表の世界、裏の世界 第四部 払暁の媛巫女
禪白 楠葉
第1話 潜入捜査官ごっこ
「じゃあ、魔法使いアヤネが魔法をかけるからね。 」
パステルピンクのプリーツスカートの上にあわせるのは白のブラウスと、冷えると困るから、ピンクを邪魔しないような淡いグレーの薄手のカーディガン。
「女の子には冷えは大敵!!」
と、魔法使いが言う。
肩から下げるポシェットは濃い茶色に、靴も同系色。
「メイクするからね。ファンデーション、アイメイク、頬紅、口紅。頑張っちゃうよ!」
自称「魔法使い」の手に体を委ねているのは、ボク、
話のはずみで、同じ学年の
キャップで顔を隠し、Tシャツにチェックのシャツ、ジーンズ、靴はスニーカー。
ボクは性別的には女性だけど、今までは訳あって男性寄りの格好をして来た。でも、今日は女性らしい格好をしなければいけない。初々しいカップルとして街に溶け込むのが任務、らしい。
今までのボクのように、目立たないように、他の人に紛れるように。 だけど、今日は普段と違う服装。
今まではずっと一人だったけど、今日は二人。
今日は、今までと違うことをしても違和感を覚えないようにする訓練だ。魔法使いが鬼教官に変身しないといいな。
そう。クラスでひと悶着あって、騒動の中心から周りを蹴散らした女の子がいた。その子が「魔法使い」、こと他の人と雰囲気の違う同級生の
警戒心が強いボクが思いきって声をかけてみたら、世界がすごい早さで変化した。まるで魔法のように 。
まず、女子会の楽しさを知った。彼女の服を着た自分は、自分じゃないみたいだった。女の子らしい格好をしたのは、何年ぶりだろう。
一緒に女子会に参加したのは、なんと須藤さんの彼氏、
こんな世界があるんだな。
その後、小郡さんのお友達、飛び級で進学してきた谷見さんとも仲良くするようになって、四人でいるときはなんとなく自分を出せるようになった。一つ年下にも関わらず、周囲の冷ややかな目線に怯えることなく、マイペースで名言と謎ツッコミを連発する谷見さん。彼氏をひたすら振り回す須藤さん。嫌がるどころか、まんざらでもない小郡さん。三人の言動で心を揺さぶられるのが気持ちよくなってきた。
ボクって、こんな風に笑えるんだ。
これがボクの笑いのツボなんだ。
これがボクの笑い声なんだ。
こんなことが楽しいんだ。
少しずつ自分を知って、自分が出せるようになった頃、須藤さんが谷見さんをけしかけた。
「女の子らしい富木さんもかわいいと思うよ?」
須藤さん?
心の中でひどく失礼なことを思った罰なのだろうか、谷見さんは俄然張り切っちゃって、女の子らしい格好をしたボクと「潜入捜査官ごっこ」をすると言い出し、それに乗った須藤さんがこれまた張り切って服を貸してくれることになった。助けを求めて小郡さんを見ると、彼は首をゆっくり横に振りながらボクの肩に手を乗せてきた。
「諦めろ。」
そう言いたいのはよくわかりました。
靴はサイズがあわないから昨日一緒に買いに行って、歩いても足が疲れにくい、ちょっとだけかかとの高い靴を選んだ。小郡さんも須藤さんより靴のサイズがちょっと大きいらしく、「あんたも買えば?」とか言われてたっけ。
「でも、女装で外を出かけるのは恥ずかしいって。」
「うーっ。何で私の晴人を見せびらかしたらだめなのよ!」
「そんなこと言われても……。」
「うるさいっ! 何か考えておくから、覚悟を決めておきなさい!」
夫婦漫才を見ているとつい頬が緩むが、本人たちは素でやっているんだろう。
その後、かわいらしい下着も準備した。
「女の子らしい格好は、可愛い下着から始まるの!」
という、わかるようなわからないような説得に押され、初めて下着屋さんにも行った。
小郡さん? もちろん強制連行されていました。
「いい? こういうところに来て、恥ずかしさや照れで顔が赤くなるようだったら、まだまだ失格なんだからね?
きれいなのがいっぱい、って興奮して赤くなるのは構わないけど。」
女二人に男一人でランジェリーショップ。
冷静に考えたら、変な組み合わせだよね。
ボクも彼氏でもない男性がいる前で自分の下着を選ぶのはすごく恥ずかしいはずなんだけど、なんで平気なんだろう。
サイズを測ってもらっているのも、聞こえてるだろうし。
小郡さんが普段から女装させられているからだろうか、それだけ親しい間柄なのだろうか。
後者だとしたら、大学入ってから、ボクはずいぶん変わったよね。
男の子の格好してきたから、今まで胸のあるなしは気にならなかったんだけど、谷見さん的にはどうなんだろう。
やっぱり、膨らんでる方が魅力的なのかな?
「はいっ! メイクおわったよ!」
ぼーっと考え事をしていたらメイクが終わっていた。
これは、本当にボク?
鏡に映るボクがいつもの自分と別人に見える。
やはり、慣れている人は違う。
最後に髪をちょっとだけブローして、ふんわりしたところをワックスで無造作に。
鏡のなかには、今まで見たことのない、ショートカットで背の高いスラッとした女の子が映っている。
魔法使いは、ボクに手早くアクセサリーを身に着けさせる。ピアスの穴は開けてないから小粒のピンクの石のイヤリングと、胸元にチラリと見えるクロスの金のネックレス。
「で〜きた! 魔法使いの任務完了!」
「須藤さん、ボク本当におかしくない? 」
こんなに変われるものなのかなあ。
「大丈夫だって。魔法使いアヤネの魔法は、シンデレラみたく簡単には解けないんだからね? それから、今日は『ボク』じゃなくて、『
そろそろ彼が来る時間。間に合ってよかった!
