第16話 人×獣=異常事態

千聖ちさとさきのやり取りなどつゆ知らず、凌我りょうがたちは策に体を預けながら千聖がボートに乗り始めるのを見守っていた。


火野ひのさんのこと、気になるっすか?」

「あいつが火柱あげたら作戦開始っつうことだから気にしねえわけにもいかねえだろ」


柵に体を預けながら、投げやりに凌我はそう返す。


この公園に来てからずっと、まるで他のことばかり考えているかのような凌我に悠一ゆういちも疑問を抱いていたが、これまでの経験からそのことを聞いても凌我がちゃんとした答えを返してくれないことはよく分かっている。


そのため、悠一が凌我へ質問したのは全く違うことだった。


「……師匠。俺って、憑術士エフェクターに向いてないんっすかね」

「なんだよ急に」


弟子の切実な問いかけに、凌我も今ばかりは真剣に彼の言葉に応える。

悠一の瞳は焔生池の水面のように揺らめいており、ひどく不安定だ。


「さっきから誰かにずっと見られてるような気がして……多分これ、霊獣の視線っすよね」

「だろうな。いくら知性のない獣とはいえ、さすがに警戒くらいはするってこった」


凌我も感じる粘っこい視線は、間違いなく霊獣のもの。こうやって警戒され、逃げられてしまうからこそ、逃げる気すらなくすほどのごちそうを用意するのが『誘い火』の目的だろう。


「……怖いんす」


ぽつり、一言だけ悠一が呟いた。言葉を返すでもなく、続きを急かすでもなく、ただ静かに凌我は悠一を見守る。


「まだ霊獣の姿すら見てないのに、そこにいるって思うだけで……手の震えが止まらなくて……こんな臆病な俺には、憑術士なんて戦う職業は向いてないんじゃないかって」

「そりゃ向いてねえだろうよ」


悠一の心からの声を、凌我はなんの躊躇もなく切り捨てた。


その発言はさすがに予想外だったのか、悠一を目を大きく見開くと、それでもそれが紛れもない真実だと受け入れ何も言わず俯いた。


そんな悠一に、凌我は追い打ちをかけるようにさらに続ける。


「戦いどころか、ちょっと知らねえやつと話すだけでビビりまくって、すぐに俺の後ろに隠れるやつが戦いに向いてるわけねえだろ。たとえこの学校を卒業してちゃんとした憑術士になれたとして、自分より強いツキモノ持った奴らと一緒にうじゃうじゃ湧いて出てくる霊獣と戦わなきゃならねえ。今からこの調子じゃ先が思いやられるってもんだ」

「……っ。そう、っすよね。やっぱり俺には――」

「だが、どんだけ向いてねえとしても、それはやらねえ理由にはならねえ」

「――え?」


彼の夢への適性を散々否定した凌我だが、夢への道のりだけは否定しなかった。

こちらを見上げる悠一の瞳を射抜くように見つめながら、殴りつけるように言葉を伝えていく。


「才能ってなァどうしたって影響するもんだ。向いてねえからできねえってのは、言い訳がましく聞こえることが多いが、れっきとした事実だろうよ」


凌我は知っている。己に憑力アンセスを扱う才能がまるでないことを。

自身の中で神無がいつものように笑うのを聞きながら、その一切を無視して悠一への言葉を続ける。


「だがな、向いてねえからって絶対に出来ねえと決まったわけじゃねえ。なのにやらねえって言うんならそりゃ才能の話じゃねえよ。お前の心が折れただけだ」

「心、が……」

「折れたっつうんならやめりゃあいい。だけどよ、まだお前の心が進みたいって叫ぶんなら……諦めるにゃ早いんじゃねえの?」

「……出来ないことばっかりの俺も、諦めなくていいっすか……?」

「昨日できなかったからって今日も出来ねえとは限らねえ。今日出来なかったからって明日も出来ねえとは限らねえ。いつか出来るようになるその日まで、お前の心が折れなきゃ進みゃあいいさ。師匠として手助けくらいならしてやるからよ」


