第28話 過去+対面=謝罪

さきを見つける直前、神無かんな凌我りょうがにこんなアドバイスを送っていた。


『あの霊獣は十一年前の生き残りじゃ。あの場に残ったわしの力を吸収したおかげで知性のある強力な個体になったのじゃろうが……くはは、運命とは皮肉なものよ。わしの力でほぼすべてを構成されているがゆえ、外部からわしの力が流れ込めばあやつは存在をかき乱され消えるじゃろう』

「つまりどういうことだよ」

『あやつをぶん殴ってわしの憑力を叩き込め。そうすればあの小娘は助かる』

もはや一発殴ることしかできないほどに体力を減らしてしまった凌我にとって、その情報は朗報だった。


問題はどうやって拳を届けるかだったが、そこは凌我の『無茶』により解決できた。


「全く、一時はどうなることかと思ったわ」


千聖ちさとの体に憑力アンセスが流し込まれたことを確認した神無は、戦いの終わりを感じ取り凌我のすぐ隣へと姿を現した。


今この場で立っているのは神無のみ。凌我も千聖も倒れ伏している。


神無が見つめるのは凌我の足。ひしゃげ、あらぬ方向を向いている両足だ。


「しかしお主は無茶をするのう。あの小娘に習った『箔爆はくばく』とお主の『絶拳凌駕ぜっけんりょうが』。どちらかでは押し負けるから両方使うなぞ、足が弾け飛んでもおかしくないぞ」