無事帰って来たら、パジャマパーティーだよ!」
ちょっと経ったところで、今日のもう一人の主役の登場。
案内役の小郡さんに連れてこられた谷見さんの、ボク、じゃない、『私』を見る目がいつもと違うのがわかる。
視線が恥ずかしくて、つい目を伏せてしまう。
ドキドキしている『私』を、3人が楽しんでいるようで、更に恥ずかしい。
何処かに潜り込みたい気持ちになってくる。
「これ、ホントに富木さんっすか? 」
「今日は、谷見君って呼んだ方がいい? カツくんって呼ぶ? 潜入捜査官なのに、さん付けはまずいよね? やっぱり、カツくんだね。」
須藤さんが煽る。
「じゃあ、カズさん?」
「さんはないでしょ、カズちゃんじゃない?」
「だって年上じゃないですか。」
「谷見君がそんなこと気にするなんて思わなかったよ」
須藤さんと谷見さんの掛け合いで、緊張していた心が、解れる。
「じゃあ、いってらっしゃい。そうだ、あのね、谷見君」
「はい」
「富木さんの靴、まだなれてないから、腕につかまらせてあげてね」
須藤さんの何か企んだような笑顔が見える。
「それは……腕を組めと?」
「だって靴ずれしちゃったら、捜査官として最後までお仕事できないでしょ?
それから、最後はカズちゃんをちゃんとここに連れて来ること。
今日はパジャマパーティ兼報告会するから、うちにつれて帰ってきてね。
そこまでが捜査官ごっこです!
じゃ、楽しんできてねー。」
「了解です、それでは、任務開始いたします。」
谷見さん、じゃなかった、カツくんが須藤さんに敬礼。小郡さんは優しくそれを見守っている。
「じゃ、いってきます、須藤さん、小郡さん。」
「いってらっしゃ―い!」
軽く手を上げる小郡さんの笑顔と、いたずらっ子のように顔の横で小さく手を振る須藤さんに見送られて、私たちは須藤家を後にした。
須藤家のドアがカチャリと閉じたのを確認すると、
「では、任務開始しますか、カズちゃん」
と、カツくんが腕を差し出す。なんだか恥ずかしくて、カツくんのデニムシャツをつまんでみたら
「何やってるんすか、それじゃ任務全うできないっすよ」
と言われて、素直に腕を組むことにした。
男の人にここまで密着するのは初めて。
照れくさい。でも、カツくんは至極真面目な顔で任務にあたっている。私も、真面目に任務に取り組む事にする。
これから繁華街へ潜入する任務。緊張するけど、ちゃんと最後まで全うするんだから。
☆ ☆ ☆
「ねえ、私達もスパイごっこしない? 変装して、二人のあとをつけるの。どんなデートになるか気になるでしょ?」
綾音のことだ、これで終わりのはずがない。
「もちろん! 女の子二人で遊びに出かけるんだよ!」
綾音と二人でいるときに女装するのはよくあることだ。最近は富木さんも入って、女子会をすることもある。
今まではさすがに女装して外出というところまでは行かなかったけど、綾音が持ちかけてきた。でも、まさか変装するのが自分だけ、それも女装だなんて夢にも思わなかった。カウンターを食らった気分だ。
今日のコーディネートは、シャーベットブルーに小花柄のマキシスカートと、白いニット。
アクセントに、首もとに薄くて軽いストールを巻く。
「だって、外に出るのに、喉仏見えるのいやじゃない?」
綾音が力説する。 俺が女装で外出しても変な顔をされないように済むように、綾音も考えてるみたいだ。
「アンタ、もともと喉仏がそこまで大きくないから必要はないんだけど、気分よ、気分!」
サンダルも綾音が用意した。ヒールに慣れていない俺でも歩きやすいよう、足首を固定できてヒールが低めのグラジエーターサンダル。こんなときのために、無駄に用意周到にクローゼットに隠してあるそうだ。
なんで女装外出に話がいったのか、未だもってわからない。でも、部屋で楽しむのには慣れたから実はそろそろ新しい刺激がほしかったのは、綾音には秘密だ。
回数を重ねるごとに、化粧するのにもなれてきた。綾音の道具を使い、手早く仕上げるけど、口紅は後回し。
軽く綾音にキスをしてから、最後の口紅を丁寧に、でもナチュラルに見えるように引く。
突然キスされたことに驚いた綾音の顔がおかしくて吹き出すと、ちょっと拗ねた顔をする。
そして、こういい出した。
「今日は
「は? なんで?」
「ハル、あんたいくつ?」
「18。」
「あたし19。はい、決定。」
「そんな、横暴だよぉ。」
「なんでもいいの。今日はお姉ちゃんになりたい気分なの。わかった?」
「……はい、綾ねぇ。」
口紅を引くと、女の子のスイッチが入るのを、綾ねぇはよく知ってる。しぐさも、話し方も、声のトーンも。
綾音がさっさと着替え、二人とも準備はできた。これからは、富木さんと谷見のあとをつける、こっちもスパイごっこだ。 綾ねぇがゆったりめの長ズボンで、俺がマキシスカートというのが、なんとも言えない感じだ。
「でもさ、二人の居場所、どうやって知るの? もう二十分以上経ってるから、追いつけないよ?」
「ふふーん。 アヤネ様をナメちゃだめだよ。私の携帯を、カズちゃんに渡したポシェットに入れてあるんだよね。GPSで居場所がわかるんだ!」
鬼だ。
「まあ、カズちゃんには遅かれ早かれ見つかるだろうけど、携帯返す口実ができるから必ず今夜はこっちに戻ってくることになるんだよね。そのままお持ち帰りでも趣深いけど、やはり、私達的には美味しくないよね?」
悪魔だ。
二人のあとをつけるのは楽しかった。三十分後くらいに二人を目視できるようになった。あちらから見えないように、かといって自分達も楽しみつつ、何ともいえない時間だった。
二人が喫茶店に入ると、こちらは向かいの本屋で立ち読みする。本屋では、ファッション、旅行、料理の雑誌を主に見る。それは綾音も同意見らしい。
ロリータファッションの特集をやっている雑誌があったので、「実際に着たいけど無理だよねー。」と言いながら綾音と二人で見る。
俺は二柱の神使に仕えているが、なぜか二柱は俺の姉妹兼恋人だという設定を強要している。姉妹とは俺の頭の中で会話できて、そして俺の空想の世界の中で会うことができる。そして、妹はロリータファッションが大好きだ。こうやって俺が雑誌を読むことで、神様もいっしょに楽しんでいるらしい。こんな本は一人じゃ立ち読みできないから、綾音には感謝だ。
「ロリータファッション、一緒にやらない? 三姉妹コーディネートとか、絶対にいけると思うよ!」
とよく聞かれる。俺の頭のなかで、近いうちに着せられるのだろう。
当然、俺に拒否権はない。
それにしても、綾音といい、姉妹といい、何でこんなに俺を女装させたがってるんだ?