その言葉を聞く悠一は、先ほどと同じように俯いていた。

けれど、それは未来に対する不安に心が折れたからではなく――目の前に立つ尊敬する師匠に、自分の泣き顔を見られたくないという、彼なりの精一杯の意地だ。


「し、師匠はやっぱり、すごいっす。……名前を見たときに感じた通りの、すごい人っす」

「名前を見たとき?それって――」

篠宮しのみや! 佐藤さとう! 誘い火を始める! 霊獣はすぐに集まるはずだから構えておけ!」


凌我の問いを遮るように池の中心部から咲の叫びが聞こえてきた。

凌我は待ってましたと笑顔を浮かべ、悠一は大慌てで涙をぬぐいながらそちらを向いた。


二人の視線がこちらを向いたことを確認した咲は、同乗している千聖へ合図を送る。


「いよいよか」

「や、やっぱ怖いっす……」

「ビビりながらでも、進もうと思い続けてりゃ一歩くらいは成長できるだろうよ。肩の力抜いてこうぜ」


凌我の視線の先では、千聖が右手を天に掲げていた。


「――燃え上がれ」


声こそ聞こえなかったが、彼女の唇がそう動いたのを凌我は見た。


次の瞬間、噴火を思わせるほどの特大の火柱が、池の中心から噴き上がる。

その派手さに負けない熱量を持った火柱は、焔生池周辺の気温をぐんぐん上げていく。


今はまだ四月上旬。本来であれば若干の肌寒さすら覚えるこの季節に、この池だけが真夏日以上の暑さに襲われていた。


「……はっ、器用なことやりあがる」


しゃがみこんで頭を抱える悠一とは対照的に、凌我は千聖たちの乗ったボートから一度も目を離さない。


当初こそ火柱に目を奪われていたものの、今見ているものは火柱でも千聖でもなく、水のベールをまとい熱を遮断している咲だった。


千聖自身は炎や熱に対する耐性があるが、咲にはそんな耐性はない。その対策として自身を覆うように薄いベールを、計五枚ほど作り出していた。


一枚一枚の間に空気を入れることにより熱の伝導率を下げ、五枚のベールの中、悠然とした態度で座っている咲の体感温度はむしろ遠くにいる凌我よりも快適なものだ。


「さすがにあいつは口だけじゃねえな……っと」


伝導率云々については凌我は理解していないが、水と空気の膜を器用に作り出すツキモノのコントロール技術だけは見て理解していた。


だが、そこに感心している時間はあまり与えられない。咲が言っていたように――


『がるるるるる……』


ようやく、今日の主役が登場してきたのだから。


最初に出てきたのは五匹ほど。多少サイズに差はあれど、どれもこれもが煙が四足歩行の獣の形を模した霊獣のみ。


五匹ともが『レベルⅡ』だ。


「し、師匠……!」

「……予想通りの震え具合だな。戦えるようになったら来いよ。それまでは俺が好きに暴れてっから」


生まれたての小鹿のように足をプルプルさせ、柵に捕まることでなんとかへたり込むのを避けていた悠一を置いて、凌我は走り出す。


せめて戦闘の参考にでもなればと、凌我は彼の周りで早速戦闘を開始した。


「だらっしゃあ!」


凌我のことなど眼中に入れず一目散に千聖へと走る霊獣の顔へ、右ストレートを叩き込む。


……驚くことに、その一撃だけでレベルⅡの霊獣は霞のように消え去った。


「……弱っ!?」


残り四匹も、すべてが凌我ではなく誘い火を起こした千聖のみを見ながら走り抜けていく。そのどてっぱらに、背中に、とにかく隙があって殴りやすいところに殴りやすい拳を叩き込んでいく。


