8-7
「やぁ、今日も相変わらず可愛いねぇ」
クロウはダンスが終わるとすぐにフェレロの指名を受けた。
フェレロはソファでふんぞり返りながら片手を上げてクロウを呼ぶ。フェレロの周りにはガラの悪い男たちが一緒に座っていた。
「フェレロさん、いつもありがとう」
と、クロウはフェレロの席に座った。
フェレロの取り巻きたちの視線が自分の胸や足を這うのをクロウは感じる。それでも何とか笑顔を崩さずに対応した。
「こちらのお兄さん達は?」
「あ~気にしなくていいよ。俺のトモダチ」
「俺ら、普段からフェレロさんに世話になってるんすよ」
フェレロが言い終わらないうちに取り巻きの一人が口を開いた。
開いた口には前歯がなかった。
「へぇ……。」
なるほど、チンピラの集まりか。クロウは満面の笑みの中、薄目を開いて男の
「いやぁ、フェレロさんが言ったとおり、いい女っすねぇ」
また別の取り巻きの男がクロウに話しかける。クロウを見る目がすぐに重力に惹きつけられるよう、胸に落ちていっていた。
「ありがとう」
下着のような衣装なので仕方ない。別にたいしたことではないからと、クロウは自分に言い聞かせた。
フェレロがクロウの肩に手を置いて言う。
「おいおい、あんまり色目使うなよ」
「もちろんっすよ。フェレロさんの今一番のお気に入りってんですから」
「あら嬉しい。私のこと、そんなに良く言ってくださってるの?」
「マジっす。フェレロさん、惚れると他が見えなくなりますからね。しょっちゅうクロウさんのこと口にしてるんすよ」
「余計なことを言わなくていいんだよ」
フェレロが照れくさそうに取り巻きの肩を小突いた。
自分が陰で良く言われているというのは悪い気がするものではない。クロウの心に、ほんの少しほころびが生まれた。
「あっフェレロさん、タバコ!」
と、クロウが言う。
フェレロのタバコの灰が限界まで伸びきっていた。灰皿に間に合わず膝に火の着いた灰が落ちる。
「あっつぅ!」
フェレロが慌てて膝を叩く。
クロウもお手拭きを手にしてフェレロの膝を拭った。
フェレロの膝の上でお互いの手が触れると、フェレロは驚いたように手を引っ込めた。
「いやぁ見てらんないっすね」
「な、何だよ」
「フェレロさんともあろう人が、まるで女を知らねぇガキみてぇだ」
「ば・か・や・ろ・う」
そう言ってフェレロがまだ火の着いたタバコを投げつけた。
タバコは取り巻きの顔面に当たり、男は
「あ、ようやく笑ってくれたね」
フェレロが嬉しそうに、ウィンクをするようにクロウを見る。
「え?」
「いやぁ、今まではさ、笑ってはくれているものの、どこか営業スマイルだったじゃない」
「それは……。」
「その笑顔だけで寿命が一年は伸びそうだ」
「ちょっと、ジジくさくないっすか」
「うるさいな」
フェレロは照れくさそうに手を振る。
キザったらしいだけの男だと思ったけれど、以外に可愛いところがあるようだ。クロウは不良じみた外見とは裏腹に、子供のようにはしゃぎ合うフェレロたちに知らないうちに好感を持ち始めていた。
店が閉店したあと、クロウはフェレロに外で食事をしようと誘われた。
渋っていたクロウだったが、先輩のベルに「チャンスなんだからモノにしなさいよ。私もついてってあげるから」と、背中を押されて誘いを受けることにした。
フェレロは彼女がついて来ると伝えられると、嬉しそうに取り巻きたちにそれを告げた。
ベルがクロウに囁く。
「私もついて行くって言って、嫌な顔の気配も漂わせないんだったら心配はない男だよ」
クロウたちはフェレロに連れられて街の高級レストランに入店した。
それは夜でも明かりが灯る、不夜街と呼ばれる界隈にある店だった。クロウが下働きをしていた頃は、その近辺を通り過ぎることさえもはばかれる場所だった。
「竜人料理は初めて?」
フェレロが給仕に上着を預けながら言う。
そこの店は遥か東方の竜人の国の料理を出す店だった。
店内はこの国はおろか、周辺諸国のいずれとも違う文化を持つ竜人の国を模して造られていた。赤く塗られた木材で装飾され、巨大な金メッキの龍や虎が銅像が店の隅に飾られている。
クロウは呆気にとられ、「うん」と言うのさえも忘れてしまっていた。
「いらっしゃませ、フェレロ様」
フェレロたちに挨拶したその給仕長は、夏の広葉樹林のような沸き立つ緑色の頭髪をしていた。頭からは角が生えていて、頬より下が赤い鱗で覆われていた。体は大きく、腰の辺りからは太い尻尾が伸びている。
それはクロウが初めて見る竜人だった。
竜人は戦闘に秀でた種族として名高かった。先の大戦では中立だったが、それ以前の
しかし、戦のなくなったこの泰平の時代には、彼らもまた戦いとは別の方法で世界を生き抜かなければならなかった。
肉体労働に加え、こうして自分たちの文化に商品価値を与え、商売に従事する者も戦後30年で随分と増えていた。
「ああ久しぶり」
と、フェレロが言う。
フェレロの背後を伺いながら給仕長が訊く。
「そちらは、お連れ様ですか?」
「うん。彼女、ここは初めてらしいんでよろしく」
「それはそれは。フェレロ様の大切な方ならば、誠心誠意尽くしておもてなしさせていただきます」
「これまでで一番の、をつけてくれ」
フェレロが念を押す。
給仕長は微笑んで頷いた。
料理が運ばれると、彼女のフェルプールの鼻は体験したことのない香りに混乱した。
魚や海老の匂いの他に、初めて体験する醤や花椒の匂いは美味いのかどうかも分からなかった。
「これ飲みなよ。食前酒」
フェレロは料理と一緒に運ばれたとっくりから、お猪口に酒を注ぎクロウに差し出した。しかし、クロウは口にする前から、その黒い醸造酒に拒否反応を示すように鼻を歪めてしまった。
「あ~やっぱり初めてにはキツいか」
笑いながらフェレロは酒を飲み干した。
始めは初体験ばかりの料理に面を食らったクロウだったが、彼女の鼻と舌はすぐに料理の味に慣れ多くの料理をたえらげていた。
フェレロと別れた後、踊り子たちの下宿に向かいながらベルが訊ねる。
「クロウさぁ、これからどうするつもり?」
「え? どうする……って?」
「フェレロさんを太い客にしちゃうのか、それとも上げてもらうのかってことよ」
「それは……。」
「上げてもらうなら簡単よ。アナタがいいならそのまま結婚するのにうってつけの女だってのをアピールすればいい」
ベルはタバコに火を着けて、一吸いしてから言う。
「でも、客としてなら振る舞い方に用心することね。擬似恋愛してハマらせるのか、それとも丁寧な接客で気持ちよくなってもらうだけか。前者だと男は体を求めてくるし、後者だと簡単に他の踊り子に取られちゃう。……どうするの?」
「さすがに、あの人を本気で好きっていうわけには……。」
「そう? いい人じゃない? 私がついて来るって言われたとき、嫌な顔をしなかったでしょ?」
出会ったばかりの男にすぎなかった。
しかし、今日のフェレロの自分への眼差しや取り巻きとの戯れる様子に悪い印象はなかった。
それに、ああいったこれまで見たこともない世界を見せてくれるフェレロは自分を違う世界にも連れて行ってくれるのではないか、そんな期待もあった。街へ出た意義が、そこにあるのだと。
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