何がそんなに楽しいのかわからないよ。
「かわいいからだよ!」
脳内に声がした。
これが俺の日常だ。
次は旅行雑誌。
旅行雑誌で興味を惹かれるのは、自然が豊かなところが多い。少なくても、大都市はパスすることが多い。山、海、高原、河原。高級ホテルよりは旅館、ペンション、コテージ。俺の脳内で、姉妹が俺を陵辱するシーンを俺自身が構成しないといけない。ひどい話だが、それが俺の姉妹に対するお勤めの一つである。
攻められ慣れているのが顔に出ているせいか、俺に絡んでくる人間は多い。
絡むと言っても、暴力を振るわれたり、罵声を浴びせられたりするわけではない。
どうやら、親しく話しかけても問題なさそうな、無害そうな人間に見えるようだ。
男だと、自分のプライド、男らしさを傷つけてくる心配はなく、女だと、口説いてこない、女だからといってバカにしない、安心して話せる人と思われているようだ。同じ学科に「小郡くんってペットに最高だよね~。」とさえ言ってのけた女子がいた。周囲の人はたしなめるどころか、みな頷いていたし。
まあ、別にいいんだが。男としてのプライドは姉妹にズタズタにされてるし、姉妹と綾音に振り回されているから女には困っていない。強気な女性には絶対に逆らえない性格に調教されてしまったようだ。
最後に料理雑誌。
料理雑誌の料理は9割は釣りだ。手に入りにくい材料があったり、大量につくるはめになったり、どう見ても調味料の配合がおかしかったりする。時間がかかりすぎて実際に作れないものもある。
インターネットのアフィリエイトのネタサイトと同じで、料理雑誌は変なことを書いて金になる商売だから、基本的に信用できない。とはいえ、良識ある人間がまともなものを書いていることがあるので、それを探す。
本屋でメモを取るわけには行かないので、覚えられるレシピは2~3が限度。綾音は料理雑誌には興味がなく、アイドル雑誌を見に行ってる。
二人が映画館に入れば、表にあるゲームセンターで時間を潰し、ウインドウショッピングをした。
クレーンゲームは絶対やることになる。手に持っているバッグにはぬいぐるみが3つ、かわいく顔を出している。かかったお金を換算すると、絶対ぼったくりだが、取れるか取れないかのドキドキを味わうと考えると、どうもやめられない。
「この機械は大丈夫だよ! でも、あっちはバネが伸び伸びだから、やっちゃだめ!」
誰かさんがなぜ設定を知っているのか、考えてはいけない。
「ねえ? ばれてないと思ってる?」
「大丈夫だと思うよ?」
「違うって。二人に私たちのことがばれてるか、という話じゃないよ?」
「え?」
何だ。何がばれたというんだ?
「カタログ。」
「え?」
「私の部屋のカタログ。場所がずれていたんだよね。」
「何のこと?」
もしかして、綾音の部屋の机にあった通販のカタログ?
「ふーん。あくまでもシラを切るつもりなのね。
服の通販のカタログ、読んだでしょ。」
「べ、別に問題ないじゃないか。何でいけないの?」
「そうだよね、女の子が女の子の服のカタログを見るのは当然のことだよね。
そして、下着のカタログを読むのを見るのも当然だよね。
うんうん、わかる、わかる。」
ちっ! 下着のカタログまでばれていたのか!
「高校の男子もバカだったよね。
苦労してえっちな本を買わなくても、下着や水着の通販カタログを入手したら半裸の女の子がいっぱい載ってるのに。」
言われてみたらそうだ。
これは盲点だった!
「で、どれが気に入ったの?」
「え?」
「どんなデザインが気に入ったの?
さすがに小学生向けのデザインがいい、なんてことは言わないと思うけど、清楚、飾り多め、キュート、カジュアル、どんなのがいいの? 肌を覆う面積が多いとか少ないとか、素材の好みとか、女の子ならあるでしょ? パッドは厚くないとだめとか、むしろブラは嫌でカップありのキャミソールが好みとか。」
頭がぐるぐる回る。アヤネは何言ってるんだろう?
「カタログを見たということは、自分がどんなの欲しいか興味があって調べてたんでしょ?
ちょうどあそこにランジェリーショップがあるから、冷やかしに行こうよ!」
「でも、俺、おと……」
「ねえ? 何を言おうとしたのかな?」
アヤネの目つきが急に鋭くなった。
「こんなかわいい格好していて、まさか自分が男です、なんて言わないよね?
女の子なら誰でもランジェリーショップに行くことはあるの。
サイズを測ってもらったり、試着してもらうことはないから、安心してついてきなさい!」
ランジェリーショップに足を踏み入れると、さすがに脈拍が上がる。
俺はこんな場所にいていいのか? 冷や汗をかきそうになる。
たぶん顔は真っ赤なんだろう。
「だいじょうぶ。じきに慣れるから。
初めてのときよりは平気でしょ?」
慣れてしまっていいものなのだろうか。
目のやり場のないといっても、恥ずかしくてアヤネを見ることはできないし、目をつぶったり、下を見続けているわけにもいかない。必然的に下着――ここではランジェリーというのか――を見ることになる。
あるコーナーに目が吸い寄せられた。パステルカラー二色の上下セット。上はカップとその他、下は前と横が違う色になっている。緑と黄色やピンクと紫、黄色とピンク、ピンクと白の組み合わせで、様々なサイズが売られている。カップと胸の境目、肩紐、パンツの端にフリルがついていて、とにかく愛らしい感じだ。
「へぇー。そういうのが好みなんだ。」
アヤネに見られてた!
「なかなかいい趣味しているようで、お姉さん感心しちゃうぞ。
でも、このブラ、上着を選ぶんだけど、どうしてかわかるかなあ。」
アヤネが痴女口調になりかけてて、妙な感じだ。
でも、どうしてだろう?
「黙り込んでるハルちゃんに、アヤネお姉さんがヒントをあげちゃうからね。
ぴったりしたブラウスとかカットソーを着ると、どうなる?」
「……ブラのフリルが目立つ?」
「せぃかーい。
うまく輪郭が見えないようにしないといけないけど、意外と大変なんだよね。ゆったりした服でごまかすか、キャミソールかタンクトップで押さえておくか。
ばれたら恥ずかしい、自分だけの秘密を抱えて外に出ると、自然と乙女チックな気分に浸れるんだよ。恋心を必死に隠す乙女みたいになれるんだよね。」
……変態だ。
「あの、何かお探しでしょうか?」
若い店員の女性が営業スマイルで声をかけてきた。年があまり変わらないように見えるから、大学生のバイトかな?
