6-15

 ロランのことがより一層気がかりになったクロウが言う。

「さっきも言ったが、ヘルメス領内で不穏な動きが出ている。一度彼の安否を確認する必要があると思うんだ。試練の最中には私たちを亡き者にしようとしたやつらがいた。領内であれば手出しできないと思っていたし、後継者候補から外れたのであればもう心配ないと思っていたが、どうにも嫌な予感がする」


 タバサが落ち着き無く考える。

「……もしかしたら、ヘルメス様ではないでしょうか。イヴ様のことを邪魔者のように思ってらしてましから」


「タバサ、滅多なことを言ってはいけません。この世界のどこに実の娘を手にかける父親がいますか」


「お姉さまは知らないのよ。ヘルメス様が私たちを見る目、まるで孕んだ野良猫を見るようだったわ。あの方はお姉さまが思っている以上に冷酷な方なのよ?」


「確かに、冷酷であるということには異論はないね。お陰さまで今日は関節の節々が随分と痛む。だが、ヘルメス侯だとは考え難い理由が二つある」


「……どうしてです?」


「まず、ヘルメス侯ほどの財力があるならば、きちんとした暗殺者を雇う。何から何まで雑な安い殺し屋なんか雇わない。死体をめちゃくちゃにして人相不明にするから仕事が成功したのかどうかも分からない。ひどい時には死体すらない。周りを巻き込んで無茶をする奴もいるから、逆に役人にとっつかまるわ簡単に雇い主の名前をゲロっちまうわ、安値で暗殺者を雇うメリットといったら、元手がないかとにかく酷い目に合わせてやりたいって時だけさ」


「……もう一つは?」

 と、タバサが訊く。


「ヘルメス侯に謁見した時に、カマをかけたんだ。襲撃の事をほのめかしたのさ。だが、彼は純粋に驚いていた」


「では……ではカルヴァン様はどうでしょうか? 彼もまたイヴ様を軽蔑しておりましたし、何よりロルフ様のお付きの彼ならば、イヴ様が後継者になるのは不都合だったのではありませんか? お金も決して十分にあるわけではありませんから、ゴブリンを雇うという発想になるのかも」


「それもどうだろうか。というのも、悪には悪の美しさなり強さがある。だがあの男にはそれがない。悪とすら呼べない俗物だった。特に私は裏で生きてきたからね、そういう奴らには敏感なんだ」


「そう……ですか」


「現状、手がかりが全くない。お前さん、何か彼が行きそうなところで心当たりはないかね?」


「あったら貴女にお仕事をお願いしたりはしません」


「そうか、それはそうだ……。」


 クロウは首を傾げふとある違和感に気づいた。

「そういえば……お前さん、どこで私のことを知ったんだ?」


「え? ……それは」

 タバサの目が泳ぎ始めた。呼吸も嫌な音を立てている。

「どこでしたでしょうね。きっとどこか何かの時に噂に上がったのですわ。もう覚えていません。とにかく私も女性のレンジャーの方が安心ができただけです」


「女性のレンジャーならギルドに行けば他にも見つかる。そしてヘルメス領で女のレンジャーといえば、どちらかといえば私よりも“不死のユーニ”の名が上がるんじゃないかな」


