それいけ三蔵法師オルタナティブ

西紀貫之

序・対決牛魔王の巻

 孫悟空は非常に困っていた。

 何故なら、彼のお師匠さまである三蔵法師がいつまでたっても天竺に辿り着かないからである。


「悟空よ」


 呼ばれて、彼はそのお師匠であるところの三蔵法師を見上げました。

 まさに鋼のような坊主であった。

 丸く剃りあげた禿頭の下には、岩を削り出したかのような厳つい顔。猪首に、生ゴムで覆われたかのような胸板。そして女の人の胴体ほどの太さの腕。

 袈裟に覆われてはいるものの、それらは自分を誇示して張り裂けんばかりであった。


「なんで御座いましょうかお師匠さま」

「うむ」


 この坊主、声まで渋いCV:銀河万丈


「冬だな、悟空」

「は?」


 猿面が、坊主以上に人間臭く首を傾げる。


「はぁ、ここ最近は冷え込みも厳しくなってまいりましたが」


 それがなにか? と、聞こうとはしなかった。

 一を聞いて十を知らねば死ぬことをよく知っている悟空である。そこは巧く切り返す。


「鍋の季節ですなぁ」


 自分では無難に答えたつもりであろうが、そんな悟空の呟きを聞いて三蔵法師はニヤリと笑う。


「うむ、さすがはわしの一番弟子。ツーカーの仲じゃのう」


 ミカンを幾つも繋ぎ合わせたかのように巨大な数珠を首から外し、二、三度肩を回しながら坊主は猿を見遣った。


「こんな寒い日は、鍋を囲むのが一番じゃ」


 オールシーズン袈裟一丁の坊主を見返し、猿は言葉がなかった。


「吹雪く山をそのカッコで歩きぬくお師匠さまでも、やっぱり寒いなどと感じるんですか?」

「うむ。鍛え上げられしこの体は正に仏法の具現、寒さなんぞは屁でもないが」


 坊主は袈裟越しに割れた腹筋を撫でる。


「心と胃袋はまだ未熟。美味いものはやっぱり心惹かれるものよのぅ」


 この坊主は「トンカツじゃー!」と言って豚の妖怪を食った経歴がある。

 さらに言うと「カッパ巻きじゃー!」と言って(以下略)。

 そんな人外の坊主に命を握られている猿は、とても困っていたのである。


「鍋……。そう、モツ鍋なんかがいいかもな」

「は、はぁ」


 始まったヨ。猿は頭を抱えた。

 随時この調子だった。いつまでたっても天竺に着かない。

 孫悟空は非常に困っていた。

 天竺に着いて、早く地元の偉いお坊さんに自由にしてもらいたい!

 そんな願いをよそに、三蔵法師は高らかに笑っていたのでありました。





「悟空よ、牛魔王という妖怪を知っているか?」

「はい」


 音に聞く恐ろしい妖怪だ。

 悟空は頷いた。


「たくさんの子分を従えて、人を食らう悪鬼です」

「うむ、その極悪非道な仏法の敵じゃ」


 あー。

 悟空はこの先の展開がなんとなく見えてきた。


「悟空よ、あの妖怪はきっと美味に違いない」


 やっぱり。


「早速うわさの邑に行き、悪鬼羅刹に悩まされている人々を救って差し上げなければならん」

「……その土鍋、衝動買いじゃなかったんですねぇ」


 先日来、師匠が背負う謎の土鍋に目を落として猿が呟く。

 計画的に買いやがったのかと、猿はため息をついた。


「では行くぞ、悟空よ」

「あ、あのーお師匠様、天竺は?」


 控えめに言う悟空。

 はたして三蔵法師はフと足を止める。


「困った人を見捨てて行け……と?」


 声が低い。


「あ、いや、そういう訳じゃ」

「……猿の脳みそは美味いと聞くが、牛モツ鍋とどっちが美味いかのぅ? 悟空」


 わずかに振り返る坊主の眼が猿を射抜く。

 猿の頭にはめられた金色の冠。これは三蔵法師の言葉ひとつで頭蓋を割り開く料理人の友、「ふたあけくん」である。悟空は、坊主に発見された早々にこれをつけられた。取ろうとしても外れない。

 一回だけ何故外れないのか訊いた悟空であったが、「山羊の顔を持った仏の力じゃ」と、妙にドス黒い感じのする答えを聞いてしまい、聞くに聞けなくなっている。

なんか、血でもって丸だか三角の図形を書いてたが、何かも聞けずに今日にいたるのである。


「師匠」

「ん?」

「私めもモツ鍋、相伴してもよろしいですか?」


 坊主は口元をニヤリと歪めた。


「ふふふ、分けてほしくば精一杯働くのだぞ」


 ガハハハハハハハハハハハ!