「いえ、結構です。」
アヤネが素早くフォローする。
「試着が必要でしたら一声かけてくださいね。」
「はーい。」
店員をあしらった後、
「実際に買うのは通販でセールになったとき。ネットで類似のデザインのものを探してもいいし、今決める必要はないんだよ?」
と俺に小声で言った。
実に鬼畜である。
「ついでに、ちょっと悪戯していこっと!
えーと、
ラックにかかっているカラフルなブラジャーから緑、白、青、橙のものを抜き出し、左から右に、この順番で戻していく。
「これで、
何かよくわからない呪文を唱えてニヤニヤ笑ってるけど、何かの内輪ネタなのだろうか。
「もう少ししたら映画終わっちゃうね。」
店の中をもう少し回って、出ることにした。
俺はおっぱい星人らしく、どうしても「たっぷり盛れるよ!」的なブラをガン見してしまって、アヤネに「これでもまだ足りないの?」とあきれられた。
隣にいるアヤネを見ながら下着姿をいろいろ想像できて、いつの間にか緊張は解けていた。俺が仕えている神様二柱も大満足したようで、「今夜は三姉妹下着ファッションショーだ!」と盛り上がっている。
それにしても、店を出るあたりにはパジャマがあったけど、どうしてここから入らずに、わざわざブラセットのコーナーから入ったのかな?
事件は、二人が雑貨店から出てきたときに起こった。通りがかった男が、富木さんに絡もうとしたのだ。
「やだ」という富木さんの声と、彼女を引き寄せて守ろうとする谷見と、その瞬間に見えた、二人を包む眩しいもの。
「晴人、見た、今の?」
綾ねぇは、驚きすぎて姉設定を忘れてしまったようだ。
「見た。なんだったんだろう、綾ねぇ。一瞬、カッて」
思わず、二人が繋いでいた手に力が入る。
強い力を感じる何か。
俺達にしか見えない何か。
4人で一緒にいる時には見えない何か。
何だ、あれ?
俺たちは考える。
富木さんには、何かありそう。
何かの力が働いてる気がする。
なんだかわからないけど、何かある。
でも、こんな人混みの中で話すことじゃない。
いや、話してもいいけど、答えはでてこないだろう。
「綾ねぇ、今夜は富木さんとパジャマパーティーなんでしょ?
それとなく探り入れられないかな?」
「そうだね、やってみる。でも、ハルにも話せないことかもしれないよ?」
「いいよ、綾ねぇが理解できれば、富木さんも楽になるかも。
あたしも、言いたくないことを無理やり聞こうとは思わないもん。」
「ハルは、ほんとにいい子だね」
突然頬をなでられる。こんな時、彼女の本質を感じる。
彼女は、ノリが激しすぎるところはあるけど、ちゃんと芯がある。
相手を信頼して、言いたくないこともある、言えないこともあるってことを理解してくれる。
それは、誰にでも同じ。俺にも、富木さんにも。
「そろそろ捜査員ごっこも終わりにしようかな?
二人が戻ってきた時に誰もいなかったら不味いし、帰ろっか。」
「そうだね。楽しかったね。綾ねぇ、またお出かけする?」
「やぁだ、ハル、癖になっちゃった?」
「うん、癖になりそう。ありがとね、綾ねぇ。」
「お姉ちゃん頑張ったかいがあったよ。何しろ、3人分のコーディネートだもんね。
でも、ハルが喜んでくれてよかった。」
「帰ろうか。」
「そうだね、帰ろうか。」
手を繋ぎ直して、綾音の家へ戻る。
化粧を落としてさっぱりすると、男モードにチェンジする。
今日はマキシスカートとストールのおかげで、喉も足元も気にせずに済んだ。
綾音のおかげだ。女子会をする時とは違う、解放感をともなうドキドキ感。
こんな気遣いができる子だ。きっと、手放してはいけないのだろう。というより俺のほうが、彼女から離れられないのだろうな。
今日のことで、きっと俺のお仕えする神使の姉妹も大喜びだろう。と思っていたら、
「ねえ、晴人?」
と後ろから声をかけられた。
なに、と言おうとして顔を向けると、突然頬にキスをされて
「死んでもいい……。」
と、耳元で囁かれた。
……おい、それは反則だろう。この間の仕返しか。
呆気にとられていると、
「化粧落としてくるね〜。」と呑気に洗面所に入っていった。
やられた。
今日はもう時間がなさそうだ。いつか倍返ししてやる。
と言っても、きっと倍仕返ししたぶんの3倍くらいのお返しをされるのだろう。
そして、喜んでそれを待ち望んでいる自分がいる。俺には、それこそがご褒美だ。
その時を楽しみに、仕返しを考えることにする。
☆ ☆ ☆
「富木さん、また明日。 」
小郡さんと谷見さんが、軽く手を上げて帰っていった。
「カズちゃん」ではなく「富木さん」と呼ばれたことに、ちょっと寂しさを感じた。
さっきまでは「カツくん」と「カズちゃん」だった。
呼ばれ方で、こんなに距離感を感じるんだ。
須藤さんに
「ねえ須藤さん、クラスでは無理だけど、一緒にいるときは『アヤネ』って呼んでもいい?」
と聞いてみた。アヤネは喜んでくれた。
おばあちゃんが言ってた。女の子の友達とお泊まり会してもいい? って聞いたら、
「隠し事なく話せる友人は大事にね」
って。
きっとアヤネのことなんだな。
今日のカツくんはちょっと照れた顔をしながら、でも満足げだった。
変な男から私を助けてくれたし、靴擦れしないように腕も貸してくれたし、人に慣れてない私のために所々で休憩も入れてくれた。
変わったものが色々おいてある雑貨屋、こだわりのある美味しい喫茶店。
「ここのコーヒーは美味しいんですよ。豆を一粒ずつ選別して焙煎してるんです。でも、隠れたおすすめはぶどうジュース。氷までぶどうジュースで作ってあるから、時間がたって氷が溶けても、薄くならないんですよ。」
ぶどうジュースには確かにぶどうジュースの氷が浮かんでて、美味しかった。ワッフルは甘さが控えめでぶどうジュースに合う、というのでその通りにしたら、カツくんの言うとおりだった。その喫茶店のメニューも制覇したらしい。飲み物とスイーツとの相性も、頭の中で計算してるみたいだ。
紅茶についても語っていた。ミルクティーならオレンジペコがおすすめ、スッキリした香りが好みならダージリンセカンドフラッシュ。オレンジの香りが爽やかなシャリマティー。レモンミルクティーっていうのもあって、それはミルクティーにレモンの皮を散らしたもの。