そして、その全個体が一撃のもとに倒されていった。


補足しておくと、今の凌我は神無の邪魔をされながら戦っている。つまり千聖戦の時に見せたような身体能力を有してはいない。


ということは。


「……霊獣弱すぎだろぉぉぉおおおおお!!」


必然的にその結論へ行きつくことになる。


レベルⅡに遅れてレベルⅠが数体こちらに近づいてきたが、もはやただの煙でしかないそれは、拳どころか蚊でも払うように手をひらひらさせるだけで消えてしまった。


凌我の心にどんどんやるせなさが募っていく。


「おい悠一。こいつらめっちゃ弱えぞ。お前のそのハンマーで余裕のオーバーキルが狙えるレベルだ」


凌我は悠一に話しかけてはいるが、視線はそちらではなく、周囲の木々……先ほど霊獣が現れた方へ向けられている。


あれだけでかい火柱を上げたのだ。こちらに近づく霊獣がたったあれだけのはずもない。


むしろ、先ほどの霊獣は偶然近くに居たのが近寄ってきただけであり、これからが本番といっても過言ではない。


ないの、だが。


「やる気出ねえ……」


新たに表れた霊獣は、レベルⅠが十体とレベルⅡが二十体ほどと先ほどの数倍の数に増えていた。だがその数をものとものせずに、凌我は霊獣を一体も逃さずすべて

仕留め……ため息をついた。


「……あっちは楽しそうだな」


凌我が見ているのは千聖と咲の乗ったボート。凌我がいる場所とは別のところから近づいてきた霊獣が百近くの群れとなって彼女らに襲い掛かっていた。


凌我の呟きに心配の色はない。なにせ、『聖火の剣姫』と『水精の盾アクアマリン』のコンビだ。


水の上であるのをいいことに、千聖は近づく霊獣を片っ端から焼き払い。たまに打ち漏らす数体は、咲の憑纏アウトラインと水の弾丸のコンボにより叩き落される。


ちなみに咲の憑纏は鞭。憑石を埋め込み憑力アンセスを流せるようにした特別なゴムで作られたリーチの広さと変幻自在な動きが特徴の武器である。


凌我のように体を大きく動かすわけでもなく、ただただツキモノの力を使うだけの二人には掛け声はあまり必要ない。

その結果、百近い霊獣の群れを黙々と討伐していくという面白味のない作業ゲーの様相を呈していた。


「……あれ、楽しそうなんすか?」

「こっちに比べりゃあな。おっと、また次の団体さんだぜ。次はお前もやってみろよ」

「は、はいっす!」


再度現れ始めた霊獣たち。

相変わらずレベルⅠかⅡのみでⅢは一匹もいないが、数だけは立派に数十匹といる。


今まで震えるだけだった悠一も、さすがに凌我の圧倒っぷりを見れば霊獣の実際の強さの度合いが分かったらしく、少しばかりの自信を携えて凌我の横に並び立っだ。


「せっかくの機会だ。多少無理しても俺がカバーしてやらぁ。好きなだけ暴れてこい!」

「た、戦ってる最中に気絶したら後はお願いします!」


後ろ向きな言葉を元気よく言う悠一を従え、凌我は駆け出す。

弟子の小さな成長に笑みを浮かべながら、霊獣の群れへと。


「せいっ!」


凌我は先ほどと同じように霊獣の隙がある部分へ拳を打ち込む。

悠一は細かな調整ができないので、大きく横に一薙ぎ。それだけで近くにいた霊獣が五匹ほど巻き込まれて消えた。


「やりゃあできんじゃねえか!」

「はいっす! 俺、霊獣が相手なら意外とやれそうっす!」


凌我ほどではないが、悠一もハンマーを振り回し霊獣の数をガリガリ削っていく。


最初は数十匹だった霊獣の群れは次第に十匹程度にまで減り、一桁になり、やがてゼロになる。


「ぜえ……ぜえ……これで、終わりっすか……」


筋力と念動力のコラボを酷使しすぎたせいで体力の消耗が激しい悠一が、ハンマーの柄にもたれかかりながら凌我に尋ねる。凌我はといえば悠一からの問いに『そうだな』とだけ返し、彼とはまったく違う方向を向いていた。


「……なあ悠一。ボート近くの霊獣、さっきより増えてねえか?」

「そ、そう言われれば確かに……って、あれ!?」

「……よそのこと気にしてる場合じゃねえみてえだな」


ボートを見ていた二人は、振り返りまた池の周りの木々を睨みける。

何十もの鋭い視線。どうやらこちらもまだまだ終わってはいないらしい。


「よっしゃ行くぞ悠一!」

「はいっす!」


拳とハンマーという二人独特の武器を操り、再び数十という雑魚を蹴散らしていく。


そして、敵の来訪と迎撃をあと四回ほど繰り返し――


「し、師匠……これはさすがに多すぎっす……」

「……はっ! まだまだこれから!」


――五回目。百匹ほどの群れが、木々の向こう側からまたもや現れてきた。


***


「ちょっと、何よこの数!」

「明らかにもらってたデータと違います! 事前調査では全レベル合わせて多くても三百体という報告だったのに……!」


ボートの上で戦う千聖たちも、凌我たちのように霊獣の多さに困惑していた。


とはいえ二人ともS組の生徒。驚きを口にしながらも、ツキモノの力を存分に振るいボートに一匹も近づけることはない。


近づくだけで焼かれ、なんとか一歩踏み出しても、ボートへたどり着く前に隙間のない水の弾幕と空気を裂きながら襲い掛かる鞭に抗うすべなどない。


空気にとけゆく霊獣の残り香も、次の瞬間には業火の中に消え去り、水面に浮かぶ不安定なボートはどこよりも安全な絶対領域と化していた。


(凌我たちの方にもかなりの数の霊獣がやって来てる……けど)


千聖が見たのは、凌我たちに百匹ほどの群れが襲い掛かっているところだった。二人とも各々の方法で霊獣を討伐し、こちらに来る霊獣の数を削ってくれていた。


だがしかし。


(こっちに来る数が明らかに多すぎる! 誰かが意図して霊獣を操っているみたいだわ!)