「……うる、せえ……」


肉も血管も骨もぐちゃぐちゃになった足は痛みという名の悲鳴をあげており、普段から怪我をし慣れている凌我もさすがに痛みに悶えそうになる。


凌我はこの土壇場で『絶拳凌駕』を進化させていた。とはいえやったことと言えば単純明快。神無の言った通り『箔爆』を組み込んだ……というよりねじ込んだだけだけ。


『絶拳凌駕』の一歩目を『箔爆』だけを使い相手に接近。続く二歩目に『箔爆』と許容をオーバーする憑力運用を『同時使用』。


体の内側と外側から足をぐちゃぐちゃにしながらも、『押してダメならぶち破れ』という気概だけで完成させた必殺技だ。


彼がそこまでして勝ちたかった理由はただ一つ。

痛みなんて度外視してでも、やらなければいけないことがあったからだ。


「ち、さと……」


凌我から数メートル離れたところに千聖は倒れていた。

這いつくばって千聖の元へと近づいていく。たった数センチ体を動かすだけで命が削られるような錯覚さえ覚える。


それでも、錯覚は錯覚。所詮は幻。


楽な方に流れれば己の魂が濁ってしまうというこの現実とは比べるのすら烏滸がましい。


「ぐっ、ごはっ!」


無理がたたり口から血を吐き出すも、そんなもの無視して進む。


敵は倒した。霊獣はもういない。

ならば、今この時の敵は自分自身。


「りょ……が……?」


目指していた場所から自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

千聖が無事だったことに安堵するも、気を抜いた途端に意識を持っていかれそうになり、慌てて集中をし直した。


気を張ってまた床を這って行く。

ようやく凌我と千聖の距離は最初の半分ほどまでになっていた。凌我は残り半分の距離を気合を入れて進もうとする。


「ちょ、ちょっと凌我!? アンタどんだけ無茶したのよ!」


だが、パッと起き上がった千聖があっという間にその距離を詰めて凌我に寄り添ってしまった。


お前俺の努力を……と愚痴りたい気持ちをぐっと抑え、頬を腫らしている千聖の身を凌我は案じた。


「お前……大丈夫なのかよ……」

「ええ、問題ないわ。アンタに殴られた頬はめちゃくちゃ痛いけど」

「っ、わりぃ……」

「い、いや別に、ただの冗談よ……」

らしくない凌我の表情に、からかった千聖の方が面食らってしまう。

這うためにうつぶせになっていた凌我が体をくるりと回して仰向けになる。

凌我のすぐ近くへ腰を下ろした千聖は、凌我の顔を真上から覗き込んだ。


しばらく無言の時間が続く。

覚悟を決めても恐怖が簡単に消えるわけではない。それでも凌我は、昔の自分と決別すべく口を開こうするが。


「あの時とは逆になっちゃったわね」


それを遮るように千聖が優しい口調で話しかけてきた。あの時というのがどの時を指しているのか分からない凌我に対して、千聖はいたずらっぽく微笑む。


「アンタがアタシを守るために神無の力使って、周りのなにもかもを壊した後のことよ」


その発言に凌我はすべてを察した。


いったいいつからか。

その判断はできないものの、千聖はあの日の真実を全て思い出しているのだ。


「あの時はアンタがアタシのことをこうやって見てたっけ。……あ、でもあの時のアンタは笑っちゃうほど泣いてたわね」


千聖は楽し気に思い出を語る。


本当の記憶を取り戻して過去のことを受け入れられたのか、それとも単に気を使って笑っているだけなのか。


どちらか分からないし、今の凌我にとってそれはどちらでもいい。

どちらであっても、自分が伝えるべき言葉は一つだけ。


「わる……かった……」


この言葉を言うのに十一年かかった。

こんな簡単な言葉を伝えるために十一年もかけてしまった。


「自分の力を知ってたはずなのに……使わなくたって、なんとかなったかもしれないのに……俺は、軽率に力に頼った。頼って壊して、お前を傷つけた」

「……傷のことは、気にしてないって言ったら嘘になるわね」

「知ってるよ。……この学校で再会した時、怒鳴られたからな」


無神経に彼女の心を荒らして戦いに持ち込み、挙句の果てには彼女にまた神無の力を使いかけた。千聖のこと思い出したときの自己嫌悪と言ったら言葉で表せるものではない。


「……本当に悪かった。あの日お前を傷つけて、あれからお前に謝れなくて……俺が弱かったから、お前をまた危険な目に遭わせちまって……本当に、本当に――」

「アタシがあの日、泣いてるアンタに言った言葉、聞こえてた?」

「……?」

「その様子じゃ聞こえてないみたいね……。もう一回言うから今度はちゃんと聞きなさい」


優しさに満ちた声で千聖は凌我に語り掛ける。

あの日の思いを詰め込んで。


「――ありがとう」


その一言を彼に届けた。


「私のことを守ってくれてありがとう。自分だって傷だらけなのにアタシを心配してくれてありがとう。アタシはあの日、アンタにそれを伝えたつもりだったんだけど……ごめんね、ちゃんと伝えられなくて」

「俺は……そんな言葉を言われるような……」


思いがけない言葉に、凌我の瞳がうるんでしまう。瞳を隠すために腕を動かす力も、涙を堪えようとする力も彼にはもう残っていない。とめどなく溢れてしまう涙を千聖に見られてしまう。


