6-14

 クロウは用心深く言う。

「あの時は申し訳なかったよ。ただ事情が変わったんだ。分かるだろう? 立て続けに妙なことが起こってる。私なりに心配してるんだ」


「いまさら……。」


「タバサ、この方は自分の身を省みずにイヴ様の安否を案じているのよ。意地を張らずに協力したら?」


 しかし、タバサは自分の姉にさえも冷たい目を向けた。

「お姉さまがの事に口を挟める立場かしら?」


「タバサ、誤解しないで。ワタクシは……。」


「私をに追いやるための書類にサインをしたお姉さまが、次はいけ好かない流浪人を連れてくるなんて。どこまで私を追い詰めれば気が済むのでしょうね」


 同じ紫色の冷たい瞳だが、姉が妹に気圧されていた。

 それは、まだサマンサにはであろうという気遣いがあり、タバサには自分を傷つけることすらもいとわない捨て身の狂気が見え隠れするからだった。


「ごめんなさいタバサ。でも分かって。ワタクシはいつも貴女の事だけを案じてるの。ここを貴女に紹介したのだって、ここなら貴女を傷つける者がいないからなのよ。それに、貴女には特別に外出許可が出るようにしてあるでしょう? 他の患者と違って、囚人のような扱いを受けてるわけじゃないし」


