがとう……。あの……。」
「ん? なんだい?」
「もし迷惑じゃなかったら、少しここでかくまってくれないかな……。その、このまま暗い夜道を歩き続けても、なんの準備もなかったから行き倒れちゃうから。ほんの一日でいいんだ。一日休めば、誰かが追ってきても逃げられる体力も戻ってるだろうし」
「だけど、あそこの娼館の主人は凶暴な猟犬を飼ってるって話だけどね……。」
「犬は……多分大丈夫」
「へぇ?」
「故郷で使ってた狼用の罠を仕掛けたんだ。だから、アイツらだって簡単にアタイのことを見つけられやしないはずだよ」
と、得意げにシーナが笑う。
「……アイツら?」
「ああ、娼館のろくでなしどもさ……。アイツらから何としても逃げ切らないと……。」
老婆は無表情でうなづいた。
外で物音がした。老人が帰ってきたのだろう、そう思って玄関の扉を見ると、そこにいたのはガラの悪そうな三人の男たちだった。
老人はその三人の後ろに立っていた。到底、老人の親戚とも酒飲み仲間とも言えそうにない。
驚いてシーナは老婆を見た。
愛しい人との出会い、親しい人との別れ、人はただ生きているだけで様々なものに触れ、また様々なものを失っていく。その中で、常に何らかの心の機微があったはずだろう。なのに、この老婆はこれまでの長い人生で情など一切培ってこなかったというほど冷たい表情で言った。
「アイツらじゃない。私たちだよ」
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