終末は君とふたりで図書館で
語彙
図書館
この図書館に場違いな来客がやって来るのはいつものことだ。
重そうなリュック、伸び放題の髭と長髪、ボロ切れ同然の衣服。
入り口の重いガラス戸を押して入ってきた痩せこけた男は、
放心したように立ち尽くしたまま動かない。
「こんにちは」私はいつものように笑顔で挨拶をする。
「なにかお探しの本はございますか」
数十秒経ってやっと男がこちらを向き、
私の存在に気づき目を丸くする。
男は何度も咳払いをし、かすれた声で何か言おうとする。
この様子では数ヶ月間誰とも会話をしていなかったのだろう。
男の声が出るようになるまで私は辛抱強く待つ。
これもいつものことだ。
「ここは…」男がか細い声を必死にしぼり出す。「なんなんだ」
「ここは図書館です。詳しくはこの」
私はカウンター横に手を伸ばし、
来館者向けパンフレットを一部引き抜くと、
くるりと回して男に差し出す。
「『来館者様へのしおり』に書いてありますから」
男が震える手でそれを掴む。
固まった血と泥にまみれた手袋がカラフルな紙片を広げる。
誰にでも理解できるように大文字とイラストを多用した解説チラシだ。
この図書館は人類の貴重な遺産を保護する目的で建造されました。
歴史資料の保存。科学技術の記録。文学。詩。
閲覧希望者は誰でも申し出ることができます。
瞳孔に触れそうなほど顔を近づけ、
男は書かれた内容を貪るように目で追っていく。
その体が小さく震えだし、
糸が切れた人形のように男は床にへたり込んだ。
「おれたちのシェルターは資材が尽きて…維持できなくなった」
つかえつかえしながら言葉を伝えようとする男の話を、
私は笑顔で聞き流す。いつものことだ。
「残った他のシェルターは暴徒に襲われて破壊され尽くしていた」
また同じような話か。これでもう何度目だろう。
「生き残ったのはおれだけだ。仲間は」
男が喉を鳴らすように嗚咽を漏らす。
「みんな、死んだ。妻も、娘も」ひとこと声と息を吐き出すたびに、
男の体が前にのめり、沈み込んでいく。
「教えてくれ。どうして世界はこんなことになってしまったんだ」
男の血走った瞳から流れ落ちた涙が、汚れた頬を伝い床を汚す。
私は笑顔で答える。
「それでしたら6番書架の歴史コーナーを…」
案内のために手のひらで男の背後に広がる書架を指し示す。
館内は反対側の壁がかすんで見えないほど広い。
天井までそびえ立つ書架の列は膨大な量の書物を収蔵し、
旧時代の都市を思わせるように立ち並びんでいる。
全面戦争。天体兵器。地殻変動。磁場逆転。そして長い冬。
そこの本を読めば今まで起きた出来事はすべてわかるだろう。
私が顔を男に戻すと、男は視界から消えていた。
男はカウンター前の床に崩れ落ち、もう息をしていなかった。
こうなってはただのボロ布と生ゴミの塊だ。
私はカウンターの端末を操作し、清掃の指示を出す。
静かに床を這ってきた清掃メカが、男の死骸を摘みあげて運び出す。
小型のメカ数台が床に散った破片その他を吸い上げ、掃き清める。
数分もしないうちに作業は終了し、男の痕跡は綺麗に消えた。
まるで数分前彼がここを訪れた事実などなかったかのように。
来館者が誰もいなくなったのを確認すると、
私は大きく背を伸ばし、ふぅと軽く息を吐く。
カウンターに「書庫整理作業中」の立て札を出し、
奥の小さな控え室に入る。
パイプ椅子と安っぽい長机、それと古ぼけたロッカーしかないが、
ここが心休まる私の、私だけのお気に入りの休憩室なのだ。
窓の外は今日も薄曇。
魔法瓶から注いだハーブティーをちびちび飲みながら、
灰色の静かな景色を眺める。
もう何十年も太陽の光が届かない大地は硬く凍りつき、
動く物はなにも見えない。
ひさしぶりの来館者だったけど、何年ぶりだったかな?
まぁそんなことはどうでもいいだろう。
あの戦争が起きる直前に建設されたこの図書館は、
私でもまだ足を踏み入れていない区域があるほど広大で、深い。
膨大な数の書架が過去の人類が築きあげた知識と経験を蓄え、
地下何層に渡って広がり、静かに眠っている。
今の人類が文明を再興できずに滅びたとしても、
数億年後、数十億年後この地球上に生き残った別の生物が進化し、
この図書館の重いドアを押して、閲覧を求めにくるかもしれない。
別の太陽系からやってきた知的生命体が地球を訪れ、
この図書館に残った知識を再利用してくれる可能性もある。
いつかやってくるその日のために、私はここにいるのだ。
長机の下から小さな音楽再生機を出し、
イヤフォンを耳に刺しこんでお気に入りの曲を選ぶ。
過去の時代、巨大な帝国が最も繁栄していた時期に作られた、
華やかで明るい、希望に満ちた明日を歌いあげた曲。
あぁ、なんて素晴らしい。
我慢できなくなった私はパイプ椅子から立ち上がり、
両肘を腰に付け、握った拳を軽く左右に動かし、腰を振る。
イヤフォンから漏れたイカすロックンロール・ミュージックが、
軽いステップと共に室内に小さく響く。
「やっぱりこの文化が消えちゃうのは惜しいなあ…」
私は鼻歌を奏でながらひとり呟く。
長机の周囲を意味もなく回りくるくると舞い踊りながら、
遺された過去の滅びゆく文化をこっそりひとり楽しむ。
時間はいくらでもあるのだ。
この時の止まった図書館で、私はいつまでも閲覧者を待ち続ける。
終末は君とふたりで図書館で 語彙 @HOMASHINCHI
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