七話『お人形だって楽じゃない』

 母と優月さんに、無理やり姉の部屋に連行され、無理やり下着以外の布を引っぺがされ、最初の"お洋服"とやらをあてがわれてから、どれだけ経ったことだろう。

 時間すら気にさせてもらえないほど、僕はタンスから無作為に取り出されたおびただしい数の姉の服を、間髪を入れず着せ替えられた。中には、絶対に私服としては着られないであろう服も何着かあったが、それが決して姉の趣味ではないことを、僕は切実に願う。

 そんな、体感では下手すれば半永久的に感じられた時間のあいだに、自身が味わった苦悩を無いものとすることができず、思い出として美化することもできず、特筆するまでに及んだ僕をどうか咎めないでほしい。


「やめて! やめてぇー!!」

「さぁて、もう逃げられないわよ?」

「腕が鳴ります……!」

「鳴らさないで、お願い!」

「香波、カメラお願い」

「あ、うん」

「姉ちゃんもなんで頷くの!? そこは首振ってよ、そしてこの二人を止めてよ!」

「……だって、その……、お母さんがやることだし?」

「これっぽっちの理由にもなってないから、それ!」

「ちょっと先輩、静かにしてください!」

「もはや理不尽だ!?」

「いいのよ、優月さん。ウグイスはね、鳴いてくれたほうが可愛いのよ」

「鳴くどころか泣いてます! お願いです、やめてください!!」

「……なるほど! そこにウグイスを持ってくるとは、さすが新立先輩のお母さんですね!」

「いや全然さすがじゃないから! 一ミリもセンスないから!」

「それより香波、下着の吉海も十分エロ──ごにょごにょなんだし、何枚でも撮りなさい!」

「待ってやだ、撮らないで! 可愛いだけならともかく、濁さなきゃいけない表現が似合う姿なら絶対に撮らないで!!」

「はい!」

「撮らないでえ!!」

「えっちぃです、先輩、えっちぃですよ!」

「優月さんそれわざとだよね? わざと濁さず言い切ってるんだよね!?」

「それよりお母さん、さっきのウグイスっていうのはどこから」

「ウグイスはもういいからぁ! 僕に色々着させるのならさっさとしてよぉ!!」

「吉海、そんなに着たかったの!?」

「先輩、そんなに着たかったんですか!?」

「違う、断じて違うから! やるんならさっさとやってさっさと終わらせて、ってこと!」

「吉海ってばそんなに着たかったのね、分かったわ!」

「先輩ってばそんなに着たかったんですね、分かりました!」

「お願いだから僕の弁明はなしを聞いてよおおおおお!!」

「……あ、メモリー無くなっちゃった」

「姉ちゃんはいったいどんだけ撮ったの!?」

「生憎、私って今まで自分が食べてきたパンの数を覚えてないのよね……」

「訊かれるまでもなく分かんないなら消して、全部消してえええええええ!!!!」



 ここまでは、いわばオープニングのようなもの。

 実際、オープニングだけで姉が撮った写真の枚数は、本当に数え切れないほどだった。

 でも、本編に姉が撮った写真の枚数も、数え切れない程度のものじゃなくて。


 まず母が僕にあてがったのは、まさにイマドキ女子の私服、といった感じのスカートとシャツ。黒地にラメ入りのアルファベット文字を散りばめたシャツと、地味な茶色のベルト付きタックスカートとやらは、ファッションとしては雑な組み合わせで点は低いだろうが、始めに僕の反応をうかがうには丁度良かったらしい。


「なんで、なんで最初からスカートなの!?」

「女の子はスカートはいてナンボじゃない」

「そうですよ。スカートくらいで顔真っ赤にしちゃって」

「いやでも、せめてロングとかもうちょっと足が見えないやつのほうが」

「何言ってるの、吉海」

「何言ってるんですか、先輩」

「「足が見えたほうが、興奮するじゃない」ですか」

「姉さん今すぐ消して! 身内に自分の写真見られるたび興奮されてたら僕生きていけない!!」

「生憎、私って機械音痴なのよね……」

「パソコンの修理できる人が何を言う!?」


 察しの通り、これなど序盤の序盤に過ぎなくて。

 僕がせめてせめてと丈長を要求しているのにもかかわらず、お次はお次はと着させられるスカートは短いものばかり。そろそろ男気もなく号泣しそうになってきたところで、ようやく僕の元に舞い降りてきたロングの神様。


「次はこれね、和服!」


 ロングの神様は、ある種、僕を今まで以上に苦しめる形で裏切った。

 あまりにも手際の良い着付けに、僕は抵抗すらできなかった。


「長くしてって、下の丈は長くしてって、たしかに言ったけどぉ……!」

「さすがに吉海も泣きそうだったし」

「和服は長いですからね、丈」

「長すぎる、長すぎるわ」

「……せめて、せめてさ、服の選択は任意にさせてくれないかな?」

「嫌よ」

「それで地味なの着られちゃったら、先輩の恥ずかしがってる姿見れないじゃないですか」

「ってことは二人は服なんてもうどうでもいいんだよね!? 要は僕が恥ずかしがってりゃそれでいいんだよね!?」

「じゃあなによ。一緒にお風呂でも入る?」

「あ、吉海と入るの、吉海が園児のとき以来だなぁ」

「…………優月さん、もう次いって」

「お風呂ですか?」

「違う!」


 結局、家族そろっての入浴の話は白紙にはならなかった。

 母と姉は、身体の洗い方を伝授しないとだとか早いうちに今の身体に慣れさせておかないとだとか口実を述べていたが、意味深な表情を見るに、その他の理由があることは明らかだった。