これ、全部制覇したんだ……。
というか、コンプ癖がすごい。
そう言えば、駅前の中華屋さんのメニューも制覇したって言ってた。
そうだ、カツくん、「あの二人には内緒っすよ」とか言いながら、パフェ食べてた。コーヒーの苦味とのバランスが絶妙なんだって。意外と甘党なんだ。
今度、谷見さんの巣である飛び級の学生向けの自習室に甘いもの差し入れてみようかな。
喜んでくれるかな。
映画は、アクションやサスペンスが苦手と聞いて、コメディーものを選んでくれた。初めてのところばかりで緊張して、おどおどしてる私を気遣ってくれた。
いつもと違ってちゃんと顔を上げて歩けたのは、きっとカツくんの背が私よりちょっと高いから。
背が高い男の子といるのって、ドキドキする。
アヤネと一緒にお風呂に入ったあと、持参のパジャマに着替えて一緒にベッドに座った。
わかってたけど、アヤネは出るところがしっかり出ていて、女性らしい体つきだ。まな板胸の私には、羨ましい。でも、本人にはコンプレックスな部分もあるみたい。
アヤネのパジャマは、所々にフリルがついていて、可愛らしい。私のパジャマは、ヤネのと比べると、飾りもなくてシンプル。でも、今の私にはこれが精一杯。
枕を抱えて今日のことを思い返してると、アヤネがニヤニヤ見てる。
「なに? 」
と聞くと、
「なんか、思い出し笑いしてるよ〜? 嬉しいことあった?」
と尋ねられた。
「いや、あの……。」
口ごもる私に、アヤネは
「いいよいいよ、何事も初めては楽しいよね。大事に思い出に取っておくといいよ。」
と言ってくれた。
でも、聞かないでくれることも嬉しいけど、聞いてほしいこともある。
無性に誰かにおしゃべりしたいこともある。それが女心だってことも、今日わかった。
「あのねアヤネ、今日ね……。」
アヤネは、ニコニコしながら、
「ほんと? 谷見くん、そんな男らしいところあるんだねー。ジェントルマンじゃん!」
とか、リアクションしながら聞いてくれた。
これも女の子の楽しみなんだな。
パジャマをきて同じベッドにいると、心の距離がぐんと近くなる。
そんなことも、アヤネが教えてくれた。
そして、私の話を聞いたあと、最後にこう言った。
「カズキ、知ってる? それ、ノロケって言うんだよ?」
頬がカッと熱くなった気がして、抱いてた枕に顔を埋めた。
一通り話が終わったあと、アヤネが切り出した。
「あのね、言いたくないなら言わなくていいんだけど、この間の女子会で、神道について話したじゃない? カズキがすごく詳しくて、ビックリしたの。
私も興味があって本とか読んでるけど、程度が違うって言うか。
何か理由があるのかなって、気になってて。 」
そういえば、おばあちゃんに話しても何も言われなかった。
この間の女子会も。
今日、カツくんと街を歩くといった時も。
アヤネとパジャマパーティすることも。
入学したての頃は、大学に行くときでさえ「気を付けなさい」とか言われてたのに。
最近はにこにこして、「行ってらっしゃい」とだけ。
おばあちゃんは、きっとわかってるんだな。
ボクにも、信頼できる友達ができたこと。
心を開ける相手ができたこと。
実はね、と話を切り出した。
ボクは、
アヤネには前に話したんだけど、父と母は新興宗教にはまって失踪。特に父は、女性が上に立つこの神社に嫌気が差したようだ。
ボクも連れていくと言ってたけど、
「絶対いや、行かない!」と言い張ると、
「お前なんか私の子じゃない!」と、ボクを捨てて出ていった。
それが小六のとき。
小学生のときまでは、父がつけた名前を使っていた。
中学に入ると同時に、和希という名前を名乗り始めた。これは、おじいちゃんが付けてくれたもの。
平和を希望する、人との和を大切にするように、和希と名付けられた。お陰で、
「ママが大変なの!」
「パパが呼んでるから!」
と、前の名前をよんで、両親のところへつれていこうとする人達から逃げることができた。
他にも、車に乗せられそうになったり、何度か危ない目にあったけど、なんとか助かった。
両親を奪った新興宗教の人かもしれない。
本当に両親がボクを呼んでいるのかもしれない。
でも、ボクは人を信じられなくなった。できるだけ人と距離を置くように、できるだけ人に紛れるようになったのはその頃だ。
人が怖くて、後を付けられているようで、狙われているようで、警戒して男の子みたいな格好をするようになったのもこの頃。
新しい名前を名乗って3年実績ができて、15歳になったら戸籍上も名前を変更できる。その制度を使って、正式に富木和希になった。
20歳になったら、両親の戸籍から分籍できるようになる。それと同時に神社の修行を始めて、大学を卒業したら正式に神社を継ぐ修行をすることになる、そのために勉強してるんだ。
そこまで、一気に話した。
アヤネは、黙って聞いてくれてた。
「そっかあ、カズキは神職さんになるのかあ。それは、巫女さんなの?」
「ううん、わかりやすく言うと、神様に祝詞を上げたり、お仕えする人。」
「宮司さんかな?」
「その役目もするけど、ちょっと違うところもあるかな。
えーっと、内侍って聞いたことある?」
「ないしのすけ、とかいうやつ? 古典で出てくるやつだよね?」
「そう。主に、天皇のお手つきって言う場合に出てくることが多いんだけど、本当は神様にお使えする人なんだよ。
神様のおいでになる、
「そうなの!?」
「そ。そこで、神様にお仕えしてお世話をするのが内侍の仕事なんだけど、うちの神社ではそれをやってるのね。」
「それは、他の神社でもやってるの?」
「アヤネ、食いつくね。ううん、うちの神社は特殊なんだって。だから女系継承。
年に何回もお祭りがあるから、それの祭主をやったり、もちろんご祈祷もするし。
普通の神社みたいに、七五三のご祈祷も、車のご祈祷も、厄払いなんかもするよ。
清めた手でないとできないから、何かやるたびにお塩でお清めしたり、大きなお祭りの前には水垢離もするし。」
「おじいちゃんは?」
