7-8

 クロウは外套でロランの汚れている顔をぬぐった。

 そして再びロランを抱き寄せ、固くなり始めた冷たい体を何度も撫でさした。

 再びロランの体が温もりを取り戻すように、自分でも意味のない行為だと知りながら。


 あのロランが、まるで神話で語り継がれるような美しさを誇ったエルフが、こんなうらびれた倉庫で埃にまみれて死ぬなんて……。

 諸国を旅するクロウは知っていた。

 物語も神話も宗教も、あらゆる価値など及ぶこともなく、ただ淡々と何の意図もなく、いとも容易たやすく残酷な行為が世界中で行われていることを。そしてそれが世の常なのだということも。

 だが、これはあってはならないことだと、何かの手違いが起きているのだと思わずにはいられなかった。

 そしてまた自問を繰り返す。なぜ、東方民族がロランを殺したのか。いや、奴らとロランに何の関わりがあったというのか。


 静かだった倉庫内の外が、やにわに騒がしくなった。

 クロウはロランを抱いたまま刀を握った。

 東方民族が戻ってきたのか。好都合だ、ここに来る奴らは全員斬り捨ててやろう。

 クロウは殺意とともに彼らがこのフロアに上がってくるのを待った。

 しかし、異変に気づいた。

 東方民族にしては数が多いのだ。

 外では馬の蹄の音もする。それも、一頭や二頭ではなく。


 物々しい音と共に階段を上がってきたのは東方民族ではなかった。

 軽鎧を装備し、刺股さすまたや槍で武装した役人だった。

 

 役人たちは既に承知のことのように、刺股を突き出してクロウを取り囲んだ。

 そして、クロウに抱きかかえられているロランを見ると、お互いの顔を見合わせて頷いた。


 カイゼル髭の、この中では一番年長と見える役人が取り巻きの外から言う。

「そこにいるのはヘルメス侯のご令嬢、イヴ様だな? 貴様ぁとんでもないことをしでかしてくれたなっ」


「違うっ。東方民族だ! ここは奴らのアジトだったんだ。この周辺を探してみろよ。周囲にまだいるはずだ」


「東方民族ぅ? ふん、我々がここに来るときには見なかったがな」


「何? じゃあ、建物内を見てみろ。奴らがここをアジトにしていた痕跡があるはずだ」


 だが、後ろから遅れて登ってきた役人の一人が髭の役人に言う。

「隊長、フロア内を探しましたがそういった形跡はありません。ここは単なる廃倉庫です」


「そんな……。」


 やられた。

 

 髭の男が言う。

「……女、お前は何者だ?」


 クロウが名乗ろうとする前に、髭の男の後ろから聞き覚えのある声がした。

「クロウ・マツシタ。無許可のレンジャーですよ」

 それは昨日、クロウをバンクスと役所に連行したロバートだった。

 ロバートは、死体を前にした緊張感のある同僚たちの中にあって、勝ち誇った顔をしていた。

「隊長、こいつには今回以外にも十分な嫌疑がかかっています。しかも今回は不法侵入に殺害容疑……問答などは要りませんよ」


「……ほう。では連れていけっ。女、抵抗はするなよ」


 流石のクロウも、役人相手に立ち回るわけにもいかなかった。

 なによりももう、抵抗する体力も申し開きをする気力も失せていた。


 レイズし、コールし、札を開けると、彼女の手札は見事なまでに不揃いのブタだったのだから。



 三時間後――クロウの正面にはブッシュという役人が座っていた。

 ブッシュはヘルメス侯国の刑部の役人の中でも特に重要な事件、ヘルメス侯に関わる厄介事を扱う男だった。以前、地下室でクロウを尋問したダノンよりも遥かに上役なのは言うまでもない。

 ブッシュには他の役人と違い、現場に行くことはおろか、被疑者への棍棒の一撃だって必要なかった。そんなことをすれば、せっかくのスーツにシワが寄ってしまうからだ。周囲は彼の様子から、すべてを察して先んじて捜査をし被疑者を殴打するのである。

 つまり、普段は直接の尋問などは行わないし、必要のない男だった。しかし、今回は事件の大きさのため、遠方からこの役所へと出向していた。


 ブッシュは丸眼鏡の奥からクロウを睨む。

 剥いた葡萄のような薄いグリーンの瞳は、一切の皮肉も冗談も通じなさそうだった。もしクロウが「銀の匙をくわえて生まれてきたんだろう?※」と訊けば、「私の実家には銀の匙などなかった」と真顔で答えそうなほどに。

