26話:雪原の女王

 油断なく、漆黒の男は獲物に近付いていた。

 男は決して、自分が強いとは自惚れていなかった、殺し合いに強いも弱いもない。死ぬときは死ぬ、それが人間だ。そんな諦めにも似た考えを心に縛りつけ生きているのがヴォルトと言う人間の生き様だった。

 ヴォルトは目の前の敵が手傷を負ったと知りながらも、油断なく目の前の獲物を睨む。

 睨みながら、息を吐き肩を回して自分の筋肉をほぐす、緊張はパフォーマンスを落とし、不安は正常な動きを妨げる。男がこれまでの経験から学んだことの一つだった。

 決して、焦らず、油断せずに獲物をただ狩る。出来る限りのマイペースを貫こうとする男だったが、その時ばかりは驚愕に目を見開いた。


「………なんだ………アレは?」


 金色の騎士から尋常じゃない魔力の渦が零れる。

 今までの姿は仮初めとばかりに比較にならないほどの魔力が溢れると、魔力は膨張し、爆発的に広がった魔力が世界を覆い尽くした。

 空に煌めく青い魔力の輝きは次々に形を変える。形を変え、ヴォルトに向けられる。


 青の魔力は一つ一つが芸術品のように輝く、鋭利な武器に姿を変えた。

 『剣』『槍』『刀剣』――が何本も何本も宙に浮かんでいる。決して同じような形を持つ者は一本もない。

 細かく言えば、龍を両断出来そうな三メートルを超える大剣もあれば、蛇が巻き付いたような装飾を施した鋭利な槍もある。

 同じものはないと言うのに、それが視界を覆い尽くさんとばかりに数えるのもバカバカしいほどの数百、数千、数万の凶器がたった一人の男に切っ先を向けていた。

 この世とは思えない光景と、背筋を凍らすほどの威圧感を受けて、幾多の戦場を練り歩いたヴォルトの頬を冷や汗が伝った。


「――――冗談じゃねえ」


 ヴォルトは幾多の死線は掻い潜ってきた。自分よりも強いと思われる相手とも戦ってきた。

 だが、自分より強い『化け物』と戦うのは初めてのことだった。顎を伝う汗が落ちて地面に消える。

 その瞬間、空に浮かぶ数万の凶器がたった一人の敵に向けて解き放れた。


「クソッ!