「たまにおばあちゃんの手助け。お正月の前の、人手が必要なときとかね。
何年か前にサラリーマンを定年退職して、今は自由な時間のほうが多いから、そっちをエンジョイしてるよ」
「おじいちゃんもお手伝い忙しいね、きっと。」
「そうでもなさそうだよ。退職後は趣味を楽しんでるみたいだし、神社のことは基本他の人に任せてるし。お祭りの前のお清めの儀式は女性だけの儀式だしね。」
アヤネはやけに食いついてくる。まあ、神様や神社に興味がある人は聞きたいよね、きっと。
「女性がメインで働いてる神社ってあるんだね。そのおばあちゃんのあとを、カズキが継ぐんだ。」
「そう。
「媛巫女!?」
「いまの媛巫女はおばあちゃん。しきたりとか儀式とか、いろんな勉強して一人前になったら、ボクが媛巫女、おばあちゃんは大媛巫女。」
媛巫女、という言葉にアヤネがすごく反応した。
「アヤネ、どうかした?」
「ううん、なんでもないよ。そうかあ、媛巫女っていう役職なんだね。半人前の間は、ただの巫女さん?」
「ううん、若媛巫女。旅館の若女将、女将、大女将と一緒だよ。修行中というか、経験がまだ浅いから、若がつくの。
二十歳になったら若媛巫女になるんだけど、普通の巫女さんとは区別されてるね。」
「それは、私みたいな一般人に話しちゃってもいいの?」
「神社の関係者でもあまり知ってる人はいないんだけど、なんだか、アヤネには知っててほしかったの。アヤネなら、言いふらさないってわかってるし。
神社の話なら、簡単にだったら小郡さんにも話してもいいよ。」
「晴人にも?」
「うーん、なんとなくだけど。二人には知っておいてほしいかなって。」
神社の話、特に媛巫女の話なんて普段しないから、思い出したことがつい口に出てしまった。
「そういえば、媛巫女は、全国で八人しかいない役職なんだって。」
「え? 八人の媛巫女?」
綾音が驚いた顔をした。媛巫女という言葉だけでも驚いただろうから、もっとびっくりしたんだろう。
「日本列島に沿って要になる神社があって、そこに代々媛巫女がいるんだって。おばあちゃんの他の人には会ったことないんだけどね。日本にとって大切な場所に神社が配置してあって、そこに一人ずつ。北斗七星のような形なんだ。」
「あれ? 北斗七星なら、七箇所じゃないの?」
「一つの星に小さな星が寄り添うようにあるんだよね。それを合わせたら八箇所。
アヤネ、地図帳持ってる?」
「ちょっと待ってて」
アヤネが地図帳を広げる間に、ボクはアヤネのパソコンで北斗七星の画像を探す。こんな時にスマホがあったら便利なんだろうな。
「あったよ。」
「ありがとう。じゃあ、南の方から行くね。
「……高千穂、ここだね。ここに、アマテラスの孫が降り立ったのね。」
「そう。で、大陸との接点で、
「宗像……、ここ?」
「そう。で、
日本を象徴する山である富士山が
武曲星に寄り添うように、
最後は、日本の東の
これらの星にそれぞれ神社が割り当てられて、その近くの神社に媛巫女がいて、日本の神様を影でサポートしてるんだ。」
「でも、北斗七星である理由があるの?」
「北斗七星は天の象徴なんだ。北斗七星の形に神社を置くのは、天を地に写し取り、地、つまりボク達の住む日本で天の加護を得たい、という話。
だから、どうしても北斗七星である必要はないの。明るい星がきれいな配置に並んでいて、たまたま天の北極の近くにある明るい北極星を探すのに便利だから有名なだけ。現代人は北斗七星の六番目の星、武曲星と八番目の輔星の近くに、もっと星があるのはわかってるけど、だからといって名前を変えたりしない。
もちろん、現代の人は、北斗七星の形を正確に写し取れてないんじゃないか、と言えるけど、正確な地図がない古代の人にしては、かなり頑張ったと思うんだよね。」
「へえ。」
「ボクは輔星の担当。武曲星は富士山の周辺でざっくり中部地方の南半分、輔星は富士山のずっと北側、媛巫女のいる神社がない、中部地方の北半分あたりが担当なんだ。範囲が広いから星が二つあるんだと思う。
媛巫女のいる神社は公になってないんだ。知名度が高い、有名な神社でもないんだ。こっそり隠れていることで、他所から干渉されたり、乗っ取られたりしないように頑張ってるの。それこそ、神様の世界の潜入捜査官みたいなものだよ。
だから、媛巫女のことはあんまり広めないでね?」
「もちろんだよ。」
全国で八人の媛巫女。全国的にこんな風に媛巫女が分布してるなんて、多分よほど詳しく調べた人でないとわからない。
特にうちの神社は、北斗七星の中にも入らないから、話題にも上らないだろう。
「そうか、全国に八人の媛巫女……。そういえば、天女伝説ってあったね。あれも八人でしょ?」
「そういえばそうだね。一人は神様として地上に残ったって言われてるけど、実は全国に散らばってそれぞれ媛巫女になった、とかっていう話なら、ラノベみたいで面白そうだけど。」
アヤネが地図を見ながら思い出したように言う。
「でもさ、この地図で言うと、北極星に当たるのは太平洋上だよね?」
「うん。そこは、オノゴロ島の跡って言われてるね。」
「あの、イザナギイザナミの、最初に降り立った島? 塩でできたっていう。」
「そう。そこで国産み、神産みをしたっていう島。もしかしたら、天の御柱とかも立ってたのかもね。」
ちょっとおどけてそう言ってみたら、アヤネが考え込んだ顔をしていた。ちょっと待ってもそのまま動かなかったので、
「アヤネ、眉間にシワが寄ってるよ?」
とからかうと、ハッとした顔をして
「やだ、どこどこ!?」
と慌てた様子で眉間をマッサージするアヤネを見て吹きしてしまった。それを見て、アヤネも声を上げて笑った。
やっぱり、女子同士の会話って楽しい。ボク、こんなにおしゃべりだったんだな。
そこで、アヤネが思い出したように質問してきた。
「そうだ、神社の話。御神体ってやっぱり鏡なの? なんで鏡なんだろうね?」
神道に興味のあるアヤネには、知ってることは、できるだけちゃんと伝えたい。
「鏡はね、神様のところに通じる道なんだって。そこを通して神様はなんでも見てるよって、おばあちゃんが言ってた。うちの両親にも口酸っぱく言ってたよ。」