「別にいいじゃありませんかそんなことは」

 タバサは泳いだ目を悟られまいとしたのか、目をつぶって強めに言う。


「……そうか、てっきりディアゴスティーノの紹介と思ったんだが違うのか」


「ああ、そうですわ。確かその方から紹介されたのです。うっかり忘れていました」

 タバサはきつく口を結ぶようにして微笑んだ。

 だがその笑顔には先程までの淡い美しさはなかった。あったのはカフェのウェイトレスのような、上辺だけ取り繕った安っぽさだけだ。


「……なるほど」

 クロウはサマンサを見た。サマンサはただクロウたちの会話を聞いて頷いているだけだった。


「少し気になってたんだがお前さん、私と彼との道中のことを何らかの方法で知っていたのかな?」


「……なぜそんなことを?」


「だってお前さん。私が何も言っていないのに襲ってきたのはゴブリンだって知っていたろう?」


「……え?」

 タバサは驚いてサマンサを見た。

 サマンサもわけが分からずクロウを見る。


「そんな、何をおっしゃってるんです? 貴女が一番最初にゴブリンが襲ってきたと仰っていたではありませんか」


「私が?」


「ええそうです。そうよね、お姉さま?」


「え、そうだったかしら? よく覚えてないけれど……。」


「そうよ、お姉さまったら忘れっぽいのだから」

 タバサはいつもこうですのよ? とクロウを見て笑った。

 ボロボロと何かが剥がれ落ちそうな笑顔だった。


「ロラン、イヴが伝書鳩なり使ってお前さんと道中に連絡を取っていてもおかしくはないと思ったんだが……。」


「そ、そういうこともございましたかしらね?」

 そう言って彼女は窓のカーテンを閉めた。

「ねぇ、大事なのはイヴ様がどこに行かれたかでしょう? 私のことなどどうでもいいではありませんか」


「それは……そうだ。しかし、ここではもう彼の足取りを追うことはできなさそうだ。誰か何かを知っていそうな者はいないかな?」


「残念ながら私にはもう……。」


「そうか……。では、また市場を探ってみるとしよう。もしかしたら闇市の方なんかにも目撃者がいるかもしれない」


「あまり街で目立って動かない方がよろしいんじゃなくて? またお役人のお世話になりますわよ?」

 とサマンサが言う。


「それよりも」

 と、タバサが割って入る。

「魔女の方に占ってもらってはどうでしょう?」


「お前さん、魔女のことを知ってるのかい?」


「ええ、だって有名でしょう?」


「……そうだな、それがいいかもれない。少なくとも役人の手は伸びないだろう」


「そうでしょう? もう私は貴女のお役に立てそうにありませんから」


「……そのようだね」


 クロウは席を立つと、ではと会釈をした。

 サマンサも「元気そうでよかったわ」と立ち上がり、また折を見てと微笑んでから部屋を出ていった。

 出ていく前にタバサが、

 「もしイヴ様が見つかったら、真っ先に私に知らせてください」

 と念を押してきた。



「シスターっ」


 クロウとサマンサが一階の受付まで戻ると、白衣を着た男が近寄ってきた。

 欺瞞じみた哀れみが表情にこびりついて医者だった。

 他の職員たちは仕事に対して手を汚しているのだというほんの少しの後ろめたさがあるが、この男にはそれが微塵もなかった。


「来てらっしゃってたんですね。そうと知っていればおもてなしをしていたものを」


 男は薄くなった頭をオールバックで束ねていた。

 塗りたくられたポマードが、クロウの鼻にはなかなか不快だった。

 男は脱皮中の爬虫類のようにシミだらけの顔で笑顔を作り、顔をしかめているクロウを見て言う。

「こちらの方は?」


「クロウ、と申します。彼女たちの友人ですよ」


「おおそうですか。もうお帰りに?」


「ええ、今日は様子を伺いに来ただけですから」

 とサマンサが言う。


「それはそれは」

 そして男は声を小さくして言う。

 もっとも、他の人間が聞こうと思えば聞こえる程度のものだったが。

「妹君の様子はどうでしたかな?」


「ええ、とても調子がよろしいようで。ドクターたちの気遣いのおかげですわ」


「そうですかそうですか」

 と、小刻みに男は頷き頭を撫でた。

「妹君は基本的に良い方なのですが、やはり診察をしていると機嫌が悪くなりましてね。あまり治療に対して協力的ではありません」


 サマンサは困ったように肩をすくめた。

「ドクター、ワタクシがここに望んでいるのは妹の安全を確保することですわ。治療などは結構です。あの子の事は時間にお任せします。神こそがあの子に適切な時に適切なものを与えるはずです。人の手はもう十分なのです」


 医者は頭を軽く振る。

「しかし、私は医者であって聖職者ではありません。治療の兆しがあるのであれば、何とかしてやるのが医師としての宿命だと思っております」


「それは……。」


「妹君のようなは、恐らく男性に対する嫌悪感が原因である場合がありまして、私の知り合いに女性の医師がおりますから彼女のところに――」


「他の病院に移れということでしょうか?」


「あくまで提案ですよシスター。私も心苦しいのです。彼女への働きかけが一切通用しない。私といると、彼女はいつも心を閉ざしてしまうのです」

 柔和な顔で悲しげに医者は訴えた。


「ドクター、私はあの子を病気だとは思っていません。ただ……たまたま愛した相手が普通ではなかっただけです」


 わざとらしい笑みを浮かべ、医者が言う。

「何と……シスターともあろう方が滅多なことを言うものではありません。貴女はご存知ないと思いますが、妹君の症状は間違いなく病気だと医学書にも記されております」


 昼間に男たちを修道女は、弱点をつかれたように弱々しい顔になった。

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