アクティング

鴻山 陽

第1話 抗えない選択肢

「では、買い物にかかった費用はこちらになります」

子どもが小さくてゆっくり買い物できないから代わりに買い物してほしい。

それが今日、上坂春翔こうさかはるとに与えられた代行依頼。




「いやー、ほんと助かるよ代行屋さん。 はいこれ今日の分。

 またよろしくねー」

いつも通り会計を済まし、訪問先の家を出ると春翔はひとつ大きなため息をついた。


「あと一つか...」


卒論代行、場所取り代行、データ入力代行...

数多くある代行を一日にいくつもこなさなければいけないのが春翔の業務内容である。

今日、春翔に残された最後の代行が彼氏代行。

1日限定で恋人気分を味わえる、最近巷で話題の代行サービス。


そもそも、彼女いない歴=年齢の春翔だったが、そこそこルックスは悪くなかった為今回抜擢された。



指定された駅へと向かうため、エンジンをかけ車を発進させようかというときに、スマホの着信音が胸ポケットから鳴り響いた。


「課長からだ、珍しいな」


増井照史ますいてるふみ

役職:課長

あらゆる手段を駆使してライバルたちを蹴落としていき、10年で課長の座にのぼりつめたエキスパート。

その手腕は一部の者からは尊敬の眼差しでみられている。


といった具合に、どうでもいい説明は置いとくとして、課長からの電話を無視する訳にもいかず、渋々でることにした。


「あ、もしもし上坂くん? 今からちょっと話したいことあるから会社戻ってきてくれる?」


また何か面倒なことだろう。

まだ代行依頼も一件残っているし明日にでもしてもらおうと口を開こうとしたが、


「あ、今日の分の依頼は他の子に任してあるから安心して♪」


そう言って電話が切れると、春翔は軽く舌打ちをして会社へと向かうことにした。








車を走らせ20分程で会社に着くと、満面の笑みを浮かべて課長が春翔に近づいてくる。


「お疲れ様上坂くん。 とりあえず会議室の中で話そうか」


そう言って課長と会議室に向かうまでいろんな事が春翔の脳裏に浮かんできた。


何かやらかしたかな...

それとも噂になってた異動の話か!?



向かう途中同期の小林と目が合ったが、小林は少し微笑んだ表情を見せてすぐに業務の方に戻っていった。




会議室に着くと、赤色の髪をした女性が既に椅子に腰かけていた。


少なくともこの関東支部において見たこともない女性だった為、春翔の中ではますます疑心の念が浮かびあがってくる。





課長に促され春翔も席に着き、少しの沈黙が流れたあと、課長が静かに口を開いた。



「上坂くん、唐突で申し訳ないけど、来月から転勤になったから!」



転勤。

アクティング社関東支部で働いて3年。

世の為人の為にをモットーにコツコツと真面目に働いてきた春翔にとっては想像以上に重たい一言だった。


まずは理由を知りたい。

なぜ自分なのか?

どこに転勤するのか?


込み上げてくる感情を必死に押し殺しながら春翔は尋ねようとした。



しかし、その春翔の気持ちを察したのか、課長の隣に座っていた赤髪の女性が口を開いた。



「君、異世界に興味ない?」



春翔の口から思わず「は?」と言葉が漏れる。


訳も分からない春翔に赤髪の女性は続ける。


「確かにいきなりの転勤で戸惑いもあるだろうし、日本でも海外でもなく異世界って言われたら意味がわからないだろうけど、きっとあなたにとってプラスになるだろうし、今回の転勤は私が自ら選ばせてもらったの。

もちろん拒否してもらっても構わないし、そこはあなたの自由。 あなたが異世界で働くのを望むのなら私たちは歓迎するわ」



冗談なのか、冗談じゃないのか、そもそも異世界なんて架空の世界で、異世界支部なんて勿論聞いたこともない。


より色濃く増す疑心の念に、春翔は動揺を隠せなかった。

「なぜ、自分なんですか」

咄嗟に春翔の口から溢れ出た言葉。

自分でなければならない理由を春翔は知りたかった。


また少しの沈黙のあと、赤髪の女性は少し微笑んだ表情を見せ口を開いた。


「シンプルに言えば直感」


直感で人を選んでいいものなのか...

春翔の表情はより曇りはじめていた。


なにやら隣で増井課長が口を開こうとしたが、それを静止するかのように赤髪の女性は続ける。


「私たちの支部...シエロ支部では今深刻な人材難に陥っています。 そうしたなかで少しでも優秀な部下が欲しい。 それに何と言ってもあなたの真面目な勤務姿勢、そこは高く評価しています」


たしかに春翔は無遅刻無欠席、ましてや有給など冠婚葬祭以外で使うことなどありえなかった。

こういったことが評価されてるなら嬉しい。

しかし春翔はまだ首を縦に振れなかった。


微妙な表情の変化を察してか、赤髪の女性がバッグから紙を取り出し春翔に差し出した。


「シエロ支部に来てくれたら今の倍ぐらいのお給料は差し上げられるんだけど?」



春翔の意思は固まった。


おもむろに立ち上がり、

「来月からよろしくお願いします! えーと、その...」


赤髪の女性も立ち上がり、

「こちらこそよろしくね。 上坂春翔くん。 私の名前は柳葵やなぎあおい。 シエロ支部の支部長です。」


春翔は改めてお辞儀をした、と同時に、

「え? 日本人?」




こうして、春翔の転勤生活が幕を開けた。







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アクティング 鴻山 陽 @yamagu

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