 ヴァム・ウィンドッ《吹き弾け飛べ》!」


 男から緑の魔力が解き放たれ、白銀に光る数々の剣、槍、刀剣を吹き飛ばした。

 三十ほどの凶器が宙に舞い、砕け、煌めき、半分が消えて光となった。

 凶器の数を仮に『万』とするなら、残りは九千九百八十五――――。


「ヴァム・ウィンドッ《吹き弾け飛べ》! ヴァム・ウィンドッ《吹き弾け飛べ》!」


 右手と左手から風の中級魔法を放ち、自分の身体に風穴を開け通しを良くしようとする凶器を破壊する。

 普通なら、二つの中級魔法が合わさった魔法は、上級魔法の威力に並ぶ驚異の威力を発揮するはずだ。

 ――が、脅威はそれ以上の脅威になすすべもなくかき消される。必殺の魔法の一撃を受けてなお、視界を埋め尽くす数の凶器の暴力が止む気配はない。

 数千の刃物の大群が男を切り刻まんと、真横から意思を持った生き物の群れの様に接敵する。


「うおぉらあぁぁあぁぁぁっッ!!!」


 ヴォルトは筋骨隆々の腕の力を大剣に乗せると、渾身の力で数千の刃物に大剣をぶち当てる。

 群れの先頭の三メートルほどの白銀の大剣を粉々に砕くだけでは飽き足らず、後続の刃物も次々と砕いて、漆黒の大剣はようやく一太刀を振り終えた。


 手首を返し、次は真横に黒い一撃を打ち込み数十の刃物を砕く。真横に振るった大剣の勢いに任せて、身体を回転させ、連続の一撃を打ち三十の刃物を砕く。

 後ろから迫る、別の凶器の大群に反応し、下から真上に一撃を放ち、五十の刃物を砕く。渾身の一撃を放ち自身に出来た、一瞬の隙を風の魔法を周りに放ちカバーする。

 百の凶器を打ち砕き、今や三百の凶器を打ち滅ぼした。だが、それでも、たった一人の命を奪うまで理不尽な暴力は止まらない。化け物の執拗な攻撃は止まらない。

 浅く切られた額から血が流れ落ちた。同様に手にも腕にも胴体にも足にも赤い線が薄く生まれているのを感じる。

 顔に滴る真っ赤な血を舌でなめとると、漆黒の男は獰猛な笑みを浮かべ笑った。


「こんな光景が拝めるとはなぁ………。人生わからねぇもんだ。

 来いよっ! 俺の命を無残に散らして見せろ! だが、俺も人間だ。最後まで抵抗してやるっ!」


 男は視界を覆い尽くす、数千以上の凶器に向かって三白眼の黒い瞳を向けると、楽しそうに言葉を吐いた。

 大剣を肩に担ぎ、自分の持てるすべての力をぶつけようと、ヴォルトは黒と赤が混じった身体を凶器の中に狂気の様な笑みを浮かべながら身を躍らせた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 金色の騎士は大樹に身を預け、静かに息をしていた。

 自身の身体を震わせ、青ざめた色をした唇から白い息を吐く。

 そっと、凍える体を温める様に右腕で左肩を抱いた。左半身は凍りついている、表面が氷に覆われているわけではない、だが、それは確かに『凍り付いて』身体の機能を奪っている。

 それが何なのか、どういう症状なのか騎士には分からない。だが、その状況を作った原因は分かる。

 無理をして、自分自身が扱いきれない力を使ったからこそ、この状況が起こっているのは分かった。


 強すぎる力はもはや自分で止めることが出来ない、少しずつ確実に自分の中の『熱』と『命』を削りとっていくのだけは分かる。

 あと少しで残り少ない命も凍りつき消えるだろう。自分の中に眠り続ける力に頼った時点でこうなる事は分かった。

 だが、別にそれは良かった。あの危険な男の命と自分の命とで天秤に掛けれるなら構わなかった。

 力を使わずに素直に戦えば負けていただろう。ならば躊躇う必要など、どこにもなかった。

 『一』の力で足りないなら『十』の力で補えばいい。

 『百』の力で足りないなら『千』の力で戦えばいい。

 『千』で足りず『万』で確実に葬れるなら、躊躇する要素など一つもない。


 金色の騎士は微笑む。

 ここまで全身全霊の力の掛けて戦えたのは一人の少年の力があったからだ。

 その少年は礼儀知らずで、剣も使えなければ、魔法も使えない、腕っぷしだけで見れば頼りないことこの上ない。

 しかし、その少年は力ではない大切なものを持っていた。大切な『優しさ』と『勇気』を持っていた。

 だからこそ、金色の騎士は全力で戦えた。後先考えずに一人の敵に向かって行けた。


 唇をほころばせ、騎士リーゼロッテは笑った。笑いながら言葉にした。


「――モニカ、二人で生きていけ。

 魔女なんてどうでもいいんだ、つらかったら逃げ出しても良い。

 元々、私達には荷が重すぎた旅だったんだ。魔女の旅なんて出来なかった」


「――魔女の旅を止めろなんて騎士の私が言うべきじゃないかな?

 ごめんなモニカ、最後まで言えなかったけど私は弱いんだ。

 強がっているふりをして私は弱かった。本当に弱かった」


「――すべてを犠牲にして魔女の旅を目指して、もう旅を諦めてる。

 私は本当に弱い人間だ。自分でも嫌になる。

 私はなモニカ、旅より大事なものが出来たんだ。ずっと言えなかったけど私は………………」


「モニカ、君が幸せならそれで良いと思ってる。

 君が幸せなら、私はそれで良い。それだけでいいんだ。

 魔女の旅なんて、どうでも良いと思ってる………………酷い人間だろう?」


「私はモニカ、君を愛しく想いすぎたんだ………………」


 金色の瞳から涙が溢れ、頬を伝っていた。

 決して、少女の前では流せなかった水滴が瞳から溢れ出していた。

 熱が奪われ凍り続ける身体で金色の騎士は静かに一人の少女と少年の無事を祈り続けた。


 祈り続けて………………………祈り続けて………………………。

 祈り続ける騎士に凍りついた地面を割る足音が聞こえた………………。

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