第16話 へべれけライゼ

 ランチを買った後に、二人が腹を鳴かせながら立ち寄ったのは、街で一番大きな雑貨屋だ。春の花の色に塗られた壁は二階建ての高さまで伸び、空を映したかのような青い屋根を頂いた外観は、なかなかに可愛らしい趣味といえよう。


「空腹のところ申し訳ないんだがな、少し買い物をしてから帰るぞ。すぐ終わるから」

「もちろん構いませんけど、何を買うんですか?」


 木製の扉を右へスライドして店内へ入ると、四方の壁にぴったりとくっつくように並べられた棚の中に、食器類やランプ、勉強道具、衣類等といった日用品が所狭しと並んでいた。

 店の奥には二回へと続く階段もあったが、そこは住居スペースであるらしく、階段を境目に人の住む雰囲気を感じさせた。


「いろいろさ。お前のものも買うぜ、シロートトラベラーくん。旅にはね、必要なものがいくつかあるのよ。それをここで一通り揃える」


 さっさと店内に入っていったライゼは、持っていた紙袋をジェイに押し付けて、まず、店頭の籠の中で大量に売られていた水袋を一つ手に取った。

そのまま二人は右回りで店の中を見て周りながら、簡易的な医療品一式と、二人分の保存食を手に取り、それらを持って会計に向かう。


「いらっしゃい」


 若い男性店員が一品一品を丁寧に会計していると、ライゼは何かを思い出したようにはっとして、

「ちょっと、ここにいて」と言い残し、どこかへ行ってしまった。

間もなく戻ってきた彼の手には、なにか、細長いものが握られている。


「これも頼むよ」

「はい」


 ことん、とカウンターに置かれたのは、ブラウンのレザーに包み込まれた、刃渡り十五センチほどのナイフだった。

 会計を済ませ、店を出た二人は、真っ直ぐに宿へ戻ると、いつも食べていたものとは比べ物にならないほどに分厚い肉が挟まれたパンズを頬張りながら、雑貨屋で買ったものをベッドの上に広げていた。


「ほら、これはお前のな」


 ライゼがジェイの方に投げて寄越したのは、水袋、医療品、保存食だ。医療品と保存食は買ったものを二人で分け合った。


「ありがとうございます」

「いいよ。これらの礼はアルルの実一つで手を打つから」

「えっ」

「ジョーダンだよ」


 ライゼは自分の分を鞄の中に詰め込みながら、からからと笑った。


「あ、そうだった、あとこれも、お前の」


 そう言ってジェイの膝元に置いたのは、彼が滑り込みで会計をしたあのナイフだった。


「いいか、これは料理用なんかに使うんじゃねえぞ」

「じゃあ、何に使うんですか」


 ジェイがそれを手にする。


「対人用に決まってるだろ」


 彼の手からナイフがぼとりと落ちた。


「た、対人用、ですか……」

「うん。本当はちゃんとした得物を扱うところで買うのがいいんだけど、武装経験の無いジェイには剣を振り回すのは無理だろうし、刃の長さがかえって邪魔になっちまうだろうから、追々な。そのナイフだってそれなりの値だったから、物持ちは良いはずだぜ。ちゃんと手入れしなよ」

「でも、僕……対人用に刃物を持つなんて、できません」

「一応だよ。護身用。お守り代わりに気楽に持ってな。確かにお前には武器そういうの向かないと思うがね」

「はい……」


 ジェイの返事にいまいち覇気が無いのを苦笑しながら、


「そんな重く受け取るなよ。旅には必要なものなんだ。汽車に乗るための切符とでも思っておけばいいさ。さっきの店主が、旅人が襲われたって言ってたろ? 用心しようぜ」

「あっ、そ、それ! まずいじゃないですか。春の丘を出て一番初めに泊まる街にそんな怖い事件があったなんて」

「人死にが出てるんじゃな。気をつけようぜ、ジェイ」


 ライゼにとって今回のこの街で起きた事件はさして珍しいことではないらしい。――旅人しか知らぬ世界を生きてきたからであろうか、それとも、彼が人間に迫害された人種だからなのか……人一人の命が奪われているというのに、ライゼの態度はいたって冷静そのものだった。