「……今なら分かる。アタシはきっと、アンタを泣かせたくないから強くなろうと思ったのね。……また泣かせちゃったみたいだけど」


少しだけ困ったように笑う千聖は、彼の頭をなでるのをやめない。それが恥ずかしくて、なのに心地いいと感じる自分がいることに凌我は顔を赤らめる。


十一年間を洗い流すような心休まる時間は――そう長くは続かなかった。


「凌我、そやつから離れろ!」


神無が見たこともないような剣幕で凌我に叫ぶ。

言ってからすぐ凌我がまともに動けないことを思い出した神無が、彼の絶賛重傷中の足を掴んで力の限り引きずって千聖から距離を取らせた。


「うっ……くっ……!」


凌我が文句を言う間もなく……異変は突如やってくる。

先ほどまで普通に話していた千聖が急に呻きだす。息ができないのか喉を掻きむしるようにしながらあがいている。


「千聖!? おい、どうした!」

「ええい、動くな小娘! 一秒でよいからじっとするのじゃ!」


神無の叫びが届いたのか、目を充血させながら苦しんでいた千聖がほんの少しだけ動きを止めた。


その隙を狙ったように神無は彼女に一目散に駆け寄ると――その勢いを全て乗せて、千聖の腹に拳をねじ込む。


「最悪の状況じゃ。完全に読み違えた……いや、あやつの生への執着がそれほどまでに強かったということか……!」

「なんの話だ!?」


困惑する凌我の思考をさらに混乱させる事態が起こる。

腹を思いっきり殴られた千聖が、なにかを吐き出すのを堪えるように口を手で覆った。


しばらくはそれで堪えていたが、やがて抑えきれなくなり口からどぼどぼと何かが吐き出されていく。


それは吐瀉物ではない。血でもない。黒く禍々しい何か。


液体のように千聖の体から吐き出されるそれの正体を、凌我は気配だけで悟った。


「霊、獣……?」

「そうじゃ、あの小娘に憑依した霊獣じゃ!」

「そ、そいつはお前の憑力で……」

「ああ。憑力で乱してゆっくりと存在そのものが解けていくはずじゃったが……そういえば大量の憑力を奪っておったの。くっ、甘く見ておったわ!」


千聖から吐き出されていく霊獣だった何かが一カ所に集まっていく。まるで、もともとの存在へと戻っていくように。


珍しく狼狽している神無はやがて視線を凌我へと移す。その瞳は冷静に見えるが、困惑が隠しきれていない。


「あやつは己の憑力とわしの憑力に蝕まれ雪解けのように淡く消えゆくはずじゃった。だというのに、あやつは水の小娘と念の小童、それに炎の小娘からも憑力を奪い――その力で存在を固定、昇華させおった」

「俺でも分かるように説明しろ!」

「『ぱわーあっぷ』して帰ってきたということじゃ!」


凌我の要望通り簡潔に話した結果、事態の最悪さが浮き彫りになった。

凌我の体は重体……というより死にかけていると言った方が正しい。もともと万全とは程遠い体で『絶拳凌駕』を使い、動くことすらままならない。戦闘などもってのほかだ。


最強のツキモノを持つ千聖も憑力を奪われている。

 ……今ここにいる憑術士の中に、まともに霊獣と戦える人間はいない。


「どうしたものかのう……万事休すというやつじゃ」

「ア、アタシは憑力が無くたって剣があるわ!」

「たわけ。ひ弱な人間がツキモノに頼らず倒せる霊獣などたかが知れておるわ。『れべるすりー』までは倒せるかもしれんが……元が『れべるふぉー』じゃったあやつがお主らの憑力で存在を昇華させた今、『れべるふぉー』のさらに上じゃ」

「『レベルⅤ』ってこと!?」


恐らく世界初のレベルⅤとの邂逅。しかしそれに喜びなどは介在せず、存在するのは焦りだけだ。


「体を貸せ凌我! さすがに今は意地を張る場面ではないぞ!」

「い・や・だ! 意地は張り通すから意味があんだよごばぁっ!」


是が非でも凌我の体を奪おうとする神無と、意地を張りすぎて吐血する凌我。


二人のぎゃーぎゃーという言い争いをよそに、霊獣はどんどんと――人間の形に近づいていた。


「凌我! さすがに今くらい意地張るのやめなさい!」

「断る! たとえお前に言われようとこの意地はぜってえ張り通してやる!」


頭が痛い。とでも言いたげにわざとらしく千聖は頭を抱えた。


凌我が意地を曲げて神無に力を貸せばすぐにでも解決するのだろうが、この馬鹿の意地を曲げさせる方法など存在するのだろうか。


一度決めたら絶対曲げないタイプの人間に無理やり言うことを聞かせる方法など――


「……あ」


その時、千聖の脳に電撃が走る。

思い出すのは数週間前の模擬戦。そこでこの男と何を約束したのだったか――。


「ねえ凌我? ちょっと前の話になるんだけど」

「ああ? なんだよこんな時に」

「模擬戦の時、アタシとした約束覚えてる?」

「約束? ……あ」


千聖と同じように凌我が声を漏らす。

その顔が青くなったのは、おそらく出血だけが理由ではない。


そんな凌我を見下ろしながら、千聖は悪役のようににやりと口角を上げる。


「『負けたらなんでもする』って約束したわよね?」

「……まあ待てよ、な? いったんクールになろうぜ?」


彼にしては珍しい、冷汗を流しながら焦る姿。それを見て千聖は改めて確信する。

凌我が一度言ったことを引っ込められないタイプの人間だと。


ならば――彼の意地は彼の意地でへし折る!。


「命令よ! 凌我、神無の力を使いなさい!」

「うぎゃああああああ!!」


痛いところを突かれて凌我が呻く。

全身血まみれの男が血反吐を吐きながら悶き呻くという割とホラーな状態にもかかわらず、千聖は勝利のガッツポーズを上げるだけで何も動じない。


そんな余裕な態度の千聖に対して、凌我の回答は……意外なものだった。


「で、できねえ……」

「はあ!?」

「……じゃろうな」


素っ頓狂な声を上げる千聖とは対照的に、神無は嘆息しながらそう呟いた。

その言葉の意味を視線で問う千聖へ、神無は偉そうに扇子をひらひらさせながら説明する。


「何を驚くことがある。凌我の判断はお主らにとっては当然じゃろうが。わしの力を振るえば、まず間違いなくここは崩れる。上にいるものもまとめて生き埋めになるじゃろう。じゃからこやつは『しない』ではなく『できない』と言ったのじゃ」