「お父さんやお母さんにも?」
「新興宗教にハマったのも、それがあったからかもしれない。逃げたかったとか。神様に見られてるって言われて、家じゃ休まらなかったのかもね。」
「そっかあ。お父さんもお母さんも、神社の世界とは別の道に行くべき人だったのかな。カズキは結構、冷静に分析してるみたいね。」
「六年間、ずっと考えてきたからね。自分がなんで捨てられたのか。」
「捨てられた、っていうのはちょっと違うんじゃないかな。ご両親とカズキの道が違っちゃったというか、ねじれちゃったというか。お互い傷ついたんだと思う。
カズキは恨みに思ってるの?」
「……考えたことなかった。」
「カズキは、ちゃんと乗り越えたんだよ。だから、ちゃんとこうして話せるんだよ。
カズキはすごいと思う。」
「そうかな」
アヤネに褒められると、そうかもしれないって思えてきちゃうから不思議。
「そうだ、ねえ、お使いの動物とかいる? ほら、キツネとか、ネズミとか。」
「うちはフクロウだって聞いたよ。」
「フクロウがお使いの神様もいるんだ。私が聞いた中では初めてかも。」
「よく聞くよね、白蛇とか、ムカデとか、カエルとか。でも、うちではフクロウって聞いてる。
民の様子をつぶさに見聞きし、助けるときや、罰を当てるときは気配も消して、じーっと観察して、ここって言うタイミングを逃さずに。とにかく、目と耳がいいんだって。で、羽ばたく音がしないから、虫とか、悪い生き物がそばに来ると、気づかないうちに捕まえて連れ去って、食べちゃう。多分人間に罰を当てるときも、それとわからないようにやるんだろうな。」
「そうなんだ。フクロウって北の方では神様だっけ。」
「そうだよね、何か繋がりがあるのかもね。」
アヤネがまた思いついたように質問してくる。
「カズキは結婚とかどうするの?お婿さん?」
「……そうなるよね。女系継承だから、ボクが継ぐってことは、お婿さんってことになるね……。」
今日、カツくんと楽しい思いをしたことを思い出した。
お婿さんは、一緒に楽しい気持ちになれる人だろうか。
同じ方向を向いて、同じ歩幅で歩いていける人だろうか。
両親は、父のほうが嫌気が差して他の宗教にはまり込み、母も影響を受けたと聞いた。
将来のお婿さんは、ボクのことを理解してくれるだろうか。
神社のこと、理解してくれるだろうか。
アヤネが、さらに尋ねてきた。
「ねえ、カズキは神様っていると思う?」
うーん、難しい。
いる、といえば嘘になるかもしれないし、いないといえば、これまた嘘になる。
ボクは、将来媛巫女になる身だ。神様にお仕えする立場とあらば、神様を身近に感じるのが普通だろう。でも、身をもって体感したことはないのだ。ただの一度も。
「難しい質問だよね。
アヤネも勉強してる通り、日本には神道とか仏教とか、そういう宗教がまぜこぜになって根付くおおらかな土壌があったと思うのね。
で、神様のお告げの一番原始的な形は、虫の知らせとか、正夢とか、デジャヴとか、そういうものじゃないかと思うの。勘がいい子とか、言うでしょ?」
「うんうん。」
「ボクに起きる不思議なことって言えば、迷子にならないことくらいかな。」
「道に迷わないの? なにそれ、すごいよ!
道を予習したりするの?」
「この辺だって言うことと、番地まではメモしていくよ。おばあちゃんのお使いで、隣の県のなんとか神社にお届け物、とか。
最寄りの駅とか、バス停とかだけ聞いて、住所のメモ持ってそのまま行くの。」
「地図のプリントアウトは?」
「しないでいっちゃう。不思議と、この道なんとなく右とか、左とか、入りくんだ道でも行くと着いちゃうんだよね。」
「それすごいよ!」
「だんだん、お使いの回数が増えてる気がするんだけど、それでも迷ったことないんだ。
あと、こっちに行ったらあの人に会うって言う予感は、当たることがよくあるかな。」
ちょっと目を閉じて、しばらく考え込んだあと、アヤネが言う。
「和希は、人の道案内をする役目の人なのかもしれないね。
例えばね、神様にもいろんな役目があると思うの。芸能で人の心を和ませたり、楽しませる役目の神様とか。
もしかしたら、道を踏み外した人間を始末するような神様もいるかもしれない。
だとすれば、人間に寄り添って、いい方向に導いてくれる神様もいるかもしれない。
カズキがなる媛巫女のお仕事って、そんな、人を導いて、方向をさし示す神様のお手伝いなのかもしれないね。」
そんな風に、具体的に考えたことなかった。
媛巫女として、何をすべきなのか。神様との接し方、人との接し方。
その意味を知るために、ボクはこれから修行をしていくのかもしれない。
神聖なもの、精神性、儀式の意味とか、お清めの意味。
数年に一度の大きなお祭りのときは、装束も何もかも新調して、一番清らかな体でお祈りをする。水垢離は、最も大事な儀式のときの禊だ。
儀式の詳細はまだ教えてもらえないけど、いずれ私もそういう役回りをするときが来る。
今から興味をもって勉強するのは、ボクには悪いことであるはずがない。アヤネとこうして話せるようになったのも、不思議な巡り合わせだと思う。
☆ ☆ ☆
須藤家に富木さんを送り届けて、谷見と二人で帰路についた。帰り道は途中まで同じ方向だ。別れ道まで、今日の戦果の報告会だ。
「谷見、富木さんとどうだった? 」
「どうって、普通ですよ。自分のよく行く場所を案内しただけです。 」
「ちゃんと腕貸した? 」
「貸しましたよ。最初、恥ずかしがってシャツつまんでたんですけど、任務だからって。腕に捕まらせて。呼び名はカツくんとカズちゃんでしたね 。」
「女の子と密着して、どんな感じだった? お前、女の子と歩くの初めてだったんじゃないの?」
「彼女、いつも男の格好してるから、違和感はありましたよ。髪型も違うし、黒縁メガネもしてないし、いつものごつい腕時計もしてないし、驚きました。そんなこと今まで気にしたことなかたっんだけど、案外華奢でしたね。どこにいくにしても、いちいち初々しくて。喫茶店でも、目を白黒させてて、面白かったです。」
思わずニヤニヤして聞いてしまう。