 は、はははははは……はぁ。

 二種類の笑い声が、山間に轟きました。





 牛魔王の城は、山の頂上にありました。

 ドカーン!

 その城壁が、長く延びた如意棒で突き崩されました。


「敵襲ー! 敵襲ー!」


 牛魔王の子分たちは、突然の悟空の狼藉に、一斉にどよめきます。


「どれ、穴は開いたか?」


 そこからヒョイと顔を出した三蔵法師。坊主は城の中を見るとニヤリとまた笑いました。牛魔王の部下の牛の妖怪兵士がうようよいます。


「ほぅ、これは食い切れん」


 そんな坊主を見て、牛の妖怪たちが騒ぎ始めます。


「坊主だ! 坊主の肉を食えば千年寿命が延びるそうだ!」

「ほう、わしを食うと……な?」


 坊主が半身に身構えると、妖怪たちはいきり立ちます。


「坊主だ! 食ってしまえ!」

「よかろう、食えるものなら食ってみせい!」


 三蔵法師は、蛮刀片手に踊りかかってくる妖怪の内懐に半歩潜り込み、強烈な突きを打ち込んだ。


「ぐえええ」


 軽く三丈ふっとび、その妖怪は二言無く絶命しました。


「見たか、大乗仏教必殺技、『法拳』!」


 坊主はメロンくらいもある拳を妖怪たちに突き出し構えた。


「ほ、ほうけん!?」

「半歩法拳、あまねく天下を打つ……。仏教界最強の僧を相手にしたことを悔やむがいい!」

「あひぃっ!」


 猿は次々に天に召される妖怪たちを見ながら、「食いきれるかなぁ」と思っていました。





「なんの騒ぎだぁ!」


 ここぞとばかりに現れた悪の大魔王。

 黒く毛艶の良い、身の丈四尺はあろうかという牛の妖怪。


「貴様が牛魔王か?」


 子分の首根っこをひねりながら、三蔵法師は問う。


「貴様が玄奘とかいう坊主か?」


 巨大な剣を片手に牛魔王も坊主に問う。


「…………」

「…………」


 互いに無言。

 しかし、先に動いたのは牛魔王でした。


「死ねや坊主がぁぁああ!」


 申し分ない踏み込みで振り下ろされた剣を、三蔵は首に下げた数珠を以ってとっさに受け止めます。


「ぬう、金剛石のごとき数珠! ただ者ではないな!?」

「仏具に傷をつけたことを後悔させてくれるわ!」


 優に頭ふたつ以上勝る体格の牛魔王を、坊主はズイと弾き飛ばす。


「むう!?」


 堪らず驚愕する牛魔王が目にしたのは、そんな自分を追って突進する玄奘三蔵法師の姿であった!


「くらえ、大乗仏教究極奥義!」


 三蔵は、牛魔王の襟首を左手でむんずと掴み、強烈な右フックを食らわせた。


「げふう!」


 振りぬいた右手で逆の襟首を掴み、今度は左のフックを突き刺す。


「ぽぇへ!」


 そしてもう一度左手で襟首を掴み、また右のフックを叩き込む。


「へぴぴふ、ぶわ!」


 そしてまた、振りぬいた右拳で以って襟首を掴み……。


「ま、まて! 貴様人間にしてはやるほうだ。今なら謝れば許してやらんこともないぞ!?」


 打ち抜かれる左フック。


「あばぁら! くっ……今なら許してやるぞ!?」


 重い右拳が頬にめり込む。


「いだばら! ゆ……許してやるから!」


 がすん!


「許す!」


 がすん!


「ゆ、許します!」


 ズドム!


「ゆ、許させて下さい!」


 ずばぁぁあん!


「ゆ、許してっ!」





 果てしなく殴られる牛魔王の姿を見ながら、悟空は妙に冷めた眼でいました。


「お師匠様の奥義、『シルクロード』。いつ果てるとも無い拳の応酬。牛魔王も終わったな」





 ぐつぐつぐつ……。

「うむ、美味いな」

 天使のような微笑で坊主が舌鼓を打ちます。

「しかし、かなり殴ってましたね? お師匠さま」

「うむ」


 三蔵法師は土鍋をかき回しながら言いました。


「肉は叩くと柔らかくなるというからなぁ」

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