私は死にたくない

「待って下さい」

 俺が倉庫の扉を開けると、石井が綿貫の首元にナイフを押し当てているところだった。予想していたよりも恐ろしい状況にひるみそうになったが、綿貫の命の尊厳が懸かっているんだ、後ずさるわけにはいかない。

「綿貫にチャンスを上げてやってください」

 石井の顔は俺の方を向いているが、その腕はがっちりと綿貫を抑え込んでいる。石井の顔はいつもと同じような、しかしいつもとは違う笑みを浮かべていた。笑っているにも関わらず「邪魔をするな」というオーラが浮き出ていた。

「チャンス?なんでそんなこと。こいつは失敗したんだ。醜い姿はさっさと消してしまわないと」

 ――やっぱり聞く耳を持たないか。しかし、半ば無理でも押し通すより他にない。石井の目は怖い。相手は殺人鬼だ。怖いに決まってる。怖いけど、俺はこぶしを強く握ってその目を強く睨んだ。

「しかしここは自殺部のはずです。自殺するのが目的でしょう」

「それに失敗したからこうなっているんだ」

「失敗したらそれで終わりなんですか?テニス部は試合に負けたら部活を辞めなきゃいけないんですか?違うでしょ!」

「……」

「ここは自殺部です。殺人部じゃない。あなたが決めたことだ」

 俺が言い切ると、石井はしばらく微動だにせず俺の目をじっと見た。視線に殺されそうなほどの圧だったが、俺も死ぬ気でそれを睨み続けた。まばたきをする余裕すらなかった。

 すると、石井は綿貫の方を向き直り、綿貫の顔に自分の顔を近付けた。

「……本当に死ぬ意志はあるか。自殺する意志はあるか」

 既に綿貫は精神的に参っているようで、すがるような目で俺を見てきた。俺が必死で「頷け」とジェスチャーすると、綿貫は少し正気に戻ったようで、石井に向かって何度も強く頷いた。

 石井はそれを確認すると綿貫を押さえていた腕を放し、ナイフを袖に隠しつつ俺とすれ違った。その時には既に、さっきまでの殺気は感じられなかった。石井はそのまま廊下へと出ると、そのまま部室とは反対方向――職員室の方へ足音を響かせながら歩いて行った。

 石井が多少離れてから、俺は綿貫に駆け寄った。綿貫は石井が手を放してすぐにへなへなと地べたに座り込んだまんまだった。石井がいなくなって安心したのか、目には涙が溜まっている。

「大丈夫か」

 話しかけると、急に両手で俺にすがってきて、危うく俺は後ろへ倒れそうになった。

「怖かった……怖かった……」

 恐怖で上ずった声でそう言いながら、俺の学ランの胸の部分を強く握りしめた。部活では強気な発言をしていてあまり実感はなかったが、やはりアイドルだ。この状況で不謹慎ではあるが、すすり泣く姿は普通にかわいかった。

 ただ、俺は女子が泣いている時にどう対応すればいいか、なんて知らない。こういう時に背中に手を回したりだとか、頭に手を乗せられたら格好いいんだろうが、俺にはそんな勇気はない。

 そうやって国民的アイドルに抱き着かれておろおろしていると、入口から津田と福原が入ってきた。俺にとってはまさに救いの手だ。

 ……と思ったら綿貫が俺からちっとも離れないので、必然的に二人も俺の傍で慰め始めた。女兄弟のいない俺からするととても気まずい……。

 後ろを向くと永沼が変な目線を俺に向けていた。おい、今すぐ変われるもんなら変わってやりたいわぼけ。


※ ※ ※


 私たち三人が倉庫に入ったとき、明日香ちゃんは進くんの胸に顔をうずめて泣いていた。何が起こったのか、先生に何をされたのかは分からなかったけど、きっととても怖い思いをしたんだと思う。さっき部室で泣いてた時よりも身体の震えが尋常じゃないほど大きい。

 また、私と麻紀ちゃんの二人で明日香ちゃんの背中をさすった。明日香ちゃんは進くんから離れようとはしない。進くんはちょっと気まずそうな表情を浮かべている。どういう流れでこの状況になったんだろ……。

 そんなこと考えてたら、突然、ずっと下を向いてた明日香ちゃんが顔を上げた。

「私、まだ死にたくない!」

 私は思わず麻紀ちゃんと顔を見合わせた。あんなに死にたがってたのに、今日だってさっきまで「殺されてもいいや」って言ってたのに。

「私、今まで死ぬってことがどういうことか分かってなかった。死にたい死にたいって言ってたけど、実際先生に殺されそうになって、初めて本当の『死ぬ怖さ』が分かったの……」

 明日香ちゃんはそう言いながらまた徐々に舌を向いていく。しばらくその場にいる全員が押し黙った。

「でも、死にたくないなんて言ったらそれこそ先生に殺されちゃうよ」

「そんなこと分かってる。だから、表向きは次の自殺に向けてチャンスを伺ってるってことにしておく。だけどもう、この……この部活には来ない。来れない」

 明日香ちゃんの本音に、また全員が黙り込んだ。もちろん、私にはその「死ぬ怖さ」っていうのは正直分からない。でも、やっぱり私は死にたいと思う。明日香ちゃん以外は、たぶんみんなそうだと思う。

「とりあえず部室に戻ろ。それともすぐに帰る?」

「帰る、けど……」

 明日香ちゃんはそこで言葉を切って、ちょっと顔を赤らめた。なんだろうと思って下を見てみると、なんだか床が明日香ちゃんの周りだけ濡れていた。そして明日香ちゃんのスカートも。

「あー……保健室行こっか……立てる?」

 麻紀ちゃんも様子を察したのか、明日香ちゃんに肩を貸す仕草をする。

「ごめんね、みんな。本当ごめん」

「何言ってんの。同じ部活の仲間じゃんさ」

 麻紀ちゃんはそのまま明日香ちゃんと一緒に保健室へ向けて廊下へ出て行った。

 私、進くん、永沼くんはちょっとの間倉庫でぼーっとしていたけれど、すぐ黙って部室の方に戻った。……なんだか物凄く気まずい……。


※ ※ ※


 死にたくない……か。あれだけ死にたいと騒いでいた綿貫が死にたくなくなるほどなんて、死の恐怖とやらはそこまで恐ろしいものなのか。非常に興味がある。

 様子を見る限り、綿貫以外の俺含めた四人は未だに自殺願望は消えていない様だ。しかし、綿貫の失敗がこの部活に落とし込んだ影はやはり大きいな。明日からこの部活の話し合いがどうなることか、予想がつけづらい。

 また、先生のことだから綿貫の真意に感づいているとも分からない。このメンツで隠しきれるのかは少し不安が残るところではあるな。

 ――そして福原のヤツがいないとこの三人じゃ全然喋りゃしないな。静かで悪いことはないが、しかしいつもと違うのはなんだか調子狂うものではある。……と言ってもまだ部活が始まって数日しか経っていないのだから、いつもも何もないのか。

 自分が考えている以上に自殺部が日常の中に組み込まれていたようだ。自殺部に入ってからは考えるべきことが次々に出現していて、暇つぶしには持ってこいだ。お陰で最近は生活に張りがあるような気がしないでもない。

 自殺願望はなくなっていないが、このままの日々が続くのならそれも悪くないか……なんてそんなガラにもないことを考えつつ、僕は沈黙に包まれた部室での時間を過ごした。

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