5話:リトライ
「――おい、兄ちゃん大丈夫か?」
突然、視界が鮮やかに染まる。
突然も突然だ。状況の変化に付いて行けない。
二度、三度と瞬きを繰り返し、首を横に動かすと、血に塗れた銀色の肉きり包丁が目に映った。
包丁にはうっすらと肉片の様なものが付いているのを確認して、ビクリと体は反応する。
「――――ぅあ?」
晴れた空と太陽は燦々と地上に光を降り注ぎ、通行人たちが、がやがやと忙しげに歩く音が聞こえる。
目の前には傷だらけの顔をしかめ、ただでさえ怖い顔をさらに怖くして、心配そうにこちらを覗きこむ男の姿が見える。
視界、聴覚、は正常に稼働している。五感は全部無事だろう。
だが、自分の頭だけは正常な光景を、正常ではないと認識している。
正常に機能している自分の身体が、正常ではないのだと思い込んでいる。
そのギャップに頭は混乱し、身体の奥から酷い不快感が込み上げてきた。
「――っぅぉえ」
不快感を身体から出そうと、前のめりに身体を倒して吐いた。
しかし、出るのは胃液ばかりで固形のものは出てこない。
それがまた、どうしようもなく気持ち悪くて二度三度と吐いた。
胃から胃液を吐き出すと、身体は満足したように少しずつ体調を取り戻す。
少し、落ち着いた様子の自分を見て肉屋の厳つい男は口を開いた。
「兄ちゃん、危ない薬をやってないなら、うちの店の裏で休んでいいぞ
水くらいなら出してやるよ。しっかり休め」
「――――――っぁ」
感謝の言葉を言おうとするが、口から出るのは言葉に満たない音だけだった。
そんな自分の背中を肉屋の男は優しく叩くと、店の方へ引っ張っていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――どうなってるんだ」
店の裏に腰掛けて、肉屋のおっさんにもらった冷たい水を喉に流し込み。
ある程度落ち着きを取り戻したハルトは率直な疑問を口にした。
「――なんで、朝になって………。
いや、それよりも俺は死んだはずじゃ………?」
最後のあの感覚を思い出しながら、震える右手で、未だに割られたような感覚が残る頭をなぞる。
自分の頭は真っ二つに割られ中身がぶちまけられたはずだ。
あれで、死なないのはファンタジーの世界だけだろう。
「――って、ここがファンタジーの世界なわけだが」
ハルトは自身の考えに突っ込んで苦く笑う。
確かにここはそういう世界なわけだが、この世界がそんな都合の良いものだとは既に思っていない。
そんなに都合の良い世界なら、ここまで痛い目にも合わなくて済んだはずだ。
テンプレ通りなら、今頃美人のヒロインに囲まれて鼻を伸ばしながらモンスター狩りをしてるか、自分だけのスキルを使って俺つえーと言っていることだろう。
生憎、ハルトが居る世界は微塵と言っていいくらい、自分に楽をさせてくれそうな気配はない。
だが、だとすると現在の不可解な現象は何なのだろうか?
「………右腕も治ってる」
震える右手を目の前に持ってきて軽く曲げる。
切断されたはずの右腕は傷跡も残らず綺麗なままだった。
――死んだはずの自分は生き返り。
――夜から、朝になり、肉屋のおっさんとまったく同じ会話をして。
――切断された身体も元に戻ってる。
頭の中はまだぐちゃぐちゃで思考は混乱するばかりだ。
だが、今までの状況を並べてハルトは震える唇から、答えを絞り出す。
「――リセットされて『時が戻っている』」
数時間前の自分なら、何を馬鹿な考えを言っているんだ、と否定しただろう。
しかし、今この瞬間まで余韻となって残っている『死の感覚』は残り続けている。
あの苦痛、あの感情が全て偽りなら一体何を信じればいいのか?