神無の力を実際にその身に受けている千聖はそれを笑い飛ばせない。

演習場なのだから当然強固に作られてはいるが、神無の前では破く紙が一枚から二枚に増えた程度の差異でしかないはずだ。


「っていうか、アンタそれ分かってて凌我に体貸せって言ってたの!?」

「……もしかしたらわしがいい感じに力の調整が出来て、こう……いい感じになる可能性もあるじゃろうが」

「希望的観測すぎるわよ!」


奇跡的な確率の成功に数十人の命を賭けようとしていた神無に千聖がつかみかかろうとする。そんな千聖に、今この場ではもっとも冷静な凌我が一つの提案をした。


「千聖……折衷案だ」

「は? 何の話よ?」

「さっきのお前の提案だよ。いくら状況的に無理とはいえ、なんでもするっつう約束を完全に無視するってのは俺が気に食わねえ。だから折衷案だ――神無に一瞬だけ俺の体を明け渡す」


それにどんな意味が、と千聖が当然の疑問を口にしようとする。

それより先に、隣で余裕ぶっていた神無が扇子を落とすほど驚く。


「りょりょ、りょ、凌我!? それは真か!?」

「ここで冗談言うかよ……」

「ああもう! だから二人だけで話を進めるのやめなさいよ!」


いい加減置いてけぼりにされることに堪えられなくった千聖がすかさず二人を問いただす。


「……ふむ、これについては百聞は一見に如かず。そこで見ておれ小娘」


意外にも神無は余計な茶々を入れず、今回だけはすぐに答えを見せてくれた。

……彼女の存在に恥じない、とんでもない答えを。


神無の姿が霧散して空気の中へと溶けて消える。それは彼女が凌我の外側に作っていた仮初の器が消え、凌我の中へと意識を戻したということ。


そこから何をするのかと思えば……。


「……ふう、こんな感じじゃな」

「え? アンタ、なんで……なんで普通に立ってるの!? 怪我は!?」


聞き慣れた神無の口調が凌我の口から聞こえてくる。そこにも少し驚いたが、それ以上に千聖が驚いたのは凌我……正確には神無が、当たり前のように『立ち上がった』こと。


立てるということは足が治ったということ。

それだけではない、至るところについては大小さまざまな傷がきれいさっぱり消えている。


「くはは! よいぞ小娘! お主は良い反応を見せてくれ……だあっ! とっとと体返しやがれ!」


主導権を取り返したらしき凌我は、体の動きを一度確認した後に目の前の千聖を気まずそうに見ながら、雑に解説する。


「模擬戦でも同じ事やったからお前は知ってるだろうが、俺は神無に体を貸したらどんな傷も一瞬で治るんだよ」


凌我と千聖の模擬戦の際、凌我の体を奪った神無は今回と同じように瞬時回復を行っていた。


焔剣融世トライアンフを受け全身ズタボロになった凌我が何事もなかったように立つなんてこんなとんでもないことでもない限りできないことは、当然と言えば当然だが……。


「そんなチート今初めて知ったわよぉぉおおお!!!」


当然そんなことを知らない千聖は、出来事の連続でついにキレた。

綺麗な赤髪をかき乱し親の仇のように凌我を睨みつける。しかし千聖に解説をしたのは、いつも通り凌我から出てきた神無だった。


「そうおかしなことでもないじゃろう。こやつの回復が早いのはわしのおかげ。ならばわしが本気を出せば瞬時回復するのも道理であろう?」

「だ、だけど!」

「今はそんなことを言っておる場合ではあるまい。凌我が全快したところであの霊獣相手は勝てん。お主にも協力してもらいたいことが――」

「はははははははははは!!!」


演習場内に響き渡る頭の痛くなる笑い声。全員が視線を向ければそこには人の姿を模した『レベルⅤ』の姿があった。


それも――凌我の姿を模している。


「……はっ。そういうの、悪趣味っつうんだぜ?」