 そして無論、お人形の時間もまだ終わらず。

 純白のワンピースやら黒や白のドレスやら、たまには趣向を変えてボーイッシュ系やら。それでちょっと心安らいだら、またもや幾つもの羞恥を押し付けられた。おまけに、稀にその服装に合ったポーズをとらされたりセリフを言わされたりもした。またそれも、僕の男としてのプライドを豪快に削り、木屑ごとく散らしていった。

 そんな、瞳から光を完全に失った僕に、希望をもたらした母の言葉。


「これで最後ね」

「……え、ほ、ホントに!?」


 やっと、この地獄のような時間が終わる。やっと。

 花柄の水着を着させられている現状も忘れ、僕は心の底から歓喜する。

 ちなみに、言うまでもなくこの水着も姉のものだが、これを着ている僕は決して姉の水着を自ら着用して興奮するような変態ではないことをどうかご理解願いたい。

 思春期真っ盛りで反抗気味というわけでもなければ、姉弟の関係でいえばとても仲が良いと言えよう。しかしこの件で、これからの僕は姉を危険視しなくてはならなくなるかもしれない。

 閑話休題。

 今まで消え失せていた希望をようやく瞳に取り戻した僕は、床に中身を散らかしてほぼすっからかんとなったタンスを意気揚々と覗き込む。母の言った最後の服とやらは、一番下段の最奥に、綺麗にたたんで詰め込まれていた。

 一目で見た感じ、それは白と黒の二色で彩色されていて、フリルらしき装飾が確認できた。

 まずは、その服の上に置かれていたカチューシャを手に取る。下の服と同様、それも黒地に白のフリルで飾られている。


「……これって」


 嫌な予感がする。

 このアクセサリーとセットで身につけられる服といえば、アレしか思い浮かばない。無論、女性が着用するものだが、その女性ですら普通は着ることを躊躇いそうな、あの服しか思い浮かばないのだ。

 いやまさか。

 アルバイトで着るならまだしも、僕の姉が個人的に私物としてそのような服を持っているなんてありえない。いや、信じたくない。まさか、そんなわけ。


「…………姉ちゃんが、メイド服なんて」


 震える声で呟いて、おそるおそるメイド服らしきものを手に取る。タンスの中から引きずり出され、光に晒されたそれは、カチューシャ同様、黒地に白のフリルやレースなどの装飾が施されていて、上は大きな蝶リボン、下は風吹きパンチラ待ったなしのミニスカート。ついでにカチューシャ。おまけに膝上までありそうな黒のオーバーニーハイ。

 メイド服らしきもの、などと遠まわしな表現をするまでもない。

 それは紛うことなきメイド服セットであった。


「……ね、姉ちゃんこれ」

「あ、懐かしいなぁ、それ。高校のとき、必死にアルバイトで貯めたお金で買ったんだっけ」


 弟の心境などつゆ知らず、あっけらかんとしている姉。

 一方、僕は姉が大学の頃からこれを所有していることが信じられない。


「こ、これ、本当に姉ちゃんの?」

「メイド服を人にプレゼントするなんて、変態じゃないんだから」


 え。


「なんで、買ったの?」

「んー、特に理由は無いけど。強いて言うなら──」

「……強いて、言うなら?」

「──こんなこともあろうかと」

「優月さん! 弟が女になることを予想していただなんて、僕は目の前にいる姉が僕の姉だとは思えないよ!!」

「何を言っているんですか、先輩。メイド服くらい、女の人なら誰でも持ってますよ」

「そうなの!?」

「それは冗談だろうけど。それに、こんなこともあろうかとって言ったって、吉海がどうこうじゃなくて、誰か人に着せる機会がないかな、って思ってただけで」

「自分で着るつもりは無いのに買ったの?」

「まぁ、そうだね」

「それを今、元男の僕が着させられそうになっているの?」

「まぁ、そうだね」

「姉ちゃん的にはそれは?」

「絶好のシャッターチャンス」


 姉がそう言うや否や、足元の制服を手に取り、僕は水着のまま部屋を飛び出そうとした。しかしそこへ優月さんと母が立ちはだかり、気味の悪い笑みを僕に向けた。


「なに今さら逃げようとしているの、吉海」

「そうですよ。あとたったの一着だけなんですから、大人しくお人形に戻ってください」

「や、やだ! あれだけは、絶対に……!」

「メイド服くらい、水着に比べればどうってことないでしょう?」

「で、でもそれ着たら、絶対なんかさせるでしょ!?」


 少しの間、二人は目を合わせると。


『もちろん!』


 その輝く笑顔は、僕の瞳の輝きを一切合財奪っていった。

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