「患者? お姉さま、やっぱり私を病気だと?」


「決してそう言う意味では……。」


「お願い、帰って。例えそうではなくても、これ以上貴女たちがいると本当に病んでしまいそうだわ」


「タバサ……。」

 サマンサは申し訳なさそうにクロウを見た。クロウは肩をすくめる。


「ねぇタバサ? せめて、あのお手紙をこの方にお渡ししたらどうかしら?」


「嫌よ」


「でも、あの手紙はこの方宛のものでしょう? だったら――」


「だから気に入らないのよっ」

 冷たい瞳に加えて、声まで凍えるように冷たく尖った。

「どうして貴女なんです?」

 と、タバサがクロウに訴えるような眼差しを向けワンピースの太腿の辺りを掴んで声を震わせた。

「どうして私ではなく、貴女なんかにあれを……。私のほうが、あの方のことを……。」


「タバサ、貴女の気持ちはとてもよく分かるわ。でも、今はイヴ様の身のことを第一に考えるべきではないかしら?」


 しかしタバサは下を向いたまま答えない。


とは?」

 と、クロウが尋ねる。


 サマンサがクロウよりも妹を気遣いながら言う。

「タバサ、良いでしょう? イヴ様もそれを望んでいるはずよ」


 だがタバサは答えない。

 サマンサはタバサを気にしながら机まで行き、引き出しを開けるとそこから封筒を取り出した。


「これを……。」

 サマンサはクロウに封筒を手渡した。


 上質の紙製の封筒は、蝋で封がしてあったようだがそれは既に開けられていた。封筒の右下には“クロウへ”と文字が書かれている。


「イヴ様が、貴女宛の手紙を侍女に託したのです。ですが……。」


 サマンサが皆まで言う前にクロウは察した。

 封筒には手紙が入っていた。そして手紙の出だしも封筒と同じように“クロウへ”と書かれていた。


“親愛なるクロウへ 


 やはりぼくは君の言うように旅に出ることにするよ。

 この世界のどこかにあるかもしれない、ぼくを受け入れてくれる場所を探すためにね。

 気分はとても晴れやかだ。妙だろう? ぼくらは結局何も得ることがなかったというのにね。

 最初の目的だった、父の信頼を勝ちとることも新しい世界を作ることもできなかったんだ。

 でも、君との旅はぼくに新しい可能性が、道があることを指し示してくれた。

 何もかも失ったがための身軽さでこの新しい道を旅することにするよ。あれ以上家にいても、父もぼくも不幸になってしまうだけだしね。

 君があの朝に言ったように、理解できないものはできない。父は変わらないし、ぼくも変わらない。だとしたら距離を置くしかないんだよね。

 もしこれから出る旅に君がついて来てくれたらと思うこともあったけれど、きっと君はあの晩に言ったように自由を選ぶのだろう。

 でもそれでいいのだと思う。君には自由が似合うし、何よりぼくも自由に生きる君に惹かれたのだから。

 それでも、もし叶うならぼくが目指すべき場所を見つけたその時には、是非ともそこで君と再会したい。ぼくの心はあの晩から君に半分持って行かれたままだから、例えいい人と旅先で巡り会えたとしてもどこかで君を想ってしまうと思うんだ。

 それじゃあしばらくのお別れだ。でもこれは退場じゃなく、あくまで舞台袖で次の出番を待ってるだけだよ。永遠の別れだなんてぼくは信じないからね。ぼくたちはきっとまた出会うはずさ。あのペンダントがきっと二人を引き合わせる。きっとそうだ。


ロラン”


 クロウは手紙を読み終えると、胸元のペンダントにそっと触れた。

 ――本当に、人の心を乱すのが上手い王子様だ。



「貴女、イヴ様とどういう関係だったんでしょうか?」

 クロウが胸を暖かくしていたのも束の間、タバサの声で冷めてしまった。


「……友人だよ。かけがえのないね」


「嘘、おおかた旅先で人を疑うことを知らないあの方をたぶらかしていたんじゃありませんこと? あわよくば取り入ろうとして」


「タバサ、おやめなさい」

 サマンサが、冷たいながらも悲哀で濡らした声を出す。


「お姉さまは黙ってて。私たちのことなんて少しも理解しようとしてくれなかったくせに」


「私は聖職者なの。その立場だってあるのだから」


「そうよね、それがお姉さまの本音なのよ。結局、世間体が大事なの。ヘルメス様と変わりないわ」


「お願いタバサ、もうやめて」


「お前さんこそ、とはどういう関係だったんだい?」

 とクロウが言う。


「貴女にだって理解できないわ、私たちのことは。誰だって理解できない、崇高な愛があったの」


「……良かったよ」

 と、クロウは封筒の角をなぞりながら言う。


「……え?」


「彼には愛してくれる女がいたんだ。愛すべき相手も」


 タバサから、冷たい気が引いた。


「彼は孤独じゃなかったんだな。……それなら良かったんだ」

 クロウは封筒がロランであるかのように見つめた。


 女たちは沈黙した。冷たい沈黙ではなかった。ひとりの男を想う暖かさが、女たちの間を緩衝していた。


「あの……。」

 タバサが、恐る恐る言う。


「何だい?」


 タバサは何かを話そうとするが、喉のところに出ようとするたびに彼女は躊躇ちゅうちょし続けた。

「いえ、何でもありません。ただ私、貴女のことを誤解していたのかもと……。」


「なに、日常茶飯事さ」


 タバサの体が、いつの間にかクロウを向いていた。

 クロウは彼女の前の厚い壁が、少し薄くなったことを知った。


「貴女が良ければお嬢さんフロイライン、この手紙はここに置いていくよ?」


「でもそれは貴女のものでしょう? 私が持ち続ける資格はないわ」


 クロウは封筒を見つめながら言う。

「私はいつだって手ぶらなんだよ。手紙一枚でも懐には重い」

 そしてタバサを見てから付け加える。

「ロランなら理解してくれるさ」

 クロウはタバサに手紙を渡した。


 タバサは微笑んで手紙を受け取った。さっきまでの刺々しい冷たさが表情から消えていた。

 しかしその微笑んだタバサは、より一層光の中で塵と一緒になって消えてしまいそうなほど儚げになった。


――彼には寄り添うべき人間がいたのか……。

 クロウは思う。もしタバサのことを知っていたなら、あるいはロランの旅立ちを止めたかもしれないと。

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