(銀の匙を加えて生まれてきた:裕福な家庭に生まれた、という意。)


「つまり、イヴ・ヘルメス嬢を殺害したのは東方民族だ、と……。」


「その通り。港のマーケットの人間に訊いてみると良い。特に……中心部にある骨董屋だ。私はそこで東方民族があの倉庫を使ってることを聞いたんだ」


 ブッシュには険しい表情が張り付いていた。常に腹痛をおこしているような顔だった。

 そのせいで、ブッシュが考えているのか悩んでいるのか疑っているのかが読み取りづらかった。


「どうして君はイヴ様を探していたんだい」


「それは……探してくれと頼まれたからだ」


「それは誰に」


「……言うわけにはいかない」


「そうだとも、君たちレンジャーは依頼人の名を守るものだからね」


「……。」


「しかし、君はヘルメスでのギルドからは登録抹消されていると聞くが」


「個人的な頼みだよ。レンジャーとしての仕事じゃあない」


「だが、名を明かせないと」


「レンジャーどうこうじゃなくっても、友人を厄介ごとに巻き込みたくないってことはお前さんがたお役人にだってあるだろ。仕事じゃないんだよ、あくまで個人的なことだ」


「つまり、金銭のやり取りなど一切介在せずに、君が自発的な善意でイヴ様を探していたと」


「悪いかい?」


 真顔でブッシュはクロウを見て再度問い直す。

「金銭の介在は本当にまったくなかったのか」


「なかったっ」

 ぶっきらぼうにクロウは言った。


 ブッシュは、ふむと頷かずに言った。


「私からもいいかい?」

 と、クロウが言う。


「何だね」


「どうしてあの場所に役人が大挙したんだ?」


「……ここの職員によれば、以前からあの倉庫付近で獣の唸り声がするという相談が役所に入っていたそうだ。野良犬か何かかと捨て置いていたらしいが、イヴ・ヘルメス嬢を目撃したという通報があってね」


「……獣の?」


「君には関係ないことだ、質問に戻るぞ。なぜ東方民族があの方を殺す必要があったんだろうね」


「そんなこと私に訊かれても困る。それを言い始めたら、私だってどうして彼女を殺す必要があるんだい?」


 ブッシュの眼鏡の奥の瞳の色が変わった。

「……君はヘルメス家とは少なからずがあった」


「確かにイヴ・ヘルメスから仕事の依頼を受けたよ。そして報酬はしっかりもらった。なのに、何の不満があって私が彼女を殺さなきゃあならないんだ」


 ブッシュは無言かつ無表情でクロウの言うことを聞いたあと、しばらく黙った。


「私が問題にしているのは、君とヘルメス侯のことだよ。聞いているぞ。ヘルメス侯の屋敷で無礼を働いたそうだな」


「それは……。」


「君は自分のギルドの登録を抹消したヘルメス侯を恨んでいた。そして、その憂さ晴らしのためにご息女に手をかけたんだ」


「冗談じゃない。そんな憂さ晴らしのために領主の娘を殺すとでも? そんな短絡的で無茶な生き方をしてたら身が持たない」


「そんな生き方だからこそ、レンジャーなんぞに身を落としてるのではないか」


「今の台詞、この国のレンジャーの耳に入ったら、夜道どころか昼だっておちおち歩けないぜ?」


「大丈夫、耳に入りはしない」

 と、無表情でブッシュは言った。


 クロウはうんざりして天井を見上げた。


「話がそれたようだから、本題に戻そう。君はヘルメス侯に屋敷で無礼を働いたね。領主に切りかかろうというほどだ、ヘルメス侯に対する怒りはよほどのものだったんじゃないか」


「多少気に食わないことがあっただけだし、斬りかかっただなんてのは大げさだ。私はちょいと驚かせてやろうと思っただけだ」


「だが、ヘルメス侯はそうは思わなかった。危うく君に殺されてしまうと思ったんだ」


「それは、ヘルメス侯がそう言ってたということか?」


「後で確認を取る」


 クロウは、はんっと鼻で笑った。

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