「ははは! そうだな、覚えておこう! 確かに、貴様らへの当てつけにでもしようとこの形を作ってみたものの……やはり器がないと形状の維持が面倒だ」


憑力で作り上げた疑似的な体――神無のそれとは少しばかり理屈が違うものの、似たような器を霊獣はすぐさま崩した。


とはいえせっかく作り上げた人の姿のすべてを崩したわけではない。背中の部分のみを、まるで触手が生えてきたかのように『デコレーション』しただけだ。


「わざわざ二本の腕だけで攻める必要もあるまい。そら、受けてみろ!」


凌我の姿をした霊獣の背中から、計八本にも及ぶ触手が凌我と千聖に一斉に襲い掛かる。


凌我と千聖はその勘の良さから触手がこちらに届く前に動き出す。それでもギリギリの回避になってしまったのは、ひとえに見た目からは想像もできない触手の速さと正確さによるものだった。


「おい神無! なんで俺じゃ勝て――とっ! ちっ、これじゃ会話もろくに出来ねえ!」


間断なく襲い来る触手。万全の体調である凌我でも何度かかわしきれずにかすっている。


憑力を持っていかれている千聖に至っては、わずかに残っている憑力を使って動いてはいるもののすぐにガス欠になりそうだ。


「くっ、一分でよいから猶予があれば……!」

「一分でいいんだな?」


神無の声にそう返したのは凌我でも千聖でもない。


乱入者の聞き慣れた声に思わず千聖の顔がほころぶ。しかし対照的に凌我の表情は曇っていた。


「護堂院? お前、なんで」

「上は上で戦闘中だから私だけ戻ってきた! それより一分だけでいいんだな!」

「ああ、一分あれば問題ない! 任せるぞ水の小娘!」

護堂院ごどういんさきだ!」


それだけ言うと護堂院はまっすぐに霊獣へ突っ込んでいく。その手には彼女の憑纏『狐鞭』。


「ははは! これだけのことをしておきながら、よく戻ってこれたものだな罪人! あいつらを助ければ自分の罪が消えるとでも思ったか!?」

「そんなくだらない理由じゃない。私の罪は誰が何と言おうと私自身の胸に刻まれている。私はただ……あの人のために、意地を張り通しに来ただけだ」

「意地? そんな下らぬことに拘泥して命を危険にさらすなど、貴様らはやはり生をないがしろにしている! この俺をそんな鞭一本で止められると思うなよ人間風情が!!」


凌我と千聖を追っていた触手八本が全て咲一人へと襲い掛かる。

全方位からの一斉強襲。逃げ場などどこにもない。憑力不足で水の盾も作れない今の咲には、それを防ぐ術はない――はずだった。


「何が一本だけだって?」


全ての触手が鞭によって打たれて獲物を仕留めそこなった。

防ぎ切った咲の手に握られているのは確かに一本の鞭だけ。


……ただし、柄の部分につなげられた革紐のほかに、八本の水でできた紐が付いている。


「『狐鞭フォックステイル』の狐は九尾の狐のことだ。この方法なら憑力の消費も少ない。……操作に脳が焼けきれそうになるがな」

『狐鞭』九尾モード。


一本の革紐と八本の水紐からなる計九本の凶器にて襲い来るすべての敵を撃ち落とす彼女の奥義。


水弾や水壁のように水を使い捨てるのではなく、鞭の先に固定することで憑力の消費を抑える代わりに、彼女が言った通り鞭の軌道計算にひどく頭を使う技だ。


「それも一分ならば……!」


手数が増えたとはいえ、それを振るう体の強化そのものにはどうしても憑力を使う。自身の集中力、残った憑力を鑑みて戦えるのは一分が限界。

それも、こちらから攻めるという選択肢を完全に放棄した状態に限る。


だからこそ、彼女は凌我たちに全ての希望を背負わせる代償に、自分のすべてを差し出してこの一分を戦い抜くことを選んだ。


「さあ霊獣よ。来るなら来い、『水精の盾アクアマリン』の全力、見せてやる!」

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