目に焼き付いている、あの宝石の様な青い瞳が現実ではないはずがない。
「――モニカに会いたい」
花の様に笑う真っ白な少女のことを思い出して、ぽつりと言葉は独りでに飛び出した。
死ぬ前の世界………と仮に呼ぶことにするが、前の世界では彼女も既に死んでいたはずだ。
右腕の痛みで状況判断が出来ず、がむしゃらに行動していた気がするが冷静に考えるとその可能性が高い。
『この世界にも彼女は存在するのだろうか?』
何気なく頭の中に閃いた『疑問』にぞくりと背筋が震える。
もしかすると前の世界で死んだ人は元に戻らないのではないか?
そんな可能性は考えれないだろうか?
何を馬鹿な! と否定したいがこの状況が不確定な以上答えは出せない。
胸の奥底で不安が膨れ上がり、一刻も早く確かめなければという、使命感に似た焦燥感が爆発しそうになる。
ハルトは立ち上がり――
両腕を大きく広げ、大きく息を吐くと再度座り、今一度考えを整理する。
「――落ち着け。
今は、意味が分からない状況にただでさえ混乱しているんだ。
悪い想像ばかり考えずに、死んだ原因を考えてみよう」
そもそも自分はどうやって死んだのだろうか?
『死因』自体は簡単だ、頭を一直線に割られた。
だが、頭を割った『人物』が分からない。
人の頭蓋を割るなど、それなりの武器が必要なはずだ。
となると、『殺人者』は相当近くにいたはずだが、
「――駄目だ。思い出せない」
必死に過去の記憶を掘り起こすが、足音を聞いたような覚えもないし、姿形どころか輪郭を見た覚えもなかった。
突然、右腕が切断されて泣きながら地面を這いずりまわった記憶しか浮かんでこない。
「改めて思い出すと相当カッコ悪いな………」
冷静に記憶を手繰って自分の行動を思い起こすと、突然の状況にパニックになりながら泣き喚いているだけだった。
それだけでも恥ずかしいのに、最後の告白のオマケ付きだ。
黒歴史確定である。
慌てて、黒歴史を消して不審なことがなかったか探すが、頭はカラカラと回るばかりで何の成果も上げれない。
「――ッ! 駄目だ、分からない!!」
殺人者の影も形も分からなければ、自分が狙われる理由も分からない。
いや、自分の様な異世界に来たばかりのヤツを狙う理由はないだろう。
ということは、モニカが殺人者の標的で自分はとばっちりで殺されたことになるだろうか?
愉快犯ということも考えるが、それでは魔石の停電といい用意周到すぎる。
モニカが標的なのはほぼ確定だろう。
なぜ彼女が? 何の為に? と疑問に思うが………。
「――思えば、俺はモニカのことを全然知らないのだよな」
知っているのは、頬を膨らませた姿が可愛いこと、あと意外と食い意地が張っていること。
彼女の生い立ちのことをハルトはまるで知らない。
「こりゃ、本格的に抜け出してきたお姫様説が浮上してきたな」
世の中をあまり知らなそうな雰囲気に、キャロキャロと辺りをキラキラした瞳で見る彼女は本当に箱入りお姫様かもしれない。
または、有力な貴族のお嬢様。
それなら十分、殺人者の標的になる理由はある。
ハルトの考え通り、今この状況は『時が巻き戻っている』とするなら、彼女は今日も狙われることになる。
ならば自分が出来ることは――と考えをまとめてハルトは立ち上がった。
普通ならここで引き返すのが正解なのだろう。
『自分が一度殺された』場所に足をもう一度向けるなんてどうかしている。
それに、自分が出来ることなんてちっぽけすぎて泣けてくる。
魔法も使えなければ、武術もからっきしでポテンシャルは異世界人の半分以下。
自分が行動を起こしても何が良くなるのかまったく分からない、逆に悪くなるかもしれない。
――それでも、ヤガミハルトは『知っている』のに見逃すことは出来なかった。
再び、力が戻ってきた両足を軽く叩くと
「――さて、助けを求めるお姫様を助けに行きますか」
後で聞けば赤面して悶える様なセリフを吐き、迷いなく地面を蹴りつけた。
目を閉じれば、あの宝石の様に煌めく青い瞳が映っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます