自殺部〜僕たちはまだ死にたくない〜
前花しずく
執拗ないじめ
「杉田くん」
担任の石井が俺の名前を呼ぶ。
「あぁ……はい」
ぼそぼそっと適当に答える。中学の時の先生だったらもう一度言い直させられてるところだったが、石井はちょっと困ったようにはにかんだだけで、次のヤツの名前を呼んだ。
俺には先生に呼ばれて元気に返事できるだけの気力がなかった。放課後がくるのが憂鬱で仕方がなかった。
「それじゃ、これから入学式になるから、皆廊下に並んで」
石井が手を叩きながら言うと、生徒たちはバラバラと統率感もなく立ち上がって、気怠げに廊下に向かった。
「よ、杉田。ちょっと付き合えよ」
帰りのHRが終わって早々、あいつに話しかけられた。中学の同じだった藤井だ。
「もちろん、拒否権はねえけどな?」
藤井は俺の首にその野球で鍛えた腕を巻き付かせた。そう、俺には拒否権はない。中学の時からそうなんだ。
中学に上がった頃、俺は適当に学校生活を過ごしていたが、その中で一つだけ、大きな間違いを犯した。
俺の中学は野球部が少し荒れていることで有名だった。多少野球が強かったものだから黙認されていたが、近所のコンビニでは常に万引きをしているような奴らだった。
そんな奴らに俺は普通に声を掛けてしまった。「よお」だなんて。もちろん、その時は同い年なんだし初対面だろうと適当にコミュニケーションとってりゃいいだろうと思っていた。だがそれが奴らの気に障ったらしい。
次の日から妙に野球部の奴らにつきまとわれた。そしてことあるごとに金をせびられ、教科書を持ってかれた。それから段々とエスカレートしていき、暴力を奮い始めるまでにそう時間は掛からなかった。
中学での時間は全部野球部に潰された。自由は何もなかった。俺はただのおもちゃで、ただの奴隷だった。
進学校に入れば何かが変わるかも、という期待もクラス編成を見た瞬間に打ち砕かれた。まさか野球部の、しかもそのリーダー格の藤井がこの学校に入学できるほど頭が良かったなんて知らなかった。それも、まさか同じクラスになろうとは頭の片隅にも想像していなかった。
「んで、今日はいくら持ってんの?」
図体のでかい藤井が学ランを着ていると圧迫感が倍増する。対して俺なんか、学ランを着てたって中学生と見間違われるかもしれない。
「本当に交通費しか持ってないから……本当に何も渡せません……」
事実、俺の財布には数百円しか入っていないICカードと千円札一枚しか入っていなかった。この千円をとられたら今日は家に帰れない。
「なんだ、使えねえヤツだなあ?」
藤井も俺の性格を知っている。嘘はつかない。反抗もしない。だから藤井も俺の言ってることを疑うことをしない。
「仕方ねえ。じゃあお前、そこのコンビニで昼飯盗ってこい」
――やっぱりそうきたか。今までの経験で分かってはいたが、やはりつらい。正直、中学の近所のコンビニは万引きし過ぎてどこも出入り禁止になってしまった。だから中学三年の頃は万引きにパシられることもなく安堵していたのに……この高校は中学からはだいぶ離れているから関係ない。
嫌だ、と言える訳がない。言ったら殴られる。殴られるのは誰だって嫌に決まってる。だとしたら犯罪だと分かっていても痛みのない方へ逃げるしかない。
……結局、手提げ袋に音の立ちにくそうな弁当と紙パックの飲み物を突っ込み、早足でコンビニを出た。幸い、店員には気付かれていないようだ。
「よしよし。んじゃな」
俺の苦労を気にも留めず、当たり前のように受け取って藤井は踵を返した。今日は暴力を奮われなかった。いつまでこうやって怯えて過ごさなきゃいけないんだろう。
「……死んだ方がマシかもな」
そう呟いて俺もバス停に向かおうとした時だった。
「杉田くん」
急に後ろから声を掛けられた。慌てて振り向くと、真後ろに石井が立っていた。こんなに近くまで来ていたのに全く気付かなかった。
「杉田くん。今そのコンビニから出てきたよね?」
石井はイヤに目尻を下げながら口を動かす。こちら側が陰になっていてその細い目だけがギラリと光る。
「は、はぁ」
俺はできるだけ冷静を装い、曖昧に返事をした。鼓動が聞こえるほど心臓は激しく血液を送った。腕にじわりと纏わりつくような汗をかいている。
「今店員さんがキョロキョロお店の周り見てたけど、まさか万引きなんかしてないよね?」
してない――そう言おうとしているのに口が渇いて掠れたような声しか出てこない。
「さしずめ、盗ってきたものを藤井くんに渡したってところかな?可哀想に、杉田くんいじめられてるんだね?」
「違う!!……違い……ます」
俺は反射的に怒鳴っていた。頭では分かっている。分かってはいるものの、それを認めたら本当に負けになってしまう。そんな気がしていた。
「……ねえ杉田くん。藤井くんにやり返してやりたいとは思わない?」
沈黙していた俺に向かって、石井はそう言った。顔を見ると、やはりこの場には不釣り合いな、楽しそうな笑みを浮かべている。
「どうせ俺には反抗できないですよ。到底力じゃ敵わない」
「そんなことは分かってるよ」
なんとも冷たい言い方だった。その優しそうな声とその言葉が噛み合っていない。俺の中の恐怖が別の恐怖に変わった。
「死んで復讐すればいいのさ。遺書にいじめられたとでも書いて置いておけばいい。なんなら僕がいじめがあった、と証言しておいてあげよう」
こいつが何を言っているか分からない。こいつはさっきまで教壇に立っていた石井なのか?もう口からは掠れた声も出なかった。
「さっき『死んだ方がマシ』って言ってたじゃないか」
石井はどんどんとその楽しそうな顔を近付けてくる。なんでこいつがさっきの独り言を知っているんだ。絶対あの距離じゃ聞こえるわけがない。こいつは……こいつは本当になんなんだ。
「……ついておいで。案内したいところがある」
石井は尚も固まっていた俺の右手を半ば強引にとり、そのまま引きずってどこかへ向かって歩き始めた。
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