ディヴァイン

駿河 明喜吉

序章 とある夜、希望に満ちた青年がこの世を去る

『君は、アルル? 人間たちに殺されそうになったのか?』


 どこからか声が聞こえると思ったら、その正体は、僕が倒れたすぐ傍に佇立している大木だった。否、大木の根元に胡坐をかいた青年だった。

 顔は暗く翳って見えないけれど、声の低さや言葉の雰囲気から青年だと思う。


 僕は地に伏したまま、起き上がる気力もない。

 身体中のいたるところから血が噴出す。痣になった腕や足が酷く痛む。

 人生で経験してきたどんな痛みよりも苦痛で、目の前がちかちかする。


 僕が命からがら逃げ出してここに辿りつき、今にも死の底へと飛び込んでしまいそうな中、彼は動揺もせずにただただ僕を気楽な体勢で見つめている。


「殺され? 違うよ、僕は殺されんだ。人間から受けた傷で死に至る。人間らに死に様なんてみせるもんか。そんな屈辱を味わうくらいなら、僕は春のここで野垂れ死んでやる」


『そうだな。君にこれから先の人生はない。君の隣に寄り添った死の影がよく見える』


 薄暗い夜の中で、その人は冷静に言った。無感情にも聞こえるその声には、多少の同情が滲んでいて、僕は一気に情けない気持ちになった。


「……眠たくなってきた」


『それは死の前兆さ。なにか言い残すことは、辞世の句は? おれが聞き届けてあげよう』


「……」


『ん、どうした、アルル。死んでしまったか』


「生きてる、まだ……」


『ふむ……』


「僕は」


『ああ』


「人間の、希望になれなかった……」


『人間の希望、ね』


「僕は人間に希望を見ていた……けれど、人間はに希望を見出してはくれなかった」


『人間が他人に希望を持つのは、自分に都合のいい希望が見えた場合だけだよ』


 その人は悟ったように言う。


「……だよな」


『人間に希望を持った、君の負けさ』


「……」


『言いたいことはそれだけ?』


「……お前の名前は?」


『おれの?』


「ああ……。最後に、僕と会話をしたの名前を覚えておきたいんだ」


『残念ながら、おれは人間じゃないぜ。この春の丘にずっと昔から住んでる、ただの大木さ。名前なんて無いよ』


「……そうか」


『ああ。悪いね』


「いや――」



『死んだ?』


 まだ彼の声は聞こえちゃいるが、そう、たった今、僕は死んだ。

 力尽きた。

 心臓が止まって、呼吸も必要なくなった。


 銀色の月光の下で、僕の骸は冷たい夜風に晒される。


 僕は死んだ。


 幸せの渦中にあった僕は死んだ。


 僕の名前はアルル。

 この春の丘で、生涯の幕を閉じた。

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