一方から来る霊獣のみを引き受ける凌我たちと、全方向から来る霊獣を相手取る千聖たち。相手にする霊獣に差が開くのは当然だが、それを差し引いても今の数は異常である。


ある程度の数を凌我たちにぶつけることで彼らを足止めし、千聖たちの方へ残りの戦力をぶつけているような――獣たる霊獣にはありえない『戦略性』が感じられやり方だ。


だが、レベルⅠは言わずもがな、レベルⅡですら所詮一般人でも倒せる強さ。多少危なげはあるが、雑魚がどれだけ集まったところで神には届かない。


しかし、そんな余裕を持てるのは千聖や咲がSランクのツキモノを憑かせているからに過ぎない。


「きゃあああああああ!!!」

「た、たすっ、助けてくれぇ!」


公園に悲鳴が響く。


凌我たちの戦っている場所からそう遠くない場所。木が乱立しているだけの道でない場所から、涙を流しながら六人の男女が転がり込んできた。


服は泥にまみれ、顔は涙と鼻水と血に汚れているが……それは紛れもなく先ほど南へ向かった浅木たちのグループだった。


「ち、千聖さん! 助けてくれ! レベルⅢが……あああぁぁあ!!!」


リーダーたる千聖に状況説明する間もなく、助けを求めた浅木の背中へ霊獣が飛びかかる。間一髪それを避けながら、恥も外聞も捨て――池の中心にいる千聖ではなく、近くにいる凌我の元へ助けを求め近づいてきた。


彼の取り巻きも自身の憑術士エフェクターとしてのプライドを投げ捨て、この中でもっとも実戦的な強さを持つ凌我へ走ってくる。


信じられないことに、彼らの後ろからは『ベーシックタイプ』のレベルⅢが五体と『ニュータイプ』のレベルⅢが十五体。


これだけの数。明らかに学生がこなす討伐の範疇を超えている。『ニュータイプ』が十体以上など、正規の憑術士が数人がかりでようやく対処できるくらいだ。


「あり得ない! なんでニュータイプがこんなところにいる!?」

「……咲! ここは任せたわ!」


悠長にボートを漕ぐ暇などない。千聖は数日前に凌我たちに特訓させた憑力の凝縮と爆発で水面を駆けて浅木達の救出へ向かおうとする。


千聖が霊獣の迎撃から池のほとりへの移動に行動を移そうとしたその瞬間。


炎の勢いが弱まった隙をついて、霊獣たちが千聖の進路の妨害になるように身を寄せ合い壁を作りだした。


「邪魔!」


何十何百と集まり築かれた強固な霊獣の壁も、容赦なくぶつけられる炎の雨にたちまち溶かされていく。しかしそれ以上の速さで霊獣が集まっていくせいで、壁を溶かしきることはできず、千聖は結局ボートから飛び出すことができない。


(これじゃ向こうに行けない! こうなったら焔剣融世トライアンフで一気に……いやでも、さすがにあれを使ったら公園が……!)


守るべきものに優先順位をつけることへの躊躇。その迷いが彼女の動きを鈍くするが、事態は刻々と変化する。


「ひ、ひぃぃぃいいいいいいい!!」


叫んだのは浅木達ではなく、死にそうな顔でレベルⅡ相手に立ち回っていた悠一だ。


浅木達が凌我の元へ近づけば、彼らを追ってきていた計二十体にも及ぶ大量のレベルⅢもそちらへ向かうことになる。


恐怖を押し殺しながらの戦い、休む間もない連戦。予想とかけ離れた数の霊獣相手に心身ともに疲れ果てていた悠一はその光景に簡単に心折れてしまった。


今まで聞いたどんな声よりも情けない声を上げながら、ハンマーを放り出して走り出す。


「おい悠一!」


周りが見えていないのか、池に集まる霊獣の間を逆走していく悠一は、『立入禁止』と書かれた立札を完全に無視して木々の中へ消えていってしまった。


不幸中の幸いといえば、すべての霊獣が逃げる悠一よりも千聖や浅木にしか興味を見せず、無防備だった悠一が無傷で逃げられたことだけだ。


「お、おい篠宮君! なんとかしてくれよ!」


池の中心には大量のレベルⅡに囲まれ身動きの取れない千聖と咲。

池のほとりではレベルⅡは撃退できているものの、レベルⅢが近づいた途端逃げるしかできない浅木達。


こちらのスタミナが切れるのが先か、霊獣たちの出現が止まるのが先か。


予想していなかった命のやり取りに全員が緊張する時間が続き、やがて均衡が崩れた。


悪い方向へ。

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