「惚れたか? 」
「いや、そういうことじゃなくて…… 」
惚れたな、こりゃ。
「……ああ、そうだ、雑貨屋に行って出てきたときに、変な男に絡まれたんっすよね。 」
あの時か。不思議な光が二人を包んだ時。
「絡まれた? 」
「そうなんすよ。あれ、確実に彼女を狙ってきた気がするんですよね。
なんか、俺のまわりにいるような一線を越えた人たちと違って、イっちゃったみたいな、なにかに動かされたみたいな。
慌てて庇いましたけど、それからまた彼女が緊張して……。
コーヒー飲んで落ち着かせて、そのまま帰ったんすけど、ああいう輩はやはり気に入らないですな……。」
谷見は本気で心配している。
「後で綾音に聞いてみるよ。でも、お前美味しいよな、男装も女装も美人な彼女だもんな。」
「いや、彼女なんて……。 」
「やっぱり惚れたな? 」
「いや、それはないっすよ……。
はじめてのお出かけで、挙動不審になってる彼女を楽しめたし。」
「ふーん? 」
「いや、ほんとですよ。
でもあの男、気になるんすよね。明らかに彼女を狙ってきた。迷いなく、吸い寄せられたかのように、彼女に向かってきたんです。手を伸ばして掴んできたから、慌てて引き剥がして彼女を背中に隠して、その後、怖がらせないように気をつけたつもりではあるんですけど……。」
「明らかに? 」
「そうなんですよね。他の子も物色してた訳じゃなくて、取り憑かれたみたいな。だから、心配なんですよ。それで今まで男の格好してたのかなぁ。」
「かもな。暴漢か……。暗くなってからの一人歩きだと、ちょっと気になるな。 」
「そうなんですよね……。誰かついてたほうがいいかもしれないですよね。」
「へえ、彼女のことが気になるようになった? 男姿が気に入ってたのに?」
「いや、それは……。魅力的なら男でも女でも……。」
「そうか、谷見は男も女も両方行けるのか。」
「いや、そうじゃなくて……。」
「そうか、なるほど、谷見にはそんな趣味があったのか……。」
「いや、そんな……。」
しばらくはこいつをからかって楽しめそうだ。
翌日。
俺は空き時間に綾音と待ち合わせて、空いていた教室で話し込んだ。
「なんかわかった?」
綾音が、大まかに話してくれた。
富木さんはいずれ媛巫女と呼ばれる立場であること。
神社で神様にお仕えし、お世話をする役割であること。
全国に媛巫女がいる神社が八つあって、その神社が北斗七星の形に並んでること。
富木さんの神社は、明るい七つの星には入っていない、八つ目の神社だということ。
「北斗七星っていうのも気になるな。富木さんの神社が、なんで七つ星の中に入ってないのか。」
「……北斗七星って言うけど、本当は星は八つって言ってたよ」
「どういうこと?」
「一つの星に寄り添ってる小さな星があるんだって。カズキの神社は、その八つめの北斗七星だって言ってた。」
「七つなのに本当は八つか……。八つめっていうのもなにかポイントなのかもしれないな。」
「他の神社のある場所はそこそこ聞いたことのある名前なんだけど、カズキの神社はそうわけじゃないんだよね。なにか、重要な場所なのかも。」
綾音の言うとおりなのかもしれない。重要だからこそ、隠しておかなければならないのかも。とすると、北斗七星の八つめの星、輔星もそういう役割なのか。考え込んでしまう。
「俺達が夜伽巫、夜伽巫女として裏から神様をお支えする役割だとすると、彼女は人間に寄り添って、神様と人間との橋渡しをする、そんな役割なのかもしれない。昨日俺たちに見えたあの光は、彼女を守るための神様のご意思なんじゃないかな。」
「晴人もそう思う?」
綾音も同じことを感じたようだ。
「とすれば、俺達は神様へエネルギーを捧げ、神様が彼女を通して人々に道を指し示す。俺達のやってることが、間接的に彼女を支えることになる?」
「そうだよね。友達として付き合うなら、生身の私達自身も生身の彼女を支える存在になるってことになる。」
「俺達が夜伽巫や夜伽巫女として、神使、俺にとっては姉妹に仕え、エネルギーを捧げることで、媛巫女である富木さんを裏からも支えることになる。彼女の知らないところで。」
「これも、私たちに定められたことなのかもしれないね。っていうか、そういう役割だって思い知らされた気がする」
俺達の中で、一つの答えが出た。俺たちが今、人に慣れていないまっ更な状態の彼女に出会って、一緒に時を過ごす。同時に彼女が心を開き、俺たちと向き合う。媛巫女としての自覚が芽生え、修行を始めることになる。
俺たちはそんな彼女を表では友人として支え、裏では夜伽巫、夜伽巫女として支える。
同い年で、同じ大学で、同じ学部に入ったというのも、それが神様のご意思だ、ということなのだろう。俺たちは、そう確信した。
話が終わって俺と綾音が自習室へ行くと、すでに富木さんが来ていたようだ。なにやら、谷見と言い合っている。
「だから、必要ないって言ってるでしょ?」
「いや、昨日みたいなことがあったら……。」
「大丈夫だよ、不細工だし、今まで何もなかったんだから。」
「暗くなったら顔なんて見えないっすよ?」
「あ、ひどい。」
「ひどいのはカズちゃんじゃないっすか、俺が送ってくっていってるのに。」
普通の巫女とは一線を画すという媛巫女としての修行は二十歳になってから始めるけど、今も勉強してるようだ。その彼女を疎ましく思う勢力もあるのかもしれない。
谷見の心配もわからないではない。しかし、…………今、カズちゃんと呼ばなかったか?
「もう、カツくんは心配しすぎだよ。今まで大丈夫だったんだよ?」
「わかりました。俺が折れます」
「やった。勝った。」
「なんっすか、勝ったって。その代わり、ひとつ条件。」
「なによ、カツくん」
「大学を出るのが六時過ぎたら、俺が送って行きます。いいですよね、カズちゃん。」
「……わかったよ。仕方ないなぁ。」
どう見ても痴話喧嘩じゃないか。綾音と顔を見合わせて、お互いに吹き出してしまう。
この二人、どうなるのか楽しみだ。
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