 それから二人はもくもくと昼食にありつき、普段食べていた干し肉のサンドよりもボリュームのあるそれをぱくつきながら、無言のひと時を過ごした。

 食事が終わると、

「もう今日は夕飯までどこにも行かん! 疲れを取るのに時間を当てようぜ」

 というライゼの提案にのり、それぞれ思い思いの時間を過ごした。

 ジェイは再び泥のように眠り、ライゼは荷物を整理したり、地図を広げて今後の進路の確認をしたりして過ごした。


 そうこうしているうちに、すっかり陽は蒼穹から姿を消し、その玉座を夜の支配者たる月へと明け渡していた。

 部屋に差し込む光が、冴え冴えとした冷徹な色を含み始めると、ジェイは二、三度寝返りを打ち、「んー……」と、長い唸り声を上げた。

窓の方へ寝返りを打った途端、四角く切り取られた景色が闇夜に沈んでいると悟ると、


「えっ、もう夜!」


 と、飛び起きた。


「ああ、おはよう。そろそろ起こそうと思ってたんだ。飯食いに行こうぜ」


 二人は部屋の鍵をフロントに預け、近くの酒場の門を潜った。

 店内は既に大勢の客で溢れ返っており、銃声の如く飛び交う笑声に圧倒されながら、ジェイは無遠慮に店内を突っ切るライゼの背中に隠れるように着いてゆく。

 正面にあるカウンター席に辿りつくまでに、いくつものテーブルの傍を横切ってゆくと、外套にアルコールの匂いが染み付いてゆくような気がした。

 ライゼとジェイは、カウンターの隅っこに腰をすえ、目の前にいたベテラン風の店員に、葡萄酒と無糖の紅茶を注文する。葡萄酒はライゼの、紅茶はジェイのオーダーだ。


「何食べたい?」


 ライゼが前に置いてあった品書きを手に取り、ジェイにも見やすいように傾けながら、上から下までざっと目を通した。


「うーん……」


 いろいろな名前の料理がずらりと並んでいるが、今まで食事に無頓着だったジェイには、どれを選んでいいのかわからなかった。



「おまかせします」

「そ? じゃあ――」


 ライゼは目の前に飲み物が出されると、その店員を呼びとめ、オーダーする。

 料理が運ばれてくるのを待っている間、これからのこと、次に宿泊する町について話していると、間もなく、セーダ豆のパンが四つのった大皿と、こんがり焦げ目のついたチーズがたっぷりのった、あつあつのグラタンが、湯気を上げて二人の前に運ばれてきた。

 ジェイは目を輝かせ、


「わあ、美味しそうですね」


 途端に鳴り出す腹が、ジェイの手を、皿と一緒に運ばれてきたスプーンへと伸ばした。隣では既にライゼが片手にパンを、片手にスプーンを握り締めながら、まるで早食い競争でもしているかのような勢いで口に詰め込んでゆく。


「そんなにお腹空いてたんですか?」と、一口目をふうふうと冷ましながら訊ねる。

「おれは旅をしている間は常に腹を空かせている」

 ライゼの皿の中身は、あっという間に腹の中へと姿を消していった。ジェイが半分ほど食べ終わる頃には、ライゼは皿を空にし、大きく喉を反らしながら葡萄酒を一気飲みしていた。


「ゆっくり食ってな。おれはもう一杯飲むからさ」


 言いながらライゼは近くの店員にグラスを掲げて、おかわりのサインを出す。

 ジェイの前の料理が時間をかけて腹に収まる頃、三杯目の葡萄酒を胃に落としたライゼの顔は赤く染まり、いかつい表情かおもだいぶ緩んでいた。

 ここまで酒に酔った彼の姿を見たことがなかったジェイはギョッとして、

「そんなに飲んで大丈夫ですか?」と訊ねる。


「酒飲めばこれくらい普通だよ。具合悪くねぇし、大丈夫、大丈夫」


 返ってきた声はやや間延びし、緊張感に欠けていたが、大丈夫という言葉を信じて、四杯目の葡萄酒をオーダーするのを見送ったジェイだったが、酒屋を出る頃には彼の心の中を、後悔の念が大波となって荒らしていた。


「ちょ、と! ライゼ、そっちは宿じゃありません、人様のおうちですよ」

「ん、そうか」


 ジェイの隣を歩いていたライゼは、急にふらふらと脇道に逸れたかと思うと、他人の家の扉に手を掛けたり、使われていない枯れ井戸に身を乗り出したりと、ひやひやさせた。放しておくのを心配したジェイは、

「仕方ないなあ」と、ライゼの腕をしっかり掴んで宿へと引っ張ってゆく。


「あ? なんだ、お前、ジェイ! 気持ち悪いだろ、そんなにくっついてんじゃねえよ。離しやがれ」

「離しませんよ。放っておくと、すぐどこかへ行ってしまうんですから、あなたは」

「おれより小さいお前がこうやって手、引いてると、周りから変な目で見られるだろ。恥ずかしいからやめろよ」

「恥ずかしいのは僕です。連れがこんな、アホみたいに酔っ払って、手を引いてやらなきゃ、ふらふらどっか行っちゃうまで飲んでいるなんて」

「あんま馬鹿にしねぇでくれる? 一人で歩ける」

「そのうち階段から転げ落ちますよ」

「そんなヘマはしない」


 ……このような押し問答を遠巻きに眺める町人たちの中に、周囲とは異なった空気を漂わせる二つの影があった。体格からして、片方は女、もう片方は男だ。


「ね、ルーイス。あの二人、旅人よね」


 女の声が、隣に立つ男――名をルーイス――に訊ねる。


「ああ。あの二人は今朝、k通りの宿に《デイス・レクトル》、《アルル・リフ》という名前で泊まっている」


 デイス・レクトル、アルル・リフ……偽名これは、ヴェヌス国軍の追跡を恐れたライゼが考案した策だった。

 デイス・レクトルという名は、ライゼが愛読している小説の主人公二人からとったもので、アルル・リフは、ジェイ自身がなんとなく思いついたものだった。


「あの二人は、この街で旅人を狙った事件があったのを噂で知っている。用心しているだろうから、こちらもそれを上回る用心をして挑まないとな」

「うん」


 ルーイスの念押しに頷いた女は、隣の男にぴたりと寄り添うと、二人は、影のように音もなく、その場から姿を消した。



 灯りの消えた真っ暗な部屋に辿り着くと、ジェイは、

「えーい!」と力任せに酔っ払いをベッドに放り投げた。

 ぼふ、とマットの上をバウンドしたライゼは、


「うお。てめえ、もう少し丁寧に扱えよ、おれを」


 枕に押し付けた声が不満を漏らすのを無視して、ジェイはブーツを脱ぎ捨てた。


「ああ、疲れた。僕はもう寝ますよ」

「おれも」


 まるで寝起きみたいな声を出しながら、寝返りを打ったライゼは、脚をぶんぶん振り回して、ゴトン、とブーツを脱ぎ捨てた。

ベッドの上を這い回りながら、ひんやりとした掛け布団の中に、酒に火照った身体を埋めたと思うと、それから一分と経たぬうちに、布の山の中から深い寝息が聞こえてきた。

 それを聞いたジェイも、ほっと一息ついて早々に夢に中へと潜り込んでいった。

 旅の一日目は、こうして更けていった。


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